二年後―――――早春
「…これで儂も引退だ」
鳴柱・桑島慈悟郎の顔は穏やかだった。
鬼との戦闘で、子どもを庇ったせいで鬼からの攻撃を受けてしまい、足をやられた。
「まぁ、お前がおると思えば、安心して隠居できるというものだ」
「なにを言っておられる。歩けるようになったら、とっとと育手になって後進の育成に励んでもらわねば。鳴柱の継子は皆、優秀ですからね」
勝母は言いながら、てきぱきと傷口の処置をする。
慈悟郎はハッハッハッと相変わらず豪快に笑った。
「まったく…厳しいのぉ。さんざ走り回ってきたというのに、息つく暇もない」
「早々に引退などなさるからです。お陰で、私はもっと忙しくなる。左近次も香取も、鬼狩りの仕事には精励するが、いざ隊内の調整事となれば、いったいどこに消えるのやら…」
「ま、あやつらには無理だろうよ。諦めて風柱と二人、お館様をお守りしながら、切り盛りしてくれ」
「まったく…」
勝母は深くため息をついた。
前風柱であった
新たに入ってくる隊士の任務の割り振りなどや、選抜試験における鬼の生け捕り状況などまで考えて指示を下さねばならない。
本来、こうしたことはお館様が自らの直属配下を指揮してやっていたらしいのだが、
周太郎は何かにつけて輝久哉に自覚をもたせようとはしていたようだが、幼くしてお館様となり、なんでも周太郎の意見にすがって生きてきた輝久哉が急に改められるはずもない。
そもそも周太郎の死後は昏倒して枕も上がらぬ状態であったのだ。
賢太郎が後を継いだことで、ようやく床上げして元に戻ったものの、しばらくは周太郎の不在に慣れず、不意に思い出しては涙を浮かべていた。
それでも勝母は、この気弱なお館様を嫌いにはなれなかった。
彼は己が傷つきやすいからこそ、人の痛みに敏感であった。
浮かない顔をしている勝母を見ると、珍しい西洋の菓子などを振る舞って、励ましてくれたりする。(勝母がそうした西洋の食べ物が好きなのだという情報をどこからか聞きつけて、汲んでくれているのだ)
自分が数百年続く鬼殺隊の『お館様』として足りない部分があることは承知しつつ、それでもその立場から逃げようとはしなかった。
まだまだ子供であった時にこの重い運命を継いだ…その時から、ずっと。
◆◆◆
「……これだけか?」
勝母は定例の柱合会議に集まった面々を見て、思わず誰に言うでもなく聞いてしまった。
「これだけです」
式柱の
勝母は眉を寄せた。
「鳴柱が引退したのはともかくとして…霞柱と
「絲柱は前日の任務で負傷されたようで、療養中です。香取さんは…また、少々体調を崩しているようです」
左近次が言うと、勝母はフン、と鼻を鳴らす。
「補充はどうなっている? 甲に適当な奴らはおらんのか? 鳴柱の継子は?」
「乙にはいますが、甲にはおりませぬ。ただし、先の砂柱様の継子が甲におりますので、彼を柱とすることも…本日の会議で認可してい…」
風柱である賢太郎が言っている途中で、勝母は面倒そうにヒラヒラと手を振る。
「いるんなら、とっとと入れればいいだろう。明日にも
「な~んか、軽~く決まっちゃいましたね。僕の時もこんな感じだったんですか?」
「やかましい、式柱。お前はとっとと鬼を生け捕りして藤襲山に送れ。ちゃんとやってるんだろうな?」
「えぇ~? やってるっちゃあ…やってますけどぉ…」
