椿の涙<鬼殺隊列伝・五百旗頭勝母ノ帖>   作:水奈川葵

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十五.シチューとパン

 五日と過ぎぬうちに、旭陽(あさひ)は奇妙なほど花鹿(かじか)邸に馴染んでいた。

 まるで最初から住んでいたかのように、志摩も気安く物を頼んだり、軽口を叩いたりして、楽しそうに過ごしている。

 

 祖母と母達が亡くなった後、この屋敷に笑顔はなかった。

 縫が死んで、勝母(かつも)が隊の任務に追われるようになると、ここにはただただ帰ってきて飯を食べて寝るだけ。時間があれば、ひたすらに稽古。

 殺伐とした空気が、ずっと屋敷内に張り詰めていた。

 

 会ったばかりの頃は、落ち着きのない、ドジで素っ頓狂な男だとばかり思っていたが(今もそれは変わりないのだが)、案外と旭陽は役に立つ男だった。

 背が高いので、志摩も勝母も諦めていた欄間の掃除などを頼むこともできたし、やはり薬草の知識は豊富であったので、薬の調合なども簡単にしてくれた。ついでにとっ散らかっていた薬の整理までやっておいてくれた。

 その中でも、最も意外な才能だったのが……

 

 

「……これは、何だ?」

 

 勝母は膳の上に乗せられた、見たことのない料理を胡乱(うろん)な眼差しで見つめた。

 

 お粥から、ご飯になり、油っこくないさっぱりした淡白なおかずが続いた後、五日目に出てきたのが、この白味噌の味噌汁のような、奇妙な一皿だった。

 

「あ、これはシチューと言います」

「し…てゅ…? なんだって?」

 

 聞き慣れない言葉に、勝母が首をひねると、旭陽は笑った。

 

「ま、一度味わってみて下さい。鶏肉やお野菜がいっぱい入ってて、牛乳で煮込んだものだから、とっても滋養があるんです。ウチの家族も今や週に一度は食べたいと言って。あ、下に麦ごはんがありますから、一緒にすくって食べて下さいね」

 

 説明を聞きながら木の匙を渡されて、勝母はいよいよ疑わしげに、旭陽と、膳の上の深皿に入った、その料理を見比べる。

 ホワホワとした湯気をたてて、鶏なのか、どこか獣くさいにおいが漂ってくる。

 

 勝母は珍奇な料理に眉を寄せつつも、正直、嫌悪感よりも好奇心が勝った。

 そっと木の匙でその白い汁を少しだけすくってみる。

 そろそろと口元に持っていて、おそるおそる吸ってみた。

 

「…………」

「…………どうですか?」

 

 少し緊張した面持ちの旭陽が尋ねてくる。

 勝母はしばらくその汁を口の中で閉じ込めてから、ゆっくり嚥下した。

 

 後味がまろやかに広がる。

 もう一匙。今度は多めに汁をすくって飲む。

 味噌汁と違ってどこかドロリと重い液体であったが、温かく、コクのある味わいが喉を下っていく。

 

 勝母は顔を上げると、真っ直ぐに旭陽を見つめた。

 

「……美味(うま)い」

 

 ポツリとつぶやくと、旭陽の顔が見たことがないほどに輝いた。

 

「そうですか! どうぞ!! もっと食べて下さい!」

「うん…」

 

 頷くと、勝母はそれからは無言でひたすらそのシチゥ(・・・)というやつを食べた。

 

 鶏肉もよく煮込まれているのか、匙の上でホロリと崩れるほど柔らかく、かといって味がまったくないわけでなく、白い汁の深く濃い味に包まれてちょうどいい。人参も甘く柔らかいし、溶ける寸前くらいまでクタクタになった玉ねぎも美味しかった。

 

 あっという間に平らげると、旭陽はきれいになった皿を持って、

「おかわりしますか?」

と、尋ねてくる。

 

 勝母が即座に頷くと、嬉しそうに笑って立ち上がった。

 

