椿の涙<鬼殺隊列伝・五百旗頭勝母ノ帖>   作:水奈川葵

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十四.蟄居謹慎

 花鹿(かじか)邸に久しぶりに帰ってきてから、勝母(かつも)は三日、寝続けていた。

 彷徨している間にどこかで切った傷が膿んで、熱も出ていたらしい。

 

 らしい…というのは、後になって志摩から聞いたからで、その日、昼過ぎに目覚めた勝母に最初に声をかけてきたのは、那霧(なぎり)旭陽(あさひ)だった。

 

「あ、おはようございます。あ、いえ…昼だから……()()()()()ございます…になるのかな?」

「…………」

 

 起きて早々、意味不明なことを言われて勝母は言葉が出なかった。

 旭陽は勝母の無言をどう受け止めたのか、あわててこちらに向かってくるなり、畳の上を座る態勢になりながら滑ってきて勝母の横で止まった。

 

「大丈夫ですか? 随分、お疲れのようですから…眩暈がするようなら、横になっていて下さい」

「いや…」

 

 眩暈がするのは、お前の奇妙なおしゃべりのせいだ……と、言う元気もないのは、やはり気力が落ちていると言えるのだろうか。

 そう思っていると、腹がキュウと鳴った。

 

「あ……」

 

 まさかの間の悪さに勝母が顔を赤くすると、旭陽はますます晴れやかに笑った。

 

「良かった! ちゃんと胃腸は動いてるようですね! 食欲があるなら、食べられるでしょうから、すぐに用意しますね!」

 

 返事も聞かないで、立ち上がると小走りに廊下へ消えていく。

 勝母は呆然としたまま、しばらく旭陽の去った方を見ていた。

 

 廊下の先には、紅葉が枝を伸ばして池に赤い葉を落としていた。

 その先には離れの跡がうっすら見える。

 

 あの後、縫が死んだのと前後して、すっかり廃屋となっていた離れは壊した。

 今、あの家の名残となるのは、庭に植えていた椿の木だけだ。

 勝母は暗い顔になり、手元に視線を落とした。

 

 結局、岩の呼吸の鬼とは会えなかった。

 

 東洋一(とよいち)は手を出すなと言ったが…あの鬼だけは、勝母が殺さなければならない。

 そうでなければ、自分の拠って立つものがなくなってしまう。

 

 叔母からの怨嗟によって、勝母にかけられた呪い。

 自らの父を殺すことを誓った幼き日の自分。

 

 だが、今回とても当初は東洋一達と出会ったわけで、今後、他の隊士や柱と遭遇する可能性がないわけではない。

 それこそ東洋一がもう一度対峙することがあれば、あの男が負けるわけもない。全力で叩き潰すだろう。

 

 あの鬼をおびき寄せなければならない。

 

 だがそもそもあの鬼は、自分のことを覚えているのだろうか。

 鬼は鬼となる前の記憶を失っていくのだという。

 

 あれから既に十年が過ぎた。

 

 勝母のことを忘れている可能性は高い。

 覚えていても、成長した姿を見て果たして勝母とわかるのかどうか…。

 

「勝母さん! どうぞ食べてみて下さい!」

 

 重苦しい空気をまったく感じない、旭陽の無遠慮な大声が響く。

 勝母は長い吐息をついた後に、顔を上げてまじまじと旭陽を見つめた。

 

「? ……どうしました?」

 

 旭陽はお粥の乗った膳を勝母の横に置いて、にこやかに笑っている。

 

「いや……なぜあなたがここに?」

 

 そうなのだ。そもそもどうして旭陽が勝母の世話をしているのだ? ここは家だと思うが、志摩はどこに行ったのだろうか?

 

「勝母さんの看病を頼まれたんです」

「誰がそんなことを…志摩は?」

「志摩さんは今、ちょうど買い物に出かけておられますよ。もうすぐ戻ってこられるでしょう」

 

 勝母は眉を寄せた。

 いくら顔見知りとはいえ、本来、旭陽は客のはずだ。

 客に病人の看病を任せた上、留守を任せるなど…用心深い志摩には有り得べからざることだった。

 勝母が寝込んでいる間に、すっかり信頼されるようになったらしい。

 

「……色々と、ご迷惑をかけたようだ。すまなかった。もう、大丈夫だ。私は隊務に戻るから―――」

 

 そのまま立ち上がろうとして、ぐにゃりと視界が歪む。

 

「勝母さん!」

 

 旭陽はあわてて前に出た拍子に、膳を蹴飛ばし、用意してあったお粥が飛び散る。

 一部が旭陽の足にべったりとかかった。

 

「アッ…ッツ!!」

 

 顔を歪めながらも、旭陽は歯を食いしばり勝母を支えていた。

 

「大丈夫か?」

「大丈夫ですか!?」

 

 同時に問いかけて、勝母はキョトンとなり、旭陽はくすっと笑った。

 

「なんだか……前にも似たようなことありましたっけね?」

「……それより、お前、足…火傷してないのか?」

「大丈夫ですよ。服の上からですから」

 

 言いながら、旭陽はじんわりと勝母を押さえつけて、寝床に座らせた。

 

