ハリー・ポッターと黒い魔法使いの孫   作:あんぱんくん

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怪物の本能は思い出す。

圧倒的な超常の力が全てを支配する時代を。

子鬼や巨人、竜すらも頭を垂れるしかない絶対的な強者を。



#008 ハロウィン後編

 

 

 不意に感じられた異質な気配。

 怪物は、三匹の獲物の後方にちいさな人影を視認する。

 何故か”その生き物”は目の前の獲物達と同じ衣を纏っていた。

 くるり、くるり、と。その御手の中で弄ばれる杖。

 長柄には死神犬の彫刻が施されている。

 

「……ぶおぅ?」

 

 良くも悪くもトロールが少女を視界に入れられたのはそこまでであった。

 気づけば怪物は、少女から顔ごと視線を逸らしていた。

 困惑、困惑、困惑。

 何故だろう、こんな事は初めてだ。

 こんな小さい生き物如きに、言いようのない恐怖を感じる。

 

「ぶぉぉ……っ」

 

 下げていた視界の端から、目の前の獲物達がジリジリと後方へと下がっていくのが見える。

 怪物は彼らを追わなかった。

 否、追えなかったという方が正しいか。

 

 何故なら、彼らの向かう先には……銀の少女がいるのだから。

 

 

 

 ──────……

 

 

 

 夜の城の静けさを断続的に切り裂くのは、地響きのような足音。

 周囲の壁が大きく揺れ、踏まれた床は簡単に罅が入る。

 巨人とまではいかずとも、トロールもまた十分過ぎる怪物である事に疑いはない。

 

「おぉ……これはまた」

 

 デカい。滅茶苦茶デカい。

 確固たる存在感もそうだが、相手にもたらす圧迫感も桁違いだ。

 

「あれは山トロールじゃないか。4メートル越えなんて久々に見たよ」

 

 トロールは主に、川トロール、森トロール、山トロールの三種類の種族から構成され、その体色で大まかに分類出来る。

 川トロールの皮膚は紫色で主に橋の下に潜み、あらゆるものを食す。

 森トロールの皮膚は薄い緑色で、稀にざんばら髪が生えている者もいる。

 そして、山トロール。皮膚が薄い灰色のこの種類が最も大きい。

 無論、魔法使いとはいえ年端もいかない生徒が敵うわけもない。

 だというのにポッター達は無事、驚くべき事にトロールは幾つかの手傷まで負っていた。

 赤ん坊の頃から英雄と言われるだけのことはある。

 

「にしてもギリギリ間に合ったなあ」

 

 見た感じ、応戦一歩手前といった感じか。

 危ないところだった。

 彼らが戦うよりも、魔法生物相手ならボクが出っ張った方が話が良い。

 何故ならば

 

「ぶおぉぉ……」

 

 震えている。いや、怯えている。

 突然現れたボクという獲物を前にしても、怪物は威嚇するように吠えるだけ。

 その姿はまるで虚勢を張って甲高い声で鳴く小型犬のようだ。

 二つの目も、ボクを正視するのを躊躇ってあちこちをさ迷っている。

 昔からそうだったんだが、ボクはよく生き物に……というか魔法生物に怯えられることが多々ある。

 それも犬に吠えたてられる、というレベルのものではない。

 

(今飼っているゴールディーも懐くまで結構時間がかかったっけ)

 

 ボクの可愛らしい美貌がそうさせるのだろうが、まったく失礼な話である。

 しかし、ボクの怯えられっぷりも調教には良いらしい。

 お陰でスキャマンダーさんに、よく危険な魔法生物の飼育の手伝いをさせられた。

 

 ────ははは!メルム、君の将来は魔法生物飼育委員会で決まりだよ!

