椿の涙<鬼殺隊列伝・五百旗頭勝母ノ帖>   作:水奈川葵

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十七.頼りない心の行先

 後になれば、それは一連の事柄の嚆矢(こうし)であったのかもしれない―――――

 

 

「っ…!」

 

 神農屋の暖簾をくぐって出るなり、殺気を感じたと同時に襲ってきた刃を、勝母はギリギリで躱したつもりだったが、顎に赤い筋が走った。

 しかしその後の対応は、周囲にいた人間が悲鳴を上げるよりも早かった。

 

 短刀を持っていた相手の手を素早く掴むと、くるりと半身になって、ギリギリと捻り上げる。

 男の手から落ちた短刀は即座に右足で踏み、左足は相手の鳩尾(みぞおち)を蹴り込む。

 

 周囲にいた人間は鮮やかすぎて、何が起こったのか理解できなかった。

 気付けば短刀を振り回して勝母を襲った男は吹っ飛んで、板塀に叩きつけられている。

 

 呻く男を見て、勝母は首を傾げた。

 どこかで見たことのある男のようであるが…思い出せない。

 

 先程、男の体に触れた時点で腕が―――肘から下がないことには気付いていた。

 おそらく鬼殺隊の人間であろう。

 鬼との戦闘で足や腕を失う者は少なくない。

 

 で、あれば――――

 

 勝母は地面に座り込んでいた男の襟首をグイと掴むと、そのまま裏道へと引っ張っていった。

 野次馬達は何だ何だ…? と、物見高かったが、勝母がギロリと振り返って睨みつけると、三々五々に散っていく。

 

 人気のない行き止まりの道で、勝母はその男を放り投げると、パンパンと手を払った。

 

「…どうやら隊士のようだが、私を花柱と知っての所業か?」

「………」

 

 男は地面に横たわっていたが、ゆっくりと起き上がると、血走った目で勝母を睨みつけた。

 

「知ってるに…決まっている。五百旗頭(いおきべ)勝母(かつも)…」

「ほぅ。私が柱と知っていて、その態度か。そんな不遜な男は私の知る限り一人ぐらいしかおらんが、二人目に数えられたければ、修行し直すんだな。こうも簡単に捕まっておいて大言壮語を抜かすのは、見ていて痛々しいだけだ」

 

 揶揄も露わに勝母は冷笑したが、男はブルブルと怒り震えた。

 

「五百旗頭…。貴様の父が俺をこんなにしたのだ…」

 

 いきなり『父』という言葉で自分がなじられ、勝母は一瞬呆然となった。

 

「なん…だと?」

 

 男は藍地の袖を捲くると、肘から下のなくなった腕を見せつけた。包帯に滲んだ血が茶色くなって固まっている。

 

「お前の父が…俺の腕を斬ったのだ! 恥知らずの裏切者が!!」

 

 勝母はじっと男を見つめた。

 しばらく見ている間に、それが随分と(やつ)れて面変りしてはいたが、東洋一の弟弟子の一人であったと思い出した。

 

 そういえば、去年の夏に出奔する前に会った覚えがある。

 あの時は父のことで頭に血が昇って、彼が腕を失くしたことにも気付かなかった。

 

「……鬼に腕を斬られたのは、残念なことだ」

 

 勝母が少しばかり声を落としたのは、以前の自分があまりに独善的で、怪我人を思いやることもできなかったことへの後ろめたさからだった。

 だが―――…

 

「だが戦闘中に鬼によって手足を失うは、鬼殺隊にあれば珍しいことでもない。隻腕であっても、十分に修行して励め」

 

 男の腕を斬ったのが父であったからといって、代わりに謝るつもりなど毛頭ない。

 冷たく言い放つと、案の定、男は激昂した。

 

「うるさい! お前に何がわかるッ! いくらやろうが、失った腕は戻らない!! 昔と同じように刀を振るうことも、技を放つこともできないッ!! いくらやっても無駄なだけだ。お前のせいだッ!!」

「……私の?」

 

 勝母が眉を寄せると、男は吠えるようにがなりたてる。

 

「そうだッ! 貴様が…さっさと父親を殺しておけば、俺の腕は斬られずに済んだんだッ」

「………」

 

 黙って聞きながら、勝母はだんだんと目の前の男が惨めに見えてきた。

 わめきたてる姿は、癇癪を起こした子どものようだ。

 

 冷然と見下ろしながら、ようやく男の名前を思い出す。

 

鏑木(かぶらぎ)!」

 