「駄目ですよ。まだお仕事なんて出来ません」

「……ごはんを食べれば、元に戻る」

「勝母さん…」

 

 ハアァーっと旭陽は髪をかきあげながら溜息をついた。

 

「いいですか? 小さな傷であっても、膿んで、敗血症で死ぬことだってあるんです。みくびってはいけません」

 

 珍しく怒ったように言う旭陽に、勝母は少し圧倒された。

 ボソボソと小さな声で反論する。

 

「ちゃんと…岩清水できれいに洗って、よもぎを貼っておいたぞ……」

 

 旭陽はやさしく説き聞かせた。

 

「民間療法をバカにする気はありませんが、あなたは昨日まで傷がもとで膿んで高熱も出ていたんです。一ヶ月近く食事もまともに摂っていないし、お粥を一杯食べた程度で戻るわけがないでしょう」

「…だったら三杯食べればいいじゃないか」

「そういうことじゃありません。まずはお粥のように淡白なものから始めて、徐々に栄養価の高いものもを食べていくようにしないと、胃がびっくりしてしまいます」

 

 だんだん母親に小言を言われている気分になってきて、勝母はプイとそっぽを向く。

 

「そんな軟弱な体質じゃない」

「軟弱と言っているわけじゃありません。普通はそうする…と言ってるだけです」

「私は常人よりは強健にできている。だから大丈夫だ」

 

 頑なな勝母に旭陽がすっかり困った様子でいると、廊下を歩いてくる音がする。

 二つ重なった足音を聞きつけ、勝母は眉間に皺を寄せた。

 

「よぉ。起きたか?」

 

 東洋一がまず現れ、すぐ後ろから天狗の面を被った左近次が静かに頭を下げる。

 

「呼んでも誰も出てこないので、上がらせて頂きました」

「……あぁ」

 

 むっすりと勝母は返事する。

 間の悪い時に現れたものだ。

 ざっと部屋の状況を見た東洋一は、唖然として口をあけた。

 

「お前……まさか…ホントに手ェ出したのか?!」

 

 旭陽は即座に激しく頭を振った。

 

「ちちち、ち、違いますよ! お粥を運んできたら、勝母さんがもう仕事を始めるとか言い出して、立ち上がって眩暈を…」

「ちょっとフラついただけだ」

 

 勝母が面倒そうに言うと、左近次は布団の脇にしゃがみながら冷たく言った。

 

「一ヶ月近くも隊務を抛擲された人をおいそれと戻すとでも?」

「……なんだ?」

 

 勝母は少し驚いた。

 無論、今回の失踪についての叱責は覚悟していた。後日、産屋敷邸を訪れて、御館様を始めとして柱達にも頭を下げて謝るつもりだ。

 

 だが、そう事は簡単ではなかったらしい。

 左近次の言葉に、今更ながら事の重大性を知る。

 

「今日は様子を見てくるように頼まれたんです。その上で処分を決定すると」

「処分…」

「当然でしょう。柱が隊務を投げ出して一ヶ月近くも行方を晦ましておいて、何の処分もないとなれば、隊士達への示しがつきません」

 

 左近次の声は固かった。

 

 話している間に志摩が戻ってきて、飛び散ったお粥と膳を手早く片付けて出ていくと、左近次は旭陽に向かって問いかけた。

 

「それで、見立てではどうですか? ご本人はすぐにも復帰される意気込みですが」

「無理です」

 

 旭陽は即答した。

 

「天狗さんも言って下さい。さっきだって、立ち上がってフラついて。それで僕が咄嗟に支えようと思って、足をお膳に引っ掛けてお粥が零れてしまって…だから、違いますからね! お兄さん!!」

 

 旭陽は必死になって東洋一に言ったが、言われた方は大して興味のない様子で、「へいへい」と耳をほじっていた。

 

「どれくらいの休養が必要です?」

「ちょっと待て! 左近次」

 

 左近次が勝母を無視して旭陽にばかり尋ねるので、勝母は思わず大声で遮った。

 

「なんでそいつに訊くんだ!? 自分の体のことは自分がよくわかっている。飯を食べたら、すぐにでも任務に行ける」

 

 天狗はこちらを向くと、「駄目です」とにべなく言った。

 

「医者の不養生とも言いますから。当人の見立ては信用しません」

巫山戯(フザけ)るなッ! だとしても、なんでコイツに訊くんだ!! っていうか、そもそもなんでコイツはここにいるんだ!」

 

 そうだ。

 そもそも起きた時から、なぜ旭陽がここにいるのか…ということが疑問だった。

 

「あ、俺が頼んだ」

 

 暢気に欠伸しながら言ったのは東洋一だった。

 

「お前、おぶって帰ってきたら、このトンチキが門のところに立ってたから、ちょうどいいと思って」

「なにがちょうどいい、だ。勝手に」

「うるせぇ。人におんぶされて涎垂らして寝てた子供(ガキ)に文句言われる覚えはねぇよ」

「ハハハ。可愛かったじゃないですか」

 

 うっと詰まった勝母を庇うつもりのなのか、旭陽がまたズレたことを言い出す。

 