 

 適正があるのは認めようとも。

 ボクだって他人だったら同じことを言うだろうし。

 だが生憎、ボクがなりたいのは調教師ではなく闇祓いだった。

 そもそも魔法生物の飼育に必要なのは、適正ではなく熱意と愛情というのが個人的な見解である。

 

「何をしてるの?3人とも早くこっちに来なよ」

 

「う、うん」

 

 ポッター達は急変したトロールの様子が気になるようだが、いつまでもそこにいて貰っても困る。

 トロールが怯えているのはボクであり、彼らではないのだ。

 

「メ、メルム……どうしてここに?」

 

「いや、ミリセントからハーマイオニーが地下にいるって聞いたからさ。もしかしたら危ないかもって」

 

 目を潤ませてハーマイオニーが抱きついてきた。

 おーよしよし。

 怖かったねぇ、もう大丈夫だよぉ。

 

「ポッター達は先生を呼んできてよ。その間にこいつ、何とかしとくからさ」

 

「いや何とかって。何するつもり?」

 

 お、それ聞いちゃう?

 何も言わずにっこりと微笑むと、察したようにポッターは黙りこくった。

 一体何を想像したんだろうか、その顔は青ざめている。

 

(マルフォイに無茶苦茶やったせいかな?ポッターの中でボクが”怖い人カテゴリー”に入ってる気がする……)

 

 別に彼が想像するような事をする気はない。

 意外に思われるかもしれないが、生き物は好きな方なのだ。

 だからこそ、生き物から怯えられるってのが地味にショックだったりする。

 

「さて、と」

 

 怪物のしつけ方はよく知っている。

 基本的にこの手の奴は単純だ、上下関係を分からせてやればいい。

 圧をかけて近寄って、完全に怯ませたらそこで終了。

 後は先生方の到着を待つばかりだ。

 

 そんな事を思っているボクの真横を、凄まじいスピードで何かが通り抜けていった。

 

 ────ズゥン……ッッッ、!

 

「……ん?」

 

 駆け抜けた先をゆっくりと振り返って見ると、十数メートル先の壁にどでかい棍棒がめり込んでいる。

 あれま、これは一体全体どうしたことだろうか。

 今まさに先生を呼びに行こうとしたポッター達も、それを見て足を止めている。

 

「ぶおおおおおおおおおおおぉぉッッ!」

 

 猛々しい咆哮が鳴り響く。

 これはまずい。

 魔法生物の飼育を通じて分かった事なのだが、彼らのような魔法生物にも個性がある。

 ビビって逃げ出す奴、固まって動けなくなる奴、怯みはすれどもじっと睨みつけてくる奴。

 そういう意味では人間と同じだ。

 とはいえ、怯えている癖に反撃してくるケースは大体理由が決まっている。

 

(多分、誰かに飼われてたね。恐怖に屈することがないように、よく調教されてる)

 

 このトロールが誰かに連れてこられたのは分かっていたが、まさか調教済みとは。

 確かに優秀な個体だ。

 頑強な肉体、よく効く鼻、一つの獲物に対する執着心。

 トロール使いとしては垂涎ものだろう。

 

(こういうのが一番面倒なんだよなあ。トロールなんて昔は攻城兵器として運用されてたって話もあるくらいだし)

 

 ボクにとって救いなのは向こうの警戒心が強い事か。

 棍棒を投げつけてきたのは牽制。

 それはボク達から何かをしない限り、これ以上こっちには踏み込んでこないということだ。

 

「皆、ゆっくり前を向いたまま後ろに」

 

裂けよ(ディフィンド)!」

 

 言い終わる前に、ボクの斜め後ろから飛び出る呪い。

 おい誰だ、クソ勝手な事をした馬鹿野郎は……あぁハーマイオニーか。

 

「ぶおおおおお!!!」

 

 トロール哀れなり。

 ハーマイオニーの呪文のセンスは抜群だったらしく、弱点部位である目に彼女の呪いは炸裂した。

 トロールの皮膚は分厚くて半端な魔法は効かないが、剥き出しの目は例外である。

 ドラゴンや巨人にも共通する弱点部位であり、本で得た知識とはいえそれを咄嗟に有効活用出来るのは素晴らしい事だ。

 

 ────タイミングと空気さえ読めれば

 

 大事な目ん玉が潰れたトロールは、あっさりと恐慌状態に陥った。

 悲鳴を上げながら、あっちこっちにデカい身体をぶつけて暴れ出す。

 床も天井も砕けて土埃が舞った。

 

「「「うわああああああああっっ!!!」」」

 