 鋭く叫ぶと、鏑木と呼ばれた男はビクリと震えて固まる。

 勝母は鏑木の前にしゃがみこむと、軽く吐息をもらした。

 

「…いいか。お前が私に恨みを持つのは理解できなくもない。だが、今のお前はただ甘えているだけだ。己にも私にも、だ。慚愧して修行せよ。このまま隊士としての道はなくなったとしても、一意専心に努めれば、また新たな道が拓けよう」

「………」

 

 鏑木はそれでも恨みのこもった目で勝母を見つめていたが、いきなり立ち上がると走り去った。

 走り方をみると、どうやら足にも障害が残ったらしい。

 いよいよ、隊士としての道は閉ざされたに等しい。

 

 それでも勝母に鏑木を同情する気は起きなかった。

 

 花鹿屋敷にはしばしば重傷者が運ばれてくる。

 足を失った者、鏑木のように腕を失った者、時に鬼の毒で失明する者もいる。

 

 彼らのその後は様々だ。

 諦観して隊を去る者、隠となって隊に尽くす者、あるいは絶望して失踪する者、そして―――自殺する者。

 

 彼らの背負った運命の肩代わりはできないのだ。

 自分にできるのは、これまでもこれからも、ただひたすらに鬼を殺す…それだけ。

 

 その葬り去る鬼共の中に、いずれ自分の父も含まれるであろう。

 それが鏑木の無念を晴らすことになるかどうかはわからないが…。

 

 踵を返して大通りに出る前に、小路に立ち塞がった背の高い影に、勝母は顰め面になった。

 

「勝母さん…」

 

 心配そうに旭陽(あさひ)が声をかけてくる。

 

「なんだ? わざわざ出てこなくともいい。なんだか知らないが…大変なんだろう? お多可さんが言っていたぞ。お前が昼も夜もずっと机に齧りついていると…」

「すみません。今、論文を書いていて…」

「忙しいなら、私に構うな」

 

 すげなく言ってから、どこかでチリチリと胸が痛む。

 

 勝母が謹慎中はずっと一緒に生活していたのに、あの日別れてからは、なぜだか距離ができてしまった…と、考えるのは勝母だけではないはずだ。

 

 旭陽も明らかに以前に比べると、勝母を訪ねてくることが減った。

 むしろいない時にやって来ては、パンやシチューを作って志摩に言伝して帰っていくようだ。

 

「怪我をされたのではないですか?」

 

 勝母は顎の傷に手をやってから、憮然と答えた。

 

「この程度…怪我というほどのものではない」

「ちゃんと手当てしないと、痕が残ってしまいます」

「いちいち大袈裟にするな。今更、こんな傷痕を気にしていられるか」

 

 面倒そうに言い、勝母は旭陽の横をすり抜けようとして、腕を掴まれた。

 

「勝母さん! あの…!」

 

 言おうとした旭陽の口が開いたまま止まった。

 

 振り返った勝母の顔は真っ赤で、困ったような泣きそうな…あたかも羞じらっている乙女のようだった。

 が、それも一瞬。

 

「離せ! 馬鹿!!」

 

 ブン、と腕を振って旭陽の手から逃れると、勝母は脱兎の如く走り去る。

 

 走りながら、叫びそうになるのを必死でこらえた。

 

 これだ。これなのだ。

 こうなるから、旭陽に会いたくないのだ。

 

 自分でも理解できない、この状態について…きっぱり言ったのは里乃だった。

 

 

◆◆◆

 

 

「恋じゃありませんか、それ」

 

 そう言って、里乃はずずずとぜんざいを啜った。

 

 勝母は自分がどうしてよりによって、東洋一(とよいち)の情婦(らしい)この女とぜんざい屋でぜんざいを食べているのかと思った。

 旭陽から逃げるように、勝母は町中を早足に歩いていたのだが、いきなり後ろから肩を叩かれ、振り返れば里乃だった。

 

「やっぱり。偶然ですね。どうしたんです? なんだかおっかない顔して」

「………」

 

 勝母はまじまじと里乃の顔を見ながら、背後にいた彼女に気付かなかった自分に驚いていた。

 こんな素人の気配にすら気付かないとは…本当に、どうかしている。

 

 額に手をあて深く溜息をつく勝母に、里乃はむくれてみせた。

 

「あら、まぁ…人に会うなり溜息なんて…失礼ですよ!」

「それは…すまない」

 

 素直に謝ると、里乃は首を傾げた。

 

