椿の涙<鬼殺隊列伝・五百旗頭勝母ノ帖>   作:水奈川葵

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二十三.風波見の終焉

 普段ならそんなことを訊くはずもないのに、思わず問うてしまったのは、やはり少なからず里乃との会話が気になっていたからかもしれない。

 

「賢太郎、お前の妻はお前が鬼狩りをすることに、何か…言ったりすることはあるのか?」

「……はい? どういうことです?」

 

 賢太郎が問い返したのは無理もないことだった。

 普段から余計な話などすることもない勝母が、いきなりそんなことを言ってきたのだから。

 

 すぐに勝母は自分が集中を欠いていることに気付いた。

 

「いや…すまない。気にするな。忘れろ」

 

 誤魔化して勝母は再び書状へと目線を戻す。

 

 賢太郎も同じように隠からの書状に目を通していたが、そのまま静かに言った。

 

「妻は、私のことに興味は持ちません」

「何だって?」

「息子が生まれてからは…そちらにばかり気が向くものです。母親であれば、当然のことでしょう」

「あ…あぁ、そうか…」

 

 自分にはやはり縁遠い話だった。

 勝母は途端に気恥ずかしくなって、話を変えた。

 

「そういえば、風の隊士の死亡が続いている件についてはどうなった?」

 

 賢太郎はふっと表情が曇った。

 

「はかばかしくない状況にて…申し訳ございません」

「いや。お前が個人として調査するにも限界はあるだろうし、このまま続くのも由々しき事態だ。新たな隠の別働隊に探らせる手もある」

 

 賢太郎は俯いて黙り込んだ。

 やはり、左近次の睨んだ通りなのかもしれない。

 

 長い鬼殺隊の歴史において、残念ではあるが、隊を裏切って鬼となる者達は度々現れた。

 彼らが鬼に()()()()()のか、自ら鬼となる道を選び取ったのかは、正直なところわからない。

 

 だが、戦国時代に始まりの呼吸の剣士の一人が、当時のお館様の首級をとって無惨への土産とした…という卑劣・非道な行為をしたがために、以降、鬼に寝返った者については『裏切者』と呼ばれることになったという。

 

 裏切者の存在は隊内における()でしかない。

 故にこそ、裏切者を出した一門はこぞってこの鬼を抹殺しようと躍起になる。

 この攻防において、生身の人間である隊士の死亡は当然、増加する。

 今の風波見一門のように。

 

 勝母はふぅ、と溜息をついた。

 

「次の柱合会議で、裏切者を出した育手の切腹は不要とすることを、提案しようと思っている」

「……え?」

「そもそもが不合理な掟だ。意味もない。切腹して、裏切者が死ぬならまだしも…鬼は嘲笑っているだけだろう」

「花柱…」

「だからな。お前がすべてを背負う必要はない。裏切者などと言ったところで、鬼は鬼だ。粛々と成敗するだけだ」

 

 賢太郎は苦い笑みを浮かべた。

 

「それがたとえ鬼となっても、救いたい相手であっても……ですか?」

「……どういう意味だ?」

 

 勝母はピクリと眉を寄せる。

 賢太郎が指すその鬼が、自分の父のことを言っているのかと思ったからだ。

 

「いえ…仮定の話です」

 

 賢太郎はすぐに訂正し、続けた。

 

「しかし、花柱。もし、切腹不要と布告しても、育手は腹を切るでしょう。不義なる弟子を育てた責任は免れられるものではない。あれは掟ではなく、育手の矜持が切腹という道を選ぶのです」

「………お前もそうだというのか?」

「私は違います。私は……別のやり方で責任を取ります」

 

 いつになくきっぱりと、思い詰めた顔で断言する賢太郎に、勝母は妙な胸騒ぎがした。

 

「我らには手を出すなということか?」

「もし、いるとすれば…ということです」

 

 あくまでも裏切者が存在することは認めないらしい。

 勝母はジロリと睨んだ。

 

「貴様たちの一門が何をしているのかは知らないが、私が手を出さぬと思うなら違うぞ。鬼となれば、元が誰であれ、容赦するつもりはない」

 

 賢太郎はじっと勝母を見つめた。

 

「あなたがその痛ましい覚悟をするに至ったこと……感服します」

「やめろ。そんなことじゃない」

 

 勝母は賢太郎の目に浮かぶ憐れみに苛ついた。

 どうも調子が狂う。

 賢太郎から裏切者がいるという言質をとろうと思っていたのに、いつの間にか話がすり替わっている。

 