 こうなったらもうダメだ。

 ポッターとウィーズリーを浮遊呪文で浮かせ、ハーマイオニーの首根っこを掴んでボクは走り出す。

 すぐ後ろの壁が冗談みたいな音を立てて粉砕された。

 クソトラブルメーカー共め。

 修繕費とか請求されたら払えるのか?主にウィーズリー。

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「あいつらは何をやっとるんだ」

 

 地下に続く別の階段から銃のスコープで覗く男は、白髪混じりの偉丈夫であった。

 男の名前はアーガス・フィルチ。

 ホグワーツ魔法魔術学校の管理人である。

 そんな彼がスコープ越しに見つめる先には、腕を無茶苦茶に振り回すトロールの姿。

 フィルチの隣で双眼鏡を覗いていた大男、ハグリッドは呆れたように首を横に振った。

 

「……聞いていた話とトロールの様子が随分違っちょるな。あそこまで激昂したのを見るのは初めてだ」

 

「校内の有様もな。おぉおぉ見ろ!あんなに床や天井がボロボロになって……」

 

 トロールの様子などどうでもいい、とフィルチは頭を抱えて嘆いた。

 現在、恐怖と痛みによってある種の錯乱状態に陥った怪物は、今まで見たこともないほど荒れ狂っていた。

 お陰様で何もかもがめちゃくちゃ。

 今朝磨き上げた手摺はひしゃげてるわ、埃一つなく拭き取った壁は粉砕されてるわ。

 一体、誰がこれらを修繕すると思っているのだろうか。

 

「ハグリッド。私はこの後休暇を取ろうと思うんだが、どうだろうか?」

 

「馬鹿言うんでねえ!校内の清掃や修繕は誰がすんだ!」

 

「私にやれってか!?1週間……いや1ヶ月はかかるぞ!ふざけやがって!絶対に休職する!こんなのは沢山だ!」

 

 校内の清掃は仕事だからやるとも。

 馬鹿なガキの後始末も文句はあるがやろうとも。

 だが、半壊した校舎の修繕までやらされるのは勘弁だ。

 魔法使いなのだから自分で直せ、もしくは大工にでも頼めばいい。

 トロールと同じく激昂状態になったフィルチの肩をハグリッドが優しく叩いた。

 

「フィルチよ、俺も今回の後始末は手伝っちゃる。だから機嫌直してくれ。な?」

 

「お前にそんな器用なことが出来るのか!?お前の小屋を建てたのだって私だろうが!金具だってすぐその馬鹿力でひしゃげさせるくせに!」

 

 ハグリッドの参戦はむしろ邪魔ですらある。

 瓦礫の撤去には使えるかもしれないが、修繕を任せる相手にはほど遠い。

 

「ダンブルドアに直訴する!絶対だ!私は休職を勝ち取ってみせる!」

 

「まぁそれはお前さんの権利だから、俺は何にも口は出すつもりはねぇけども。それよりも良いのか?こうしてる間にもトロールは校舎をぶっ壊してるぞ」

 

 ピタリ、とフィルチは黙り込んだ。

 瓦礫の飛び交う音は未だに続いている。

 獲物である生徒達はとっとと逃げ出したというのに、それにも気づいていない。

 目が潰れたのだから仕方のない話ではあるが、ひたすら迷惑だ。

 

「……音頭を取れハグリッド」

 

 土煙で見えにくいが、狙えなくはない。

 狼男襲撃の時は真夜中の禁じられた森だった。

 それに比べれば楽勝である。

 一瞬で集中状態に入ったフィルチは、レティクルの中央をトロールの腹部に合わせる。

 

 ────そしてトリガーを引いた。

 

 一拍遅れてズドンッッッ!!!と腹の底に響く銃声。トロールの腹部が破け、臓物を周囲に撒き散らした。

 キンッ……と薬莢の落ちる音に心地よさを感じながら、冷徹に次弾装填。

 

「ハートショット、ヒット。崩れ落ち、膝で一瞬止まる」

 

 隣で双眼鏡を覗き込みながらハグリッドによる標的の状況報告。

 距離、風向き、弾丸がどこに着弾するのか。

 それらをフィルチはサポートされずとも手に取るように分かるが、本人が観測手くらいはやらしてくれと泣きついてきた結果だ。

 

「ヘッドショット、エイム……」

 

 一発目は腹に当てたのはワザとだ。

 通常一キロ越えのショットが腹に当たればまず助からない。

 しかしそれは人間相手の話だ。

 怪物相手には念を入れる必要がある。

 致命傷を与えられ動きが止まったトロール。

 怪物にトドメを刺すべく狩人は、レティクルの中央をトロールの頭部へと合わせる。

 

 ────ファイア!