「なんだ、その曖昧な物言いは」
「だって、僕、鬼を殺したくて鬼殺隊入ったのに、生け捕りなんてさぁ…趣味じゃないんだよねー」
「お前の嗜好なんぞ、どうでもいい! 隊士の増員は急務なんだ。ただでさえこのところ死亡者が増えて、柱の管轄地域も拡大する一方なんだぞ。っとに…育手は何やってんだ。隊士の質が落ちてるとしか思えん」
「隊士の死亡といえば…風柱」
左近次が急に賢太郎に向かって呼びかけた。
思わず皆が注視する。
「昨今、風の者達の死亡が多い気がするが…気付いておいでか?」
賢太郎はふっと目線を伏せると、軽く頭を下げた。
「情けない次第でございます」
「そなたの責任を問うているのではない。今の風の呼吸の剣士のほとんどは先の風柱様の継子や、その系譜に連なる者達。彼らの死亡…いや、行方不明となっている者も含めれば、相当数がいるのではないのか?」
「……把握はしております」
「原因は? わかっているのか?」
勝母が問うと、賢太郎はぐっと詰まった。
「そんなの偶然でしょ~。鬼がわざわざ風の隊士ばっかり狙って殺すなんて、非効率なことする意味ないし~」
一伊がいつもの調子で混ぜっ返すと、勝母は溜息をついて頭を掻いた。
「もういい。とりあえず様子を見ることにするが…留意しておけ、風柱。もし、狙って襲っているのならば…あるいは……」
勝母は言いかけて黙り込んだ。
そんな想像はしたくない。だが、鬼殺隊の歴史において、そうした者達がいたことは事実。
それは、勝母が誰よりわかっている。
しかし何事にも頓着しない一伊は、いつものごとく軽く言う。
「裏切者がいたりしてー」
即座に隣に座っていた炎柱・
「いったぁーっ! 痛いじゃないですかーっ!! 炎柱。いきなり殴るなんてさー」
「………」
巽は既に半眼を閉じて無視している。
先代の煉獄康寿郎と違って、極端なほどに寡黙なこの黒髪の炎柱は、柱となって数年が経つが、意見を言うことはほぼなく、会話をしたのも数えるほどしかない。おしゃべりな一伊とは水と油であった。
勝母は深く嘆息すると、ビシリと一伊を叱りつけた。
「やかましい! ありもしないことで騒ぐな。よけていたろうが、貴様。かすった程度でぎゃあぎゃあ喚くな!」
「あれ? バレてた? さっすが、花柱様。鬼殺隊の母ッ」
「そういうところが一言多いんだ、貴様はっ!」
おおよそ、周太郎が筆頭であった時代には考えもつかない落ち着きない柱合会議に、上座に座っていた輝久哉はニコッと笑った。
「楽しそうだね」
それまで沈黙していたお館様がつぶやいた一言で、勝母はハッと我に返った。
こほん、と咳払いして居住まいを正す。
一伊も肩をすくめてから、今度は黙って従った。
「申し訳ございません、お館様。本日の柱合会議、まずは新設する隠の特別部隊につきまして…」
勝母は議題について読み上げながら、チラと隣の賢太郎の顔を盗み見た。
暗い表情が気になる。
後で話をしてみる必要があるな…と思いつつも、結局、会議終了後には隠からの報告などを聞いて指示を出しているうちに忘れてしまった。
思い出したのは、鱗滝左近次から話を聞かされた時だった。
◆◆◆
「風柱も一応、調査はしているようです」
任務後に茶屋で休憩していた勝母に声をかけてきたのは鱗滝左近次だった。
同じ方面で仕事があったらしい。軽い雑談の後に、思い出したように言ってきた。
