この話は『金木犀匂ふ <鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖> 第三部 第六章 昔日 -青嵐篇- (六)』とリンクしています。
結論を言えば、惨めなものだ。
あの鬼は姿を見せなかった。
とうにどこかへと行方を晦ましたらしい。
目の前に立ちはだかった男は、勝母にとって邪魔者でしかなかった。
「……
低く言ったが、その声は獣の唸り声のようだった。
呆れたような、憐れむような目が勝母を見つめている。
ギリッと歯噛みして、勝母は刀を振り下ろした。
ビュンッ! 鋭く空を切り裂く音。
だが、東洋一はそれらを
今更ながらに、この図体にしてこの驚くべき柔軟性。
ただの隊士であれば、最初の一太刀をギリギリ躱せても、続く二の太刀で斬られている。
いつまでも刀を抜こうとしない東洋一に、勝母はいい加減腹が立った。
「相手しろ! 東洋一!」
「おぅ、言葉がしゃべれたか。
明らかに軽侮して、東洋一が挑発する。
裂帛の気合と共に勝母が刀を振り下ろすと、ようやく東洋一は刀を抜いた。
ギリギリと鍔迫り合いになり、この数日まともに食事もとらず、寝てもいない勝母の腕が震える。
「何やってんだ、お前は。父親探して迷子か?」
東洋一は勝母の全力に対して、まだ余裕があるようだった。
冷たい表情で言う。
「諦めろ。あの鬼は俺が殺る。お前は手を出すな」
「ふざけるなァ!」
勝母は鍔を押し返して飛び退りながら、刀を振るうと、ザクリと肉を割いた音がする。
同時に、鮮血が飛び散った。
ハッとなって勝母は固まった。
自分は…本当に…斬ったのか?
この目の前の男を…自分を心配して探しに来た男を…。
急激な後悔が押し寄せる前に、東洋一が大音声で叫んだ。
「ぃっ…
あまりの大声に、勝母はポカンと口を開けた。
東洋一はブンブン斬られた指を振り回し、すさまじい早口で罵ってくる。
「
あまりに流暢な罵倒に勝母は圧倒された。
頭の中で勝手に反芻されて、妙な疑問が浮かぶ。
「………なんで、いきなり狸なんだ?」
問いに対する答えは、自分の饅頭を取られた…という、極めてつまらないものだった。
斬られた手を手拭いで巻いて、片手で結びにくそうにしているのに気付くと、勝母は近寄って結んでやった。
「目が覚めたか?」
それはなんとも東洋一らしい聞き方だった。
言われて勝母は自分が悪夢の中で
「……探していたのか、私を」
「……誰かさんが仕事放棄しやがるから、忙しくってねぇ。左近次も……」
とりとめない話を交わしていると、段々と人間としての心を取り戻していく。
自己嫌悪が重くのしかかり、同時にひどく疲れた。
「帰るか…?」
東洋一の声はいつもと変わりない。
特に心配する様子も、憐れむこともない。
勝母は膝に顔を埋めたまま、ポツリとつぶやいた。
「東洋一、疲れた」
「は?」
「ここ数日、まともなものを食べてない。動けん」
呆れた溜息が聞こえて、前で東洋一が屈み込む。
勝母は泣きそうになるのをこらえた。
自分を見捨てなかった東洋一の優しさに、目頭が熱くなる。
ゆっくりとその広い背中に体を預けると、伝わってくる温かさに安堵した。
勝母は背負われながら、曲芸師だったという東洋一の父の話をするようせがんだ。
しばらく逡巡してから、東洋一は大したことでもないように話し出す。
貧しい旅芸人の親子が、売り物にもならない不格好でかたい薩摩芋を分け合って食べていたという…なんとも泣ける人情噺。
大人になって思い知ったのであろう父の優しさを噛みしめる東洋一の声は、少しだけ震えていた。
自分はやはり相当に弱っているな…と勝母はどこか俯瞰して自分を見ていた。
そうでなければ、こんなに侘しい気持ちにはならない。
こんなに寂しさを感じたりはしない。
―――――父ではない。父と…思うな
幼い娘を突き放した言葉。
そんなに私のことを嫌っていたのか。
だったらどうして……『
勝母はいつまでも物言わぬ父に問いかける。
あの人の思い出はいつも後ろ姿だ。
家に来ても縁側で
たった一度だけ。
縫がまだ子供の勝母に向かって技を仕掛けてきて、それを父は一刀のもとに退けた。それから……
―――――他言無用…
短い言葉。
軽く勝母の肩を叩いて、立ち去った。
あの時の背中は、いつもの冷たく拒絶していたものと違っていた。……
そう…あの時、少しだけ父は自分を見てくれたと…。
そう、思っていたのに―――――
勝母はギュッと目を瞑った。
細かく肩が震える。
どうして…殺さなかった?
母と弟を殺し、喰らい、祖母を惨殺しておいて……なぜ、私を生かした?
いつになったら、殺しに来るのだ?
私はずっと
「お前が羨ましい。私の父は…………一度も私を愛さなかった…」
つぶやいて勝母は東洋一の背に顔を埋めた。
苦しかった。
こんな惨めな自分が苦しくて、情けなくて、憐れだった。
自分で自分を憐れむとは…なんとも救いようがない。
東洋一は黙々と歩いている。
聞こえなかったのか……いや、聞こえないフリをしてくれているのだろう。
泣き濡れた目に、彼岸花が赤く、風の中で揺らめく。
眩しいくらいの月光の下、松虫の鳴き声がやかましいほどだった。
時々、ずれ落ちそうになる勝母を背負い直しながら、東洋一はすとすと歩いて行く。
―――――東洋一さんは兄のような存在なのでしょう?