 

 ズドォンッッ!!と再度の銃声と消炎。トロールの頭が半分ほど砕け、廊下に倒れ込んだ。

 

「ヘッドショット……ヒット」

 

 フィルチは立ちあがり、ボルトを前後させると身を潜めていた階段から身を乗り出した。

 隣でむくりと寝そべった体勢から身を起こしたハグリッドが呆れた声を上げる。

 

「お前さん、やっぱりプロだな」

 

「褒めるなよハグリッド。校内のゴミ処理が得意なだけだ」

 

 満足げに銃を拭いたフィルチは、ハグリッドと共にトロールのもとに歩み寄った。

 倒れたトロールの周りには破壊された校舎の瓦礫が散乱し、生徒たちが避難した跡が残されていた。

 

「こんな事になると分かってたら、今日は城の掃除はしなかった」

 

 荒れ果てた一帯を眺めてフィルチは自嘲気味に言う。

 ハグリッドはというと、フィルチの嘆きなど聞きもせずにトロールの大きな鼻を物色していた。

 

「こいつぁ立派な鼻だな。匂いをかぎ分けるのにさぞ役立ったに違ぇねえ。お前さんもそう思うだろう?」

 

 フィルチは困惑しつつもとりあえず頷いた。

 トロールの鼻など微塵も興味なかったが、死体を観察するハグリッドはほんのり微笑みが浮かべており、その笑顔は何か怖いものがあったのだ。

 魔法生物好きもここまで行くと変態的である。

 

「ハグリッド!眺めるのも良いが場所を変えてしろ。デカブツをさっさと校外に持ってってくれ。片付けの邪魔だ」

 

 ハグリッドは大男なだけあって力仕事が得意だ。

 トロールの体を持ち運ぶくらいさほど難しいことではないだろう。

 ハグリッドはトロールの体を運び出しながら

 

「おいフィルチ。トロールを売っちまえば修繕費用が浮くかもしれねえな?」

 

「それはないな」

 

 フィルチは冷たく言った。

 

「このトロールを連れてきた奴に請求する」

 

「そりゃあいい!」

 

 ハグリッドが大声で笑った。

 すると声に反応したかのように、トロールが身体を小刻みに痙攣させる。

 腹部が破裂し頭部を吹っ飛ばされても、まだ辛うじて生きているらしい。

 まったく悪い冗談だ。

 

「凄まじい生命力だな……あぁトロールの処理は任せるぞ。鍋にするなり服にするなり好きにしてくれ。私は先生方に伝えなくちゃならないことがある」

 

「む?なんのこっちゃ」

 

 懐からからジッポーライタを取り出し、いつの間にか煙草を咥えていたフィルチは不気味に微笑んだ。

 

「ふふふ……さっきの生徒達の顔は全員確認済みだ。ダンブルドア校長にお仕置きの許可を。ついでに休暇の申請もな」

 

「多分だがそいつは望み薄だぞ」

 

 余計な言葉など何も聞こえない。

 フィルターをくわえ、煙草に火を灯して煙をくゆらせる。

 既に彼は、四人の問題児達にどのような罰則が下されるかについての妄想に耽っていた。

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

 ホグワーツのとある廊下。

 ぜぇぜぇと息を切らしながら壁を伝って歩いている少女がいた。

 それはボクこと、メルム・ヴォーティガン・グリンデルバルドである。

 

「ふざけやがって、あのクソ馬鹿たれ共が」

 

 ポッター達は途中で安全な場所に置いてきた。

 まぁ大丈夫だろう。

 周囲一帯に物が壊れる音やトロールの唸り声が響いていたし、先生方もすぐに集まってくる。

 ちなみに、なぜ一緒に先生を待たなかったのかというと、説教されるのが目に見えていたからだ。

 寮にいるべきボク達が、一体どうしてトロールと対決する羽目になったのか。

 そんな事を一から説明するのは馬鹿らしい。

 罰則や説教などもっての外である。

 