「調査?」
「以前に、風の剣士の死亡が多いようだと話したことがあったでしょう」
「あぁ。そうだったな」
相槌をうちながら、賢太郎の暗い表情を思い出す。
「で、結局のところどうなんだ? 裏切者がいるのか?」
「いたとして、正直に言うと思いますか?」
「……鴉は? 何も言ってこないのか?」
「鴉はおそらく殺されたものと…。風波見の方でもそのために決めかねているのでしょう」
勝母は溜息をついた。
「はっきりしないのであれば、鬼として処理すればいいだけだ。さほどに悩むことでもないだろうに」
「そう簡単には考えられないでしょう。先の風柱様亡き後、賢太郎が跡を継いだことでさほどの混乱は起きずに済みましたが、もし風波見家から裏切者が出たとなれば、切腹は免れない。そうなれば…」
「なんだ、そんなことか」
勝母はあきれたように言うと、グビリと茶を飲んだ。
「切腹などする必要はない」
「え?」
「もはや帯刀も許されぬ世の中となっているのだぞ? そのような
左近次は言葉を失ったのか、しばらく黙って勝母を見つめていた。
「おい、天狗。何を呆けている?」
「いえ……今更ですが、花柱が私よりも若いと気づきました」
「なんだ、それは。いきなり年寄りになったみたいに…」
勝母は笑った。
思えば左近次とのつき合いは柱となる前からなのだから長いものだ。
生き続けていくことが難しい鬼殺隊において、長くつき合える友は多くない。たいがいは先にどちらかが死ぬのだから。
「さて、私は行くぞ。
勝母は悪戯っぽく笑いながら、左近次の肩を叩いて立ち上がる。茶屋の娘に左近次の分までお代を払うと、足早に歩き始めた。
左近次は面の中でふっと笑みを浮かべていた。
柱になったばかりの頃は、周囲すべてを威嚇するかのように頑なで、まだまだ幼い自分を守ることに必死な、青臭い小娘だった。
だが年月を経て確実に成長している。
近くにいてなかなか気付けなかったが、あるいは東洋一が戻ってくれば、勝母の変わりように驚くことだろう…。
「……見てみたいものだな」
左近次はお茶を飲み干して、つぶやいた。
◆◆◆
桜もすっかり散って若葉を茂らせ、袷の着物も暑くなってきた頃―――
勝母は懐かしい人に会った。
「あら、五百旗頭さん! お久しぶりです」
町中でこうまで親しげに話しかけてくる女は勝母の知る限り一人だけだった。
「…あんた……久しぶりだな」
勝母は紫格子に小花をあしらった、若干少女めいた里乃の着物姿に違和感を感じつつ、とりあえず挨拶を返す。
「相変わらず、のようですね」
勝母の隊服姿を見て、里乃は少しぎこちない笑みを浮かべる。
「でも、元気で過ごされているようで、よかった」
「あぁ。あんたは?」
足を失った東洋一の姿を見て驚愕し、逃げてしまった里乃。東洋一がこの国を出る前に別れたと聞いている。
「私は…引っ越しの準備中です」
「引っ越し?」
よく見れば、里乃は風呂敷包みを背にかかえていた。
「どこに行くんだ?」
「夫の在所です」
「………夫?」
「はい。結婚したんです、私」
晴々とした里乃の顔に、勝母は言葉をなくした。
東洋一と一緒の時にはずっとどこか悩んでいるような、不安そうな様子であったのが、すっかり消えている。
「……そうか。良かったな」
とりあえずそれしか出てこなかった。
今、ここに東洋一がいたらどう言っただろう?