 今日のところは諦めよう…。

 勝母は踵を返し、部屋を出ようとしたが、ガシリと腕を掴まれた。

 

「……なんだ?」

 

 怪訝に振り返ると、賢太郎は項垂れていた。表情は見えない。

 

「おい…離せ」

「さっき…どうして、妻のことを聞いてきたのです?」

 

 先程までと打って変わった、ひどく暗い声で尋ねてくる。

 

「特に意味はない…」

「妻のことなど…今まで訊いてきたことなどなかったのに。なぜですか?」

「大して意味なんかない。離せ」

 

 勝母は振りほどこうとしたが、賢太郎は離さなかった。

 俯いたまま、妙に切羽詰まった声で訊いてくる。

 

「花柱…もし、僕が…鬼となっても…躊躇なく手をくだせますか?」

「………あぁ」

「じゃあ、もし…貴方にとって大事な人が鬼となったら?」

「…………」

 

 勝母は自分でも不思議なことに言葉を失くした。

 賢太郎の質問と同時に、脳裏に浮かんだ旭陽(あさひ)の姿が喉を詰まらせる。

 

「やっぱり……」

 

 賢太郎は腕を離すと、顔を上げた。

 

「そういう人がいるんですね」

「違う……」

「そんな顔で否定されても」

 

 クスクスと、賢太郎は自嘲気味に笑った。寂しい微笑だった。

 

「やめろ、賢太郎。お前、一体何を考えてるんだ?」

 

 勝母は困惑していた。

 掴まれていた腕が少し痛い。

 

「ありがとうございます、花柱」

 

 賢太郎はいきなり深く頭を下げた。

 

「は?」

「先程、仰言って下さった言葉です。すべてを背負う必要はない、と。………嬉しかったです」

 

 賢太郎の目はやさしく潤んで、勝母を見つめていた。

 

 ふい、と勝母は視線を逸らせた。

 面と向かって言われると、なんだか気恥ずかしい。

 

「当然だろうが、そんなことは」

 

 つぶやくように言って、早足でその場を立ち去る。

 背中に視線を感じながら、勝母は必死に無視した。

 

 後になって、あの時振り返れば賢太郎はどんな顔をしていたのだろうか…と思った。

 

 それが、賢太郎を見た最後だったから。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 風柱、死亡。

 

 しとしとと雨が降り続く梅雨の朝、勝母は任務から帰る途中にその報せを受けた。

 

 自邸に戻らず、直接産屋敷邸に向かうと、当主の輝久哉(きくや)は案の定、驚愕して心痛から寝込んでしまっていた。

 ここ最近は産屋敷一族特有の病が進行して、体調が思わしくなかったので、仕方ない。

 

 勝母のほかには霞柱、(いと)柱、岩柱、炎柱が既に来ていた。

 他はまだ任務から帰投していないらしい。

 

「上弦か?」

 

 勝母が問うたのは、賢太郎の腕でそうそう簡単に下弦以下の鬼に殺られるはずもないと思ったからだ。

 

「いや…どうやら違うようだ」

 

 神妙な顔で答えたのは霞柱・香取(かとり)飛鳥馬(あすま)だった。

 顔色はひどく悪い。

 

「風柱が戦っていた相手が鬼なのかどうかも…不明だ」

「どういうことだ?」

「風柱が戦っているところを偶然見ていた隊士によれば、相手も風の呼吸を使っていたというのです」

 

 岩柱・中邑(なかむら)兵吾(へいご)が渋い顔で話す。

 勝母は眉を寄せた。

 

「馬鹿なことを言うな。何故、風の呼吸遣いが風柱と立ち合って殺すのだ」

「………理由があれば、有り得ることでしょう」

 

 冷たく言ったのは絲柱の矢島(やじま)登和(とわ)だった。

 

「理由? なんの?」

「それは私が存じ上げるはずないことです。けれど風柱に勝てるような風の剣士が()()鬼殺隊にいるはずもない」

「……どういう意味だ? 誰のことを言っている?」

 

 勝母はギロリと登和を睨みつけた。

 

「さぁ…? 花柱には、どなたか思い当たられる方がいらっしゃいますのか?」

 

 白々しくうそぶく登和に勝母は反論しかけたが、ふと、先日の賢太郎との会話を思い出す。

 

 ―――――それがたとえ鬼となっても救いたい相手であっても……ですか?

 

「………まさか」

 

 小さくつぶやいた。

 

 あの時、賢太郎の心にいたのは誰だ?