「ったくそれにしても……どこだい?ここは」

 

 捕まりたくない一心で、階段を登ったり抜け道を使ったりしている内にすっかり迷ってしまった。

 とりあえずヒントはないか、と目の前の教室をボクはじっと観察する。

 ぶら下がっている室名札には”妖精の呪文”と書かれていた。

 なんと驚くべき事に、ボクは地下の階から四階まで走ってきたことになる。

 

「あ〜あ。ハロウィンパーティで楽しい日になる筈だったのに」

 

 カボチャだらけな事に思うところはあったが、まだまだ沢山食べたい料理があった。

 カボチャジュースだって飲みかけだった。

 年に一度のパーティを誰よりも楽しむ筈だったのにどうしてこうなったのだろうか。

 

「む……」

 

 おっと行き止まりだ。

 廊下の突き当たりにはドアがあり、それ以外のものは存在しない。

 やけに殺風景な光景だった。

 押して見ると鍵が掛かっており、中には入れない。

 

「そういえば、”禁じられた廊下”があるのは4階だったね」

 

 とても痛くて世にも恐ろしい死に方をしたくない人は、”禁じられた廊下”に近づくことなかれ。

 そんな事をダンブルドア校長が言っていたっけか。

 4階を走り回った感じ変な場所は特になかった。

 別にそんな意図を持って走っていたわけでもなかったが、消去法でいくと”何か”があるとすれば、この部屋の向こうという事になる。

 少しだけ好奇心が擽られた。

 

「ん〜?」

 

 入ろうか入るまいか。

 じっとドアの鍵と睨めっこすること数分、唐突にドアがガチャガチャと揺れ出した。

 誰かが中から出ようとしているようだ。

 

(やっば!)

 

 誰かは知らないが、こんな所にいるのがバレるのは体裁が悪い。

 幸い廊下全体は月明かりで影になっている。

 とりあえずボクは、小声で自分に目くらまし術をかけると廊下の隅っこにそろそろと移動した。

 同時にカチッと鍵が開き、バンッ!と音を立ててドアが勢いよく開く。

 漂ってくるトロールのものともまた違った獣臭い風。

 

「クソッ……」

 

「おい待てっ!!」

 

 呆気に取られるボクの前を、黒いマントを纏った者がスルスルと凄いスピードで駆け抜けていく。

 フワッとニンニクの匂いが撒き散らされる……否、それだけではない。

 

(うぇっ……これ死臭か?)

 

 チーズや生ゴミが腐った臭いも微かに混じっている。

 色々な匂いが撒き散らされ、スラム街のような臭気を漂わせる廊下。

 そういう匂いに慣れている人間じゃなければ吐いていたこと間違いなしだ。

 

 しかし、これでまだ終わりではない。

 

 次いでドアの向こうから、ドサリと黒い影が此方に倒れ込むように出てきた。

 

「クソッ……離さんか!……この馬鹿犬めッ!……このッ……」

 

 何とびっくりだ。

 この声はスネイプ先生のものである。

 

「追わなければ……離せッ!……この……!」

 

 出てきたスネイプ先生は何やらもがいていた。

 夜のせいでここからはよく見えないが、彼の脚を黒い何かが引っ張っているのが分かる。

 

「────切り裂け(セクタムセンプラ)!」

 

 何の呪いだろうか。

 スネイプ先生の杖から閃光が走り、つんざくような悲鳴が上がった。

 スネイプ先生の脚を引っ張っていた黒い影がドアの向こうへと引っ込む。

 ちなみにドアの向こうは、月明かりがよく照らしてくれていた。

 つまりは、彼の脚に噛み付いていた何かがよく見える。

 

(嘘だろ、おい)

 

 その光景にボクは驚いて言葉を失った。

 デカい、犬だ。

 ドアの向こう……床から天井までの空間、全部がその犬で埋まっている。

 頭が三つ、血走った三組のギョロ目。

 なるほど、ネビルは嘘を言っていなかったらしい。

 

(こりゃケルベロスだ。なんでこんなのが城内に……)

 

