布団に横たわる元岩柱は、一年近く寝たきりであったせいなのか、往時の頑強な体からすっかり痩せ細って、哀れなほどに小さく見えた。
眠っているのか一定間隔で微かな呼吸音が聞こえる。
案内されて勝母は傍らに正座し、黙っていた。
元岩柱・
勝母の父と同門の兄弟弟子であったという。
当時の話は詳しく知らないが、伝え聞いた噂では二人の仲は良くなかったらしい。
刀膳はあからさまに勝母の父である
彼らの確執が弟子であった頃からのものなのか、それとも……
考える勝母の脳裏に賢太郎に言われた言葉が響く。
―――――阿萬殿は、あなたの母上に懸想されていたらしいです…
「………」
母が美しい人であったのは覚えている。
自分が、その母に少しも似ていないことも含めて。
それこそ木花咲耶姫のごとし…と呼ばれていた人だ。
優しく、たおやかで、それでいて時に祖母にすらも抗うほどに、激しい気性を秘めていた。
自分の気持ちに正直に生きて…母となった後ですらも、まるで少女のように父を慕い、尽くしていた。
刀膳が勝母を嫌うのは、おそらく勝母が父に似ているからだ。
無口で無愛想で何を考えているのかわからない。可愛げの一つもない。むっつりとした仏頂面を崩さぬ姿に、母の面影を何一つ見出すことができず、よほどに苛立ったことだろう…
「……何を考えている?」
いつの間にか瞳を開けていた刀膳は、真っ直ぐ天井を見つめながら問いかけてきた。
「………母のことを」
勝母が言うと、刀膳の眉がピクリと動く。
「阿萬殿は、ご存知でいらっしゃいますか?」
「……白々しいことよな」
刀膳は皮肉げに頬を歪めた。
「とうに、知っておるであろう? 吾が結殿に惹かれていたことは。そなたらは親子で嘲笑っておったろう、吾を」
勝母は首をひねった。
意味がわからない。
「結殿も酷い御方よ。吾の気持ちを知っておったくせに、よりによってあの男と一緒になり、あまつさえ子を成すなど……貴様が」
刀膳は一気に言って息が切れたのか、ゴホゴホとむせた。
勝母は刀膳の背に手を回して起き上がらせると、盆に置いてあった湯冷ましを飲ませた。
支えた手に、刀膳の浮いた肋骨が触れる。
ゼイゼイと息切れしながら、刀膳はジロリと勝母を睨んだ。
「貴様がすべてを狂わせたのだ…」
「………」
勝母はまったく表情を変えず、ゆっくりと刀膳を再び寝かした。
「あの男が
刀膳はざらついた声で問いかける。
勝母は何も答えなかったが、勝手に話し始めた。
「そもそもは…貴様の祖母だ。吾らの育手…元岩柱であった我らの育手と貴様の祖母…
刀膳は突然、笑い出した。
しばらくの間、憑かれたように笑い続けた。
「ハハハ……憐れよなぁ…五百旗頭。あの頃はまだ、柱となるのに師匠の推挙がなくば、なれなんだ。もう少し待てていれば…風柱様の変革の後であれば、あるいは岩柱となれたろうに…辛抱が足らなかったせいで、鬼となり果てよった……」
勝母は刀膳の話を聞きながら、今までずっと胸の底に押し籠めていた父のことを思い出していた。
広い背中。
勝母がいつも見ていた父の姿の第一印象はそれだった。
縁側の光に向いて、暗く翳った背中は、勝母を拒絶しているようだった。
声をかけても無視され、父がこちらを向くことはない。
ただ一度…あの日を除いて。
「あの男は柱にはなれぬ…。吾より遥かに優れておっても、力があっても。花鹿の娘を嫁にし、自ら鬼となるを選んだ…すべて……すべて……己の
刀膳は途中から勝母を見ていなかった。
まるで自分に言い聞かせるかのように、何度もつぶやいた。
「奴は…弱い…男。弱い…吾よりも…弱い…」
もはや、まともに話もできそうにない…。
勝母は腰を浮かしかけたが、いきなり刀膳が布団の中から手を伸ばして、勝母の腕を掴んだ。
「なぜ、あいつを選んだッ!?」
「……阿萬殿?」
ギロリと血走った目で勝母を凝視して、刀膳は脂汗を垂らしながら、ワナワナと唇を震わせる。
「何故…あの男を…なにがいいというのだ? あんな…弱い……陰気で…つまらぬ男の…」
勝母は眉を寄せた。
刀膳はこのところ痛みを緩和するために、阿片を服することもあるらしい。勝母に結の幻覚を見ているようだ。
勝母は刀膳のすっかり細くなった腕を掴んだ。
ギリギリと力を加えると、「ぐえっ」と悲鳴を上げて、刀膳は勝母の腕を離す。
すぐさま勝母は刀膳の頬を
「しっかりなされよ! それでも元柱か!!」
鋭い叱責と頬の痛みに、刀膳はハッと我に返ったのだろう。
しばらく呆然と空を見つめた後、長い吐息をついた。
「………恋々と…妄執に囚われているのは…吾か……」
ポツリとつぶやいた後、暗い天井を見つめている。
その瞳は空虚であった。
勝母は静かに問いかけた。
「今日、私を呼んだ理由は?」
刀膳はゴソゴソと懐を探っていた。
再び布団から差し出された手には、所々血に染まった橙の絞りの布にくるまれたもの。