 一体、誰のことを言っていたのだろうか?

 

 固まった勝母の代わりに口を開いたのは、日頃は一切口出しすることのない炎柱・不知火(しらぬい)(たつみ)だった。

 

「みだりに憶測で物を言うものではない、絲柱」

 

 珍しく物言う炎柱に、登和は驚いたように目を向けてから、ツンと言い放つ。

 

「私は可能性を言ったまでです」

「………」

 

 それ以上、議論する気はないとばかりに、巽はいつものごとく目を閉じる。

 

「その隊士は? 療養中か?」

 

 勝母が気を取り直して尋ねると、中邑は首を振った。

 

「それが…かろうじて隠が来るまでは持ちこたえたのですが、風柱のことを伝えた後に事切れたようです」

「つまり…賢太郎と対峙していたのが、風の呼吸を使っていた…ということだけは確かだが、それが鬼であったのか人間であったのかもわからない…そういうことか?」

 

 中邑は頷いてから、補足する。

 

「昨今の風の剣士の死亡や行方不明の多さからすれば、今回の件も関係があるのやもしれません。風柱は認めなかったようですが、あるいは裏切者が出たのかも…」

「たとえ裏切者であったにしろ、あの風柱がやすやすと負けることなどあるとは思えませぬ」

 

 登和が再び口を開く。

 

「いちいち回りくどいな、絲柱。篠宮(しのみや)東洋一(とよいち)が怪しいと、はっきり言ったらどうだ」

 

 勝母がとうとうその名を出すと同時に、タンと襖が開いて天狗が姿を現した。

 

「遅いぞ、左近次」

 

 声をかけると、左近次は軽く頭を下げる。

 

「途中の橋が川の増水で通れなくなっていたものですから。それより東洋一さんがどうかしましたか?」

「風柱を死亡させたのが篠宮東洋一ではないか…と、絲柱はお考えのようだ」 

「あのひとが?」

 

 左近次は聞き返し、ふっと笑った。

 

「どうしてそんな奇妙なことを考えつくのでしょうかね。まさか、東洋一さんが鬼になったとでも?」

 

 登和は冷たい目で左近次を睨んだ。

 

「……先月、鬼に襲われた風の剣士を看取ったのだ。その男は今際(いまわ)(きわ)に言っていた。『すべては篠宮のせいだ』と…」

「それ、僕も聞きました」

 

 ひょっこりと、いつの間にか来ていた式柱が顔を出す。

 

「ちょうど鬼を殺した帰りに登和さんと一緒になって、たまたま見つけたんですよねー。死にかけの風の呼吸の人」

 

 一伊はあくまでも軽い調子で話す。

 

 勝母は眉間を押さえた。

 

 正直なところ勘弁してほしい。

 風柱の不在だけでも相当深刻な事態だというのに、この上、篠宮東洋一が賢太郎を殺した…など。まして裏切者の鬼になったなど、考えたくもない。

 

 だが、あの時の賢太郎の悲しそうな、苦しそうな顔が問いかけてくる。

 

 ―――――貴方にとって大事な人が鬼となったら?

 ―――――躊躇なく手をくだせますか?

 

 明確な答えは出なかった。

 この時に勝母自身も迷ったことで、風柱を殺したのが篠宮東洋一であるかのような噂がまことしやかに流れた。

 しかも賢太郎の死後、ますます風の剣士の死亡や行方不明は増え、新たなる風柱を擁立することなどまったく不可能となった。

 

 ただでさえ梅雨時期は曇りがちで、鬼が昼にも出没して忙しいのだ。

 柱が一人いなくなり、負担は増大した。

 任務に忙殺され、噂話の真偽について調査する暇もなく過ごしていた時に、再び驚天動地の報せが届いた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「お館様が…自害されました…」

 

 震える声で告げた隠の言葉を、勝母はしばらく信じられなかった。

 微動だにせず、何度も頭の中で反芻してようやく口を開く。

 

「……なぜ?」

風波見(かざはみ)家から…鬼殺隊と絶縁するとの書状が届きました。お館様宛てに」

「なんだと!?」

 

 勝母は声を荒げた。

 

 一体、風波見家では何が起こっているのだろうか?

