椿の涙<鬼殺隊列伝・五百旗頭勝母ノ帖>   作:水奈川葵

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十六.姉妹木

勝母(かつも)さんのお父さんって、どんな人なんでしょう?」

 

 突然、旭陽(あさひ)がそんなことを訊いてくるので、東洋一(とよいち)は怪訝に見た。

 

「……なんでそんなこと訊く?」

「呼んでいたんです」

「呼んでた?」

「父上、父上って…何度も」

 

 東洋一は眉を寄せた。

 ()()五百旗頭(いおきべ)勝母が、()()()()を他人にやすやすと聞かせる訳もない。

 まさか、あの鬼が来たのか…?

 背筋にチリチリと緊張がはしる。

 

「……いつ?」

「寝ている時にです。たぶん、うわ言なんでしょうけど」

 

 そういうことか…とホッとなった途端、軽口が口をつく。

 

「なんだ、夜這いか」

「違いますよ! なんでですか!! 最初の頃は熱が出ていたから、看病していたんです!」

 

 ムキになって否定する旭陽を白けた目で見てから、低い声で尋ねる。

 

「………そのこと、勝母に言ったのか?」

「いえ。志摩さんに同じこと訊いたら、勝母さんには内緒にしておいてほしいって言われて。その時に亡くなられたと仰言(おっしゃ)っていたんですけど……勝母さん、お父さんっ子だったのでしょうか?」

 

 東洋一は神妙な顔で鼻筋をポリポリと掻いてから、うーんと唸った。

 

「…俺がお前に話すってのは、どうも違う気がするんだよな」

「はぁ…?」

 

 旭陽が首をかしげると、東洋一は頭上に視線を一周させてから、きっぱり言う。

 

「悪ぃ。俺からは言えねぇ」

「そう……ですか…」

「ただ、死んではいねぇ。死んだも同然ではあるけどな」

 

 旭陽はますます困惑したが、東洋一はポンと旭陽の肩を叩くと、静かに言った。

 

「あいつの父親との因縁はかなり面倒だ。お前さん、中途半端に首を突っ込むんなら、このあたりで身を引けよ」

「なんですか、それは」

「生半可な同情で適当に慰めてどうにかできると思ってんなら、とっとと尻尾巻いて去れっ()ってんだ」

 

 旭陽は途端に険しい表情になった。

 

「僕は勝母さんに会ってからこれまで、そんなつもりで接したことはありません」

「そうかい?」

 

 東洋一の口許に皮肉な笑みが浮かぶ。

 

 この男が勝母を本気で好いていることは、わかっている。

 だが、勝母の生い立ちも、携わる仕事も苛烈だ。正直、()()()()の手に余る。

 

「お前さん、前にあのチビと所帯を持ちたいとか抜かしてたが、ありゃ本気か?」

「本気です。今でも、そう思ってます」

 

 生真面目に答える旭陽を見て、東洋一はピクリと眉を上げる。

 旭陽は重ねて宣言した。

 

「いずれ、必ず、結婚します」

 

 ふぅ、と東洋一は息を吐いた。

 

「……言いやがったよ、トンチキが」

「もちろん、勝母さんの気持ち次第ではありますけど……」

 

 旭陽はそのことについては自信なさげに小さな声になったが、真剣な目は変わらなかった。

 

「誠心誠意、真摯に、焦らず…勝母さんに気持ちを伝えて、いつか必ず……」

「しつこくすると逃げられるぜ~」

 

 聞いてる内から東洋一は面倒になってきて、むず痒くなった耳をほじる。

 

「…そうなんですよねぇ…」

 

 旭陽はガックリと肩を落として、情けなくつぶやいた。

 東洋一は軽く鼻息をつきながら、旭陽を見つめた。

 

 まったく、相当な秀才だというのに、なんだってこうも阿呆に見えるのだろう?

