「あれ? なにしてんだ、お前?」
神農屋から出てきた
しかし、すぐにそれが東洋一だと気付くと、呆れたため息がもれた。
「なんだ…東洋一か。相変わらず、女の所に行く時以外は汚らしいな。風呂屋に行け」
「口減らずが…そんなだから、今日も呼ばれなかったのか?」
「呼ばれる? なにが?」
勝母が怪訝な顔で聞き返すと、東洋一は当然のように話す。
「今日、緊急の柱合会議だろう? 師匠が言ってたぞ、昨日。例の鬼のことで、
聞いた途端、勝母の心がざわめいた。
「……聞いてないぞ、会議のことなど」
つぶやくように言うと、東洋一は「え?」と止まった。
どうやら冗談などではないらしい。
本当に柱合会議があるのに、自分だけが弾かれた…?
考え込む勝母から東洋一は逃げかけたが、当然ながら見逃すわけがない。
「香取も召喚だと? 例の鬼というのは何だ?」
問い詰めるが、なかなか東洋一も口を割ろうとしない。
ほぼ人通りのない、行き止まりの小路に引き込んで刀をチラつかせると、東洋一は自分の羽織を捲りあげた。腰にあるはずの刀がない。
「なぜ、持ってない? いつ、急務が言い渡されるかもしれないのだぞ」
「作ってもらってんだよ。刀が壊れちまった」
「壊れた? 戦闘でか?」
「あぁ……っとに、堅ェ首の鬼でよ」
勝母は考え込んだ。
戦闘が長引いて、刀が折れることは珍しいことではないが、東洋一をそこまで追い詰めるのならば、相当な鬼だったということだ。
だが東洋一はかたくなに会議のことを隠そうとする。
それが余計に勝母の疑念を煽る。
「東洋一、言え」
単刀直入に命令したが、東洋一は困ったように視線を泳がす。
一体、何をそんなに迷うことがあるというのだろう?
柱が集まって、鬼や戦闘についての情報を隊士から聞くのは珍しいことでも何でもない。
問題は勝母がそこに呼ばれなかった、ということだ。
どうせ岩柱か絲柱あたりのつまらない妨害行為だろうが、柱の内輪事情を東洋一が斟酌する必要などない。
だんだん苛ついてくる。
怒鳴りつけたいところだが、そうなれば口の立つこの男に丸め込まれそうで、勝母は深呼吸して気を落ち着けた。
首元にチラと白い膏薬の痕が見え、ふと、この間会ったばかりの里乃のことを思い出す。
ニヤと笑みが浮かんだのは、軽くからかってやろうと思ったからだ。
あるいは喋っているうちに、口を滑らすかもしれない。
「そういえば、お前が身請けした女…里乃といったか?」
里乃の名前を聞くなり、東洋一は眉間に皺を寄せる。
おや、と思ったのは、いつもの反応と少し違っていたからだ。
「いきなり何だ、お前?」
明らかに警戒している。あまり触れてほしくないようだった。
勝母はギュッと眉を寄せる。
今まで東洋一の女関係といえば、たいがい失敗談で、それを肴にして皆からかって笑い合っているのが常であった。
本人も半ば怒ったふりしつつ、一緒になってふざけていたのだ。
勝母は面白くなかった。
色々と話を切り出しても、東洋一の反応は今ひとつだった。
だんだんと苛立ちが増す。
同時に嫌味な言い方になる。
「色々と話してやってるくせに…この仕事のことは教えていないようだな?」
途端に東洋一は渋い顔になって目を逸らした。
益々もって、鬱陶しい。
なんだというんだ。あんな女一人のことで。
さほどに秘密にするようなことでもなし、正直なところ、勝母にとってはどうでもよかった。
だが、やめることもできない。
あの女のことが東洋一の弱点であるなら、この際、そこから攻めるしかない。
「警官の目明かしみたいなことをしてる…だと? よくもそんな嘘を考えつくな。そのうちにバレるぞ。というより、疑っているようだった。私に聞いてきた。刀を持っていることも、身体中にある傷痕のこともな…」
チラ、と東洋一を窺うと、珍しく
勝母は冷たく見据えて東洋一に告げる。
「……理由を教えてやった方がいいか?」
そのつもりはなかったが、それは王手であったらしい。
東洋一は長くため息をつくと、至極面倒そうにつぶやく。
「お前は…そんなだから嫌われるんだよ」
「承知の上だ」
勝母は平然として言った。
今更だ、そんなことは。
東洋一はもう一度ため息をついてから、ようやく口を割った。
「……この前、妙な鬼に出くわしたんだよ」
「妙な鬼?」
「岩の呼吸を遣う鬼がいたんだ。あと一歩ってとこで、刀が砕けちまった」
「………」
勝母の息は止まった。
一気に体が熱くたぎる。
目の焦点が合わなくなって、ぐるんと目眩がした一瞬の間に、幼い頃の記憶が脳裏を巡った。
――――母上、泣いておられるのですか?