 

 隠はポタポタと地面に涙を落としながら話し続けた。

 

「お館様は…その書状をご覧になって…ひどく心を乱されて。自分には鬼殺隊を統べる資格がない…と、書き置きして…」

 

 勝母は拳を握りしめた。

 ポタ…と、血が滴り落ちた。

 

「……花柱様」

「任務完了後、すぐに向かうと伝えよ」

 

 勝母は平坦に言った。

 隠は「はっ」と短く返事して、早々に立ち去る。

 

 ぽつり、とまた雨が降り始めた。

 見上げれば、陰鬱な空から雨粒が落ちてくる。

 見る間にその数は増えて、勝母の顔をしとどに濡らした。

 

「なぜ、こうも続く……?」

 

 つぶやいた声は弱々しく、激しい雨音の中に消えた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 そこからの数ヶ月の間、勝母を始めとする柱達は忙殺された。

 

 新たなお館様となった聡哉(さとや)はまだ四歳で、父の輝久哉から産屋敷の持つ宿命すらも教えてもらっていなかった。(それは、子供の間は余計な不安にさいなまれることなく、のびのびと過ごしてほしい…という輝久哉なりの親心であったのだが)

 

 母である眞砂子らによって、早急に鬼殺隊の()たるお館様としての教育が進められはしたが、それでも一日二日で成し得ることではない。

 

 その上、柱の人数は賢太郎の死や、怪我による引退、療養、病気なども含めてまともに動けるのが五人にまで減った。

 新たな柱を補充をしようにも、まだ甲における実績のない隊士が多く、無理に柱に据えたところでたちどころに鬼に殺されるのは目に見えている。

 

 風波見家については、あまりに急過ぎる絶縁の説明を求めたものの、一切の返答はなかった。

 風波見家で継子であった者達にも連絡をとらせたが、彼らに対しても風波見家―――賢太郎亡き後、実質的には母であるツネが取り仕切っていたようだ―――は門を閉ざした。

 

 賢太郎の死後もなお風の剣士を狙った殺害は続き、この頃になると、その数は十指に満たぬまでに減少した。

 

「このままであれば、確実に風の呼吸は絶えるでしょう」

 

 深刻な顔で言ったのは中邑だった。

 

「風の呼吸の育手は何人いる?」

「四人。しかし二人は御老体です。これ以上、弟子をとるのは難しいとのこと…」

「現在存命中の隊士の中で、育手となれそうな者は?」

「……一番高位の者でも辛止まりです。今後の任務がこなせるかどうかも…。この間も、一人は行方は晦ましたようです」

 

 風の剣士であることで狙われると噂が流れ、中には逃亡して失踪する隊士もいた。

 

「長い鬼殺の歴史の中で、消えた呼吸の技は数知れずあるが…」

 

 勝母はつぶやいて、深い吐息を漏らす。

 

 呼吸の技は一朝一夕に出来うるものではない。

 無論、勝母の祖母などのように自ら創技して生み出していく者もいるが、何世代もに渡って伝えられ、その都度に練熟されてきた古来からの技の精度と威力は、遣う者によって百倍にも二百倍にもなりうる工夫がされている。

 

 水の呼吸なども比較的平易に習得できる構成となっているが、自らの修練でより研鑽するほどに、攻撃力も増すように出来ている。

 それとても、最初からそうだったのではなく、数世代に及ぶ研究と実践の成果だ。

 

「風の呼吸を消すわけには参りません。風柱様の…風波見の伝えた技を、なんとしても残さねば……」

 

 そう話す中邑の脳裏にいる風柱とは、賢太郎ではなく先代の周太郎のことであろう。

 

 勝母には一人、心当たりはあったが、その当人が賢太郎を殺害したという疑いをかけられ、現在は行方不明とあっては、如何(いかん)ともし難かった。

 

「いずれにしろ、今は風にこだわらず、隊士全体の質を高めて、柱となるべき者を育てることが急務だ。そうでなければ、あの三柱の頃の悪夢が甦ることになる。まだお館様も幼い今、我らが踏ん張らねば…鬼殺隊は滅びかねん」

 

 勝母はとりあえず風の呼吸の件については保留にした。

 いずれ、ひょっこりと()()()が帰ってくるかもしれない。

 その時を逃さないようにするまでだ。 

 

 その後、絲柱であった矢島登和、岩柱の中邑兵吾が相次いで鬼との戦闘によって命を失うと、柱の数はとうとう五人となった。

 しかも、霞柱である香取飛鳥馬の体調は日に日に悪く、任務を連続でこなすことが困難となっていた。

 

 鬼殺隊の衰亡が目前にまで迫る中、勝母はとうとうその鬼と対面した。

 

 

「お久しゅう…父上」

 

 

 

<つづく>

 

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