「お前、本当に酔狂な奴だね。ま、そんな野郎でも、学校じゃ相当、頭が切れるってんだから…人は見かけによらねぇってことだ」

 

 東洋一が言うと、旭陽は「そんなことは…」とはにかんだ。

 困惑する勝母に説明するように、左近次がつけくわえる。

 

「医学校に入るというだけでも、大したものらしいですよ。全国からの俊英を集めているのですからね。その中でも那霧君は相当な秀才らしいです。本部からの情報を伝え聞いた風柱様が、そういうことであれば花柱の養生について()てもらえないか…ということで、お任せすることにしました」

「なんで勝手に…」

「先に勝手なことをされた方に言われたくないですね」

 

 こういう時の左近次の舌鋒は鋭い。

 押し黙る勝母を横目に、左近次は再び旭陽に尋ねた。

 

「それで、どうですか? 任務に復帰するとして、いつ頃が適当ですか?」

「三週間あれば…」

「冗談だろう!? 三週間も寝て過ごせというのか!!」

 

 勝母が血相を変えると、旭陽は困ったような、哀れんだような目で見てくる。

 それがますます勝母には腹立たしい。

 

「五日で十分だ!」

「それはないですよ、勝母さん。最低でも二週間は……」

「二週間も何をしておけっていうんだ!! 寝床に根が生えるぞ」

「ですから、ずっと寝ておけという訳ではありません。今日はとりあえずお粥などあっさりしたものを食べて、それから栄養価の高いものを食べて体力を戻してから、体を動かして戻していくようにしないと…」

 

 旭陽の説明は医学的知見として正しいのだろうが、勝母にはくどくどと鬱陶しいだけだった。

 

「まだるっこしい!」

 

 一蹴するように吠えたが、旭陽は負けなかった。

 冷静な口調で諌めて、話してきかせようとする。

 

「勝母さん。言わせてもらいますが、あなたは今回のことがなくとも、休養が必要です。確かに常人に比べて頑健な体をお持ちですが、そのことを(たの)みにしすぎです。無理を重ねて、体は悲鳴を上げているのに、ずっと無視していたでしょう? いくつか自覚症状はあったはずですよ」

「そんなものはない!」

「……月のものはきていますか?」

 

 つとめて平静に問う旭陽を、勝母は赤くなった顔で睨みつけた。

 

 なんだって、そんなことを今訊かれるのか。

 

「あなたのような年頃のお嬢さんにメンスがないなんて、おかしなことなんです。血尿が出ていたこともあったそうじゃないですか。とにかく、二週間の休養は絶対に必要です」

 

 いつになく強い、厳しい口調で旭陽が断言する。

 左近次は頷くと、立ち上がって言い放った。

 

「では二週間、蟄居謹慎を命じます」

「なにィ!?」

「ハッハッハッ! こりゃいいや。無敵の花柱が謹慎とはねぇ」

 

 東洋一が面白そうに笑うのを、勝母はとうとう我慢ならず脛を蹴りつけた。

 しかし、すんででかわされる。

 

「おっ! やっぱお前、ちょいとばかり休んだ方がいいな。キレがないぞ、キレが」

「うるさいッ! 元はと言えばお前がこの男に頼むからだろうがッ」

「そうだよ。いい人選だ、と師匠に久しぶりに褒められたぜ」

「なにが……」

 

 勝母がギリギリと歯噛みするのを、旭陽は気の毒そうに見ながら、とりあえず安堵の吐息をついた。

 

「正式には御館様からの書状が届くでしょうが…とりあえず、この処分は柱の総意ですから。いいですね、花柱」

 

 左近次は念を押して言う。

 

「しっかりと治療に専念して、戻って来て下さい」

 

 その声音は、いつも通りの優しいものだった。

 面の中で微笑んでいるのも想像できた。

 

 それでも勝母は、素直に頷くことはできなかった。

 自分でも子供が駄々をこねているようだと自覚していたが、なんだか取り残されたような、落ち着かない気分だ。

 

 軽く旭陽に会釈して左近次は出て行く。

 東洋一も「じゃ、先生。頼んだよ」と、旭陽の肩をポンと叩いて出て行くと、勝母は布団にくるまった。

 

「勝母さん。お粥、食べないですか?」

 

 旭陽が声をかけてきたが、返事をする気にもなれない。

 腹立たしいし、苛々するし、情けないし、もう感情がぐちゃぐちゃで、しまいには泣きたくなってくる。

 

「……じゃあ、あとで食べましょう」

 

 旭陽は静かに言って出て行った。

 

 勝母は布団の中でただただ惨めだった。

 

 鬼となった父を見つけることもできない。

 迷惑をかけた分、挽回しようとしても許されない。

 

 周囲の人間の優しさがわかるだけ、一層、自分が憐れで、まだまだ未熟者(こども)なのだと思い知らされる。

 

 早く、もっと…もっと、強くなって、ちゃんとした大人になりたい。

 

 強く望むほどに、胸が引き絞られるように痛んだ。

 

 

 

<つづく>

 

 






次回は来週中に更新予定です。

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