誰に言われたか…ふと、そんなことを思い出した。
うとうとと眠気が瞼に落ちてきて、再びゆるゆると目を瞑る。
冗談じゃない。こんな男が兄だったら、どんな苦労をさせられるかしれたものじゃない。
それでも……
―――――東洋一は…面白い男だろう?
まるでこうなることを見通していたかのような、風柱のしたり顔が浮かぶ。
勝母は
◆◆◆
ちょうどその人物も東洋一に気付いたようで、あわてたように駆け寄ってくる。
その姿を見るなり、東洋一はゲンナリして溜息をついた。
なんだって、こんな時間に
「お兄さん…!」
すっかりその呼び方が定着しているらしい。
もう訂正するのも面倒くさい。
近くまで来て、東洋一がおぶっているのが勝母だとわかると、「勝母さんッ!」と叫んだ。
「うるせェッ!」
両手が使えないので、ベシリと足で尻を叩く。
「弱っ…」
「うぅ……ひ、ひどいじゃないですかぁ」
恨みがましく言いながら立ち上がると、パンパンとズボンについた砂を払ってから、勝母をじっと見つめた。
「……涎垂らしてますね」
「あぁん? このクソ
いい加減ずっとおぶってきて疲れたのもあって、東洋一はぐっすり寝入っている勝母を旭陽に押し付けた。
「オラ! お前持ってけ」
「持ってけ…って」
「何だよ。こんなチビの抱っこもできねぇくらいお前、力ねぇの?」
「な…ば、馬鹿にしないで下さい。無駄に身長が高い訳では…」
「いいから、とっとと持てよ」
「ちょっとッ……」
ほとんど強引に東洋一から渡されて、旭陽はあわてて勝母を抱きかかえた。
「う、うわわわ。どっ、どうしたら…? どうしたらいいんですかッ?」
抱っこしたままウロウロと挙動不審になる旭陽を、東洋一は腰を伸ばしながら呆れたように見た。
「なーに泡食ってやがる? コイツに会いに来たんだろ?」
「そ、それは…そう……ですが」
「ご苦労なこった。じゃ、後はよろしく」
「ちょっと! お兄さん!! そんなテキトーな…」
旭陽は背を向けて去ろうとする東洋一の前に、あわてて立ちはだかった。
「……なんだよ?」
面倒そうな東洋一に強張った顔で叫ぶ。
「ぼっ、僕が勝母さんをこのままどこかに連れて行ったらどうするんです!?」
「ハァ?」
「僕だって男なんですよ! どこの馬の骨とも知れない男に妹を預けて放ったらかしにして…いいと思ってるんですか!」
「馬の骨…って、お前は神農屋の極楽三男坊だろうが」
「極楽ってなんですか!」
「あぁ…間違った。ご気楽だ」
「失敬な! 僕だって、あの家で怖い姉の下で汲々としているんですよ。やれヒョロ高ノッポだ、でくの坊だと、立ってるだけで邪魔者扱いされて…。そのくせ、この前は背が高いからって、家中の天袋の片付けをさせられるし、欄間の掃除だってさせられるし、最終的には屋根にのぼって雨漏りを見てこいなんて言われて……僕は高い所が苦手だっていうのに!」
「………知るか。っつーか、なんなんだよ、この話」
正直、ここまで勝母をおぶって歩いてきて東洋一は相当に疲れていた。
そこへきてこの素っ頓狂な男の相手。
疲労感が急速に増大していく……。
「あのな…」
ガシガシと髪を掻いてから、東洋一はふぅと息を吐いた。
「コイツに手を出したきゃ出しゃいいが、同意なしでデキると思うなよ。あと、コイツにゃ俺より怖い
実のところ、この屋敷の家人である志摩には鎹鴉を通じて既に連絡済だった。
だからだろう。門の前でやたらと騒がしいのを聞きつけたのか、脇戸から志摩が顔を覗かせた。
「誰が騒いでいるのかと思ったら…篠宮さんと那霧のお坊ちゃんじゃないの」
「おう、志摩さん。遅い時間に済まねぇな。チビはこのトンチキに持たせたから、連れて行ってもらってくれ」
「あらまぁ…」
志摩は小走りに駆け寄ると、旭陽の腕の中で寝入っている勝母を見て微笑んだ。
「ぐっすり寝てらっしゃること…気持ちよさそうに」
結らを亡くした後、勝母は夜中に飛び起きることが少なからずあった。
柱となってからは、重責を担っていることでの抑圧があるのか、ますます安眠から程遠い日々だ。
志摩は東洋一の方に向き直って頭を下げた。
「ありがとうございます。篠宮様でなければ、勝母様を連れ戻すことはかなわなかったでしょう」
「ハハ…手負いの野猿がいると思ったら、コイツだったんだよ。じゃ、後は頼む」
東洋一は冗談にして受け流すと、踵を返して去っていく。
その姿を見て、志摩はホゥとため息をもらした。
「相変わらず、洒脱な方ですねぇ…」
「あの…志摩…さん…?」
旭陽がプルプルと震えながら呼びかけた。
「そろそろ、勝母さんを寝かせたいのですが……」
「あぁ! すいません。お坊ちゃん…こちらへ」
あわてて中へと招じ入れながら、志摩は大事そうに勝母を抱えて運ぶ旭陽を見てフッと笑む。
―――――まぁ、ウチの鈍いお嬢様には、これくらいわかりやすい御方の方がいいかもしれないけど…。
自分の周囲でおかしなやり取りがあったことなど露知らず、勝母はただただぐっすりと、久々に安堵して眠っていた。
<つづく>
次回も来週中に更新予定です。