「じゃあ、入れてきますね」

「待て。あと…どれくらいあるんだ?」

「とりあえず、土鍋いっぱいに作ってます」

「じゃあ、土鍋ごと持ってきてくれ。たぶん、それくらい食べられる」

「えぇ? 大丈夫ですか? 食べすぎてお腹壊しませんか?」

「それぐらいで壊れるようなヤワな胃袋じゃない」

 

 勝母はポンと軽く自分の腹を叩いた。

 なにせ以前にはソバ屋のソバを食べ尽くして、その日の営業を休止させたくらいだ。

 

「この一月(ひとつき)の間は、イモリを炙って食べてたくらいだぞ。こんな美味いもので腹が壊れるものか」

 

 朗らかに言うと、旭陽はうるうると目を潤ませた。

 また面倒なことを言い出しそうで、勝母は怒鳴りつけた。

 

「いいからとっとと持ってこい!」

「はいはい」

 

 旭陽は嬉しそうに小走りに駆けていく。

 すぐに土鍋を運んできて、後ろからは志摩がニコニコと笑ってお櫃を持ってきていた。さすがこちらは勝母の胃袋についてよくわかっている。

 

「ようございました。この一月はまともなものも食べていらっしゃらなかったろうと思って遠慮しておりましたが、この分でしたら、いつもと変わらずお出しして構わないようですね」

 

 志摩が言いながら、空になったその深皿に麦飯を山のように盛り付けた。

 

 旭陽はそれを受け取りながら、

「お。いいですねぇ。じゃあ雪山にしちゃいましょう…」

と言って、土鍋からお玉ですくい上げた白い汁をかけていく。

 

 志摩はその盛り付けに目を白黒させた。

 

「おやまぁ…さすがにアチラの方の食べる物は、違いますねぇ。雪山ですって」

「こういう豪快なのもありますが、懐石のように繊細な食事もありますよ。以前、僕が食べさせてもらったのなんて、大きな大きな白い皿に、蒸したスズキの切り身がちょろっと乗ってるだけでしたからね。それをフォークとナイフを使って食べるのですが……」

 

 旭陽がまた訳のわからぬ単語を言い始めたので、勝母はさっさと皿を取り上げて食べ始めた。

 

 ものすごい速度で食べていく勝母を、旭陽は驚嘆しつつも、嬉しくてたまらないように見つめていた。

 

 

◆◆◆

 

 

「それでお前…学校の方は行かなくていいのか?」

 

 旭陽の作ってくれる料理に文句のつけようはなかったのだが、そもそも料理人として雇ったわけでもない。

 左近次が優秀な医学生だと言っていたのが、今更ながらに気になって訊いてみると、旭陽は平然と言った。

 

「あぁ…期末考査が終了したので。今はミュレル先生に論文を提出して見てもらっているところで、指導待ちですね。なにせ僕一人だけではないので。考査でいい点数が取れなかった人は、補習を受けているようですが、僕は問題なかったので」

 

 話された事の中に、横文字らしいものが入っていると思っただけで、思考が停止してしまった。

 よくわからなかったので、一応、噛み砕いてもう一度尋ねる。

 

「つまり、お前は頭がいいから行かなくても大丈夫なんだな?」

 

 旭陽は少しだけ赤くなりながら、こそばゆそうに笑った。

 

「いやぁ…まぁ…そう…かな?」

「謙遜するな。らしくもない。堂々と言え」

「ハハハ。大丈夫です。勉強は今だってやってますから」

「いつ? そんな暇あるのか?」

 

 朝は早くから起きてパンなんて焼いてくれているし、夜は夜でそのパンとやらの生地を叩いて捏ねている。

 

 勝母が初めてパンを食べて、あまりのおいしさに「毎日食べたい!」と迂闊に叫んでしまってから、本当に毎日作ってくれているのだ。

 結構な手間がかかるのだとわかってからは、「無理に作らなくていい」と言っているのだが、当人は「別に大したことじゃないですよ」と言ってやめてくれない。

 

 申し訳ないとは思いつつも、毎朝香ばしい匂いが部屋にまで漂ってきて、最近の目覚めは非常にいい。

 