 地の果てにいる爺様へ。

 ホグワーツのハロウィンは刺激的です。

 この学校ではお化けの仮装をするのではなく、トロールやケルベロスなどを放し飼いにするようです。

 改めてボクは、この学校に入学した事を後悔しそうになっていた。

 

「吾輩は餌ではないぞ!噛みつく相手くらい選べ、扉よくっつけ(コロポータス)!」

 

 閉錠魔法を使ったのだろう。

 ドアがひとりでに閉じ、ガチャリと鍵の閉まる音が静かな廊下に鳴り響く。

 スネイプ先生はガウンを膝までたくし上げて、傷の確認をしている。

 

「忌々しいクソ犬め!」

 

 おぉ、なんとも惨い光景だ。

 スネイプ先生の片方の脚はズタズタになって血だらけだった。

 しかし我が寮監は見かけと違い、打たれ強いタイプらしい。

 魔法で軽く応急処置をするとスネイプ先生は立ち上がる。

 

「ハグリッドの奴も珍妙な生き物を”石の守り”に使いおって。3つの頭に同時に注意するなど出来るものか!」

 

(甚だ同意だね。ご愁傷さまスネイプ先生)

 

 頭から湯気が出そうなほど怒り狂ったスネイプ先生が、足を引きずってボクの前を通り過ぎていく。

 終始、彼は近くで息を潜めるボクに気づくことはなかった。

 

「……行ったな」

 

 足音がだんだんと遠くなっていく。

 スネイプ先生が確実にここから離れた事を確認して、目くらまし術を解いたボクは安堵から座り込んだ。

 今日はもう嫌というほど色々あった。

 ハーマイオニーの泣きみそ、トロールの侵入、部屋から飛び出たケルベロス。

 まったくどれか1つだけでも悪夢だってのに、それが全部大集合ときた。

 

「きっと今日はよく眠れるよ。間違いないね」

 

 そろそろ寮に戻らないと不審に思われる。

 くだらない事を慰めに呟いて、ボクは立ち上がった。

 

 そして、チラリと塞がったドアに目を向ける。

 

 疲労のせいか。

 ボクの好奇心が、ムクリと首をもたげていた。

 これ以上何もしたくはない、何もしたくはないのだが。

 

「……ちょっとだけ」

 

 ちょっとだけだ。

 三頭犬なんてどうとでもなる、音楽を聞かせれば一発だ。

 口笛でも吹いてやればいい。

 ボクが気になっているのはその先────犬の足元にあった仕掛け扉だ。

 あの向こうには一体、何があるのだろう。

 

(抑えろボク。これ以上面倒事を増やす気か)

 

 でも見たい。

 ぶっちゃけ開けちゃいたい。

 やめろと言われればやりたくなる。

 

 ────スネイプ先生の行先は恐らく医務室だ、もうここには戻って来ない。

 

(てことはスネイプ先生が悪いよな。つまり……うん。ボクは悪くない)

 

 自制心をねじ伏せ、脳内で責任転嫁完了。

 さぁ夜中の大冒険の始まりだ。

 杖を取り出したボクが鍵を叩こうとした瞬間、

 

「その扉を開けてはいかんぞ?メルムよ」

 

 ここで聞こえる筈のない声に、ボクはギョッとした。

 前にもこんなことがあったなぁ……と半ば確信を持ちながらカクカクと後ろを振り向く。

 

 そこにはやっぱり────慈愛に溢れたキラキラと輝くブルーの眼。

 

「……神出鬼没ってよく言われません?」

 

「そうさのう。儂の散歩中、君によく出くわすとは思うがの」

 

「いつからここに?」

 

「お主が来るよりもずっと前からじゃよ」

 

 マジか、全然気づかなかったぞ。

 ダンブルドア校長は杖を一振りして二つの椅子を出すと、その一つに腰掛けてため息を吐いた。

 

「見事な目くらまし術じゃ。怪我に気を取られているとはいえ、まさかスネイプ先生が気づかないほどの熟練度を誇るとは」

 

「あははは……指導役が優秀だったものでして」

 

「アラスターの奴には、今度会ったら一言言っておかねばならぬの」

 