 

 だいたいこんな話になったのも、旭陽が花鹿屋敷を訪ねてきた東洋一を見て飛んでくるなり、勝母に可愛いと言ったら怒られた…という、なんとも間抜けな話をしてきたことから始まった。

 

 勝母に「眼鏡をしろ!」と言われたらしいが、それについては完全に同意する。確かにこの男には眼鏡が必要だ。

 

 しかしまぁ…あばたもエクボ、蓼食う虫も好き好き…。

 へんちくりんなヤツには違いないが、勝母のことは真剣なんだろう。

 

 信用はしても良さそうだ…と、耳くそをフッと飛ばしながら結論づける。

 

「……ま、言っても、俺だっていつどうなるかなんぞわからないからな……それこそ、生半可な同情で終わるかもしれねぇ」

 

 多少、自嘲気味に言ったのは、鬼狩りという仕事上、明日殺されることが日常としてあるからだ。

 本来、自分など何の約束もできない。

 自分以外の誰かを守ってやるなどと…言える立場ではないのだ。

 

 旭陽にはその時、東洋一が何を思い浮かべて言っているのかはわからなかった。

 ただ、どこか憂鬱そうな、それでいて寂しそうな姿を見て、前々から薄々感じていた鬼殺隊という組織の過酷さを思った。

 

 勝母の縁もあって神農屋(じんのうや)には度々、鬼殺隊士が訪れるようになっていた。

 時々、旭陽が対応することもある。

 

 彼らはいつもどこか刹那的だった。

 だからといって投げ出すこともないが、夢見ることもない。

 毎日のように命のやり取りをしていたら、そうならざるを得ないのかもしれない。

 

 旭陽はしかし、諦めたくなかった。

 明日が来ると信じて約束することは、決して無駄ではない。それがたとえ果たされなくとも、想いは伝わるはずだ…。

 

「お兄さんは強いって聞いてます。勝母さんだって、頼りにしてると…」

「お前、それ、いつまで信じてるんだ?」

 

 東洋一があきれたように言うと、旭陽はきょとんとなった。

 

「俺はあいつの兄じゃねぇよ。異母兄妹でもねぇ。ただの同僚…いや、時期としちゃ先輩後輩…っつーか、身分的にゃ上司と部下か…? とにかく血なんぞ一滴も繋がってねぇ、赤の他人だ」

「なんだ、そのことですか」

 

 旭陽は笑った。

 

「関係ありません。血縁関係があろうがなかろうが、勝母さんにとって、篠宮さんはお兄さんですよ」

「あんなひねくれたジャジャ馬の兄なんぞ、御免蒙りたいんだが」

「そのひねくれたジャジャ馬が、自分の前だけは素直だと嬉しいんでしょう?」

「………何言ってんだ、お前は」

 

 東洋一は多少狼狽した。

 そんなことを、まさか旭陽から言われると思わなかった。

 

「志摩さんが言ってたじゃないですか。篠宮さんでないと、勝母さんを連れ戻せなかった…って。勝母さんをおんぶしてきたあなたを見た時、僕、正直嫉妬しましたよ」

「あいつが疲れたとか抜かすからだろうが」

「『疲れた』なんて弱音を誰にでも言うような人じゃないって、わかってるでしょう?」

「……知るか」

 

 勝母の強情さは知っている。

 自分に多少なりと(なつ)いているのも知っている。だが、()()されるのを嫌うことも知っているのだ。

 

 東洋一は渋い顔を作ってはいたが、妙に顔が火照るのを感じた。

 そんな東洋一を知ってか知らずか、旭陽は穏やかに続ける。

 

「勝母さんには、もう身内はいません。だから、篠宮さんには()()()()…いて欲しいんです」

「………なんか微妙に念押しされた気がするけどな」

 

 東洋一は狐につままれたような気分になった。

 困惑した様子の東洋一を見て、旭陽は相変わらずニコニコと陽気な笑顔を浮かべながらのたまった。

 

「えぇ。もう一度、言っておきますね。()()()()、勝母さんの力になって下さい。僕からお願いするのもおかしな話ですけど」

 

 明らかに牽制してきた旭陽に、東洋一の頬が引き攣った。

 

 この男、いつの間にか図々しくなってないか…?