 そのパン作り以外でも、この前のシチュウのような洋風の料理から、海老真薯(しんじょ)の餡かけなんて手の込んだ惣菜も作るし、屋根裏の掃除やら、蔵書の整理やら、庭木の剪定まで、何でもやってくれている。

 無論、勝母の傷の手当や、体調管理も。

 文字通り、朝から晩まで忙しく働きまわっているから、勉強する暇があるとは思えない。

 

「勝母さんが寝入った後に、やってますよ」

「……夜? しかし、それだと眠くて大してできないだろう?」

「そうでもないですよ。僕、寝るのがだいたい三時…夜八ツ半くらいなので、結構時間はたっぷりあります」

 

 勝母は眉間に皺を寄せた。

 夜八ツといえば、すでに日をまたいで朝に近い時間帯だ。

 

「お前、朝は明け六ツ前には起きてるらしいじゃないか。ちゃんと寝ているのか?!」

「寝てますよ。僕、だいたい一日に二、三時間ほどしか寝ないんです。勿体なくて」

「……人を不養生だの、何だのと言っておいて」

「ハハハ。小さい頃は、三年寝太郎かってぐらいに、朝も昼も寝ていたらしいので、ちょうどいいと思いますよ。まぁ、たまに本に夢中になって、気がついたら夜が明けてたこともありますけど。さすがに徹夜すると、朝日が目に沁みますねぇ」

 

 のんびりと言う旭陽を、勝母はあきれて見た。

 頭がいいのか悪いのか、こうなるとよくわからない。

 

「……学校に行って勉強して、家でも勉強って…一体、何をそんなに学ぶことがあるんだ?」

 

 嫌味でなく、単純に不思議だった。

 それだけ勉強したなら、もう頭の中は詰まりきって、入ってこないような気がするのだ。

 

 勝母の質問に、旭陽は気を悪くするでもなく、むしろキラキラと目を輝かせた。

 

「学ぶことは無限です。しようと思えば、いくらでも。次から次へと興味はつきないですから」

 

 両腕を広げて晴れやかに言う旭陽を、勝母はキョトンとして見ながらも、どこか羨ましかった。

 サッと顔を伏せると、あきれたようにつぶやく。

 

「……東洋一がお前を酔狂という理由がわかった」

「ハハッ! 勝母さんだって、技の研究のために色々と古い本を読まれているじゃないですか。今は無理ですけど、本復すれば、剣術の稽古だって、それこそ僕が駄目だと言ったって、ひたすらやるんじゃないんですか?」

 

 それは否定しない。

 むしろ、今も旭陽の目を盗んでこっそりやっていたりする。

 

 だが、自分が果たして旭陽と同じなのかと聞かれたら、首肯できない。

 それこそ修練しようと思えばいくらでもやれるが、旭陽のように純然とした動機が自分にはあるのだろうか…?

 復讐のため? 人助けのため? ―――――そこに勝母の望みはない。

 

「……それでも、あんたは大したモンなんだろう。医の道は(じか)に人の為に役立つものだ。私は鬼から人を助けることはできても、癒やすことはできない」

 

 胸中に苦いものを感じながら、勝母がつぶやくように言うと、旭陽は首をひねった。

 

「うーん? どうでしょう? 僕は人の為に勉強しているわけでもないですよ」

「……そうなのか?」

「えぇ。でも、自分の為にやってる勉強が、人の役に立つなら嬉しいです。今、僕がパンを作るのも同じようなものです。教授の奥様から教えてもらって、自分で作って食べるのは研究でしたけど、勝母さんがおいしいおいしいって、食べて下さるのを見るのは、とても嬉しいです。報われました」 

 

 満面の笑みを浮かべる旭陽には、何の(てら)いもなく、ただ素直な好意だけがあった。

 

 最初は突拍子もなく、素っ頓狂でちんぷんかんぷんに思えたが、考えてみれば、会った時からこの男は一貫して、勝母に対する好意を恥ずかしげもなく露わにしていた。

 

 正直、自分でもひねくれた性格だという認識はあったので、好かれない(・・・・・)ことには慣れている。というか、自分でも納得している。

 だが、どうして旭陽のような優秀な人間が、自分のことを好きになるのか理由がわからなかった。

 