 促されるままにボクは、ダンブルドア校長の対面の席に腰掛ける。

 なんとも気まずい空気だ。

 前回もやらかした後に遭遇しているし、当然といえば当然なのだが。

 

「さてメルムよ。お主には2つほど話したい事があるのじゃ。どちらから話そうかの」

 

「どちらからでも。お好きな方からどうぞ」

 

 どうせ校長の発言を遮る権利は生徒にはない。

 後ろめたい所を見られたボクは尚のこと。

 ではお主の言葉に甘えるとしよう、とダンブルドア校長がにっこり微笑んだ。

 

「先ほどお主はミス・グレンジャーのことを助けに行こうとしたのう。何故か理由を教えて貰えるかね」

 

 予想の斜め上な質問にボクは目をパチクリさせる。

 

「えーと……彼女のことを誰も知らないようでしたので」

 

「先生や監督生に相談しようとは?」

 

「グリフィンドール生の助けを監督生に?あの状況では言えませんよ。寮監の方もハーマイオニーのことを嫌っているから頼りにはなりませんし」

 

 現にトロールを探そうともせず、こんな変な場所に潜って犬に噛まれている。

 控えめにいって教師失格ではなかろうか。

 

「ふむ。お主は1つ勘違いをしておる。ただの好悪で生徒を見捨てるほど、彼は落ちぶれてはおらんよ」

 

 断言するダンブルドア校長。

 そのブルーの瞳をボクはじっと見つめ返す。

 

「何かの?」

 

「魔法薬学の授業で、スネイプ先生がハリー・ポッターにしている仕打ちはご存知ですよね」

 

 ダンブルドア校長は額に手をやった。

 どうやら知っているらしい。

 カマを掛けてみただけだが、なんとなくそっちの事情もこの校長なら知っている気がしたのだ。

 

「ポッターに対して、スネイプ先生は本気で憎悪を抱いている。それが授業態度に出ている時点で、教師としての信用は無いに等しいです」

 

「物事には仕方のないこともある。複雑な事情が絡む話じゃ、儂からは詳しい事は話せん。そして訂正を1つ。彼が憎んでおるのはハリーではない。もはやどうしようもない己の過去じゃ」

 

 ダンブルドア校長の瞳は、何故か少し悲しげに揺れていた。

 

「メルムよ、これだけは言わせておくれ。セブルス・スネイプの魂は、君や周りが思っておるほど穢れてはおらん」

 

「……校長先生がそこまで仰るのなら、そうなんでしょう」

 

 ダンブルドア校長は、何故かスネイプ先生のことを買っているようだった。

 彼がそこまでの信頼を得られるような何かを持っているとは到底思えないが、これ以上食い下がっても仕方のない話なのでボクは一旦引き下がることにする。

 

「さて、話したいことの半分はこれで済んだかのう」

 

「半分、ですか」

 

「なに、もう半分もさほど長くなる話ではない。お主にささやかな約束事をして欲しいだけじゃ。今日、この4階でお主が見た事を誰にも話さぬ、と」

 

「それは、この部屋の中にいる獣についてですか?それとも今日のスネイプ先生の行動について?」

 

「両方じゃ」

 

 彼には個人的な頼みで動いて貰っておるんでの。

 そう呟いて、ダンブルドア校長は部屋のドアに視線を向けた。

 未だにドアの向こうからは、獣のような荒い息遣いが聞こえてきている。

 

「この部屋の向こうには何が?」

 

「見た通りのものじゃ」

 

 なるほど。詳しく説明する気はなしと。

 どうとも取れる発言にボクはムスッとする。 

 お願いする分際で随分な態度だ。

 

「老婆心からじゃよ。部屋の中には、若人にはちと誘惑の強い代物が隠されておるのでな」

 

「誘惑の強い代物?」

 

「さよう。意地の悪い、愚者への誘いじゃよ」

 

 ダンブルドア校長は憂鬱そうにため息を吐いた。

 奇しくもその様子は、過去の話を語り終えた後の爺様によく似ている。

 

「先ほどフィルチさんから、トロールを処理したと報告があった。地下はもう安全じゃろう。生徒たちはさっき中断したパーティーの続きを寮に戻ってやっておる。行っておいで」

 

 

 

 

 

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