椿の涙<鬼殺隊列伝・五百旗頭勝母ノ帖>   作:水奈川葵

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二十一.元岩柱の告白

 布団に横たわる元岩柱は、一年近く寝たきりであったせいなのか、往時の頑強な体からすっかり痩せ細って、哀れなほどに小さく見えた。

 眠っているのか一定間隔で微かな呼吸音が聞こえる。

 

 案内されて勝母は傍らに正座し、黙っていた。

 

 元岩柱・阿萬(あまん)刀膳(とうぜん)

 勝母の父と同門の兄弟弟子であったという。

 

 当時の話は詳しく知らないが、伝え聞いた噂では二人の仲は良くなかったらしい。

 刀膳はあからさまに勝母の父である五百旗頭(いおきべ)卓磨(たくま)への敵愾心を露わにしていたが、卓磨の方はまるで無視していたという…。

 彼らの確執が弟子であった頃からのものなのか、それとも……

 

 考える勝母の脳裏に賢太郎に言われた言葉が響く。

 

 ―――――阿萬殿は、あなたの母上に懸想されていたらしいです…

 

「………」

 

 母が美しい人であったのは覚えている。

 自分が、その母に少しも似ていないことも含めて。

 

 それこそ木花咲耶姫のごとし…と呼ばれていた人だ。

 優しく、たおやかで、それでいて時に祖母にすらも抗うほどに、激しい気性を秘めていた。

 自分の気持ちに正直に生きて…母となった後ですらも、まるで少女のように父を慕い、尽くしていた。

 

 刀膳が勝母を嫌うのは、おそらく勝母が父に似ているからだ。

 無口で無愛想で何を考えているのかわからない。可愛げの一つもない。むっつりとした仏頂面を崩さぬ姿に、母の面影を何一つ見出すことができず、よほどに苛立ったことだろう…

 

「……何を考えている?」

 

 いつの間にか瞳を開けていた刀膳は、真っ直ぐ天井を見つめながら問いかけてきた。

 

「………母のことを」

 

 勝母が言うと、刀膳の眉がピクリと動く。

 

「阿萬殿は、ご存知でいらっしゃいますか?」

「……白々しいことよな」

 

 刀膳は皮肉げに頬を歪めた。

 

「とうに、知っておるであろう? 吾が結殿に惹かれていたことは。そなたらは親子で嘲笑っておったろう、吾を」

 

 勝母は首をひねった。

 意味がわからない。

 

「結殿も酷い御方よ。吾の気持ちを知っておったくせに、よりによってあの男と一緒になり、あまつさえ子を成すなど……貴様が」

 

 刀膳は一気に言って息が切れたのか、ゴホゴホとむせた。

 勝母は刀膳の背に手を回して起き上がらせると、盆に置いてあった湯冷ましを飲ませた。

 支えた手に、刀膳の浮いた肋骨が触れる。

 

 ゼイゼイと息切れしながら、刀膳はジロリと勝母を睨んだ。

 

「貴様がすべてを狂わせたのだ…」

「………」

 

 勝母はまったく表情を変えず、ゆっくりと刀膳を再び寝かした。

 

「あの男が何故(なにゆえ)、鬼となる道を選んだか…わかるか?」

 

 刀膳はざらついた声で問いかける。

 勝母は何も答えなかったが、勝手に話し始めた。

 

「そもそもは…貴様の祖母だ。吾らの育手…元岩柱であった我らの育手と貴様の祖母…花鹿(かじか)達は、犬猿の仲であった。鬼殺隊を引退した後であっても、あの鬱陶しい花鹿の婆ァのこととなれば、罵詈雑言が止まらぬ。蛇蝎のごとく嫌っておった。そんな師匠を裏切って、花鹿の娘に手を出すなど有りえぬことよ。吾は師匠に告げた。師匠はヤツを…一門から排除した……」

 

 刀膳は突然、笑い出した。

 しばらくの間、憑かれたように笑い続けた。

 

「ハハハ……憐れよなぁ…五百旗頭。あの頃はまだ、柱となるのに師匠の推挙がなくば、なれなんだ。もう少し待てていれば…風柱様の変革の後であれば、あるいは岩柱となれたろうに…辛抱が足らなかったせいで、鬼となり果てよった……」