「五百旗頭さんって…妙に素直なんですね。東洋一の話だと、随分とひねくれた鼻持ちならないガキってよく言ってるんですけど」

「それは…あいつ相手にはそうならざるを得ないんだ」

「アハハハ! そうかもしれません」

 

 里乃は屈託なく笑った後、勝母を近くのぜんざい屋に誘った。

 

 いつもなら任務があるから…と断っただろう。

 しかし今日は珍しく任務の報せは今のところ来ていない。

 修行は朝の間に終わらせるので、正直、今の時間帯は暇だった。

 

「わたしは構わないが…一緒に行っても楽しくないぞ」

「なんです、それ?」

「わたしはあの男みたいに多趣味ではないからな。お前を楽しませたりはできない」

 

 里乃はまた大笑いした。

 

「楽しませてもらうために誘った訳じゃありませんよ」

「じゃあ、どうして私なんか誘うんだ?」

 

 里乃はうーん、と思案してからニコッと言う。

 

「一緒にぜんざい食べてくれそうだと思って」

「なんだ…それは」

 

 勝母は呆れながらも、結局連れて行かれて、気がつけば一緒にぜんざいをすすっていた。

 

 里乃の話題は日頃の勝母の生活からは遠く離れたものだった。

 

 今日はいつも来る天秤棒の野菜売りが来ないので、隣町まで大根を買いに出かけた…だの。

 いよいよ師走だから、どこも物価が高くなってる…だの。

 相変わらず東洋一は酔っ払うと三味線を弾き始めて、この前はそれが深夜だったので、長屋中から苦情がきて、ひたすら謝っていた…だの。

 

「……幸せそうで、何よりだな」

「そうですね…まぁ、そうなんですよね…きっと」

 

 さっきまで意気揚々としゃべっていたのに、里乃は急にしょんぼりと肩を落とした。

 

「どうした?」

「いえ…今でも十分に…幸せだって思わなきゃ…ってわかってるんですけど……」

「なんだ? あの男が気に食わないのか? まぁ、仕方ないが」

「気に食わないとかじゃないけど……」

 

 うじうじと言い淀んでは溜息をつく里乃に、勝母はあきれて言った。

 

「あんたはあの男のこととなると、どうしてそうも意気地がないんだ? とっとと責任とって一緒になってくれ、と言えばいいだろう」

「そんなこと…だいたい責任も何も…私の方が迷惑をかけたんですから」

「男が年季奉公の芸者を落籍()いたのなら、責任とって面倒みるのが当たり前だろうが」

「普通はそうなんでしょうけど…はっきりしないというか…」

「……どういうことだ?」

 

 勝母が真面目に問いかけると、里乃はまた溜息をついて首を振った。

 

「私のことはいいんですよ。それより、五百旗頭さんはどうしたんです? なんだか、妙に焦った様子でしたけど、さっき」

「………」

 

 ムッと黙り込んだ勝母に、里乃は自分のことでなければ饒舌になって話し出す。

 

「もしかして変な男に声でもかけられました? いっても五百旗頭さんって、見てるだけだったら、可愛らしいお嬢さんですしね。あ…でもそこいらの男なんて五百旗頭さんだったら、あっという間に()しちゃうか」

 

 勝母はしばらく黙々とぜんざいをすすり、付け合せの漬物をパリポリと食べていたが、その間にも脳裏には旭陽の姿が浮かんでくる。

 また気分がざわめいてきて、理由がわからず悶々とする。

 

「あら? ご機嫌ななめですね」

「……アンタがいらんことを言うからまた変な男のことを思い出した…」 

「ふぅぅん」

 

 里乃は頬に手を当てて首を傾げ、まじまじと勝母を見つめた。

 

「なんだかおかしいですね、五百旗頭さん。珍しくぼーっとなってますよ」

「ぼーっとなってる訳じゃない。むしろ自分でも意味がわからないから、イラついてるんだ」

「意味がわからなくて…イラつく?」

 

 鸚鵡返しにつぶやいてから、里乃はおもむろにぜんざいを横に置くと、身を乗り出して尋ねてきた。

 

「それって、聞きますけど…ある人のことを考えると、なんだかイライラしちゃうってことですか?」

「……まぁ、そんな感じだ」

「その人って、東洋一さんじゃないですよね?」

「なんであの男相手にこんな気分にならなきゃいけないんだ? アイツ相手なら、イラついたらすぐにでも叩きのめせば済むことだろうが」

 

 里乃はニコリと微笑んだ。

 ホッとしたように息をつく。

 