おそらく同じようなことを、勝母よりももっと、嬉しそうに言っていたに違いない。………本心ではなかろうが。
里乃もまた勝母と同じく東洋一のことを思い出したらしい。
「……私のこと情けない女だと思いませんか?」
目を伏せて、小さな声で問いかけてくる。
「東洋一さんのこと…足を失くして大変なのに、放り出して…」
「それは私がどうこう言う問題じゃない。あんた達が出した答えを、他人がどうこう言う義理はないだろう」
里乃は微笑みつつも一瞬、逡巡した様子で、それでも思いきったように言った。
「あの…足を失うちょっと前に、東洋一さん、一緒になろうか…って言ってくれていたんです」
「は? え…そうなのか?」
勝母は驚いた。
正直、あの男がそんなことを言うのが想像できない。
「はい。でも、私…怖くて…」
「怖い? なにが? …あんた、東洋一と
勝母が問いかけると、里乃は表情を曇らせた。
「ずっと、不安だったんです。切り火をして送り出して、この人はちゃんと帰ってくるんだろうか…って、いつもいつも怖くてたまらなかった……」
「それは…だったら、ちょうどよかったはずだ。あいつが足を失くしたのなら、もう仕事は出来ないのだし…」
「でも、私はあの姿を見た時に逃げちゃったんです。怖くて…もう無理だって、思ってしまった。この人と平穏に暮らす事はできないだろう、って。もう……耐えられなかった」
何かを押し殺した言葉は、かすかに震えて聞こえた。
里乃はきつく唇を噛み締めた後、無理に笑顔をつくった。
「そういう情けない私だから、東洋一さんから別れよう、って言われて…」
「それは……」
勝母は言いかけて口を噤んだ。
あの男のことだ。
足を失って生活するのにも大変なのに、里乃に迷惑をかけたくない…などと考えたのだろう。
まったく。肝心な時に妙な遠慮をする。
俯いて黙り込んでしまった勝母に、里乃はもはや未練のない清々した顔を見せた。
「十分に、大事にしてもらいました。私には勿体ないくらい…」
よいしょ、と風呂敷包みを背負い直して、頭を下げてくる。
「それじゃ、これで。また会えるといいですね」
「あぁ……。…おい、待て!」
ぼんやりと見送りかけて、勝母は呼び止めた。
あわてて懐から財布を出す。
「これ! 餞別だ。持ってけ」
剥き出しのまま里乃にお金を押し付ける。
里乃は遠慮して手で制したが、勝母は無理矢理、襟の間に突っ込んだ。
そのまま返す暇も与えずに背を向けて歩き出す。
「ありがとうございます!」
後ろから里乃の声が響いた。
歩きながら、怒りとも悔しさともつかぬ複雑な気持ちがモヤモヤと胸に溜まった。
好きあっているだろうに、どうしてあの二人はそういう選択をしたのだろう?
……理解に苦しむ。
屋敷に戻ってくると、志摩がニコニコと出迎えた。
「なんだ?」
少し苛ついた口調で問うと、志摩はおどけた顔をする。
「おや、ま。ご機嫌の悪いこと。でも、すぐに良くなりますよ」
「は?」
「那霧のお坊ちゃんからの手紙がまた届いてます。机の上に置いておきました」
「……わかった」
勝母はさっさと手足を拭いて、自室へと向かった。
文机の上にはいつものやや黄色っぽい封筒がある。
勝母は手に取ってからしばらく見つめていた。
―――――怖くて…もう耐えられなかった……
なくなった東洋一の足を見て逃げた里乃。
あれは里乃の中に積もっていた不安が、現実となったことへの驚愕と恐怖だったのかもしれない。
愛しい人が死ぬかもしれぬ恐怖を抱いて暮らすことは、待っている身からすればきっと不安でたまらぬのだろう。
勝母の脳裏に毎日、神棚に供え物をして、長いこと祈っていた母の姿が浮かぶ。
あの時、きっと母は父の無事だけを祈っていたのだろう。
いつ来るともしれぬ父を待って、待って、待ち続けて……その先に、待ち受けていたのは――――
ぴちゃん、と響く滴。
紅く光る瞳と、ぐらりと揺れて落ちた首。
真白い母の顔は覚えていないはずなのに、微笑を浮かべていた気がする―――…
「…………」
勝母の顔は冷たく固まった。
父を殺すその日まで、鬼狩りを続ける。
だが、死は突然やってくるものだ。
「お前は……耐えられるのか?」
癖のある字を見つめながら、勝母は尋ねた。
その答えを想像して、ゾワリとうなじが寒くなる。
自分にこんな感情があるなんて…。
勝母は苦々しい気持ちを噛み潰して、手紙の封を開けた。
<つづく>