 

 勝母は刀膳の話を聞きながら、今までずっと胸の底に押し籠めていた父のことを思い出していた。

 

 広い背中。

 勝母がいつも見ていた父の姿の第一印象はそれだった。

 

 縁側の光に向いて、暗く翳った背中は、勝母を拒絶しているようだった。

 声をかけても無視され、父がこちらを向くことはない。

 

 ただ一度…あの日を除いて。

 

「あの男は柱にはなれぬ…。吾より遥かに優れておっても、力があっても。花鹿の娘を嫁にし、自ら鬼となるを選んだ…すべて……すべて……己の()()が招いたのだ。そうだ…あの男は…強くなどない。五百旗頭卓磨は、弱いのだ。吾よりもずっと、ずっと、弱く情けない奴なのだ…」

 

 刀膳は途中から勝母を見ていなかった。

 まるで自分に言い聞かせるかのように、何度もつぶやいた。

 

「奴は…弱い…男。弱い…吾よりも…弱い…」

 

 もはや、まともに話もできそうにない…。

 勝母は腰を浮かしかけたが、いきなり刀膳が布団の中から手を伸ばして、勝母の腕を掴んだ。

 

「なぜ、あいつを選んだッ!?」

「……阿萬殿?」

 

 ギロリと血走った目で勝母を凝視して、刀膳は脂汗を垂らしながら、ワナワナと唇を震わせる。

 

「何故…あの男を…なにがいいというのだ? あんな…弱い……陰気で…つまらぬ男の…」

 

 勝母は眉を寄せた。

 刀膳はこのところ痛みを緩和するために、阿片を服することもあるらしい。勝母に結の幻覚を見ているようだ。

 

 勝母は刀膳のすっかり細くなった腕を掴んだ。

 ギリギリと力を加えると、「ぐえっ」と悲鳴を上げて、刀膳は勝母の腕を離す。

 

 すぐさま勝母は刀膳の頬を()った。

 

「しっかりなされよ! それでも元柱か!!」

 

 鋭い叱責と頬の痛みに、刀膳はハッと我に返ったのだろう。

 しばらく呆然と空を見つめた後、長い吐息をついた。

 

「………恋々と…妄執に囚われているのは…吾か……」

 

 ポツリとつぶやいた後、暗い天井を見つめている。

 その瞳は空虚であった。

 

 勝母は静かに問いかけた。

 

「今日、私を呼んだ理由は?」

 

 刀膳はゴソゴソと懐を探っていた。

 再び布団から差し出された手には、所々血に染まった橙の絞りの布にくるまれたもの。

 

「……これは?」

「中を…見よ」

 

 刀膳に言われ、受け取って布を解くと、陶器で出来た小さな兎が出てきた。

 丸い形をしていて、中身は空洞なのか軽い。

 手に取った時にからん、と音がした。

 

「……土鈴(どれい)?」

「あの男が鬼狩りを志したは…家族を殺されたからだと…言っていた。それは、妹の形見だと…」

 

 勝母はその薄汚れた陶器の兎を見つめた。

 父もまた、家族を奪われた人だったことが、意外だった。なぜ鬼を恨んだ人が、鬼となってしまったのか…。

 

「吾にこの傷を負わせたは、あの男だ。吾はあの男と戦った。そして…破れてこの有様」

 

 皮肉めいた笑みを浮かべて、刀膳は己を嘲った。

 

「この鈴は…戦いの時に奴が落としたのであろう。吾は拾い…奪った…」

「奪った?」

「……鬼となっても、この鈴だけは持っていたのだ。人であった頃のことなど、鬼となれば忘れるというのに…それほど大事なものなのだろう。だから…奪った…」

「……まだ、あの男が人の心を持っていると…お思いか?」

 

 勝母の問いかけに刀膳は答えなかった。チラとこちらを一瞥して、再び天井を見つめる。

 どんよりと曇った瞳から涙が一筋流れていた。

 

 勝母は深々と頭を下げると、立ち上がった。

 踵を返して部屋から出ようとして、背後から弱々しい声が聞こえた。

 

「………誰より……強い……兄…弟子……で…あった……」

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 花鹿屋敷に帰ってきて、刀膳から受け取った兎の土鈴を眺めていた。