「……これは?」
「中を…見よ」
刀膳に言われ、受け取って布を解くと、陶器で出来た小さな兎が出てきた。
丸い形をしていて、中身は空洞なのか軽い。
手に取った時にからん、と音がした。
「……
「あの男が鬼狩りを志したは…家族を殺されたからだと…言っていた。それは、妹の形見だと…」
勝母はその薄汚れた陶器の兎を見つめた。
父もまた、家族を奪われた人だったことが、意外だった。なぜ鬼を恨んだ人が、鬼となってしまったのか…。
「吾にこの傷を負わせたは、あの男だ。吾はあの男と戦った。そして…破れてこの有様」
皮肉めいた笑みを浮かべて、刀膳は己を嘲った。
「この鈴は…戦いの時に奴が落としたのであろう。吾は拾い…奪った…」
「奪った?」
「……鬼となっても、この鈴だけは持っていたのだ。人であった頃のことなど、鬼となれば忘れるというのに…それほど大事なものなのだろう。だから…奪った…」
「……まだ、あの男が人の心を持っていると…お思いか?」
勝母の問いかけに刀膳は答えなかった。チラとこちらを一瞥して、再び天井を見つめる。
どんよりと曇った瞳から涙が一筋流れていた。
勝母は深々と頭を下げると、立ち上がった。
踵を返して部屋から出ようとして、背後から弱々しい声が聞こえた。
「………誰より……強い……兄…弟子……で…あった……」
◆◆◆
花鹿屋敷に帰ってきて、刀膳から受け取った兎の土鈴を眺めていた。
随分と古いもののようだ。昔はきっと白兎だったろうに、今や灰色兎になっている。
よく見れば、一度、割れたのか接いだ跡があった。
さほどに価値の高いものでもないのに、わざわざ割れたのを修復してまで持っていたかったのだとすれば、阿萬刀膳の言う通り、この土鈴は父にとっては特別なものであったのだろう。
一振りしてみれば、からん、と乾いた音が鳴る。
カラカラと何度か振ってから、勝母は小汚い橙の布の上に置いた。
ハァ…と、溜息が漏れる。
「勝母様、夕食の用意は…」
志摩が声をかけてきて、ハッと顔を強張らせた。
卓の上をじっと見ている。
「……志摩?」
「あ…すみません」
「この鈴に見覚えがあるのか?」
勝母が鈴を取り上げて見せると、驚いた顔になる。
「それ…」
言いかけて口を閉ざした。
部屋に入ってくると、まじまじと土鈴を見つめて泣きそうになっている。
「やっぱり…
「知っているのか?」
志摩は頷いた。
「……壊れてしまったのを、結様が一生懸命に接いで直したんです。……大事なものだから、と。壊した当人はもう捨てておけと言ったらしいのですがね」
「……これは、父の妹の形見らしい」
「はい…存じております」
志摩は悲しげに薄汚れた兎を見つめた。
「元は…旗本の出であったと聞いております。家族を鬼に殺され…鬼殺隊に入った、と」
「鬼に恨みを持ちながら、鬼になるとは…どういう因果だ」
勝母は皮肉な笑みを浮かべたが、志摩は痛ましい顔でつぶやいた。
「あの御方も、もう少し心開いておられれば……結様の優しさを素直に受け取ることができたなら、また違う道もあったでしょうに」
「志摩から見て、父はどんな男だったと思う?」
勝母が問いかけると、志摩は首をゆるゆると振った。
「何を考えておられるのかわからぬ方です。いつも黙念として、言葉数も少のぅございましたので。結様のことだって、結局、正式に
勝母は軽く吐息をもらした。
「私にもわからない。母上はわかっておいでだったのだろうか? 案外、独りよがりだったのかもしれないな」
「勝母様…」
「……腹が減った。用意してくれ」
「かしこまりました」
志摩がお辞儀して去った後、勝母は掌の上にある土鈴を見つめた。
鬼となっても手放さなかった兎の土鈴。
探しているのだろうか。それとも失くしたことにすら気付いてないか。
阿萬刀膳の言うように、柱となれなかった腹いせのために鬼となったというなら、全くバカバカしい話だ。
柱は鬼殺隊を支配しない。ただ、より多くの鬼を狩るだけだ。
そんなつまらぬ理由で…あの父が鬼となる道を選んだというのか?
―――――五百旗頭卓磨はすこぶる真面目な男だった…
ふと、先の風柱であった風波見周太郎の言葉がよみがえる。
―――――絶対的な強さこそが至高のものだと、思い込んでいた…
―――――自らの中にある鬼こそが、強さの源であると誤解したのだ……
風波見周太郎は見抜いていたのだろう。
彼は既に父が人であった頃から、その危うさに気付いていた。
誰よりも精強であることに貪欲な
それは周太郎もまた、自分の中にその存在を見ていたからではないのか。
―――――常に自らにある夜叉から目を逸らすな…
今になって…存在が喪われた今になってこそ、重く、その言葉は響く。
「『伝説』たる
勝母は溜息まじりにつぶやくと、立ち上がって部屋を出た。
座卓の上に置き捨てられた灰色の兎が、照りつける西日の中で濃い影を落としていた。
<つづく>