 

 この二週間、旭陽に勝母を任せきりにしてしまったことを、少しだけ後悔する。

 

「いい気になってんじゃねぇぞ、この野郎。お前みたいなトンチキ、あのチビ猿に(ケツ)噛まれて、すっ転んで泣くハメになるだけだ」

「そうならないように、頑張ります」

「頑張るな。っつぅか、もう治ってんだろうがあのチビは。とっとと仕事させろ」

「……今頃になって慌ててるんですか? お兄さん」

「誰が……!」

 

 言い合っている頭の上で、東洋一の鎹鴉が任務を告げる。

 不承不承に向かう東洋一を、旭陽は手を振って見送った。

 

「行ってらっしゃーい! お兄さーん。お気をつけてー!!」

「うっせぇ! お前のお兄さんになった覚えねぇわ、このトーヘンボク! とっとと此処()っから出てけ!」

 

 

「………何を言い合ってるんだ…?」

 

 遠くから聞こえてくる男達のやり取りを見ながら、勝母は眉間に皺を寄せた。

 わざわざ聞きたくもないが、東洋一と旭陽が案外と仲が良さそうで、なんとなく嬉しいようなそこはかとなく寂しいような、複雑な気持ちが波立った。

 

 

◆◆◆

 

 

 ごはんを食べ終えた後、午後から産屋敷邸を訪れることになっているので、勝母は久しぶりに隊服を着て準備をしていた。

 

 着替えが終わって障子を開けると、庭の桜の木の下で旭陽が枝を見上げていた。

 

「……何をしている?」

「あぁ、勝母さん。久しぶりですね、その格好」

 

 旭陽は秋のやわらかな陽射しの中で、筆を持って立っていた。

 

「この桜、綺麗ですね」

 

 ペタペタと桜の幹を触りながら旭陽は言う。

 勝母は意味がわからなかった。

 秋の桜木に花はない。

 

「花が咲いてないのに?」

 

 不思議そうに問うと、旭陽は「はい」と頷く。

 

「紅葉が美しいじゃありませんか。桜紅葉(さくらもみじ)と言うでしょう?」

「……知らない」

「季語ですよ。この桜の木を見てたら浮かんできて、さっきから俳句をひねり出そうとしているんですが、なかなかいいのが出来ないです」

 

 矢立の筆に、おそらく左手に持っているのは句帳だろう。

 そういうことか、と勝母は納得しながら、ややあきれたように言った。

 

「………あんた、多趣味だな」

「ハハッ。なんでも食いつく癖はあります。俳句は、一緒に山登りする人の趣味だったんですが、一度、試しに作ってみたらやたら褒められて…うまく乗せられただけかもしれませんが」

「そうでもないだろう。あんたは、物凄く意外だが、やっぱり頭がいいんだと思う」

 

 聞きようによっては無礼な言い方だったのだが、それは勝母の正直な気持ちだった。

 

 奇妙で、少々ドジな男ではあるが、おそらく旭陽は勝母などよりずっとしっかりしている。

 料理もできるし、勉強も…それこそ勝母にはちんぷんかんぷんな、外国の本などもスラスラと読めてしまうのだから、やはり最初に左近次の言っていた通り、相当に優秀なのだろう。

 

「………ありがとうございます」

 

 旭陽はクスクス笑って頭を軽く下げた。

 

「……その木は、『必勝』という」

「え?」

「おばば様がそう名付けたんだ。自分という存在が消えた後、自らの技を繋いだ者達によって、いつか無惨を…すべての鬼を滅殺するその日が来ることを願って…」

「……そうなんですね」

 

 旭陽は木漏れ日の差す桜木をもう一度見上げた後、勝母をじっと見た。

 

「この木と勝母さんは姉妹なのですね」

「……は?」

「どちらも名前に『勝』という字が入ってるじゃありませんか」

「…………」

 

 勝母はそう言われた時の、自分の気持ちがはかりかねた。

 なぜだか、旭陽に自分の本当の名前は別にあるのだと言いたかった。

(みゆき)』という…父が名付けた名が。

 

「勝母さん」

 

 旭陽は縁側に立つ勝母の前に近寄ってくると、ペコリと頭を下げた。

 