 随分と古いもののようだ。昔はきっと白兎だったろうに、今や灰色兎になっている。

 

 よく見れば、一度、割れたのか接いだ跡があった。

 さほどに価値の高いものでもないのに、わざわざ割れたのを修復してまで持っていたかったのだとすれば、阿萬刀膳の言う通り、この土鈴は父にとっては特別なものであったのだろう。

 

 一振りしてみれば、からん、と乾いた音が鳴る。

 カラカラと何度か振ってから、勝母は小汚い橙の布の上に置いた。

 

 ハァ…と、溜息が漏れる。

 

「勝母様、夕食の用意は…」

 

 志摩が声をかけてきて、ハッと顔を強張らせた。

 卓の上をじっと見ている。

 

「……志摩?」

「あ…すみません」

「この鈴に見覚えがあるのか?」

 

 勝母が鈴を取り上げて見せると、驚いた顔になる。

 

「それ…」

 

 言いかけて口を閉ざした。

 部屋に入ってくると、まじまじと土鈴を見つめて泣きそうになっている。

 

「やっぱり…()()土鈴なんですね……」

「知っているのか?」

 

 志摩は頷いた。

 

「……壊れてしまったのを、結様が一生懸命に接いで直したんです。……大事なものだから、と。壊した当人はもう捨てておけと言ったらしいのですがね」

「……これは、父の妹の形見らしい」

「はい…存じております」

 

 志摩は悲しげに薄汚れた兎を見つめた。

 

「元は…旗本の出であったと聞いております。家族を鬼に殺され…鬼殺隊に入った、と」

「鬼に恨みを持ちながら、鬼になるとは…どういう因果だ」

 

 勝母は皮肉な笑みを浮かべたが、志摩は痛ましい顔でつぶやいた。

 

「あの御方も、もう少し心開いておられれば……結様の優しさを素直に受け取ることができたなら、また違う道もあったでしょうに」

「志摩から見て、父はどんな男だったと思う?」

 

 勝母が問いかけると、志摩は首をゆるゆると振った。

 

「何を考えておられるのかわからぬ方です。いつも黙念として、言葉数も少のぅございましたので。結様のことだって、結局、正式に夫婦(めおと)になることもなく…訳のわからぬ御方でございます」

 

 勝母は軽く吐息をもらした。

 

「私にもわからない。母上はわかっておいでだったのだろうか? 案外、独りよがりだったのかもしれないな」

「勝母様…」

「……腹が減った。用意してくれ」

「かしこまりました」

 

 志摩がお辞儀して去った後、勝母は掌の上にある土鈴を見つめた。

 

 鬼となっても手放さなかった兎の土鈴。

 探しているのだろうか。それとも失くしたことにすら気付いてないか。

 

 阿萬刀膳の言うように、柱となれなかった腹いせのために鬼となったというなら、全くバカバカしい話だ。

 柱は鬼殺隊を支配しない。ただ、より多くの鬼を狩るだけだ。

 そんなつまらぬ理由で…あの父が鬼となる道を選んだというのか?

 

 ―――――五百旗頭卓磨はすこぶる真面目な男だった…

 

 ふと、先の風柱であった風波見周太郎の言葉がよみがえる。

 

 ―――――絶対的な強さこそが至高のものだと、思い込んでいた…

 ―――――自らの中にある鬼こそが、強さの源であると誤解したのだ……

 

 風波見周太郎は見抜いていたのだろう。

 彼は既に父が人であった頃から、その危うさに気付いていた。

 誰よりも精強であることに貪欲な()が、五百旗頭卓磨に潜んでいることに。

 

 それは周太郎もまた、自分の中にその存在を見ていたからではないのか。

 

 ―――――常に自らにある夜叉から目を逸らすな…

 

 今になって…存在が喪われた今になってこそ、重く、その言葉は響く。

 

「『伝説』たる所以(ゆえん)か。到底、追いつけぬわ……」

 

 勝母は溜息まじりにつぶやくと、立ち上がって部屋を出た。

 

 座卓の上に置き捨てられた灰色の兎が、照りつける西日の中で濃い影を落としていた。

 

 

 

<つづく>

 

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