「あぁ、良かった。五百旗頭さんが東洋一さんが好きだとか言ったら、どうしようかと思った」

「…聞くだけでも怖気がするようなことを言うな」

 

 想像するだけで寒イボがたつ。

 げんなりする勝母を、里乃はニコニコと笑って見つめた。

 

「ウフフ。五百旗頭さん。気になる人がいらっしゃるんですね」

「気になる……? あぁ、それはそうだ。気になってしょうがないんだ。会わなければそのうち忘れるだろうと思ったのに、勝手に頭に出てきて、やたら気分が落ち着かないし、会ったら会ったで特に何も言うことはないし……」

「まぁ!」

 

 里乃はケラケラ笑った。

 

「お好きなんですねぇ…その人のこと」

「……なんだって?」

「恋じゃありませんか、それ」

「…………」

 

 勝母が神妙な顔で考えている間、里乃は冷めてぬるくなったぜんざいをすすり、残りの餅を飲み込んだ。

 

 やがて勝母はつぶやいた。

 

「馬鹿なことを…。私が恋なんぞするわけがない」

「あらぁ、五百旗頭さん。恋なんてものはしたりしなかったりするものじゃありませんよ。いきなり落ちてくるんですから」

「落ちてくる?」

「そう。雷みたいに」

「あんたも東洋一と初めて会った時にそうだったのか?」

 

 勝母は下手くそな踊りの途中で泣きべそをかいていた里乃を思い出す。

 しかし里乃はうーんとまた頬に手を当てて首を傾げた。

 

「私…割と今まで好きになった人はそういう感じだったんですけど…東洋一さんはなんだか違うんですよね。ただ…ずっと一緒にいたいなぁ…っていうか、きっとずっと一緒にいるんだろうなぁ…って思ったりするんです。なんとなく」

「……結局、(のろ)けたかっただけじゃないか…」

 

 勝母はぜんざいを一気にかっこむとチャリンと銭を出して立ち上がった。

 

「とりあえず、一緒にぜんざいは食べてやった。もう帰るぞ」

「ありがとうございます。楽しかったです」

 

 里乃はヒラヒラ手を振って、あっさりと見送った。

 

 師走の雑踏を歩きながら、そう言えば女と一緒にぜんざい屋などに行ったのは初めてだと気付いた。

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

「どうやら…失踪したらしいです」

 

 柱合会議に向かう途中の渡り廊下で左近次が話しかけてきて、勝母は「そうか…」と返した。

 

「誰…とは聞かないですね」

「東洋一の弟弟子だろう? 名前は何と言ったか…」

鏑木(かぶらぎ)です。鏑木浩太」

 

 (やつ)れて自暴自棄になった男が襲ってきたのは、二月(ふたつき)ほど前のことだったろう。

 覚えていたのは、この数年来、鬼にもそう簡単に傷つけられることがなかったのに、ほんのかすり傷とはいえ傷をつけられた…という少しばかり不名誉な記憶があったからだ。

 

「兄弟子はわざわざ鰤づくしの料理を奢って詫びてくれたというのに…報われなかったな、東洋一も」

「東洋一さんはまだ割り切ってますが、むしろ香取さんの方がガックリきているようでしたよ…」

「香取は責任感が強いからな」

 

 勝母はフッと笑ってから、冷たい面差しになる。

 

「哀れだが仕方なかろう。それも彼の決めた道だ…」

 

 手足を失って絶望した隊士が行方を晦ますことは珍しいことでない。

 慕っていた兄弟子や先輩の言葉も届かぬほど、鏑木の心は病んでいたのだろう。

 目の前で左近次も頷く。

 

 再び歩き始めると、鋭い鳥の啼き声がして勝母はチラと空を見上げた。

 どんよりと曇った雪空が広がっている。

 今にも雪が降り出しそうだ。

 

「どうしました?」

 

 足を止めた勝母に左近次が問いかけた。

 

「いや…」

 

 勝母はじっと鈍色(にびいろ)の空を眺めた。

 

「雪が降りそうだな」

「そうですね。夜半には積もりそうです」

 

 闇の中を、しんしんと雪が降り積もる。

 その光景が脳裏に浮かぶと、途端に足元が覚束なくなるような…心細い気持ちになる。

 

「……大丈夫ですか?」

 

 左近次は何かしら勝母の不安のにおいを感じ取ったのだろう。

 気遣わしげに尋ねてきたが、勝母は無理やり笑った。

 

「なんてことはない。…少し昔の事を思い出しただけだ」

 

 

 

<つづく>

 






次回、近日更新予定です。一週間以内には。

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