「お前、なんで私のことが好きなんだ?」

 

 単刀直入に訊くと、質問が唐突過ぎたのか、旭陽は「えっ」と固まった。

 勝母は途端に眉を顰める。

 

「なんだ? 違ったのか? それとも、裏で何か画策しているのか? 言っておくが、この屋敷の持ち主は私じゃないぞ。御館様からの借家だからな。この土地も私のものじゃない」

 

 あるいは財産目当て、ということも考えられる…と、思って言うと、旭陽はむんと口をへの字にする。

 

「そんなんじゃないですよ! そもそも財産なら僕だってあります。父母からの遺産がありますから。……まぁ、今は多可姉さんに財布の紐を握られてるから自由にはできないけど」

「じゃあ、なんでだ?」

「なんでって…今、言うんですか?」

「今、言え」

「えぇぇ………」

 

 旭陽の顔は一気に茹でダコのように真っ赤になった。

 まるで自分がおぼこ娘を問い詰めているようで、勝母は口を尖らせる。

 

「じゃあ、いい…言わなくて。そこで言い淀むってことは、本当のところ理由なんてないんだろ。好きなんて、真実だか怪しいものだな」

「なんでそういう極端なことになるんですか……」

 

 旭陽は泣きそうになって、勝母を見つめる。

 その情けない顔に、勝母は溜息をつくと踵を返して行こうかとしたが、いきなりグイと手を掴まれた。

 

「勝母さん!」

「……なんだ?」

「僕が…あなたを好きな理由は……」

 

 真剣そのものの顔で旭陽は真っ直ぐ勝母を見つめる。

 言いながら、どんどん旭陽の手が汗ばんでくる。

 

 一旦、途中でゴクリと唾をのみこんで、旭陽は「か、か、か…」と何度かつぶやいた後で、小さな声で言った。

 

「……可愛いからです」

「…………………………は?」

 

 随分と長い間の後に、勝母は聞き返した。

 旭陽は汗ばんだ両手で勝母の手を握りしめた。

 

「勝母さんが、可愛いからです!」

 

 再び。大声ではっきりと。

 真っ赤に上気した旭陽の顔を、勝母はしばらく呆けたように見つめた。

 

「………阿呆(アホウ)!」

 

 乱暴に旭陽の両手から自分の手を引っこ抜く。

 

「馬鹿か、お前は! 眼鏡でもしろ!」

 

 久しぶりに怒鳴りつけてから、勝母は足音も荒々しく立ち去った。

 

 後ろから旭陽が「勝母さぁん」と情けなく呼ぶのが聞こえたが、無視する。当然だ。

 なぜか顔が火照ってくる。

 勝母はパンパンと自分の頬を数回()った。

 

 頭のいい男だと思ったが、やっぱり馬鹿だ。

 どうかしている。

 こんな始終仏頂面の、チビの、腕相撲すれば並の男なんぞ薙ぎ倒して、毎日一升、飯を食べるような女のどこに可愛さがあるというのだ。

 自分が男でも、絶対にこんな女を可愛いと思わない。

 

 勝母はいつの間にか道場に来ていた。

 木刀を握ると、久しぶりに思いきり体を動かす。

 

 やはり自分はのんびり療養などしていられない。

 そんな惰弱な生活を送っているから、つまらぬことを訊いてしまったりするのだ。

 本当に、訊かなければよかった。

 

「はぁ……」

 

 勝母を追って道場まで来て、旭陽は溜息をつく。

 

 正直に言ったのに、どうしてあんなに怒られたのだろうか。

 この数日、趣味でやっていた料理のお陰で、多少なりと勝母からの信頼は得られたかと思っていたのだが、なかなかどうして…やはり難しい。

 

 ひたすら木刀を振り回す勝母を、旭陽はもはや止められなかった。

 静養して体を癒やす時間はもう終わった。

 これからは隊務に戻るために体を整えていく準備期間になる。

 

 寂しい気持ちを抱きつつも、旭陽はその時が来るのを覚悟するしかなかった。

 

 

 

<つづく>

 




次回は来週中に更新予定です。

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