――――あなたのお父様がまだいらっしゃらないのよ
――――ウギャア、ウギャアァ
――――逃げよ、勝母
――――お前の母も、弟も、殺されたのだ
――――復讐もせずに、ただ泣き暮らすだけか…
闇に降る雪の冷たさと、血溜まりに落ちる母の血の滴。
赤子の弟を掴む大きな手と、容赦なく噛み砕いた鬼の……嗤った姿。
――――父上は、
最後に浮かんだのは幼い日の自分。
あまりにも馬鹿で、無知で、甘ったれた
勝母は思い出でなければ撲りつけたい衝動にかられた。
だが、そんなことは出来ない。
今はただ、ようやく現れたその鬼を滅殺するのみ。
「…どこだ?」
声が慄える。
自分でもわからなかった。
嬉しいとも言うべき感情と、吐き気がするほどの憎悪が両立している。
東洋一は明らかに様子の変わった勝母に、戸惑っていた。
「お前…般若みたいな顔になってんぞ」
「どこだ? その鬼に会ったのは? 言え」
「………駄目だ」
東洋一は掠れた声で首を振る。
勝母はもはや苛立ちを隠さなかった。
「言え!」
東洋一の首を掴んで壁に押し付ける。
体は東洋一よりも小さいものの、生来の異常な筋力で捻じりあげられれば、普通の男であれば失神しただろう。
しかし東洋一は頑なだった。
「駄目だ!」
「里乃にバラされてもいいのか!?」
「勝手にしろ。大したことじゃねぇよ」
勝母はギリと歯噛みした。
そらみろ。
結局のところ
だったら、さっき渋る必要もなかったろうに。
女など、最終最後の選択肢から切られる。
強くないから、弱いから……殺されるのだ。
私は違う。
私は誓った。
―――――父を、殺します。必ず…
怒りにまかせて東洋一の腹を殴り蹴る。
うずくまる東洋一を冷たく見下ろした。
「もういい」
つぶやいて塀に跳躍する。
すぐさま勝母は近場の道場に向かった。
ここ最近、香取飛鳥馬と行動を共にしていた隊士について尋ねると、
土足で乗り込んできた勝母に、風波見家の内儀はひどく怒っていたが、まったく無視して賢太郎の嫁に鏑木の所在を尋ねる。
風柱の奥方に比べると、勝母とそう年も変わらないように見える若奥方は落ち着いていた。
「どうぞ、こちらです」
表情は乏しく、むしろ冷たさすらも感じたが、今の勝母にはどうでもよかった。
おとなしく案内してくれれば、問題ない。
離れで右腕を失った鏑木浩太に会うと、単刀直入に訊いた。
「お前のその腕を斬った鬼は、どこで会った?」
鏑木浩太は花柱の突然の来訪と、その異様なまでの迫力に面食らって、ただ訊かれたままに答えることしかできなかった。
「…そうか。わかった…」
勝母はかろうじて答えたが、もはや視界に映る鏑木や、賢太郎の若い妻の姿は見えていなかった。
既に心は走り出している。
風波見家から出ると、勝母は自分の鎹鴉を呼んだ。
「仕事だ。遠征になる。準備は道々していく。志摩に伝えておいてくれ」
しかし鴉はなかなか飛び立たなかった。
勝母は安心させるように笑みを浮かべた。
「
鴉はバサリと羽を広げると、ゆっくりと上空へと舞い上がった。
ぐるぐると勝母の上で旋回する。
「行け! 命令だ」
鋭く叫ぶと、槐はカアァと一声鳴いてから花鹿邸へと向かって飛んでいった。
勝母はすぐさま走り出した。
岩の呼吸を使う鬼――――裏切者である
実の親子同士での殺し合いを回避しようとした…風柱の温情は、人としては当然のものだろう。
だが、勝母には余計なお節介だった。
今、この時のために…自分は修練を積んできた。
叔母の無体な要求も、折檻に近い稽古にも耐えてきた。
ただ、あの男を殺すため。
この日をどれだけ自分が待ち望んでいたか、誰にも分からないだろう。
勝母は笑っていた。
何度もゾクゾクと背筋に悪寒が通り抜け、握りしめた掌は汗だくだった。
奇妙な高揚感と、覚束ない不安が交錯しながら夜の闇へと進路をとる。
「殺す……殺す……」
つぶやきながら鬼を探す。
だが、復讐に血眼になる勝母の姿こそ、人は鬼として見ただろう。
皓々と光る月の下で、勝母は恋い慕うように叫んだ。
「出てこい! 私はここだ! お前が殺しそこねた娘だ! さぁ…出てこいッ!!」
<つづく>
次回は来週中に更新予定です。