「今日で僕は家に戻りますが、いつでも呼んで下さい。また、教授の奥様に新しいレシピを聞いておきますから。志摩さんに、シチューの作り方は一応教えたんですが……」

「要らない。志摩にあんな料理なんて作れないだろう。食べたくなったら、あんたに頼む」

 

 特に何も考えずに真顔で言う勝母に、旭陽は少し驚いた顔になった後、ニッコリ笑った。

 

「…志摩さんも自分は無理だから、また作りに来てくれって言われました」

「だろうな……」

 

 それで会話は一旦、途切れた。

 

 じゃあ、もう帰れ…と送り出せばいいのに、勝母の口は固まった。

 

 自分はもう十分に療養した。

 隊務に戻る日をずっと待っていた。

 旭陽にせっついてもいた。

 早く左近次に回復したと伝えろ…と。

 毎日やかましく、嫌味も言い、時に怒鳴りつけ、さっさと家に戻れと言っていた。

 

 けれど今日、その日がようやく来てみると、勝母はいきなり不安になった。

 

 明日から…あのパンの匂いがしない朝が来る。

 起きられるだろうか…? いや、起きるだろうが。

 

 ぼんやりなって考え込んでいると、いつの間にか旭陽は勝母の前に立っていた。

 縁石の上に乗って、そっと勝母の頭に手を置く。

 

「言いたいことが、言いたくなったら…いつでも言って下さいね」

 

 あまりに優しい声で言うから、勝母は不意に泣きそうになった。

 

「……なんだ、それ」

 

 掠れた声で言い返しながら、勝母は俯けた顔を上げられなかった。

 旭陽はその勝母の右手をそっと持ち上げた。

 

「また…この手に刀を握って、あなたは鬼を殺していくんですね。人を助けるために。僕を助けてくれたように」

 

 以前にその手を取られた時には苛立ちと不快感しかなかったのに、今は旭陽の手から伝わる温かさが安心できる。

 

 この手で、毎日小麦粉を練って捏ねていた。

 この手で、ジクジクと膿んでいた怪我の手当てしてくれていた。

 この手で、熱でうなされていた勝母の看病を一晩中してくれていたのだ……。

 

 じっと勝母は旭陽の手を見つめて俯いたままだった。

 旭陽はギュッと勝母の手を握った。

 

「大変ですね、勝母さん。あなたはずっと戦っている。だから、僕といる間だけでも、あなたが鬼狩りであることを忘れられたのなら……よかったです」

「………」

 

 そんなことは、本来あり得るはずのないことだった。

 母と弟を喰われ、祖母を惨殺され、叔母からの怨嗟の中で育った勝母の人生の中で、鬼狩りであることを忘れる瞬間などあっていいはずがない。

 

 けれど、この二週間近く、旭陽の作り出す長閑(のどか)で少しばかり奇妙な日常にいつの間にか呑まれて、父のことも含めて鬼のことは考えずにいた。

 

「……あ……」

 

 勝母は震えた。

 思わず旭陽の手を振り払う。

 

 駄目だ! と、頭の中で喚き立てる声がする。

 

 甘えるな! 闘争心を持て! 忘れるな! 

 

 ガンガン響いて警告してくる。

 勝母は顔を顰めながら、額を抑える手の間から旭陽を見つめた。

 

 一体、コイツは何なんだ?

 どうしてこの期に及んで、自分は「とっとと出てけ」と言えないのだろう…?

 

 自分の状態が把握できず、勝母はクルリと旭陽に背を向けた。

 

「………早く、行け」

 

 短く言い放つ。

 それ以上喋ると、旭陽に声が震えていることを悟られてしまう。

 

「それじゃあ、また」

 

 いつもどおりの明るい声が聞こえ、ザッザッと歩き去る音が背後で遠くなっていく。

 

 そうだ…。また、会えるのだ。

 別に、今生の別れじゃない。

 

 そんなことを言い聞かせるように思っている自分が、勝母は理解できなかった。

 したくもなかった。……

 

 

 

<つづく>

 





今回はここまで。また、不定期に更新します。

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