「花柱様はいったい、いつになったら治るんですかね?」
いつになく不機嫌に言ったのは式柱の
いつもなら軽口を叩いて重苦しい空気をまぜっ返すのだが、さすがにこのところの過重任務にその余裕もない。
花柱・
それから三ヶ月。
いまだに花柱が復帰する気配はない。
医者だけでなく、珍しく長い療養をしている花柱を気にかけて、お館様の使いとして執事の
「困ったものです。こちらとしても、花柱は重鎮であられるのですから、そうそう長く引き籠もっておられては……幼いお館様も不安に思われておいでです」
惟丞は花柱の居宅たる
すると普段は無口極まりない炎柱の
「つまり執事殿は我らだけでは不安でたまらぬ、と申されるのか?」
「そ、そんなことは…」
惟丞は静かに威圧してくる炎柱にあわてて取り繕った。
「ただ、少しばかり花柱様にしては療養も長いので……柱の方々のお仕事にも支障が出てきておりますし」
「執事が柱の仕事について口挟む必要はない」
にべない巽の言葉に惟丞は押し黙った。
そこに一伊が重ねて嫌味を言う。
「そもそもさぁ、なんだって執事が柱合会議に出しゃばってきてんの?」
「それは…まだ幼いお館様の……」
まだ五つでしかないお館様を、世話する執事が心配するのは無理もないことだった。しかし一伊は最近の鬱憤をここぞとばかりに、執事への嫌味に転換させる。
「なんだい、僕らはいちいち執事殿を介さないと、お館様とお話しすることもできないってこと?」
「そのようなことは…!」
惟丞は驚き、あわてて弁明しようとしたが、鎮座していた幼きお館様たる
「惟丞、あっちに行ってて」
幼くして鬼殺隊の親ともなったお館様である聡哉は、その名に違わず聡明な気質であった。惟丞を下がらせると、一伊ら柱に謝った。
「ごめんね、一伊。怒った?」
「いえいえいえいえ! すみません、八つ当たりしちゃって!」
これにはさすがの一伊も恐縮して、かえって頭を下げてから、胡麻化すように話を無理やり元に戻した。
「いや、そもそもは花柱様が問題なんだよ。なんだって医者にも見せずに、いつまでも休んでるのさ? もう復帰できないくらいひどい状態ってこと? ねぇ、どうなんです? 水柱様」
急に自分に問われて、水柱・鱗滝左近次は眉を寄せる。
「なぜ私に聞く?」
「花柱様の世話係だから」
「なにを勝手なことを…」
左近次の抗議も一伊は無視して、先へと話を進める。
「まだ花鹿屋敷には行ってないんですかぁ? そろそろ僕も倒れそうなんです。早く治して戻ってくるように催促して下さいよ」
「お前が行くという選択肢はないのか?」
「僕が行ったって、どうせ門前払いか、そうじゃなきゃ叩き出されます。だいたい下弦程度にやられるような人じゃないんですから、こんなに療養が必要なわけないんです。問題はたぶん別にあるんですよ。早くしないと、それこそ悪夢の三柱時代に逆戻りですよ。霞柱様の体調もよくないみたいなんですから」
霞柱である
このままでは確かに一伊の言う通り、先々代の風柱の頃の、鬼殺隊最大の危機となった三柱の頃に戻ってしまいかねない。
「とにかく」
一伊はビシリと左近次に人差し指を向ける。
「水柱様は花鹿屋敷に行って、花柱様にとっとと戻ってくるように説得してきて下さい。その間に僕は炎柱と次に柱になれそうな隊士がいないか、物色しておきますから」
普段であれば一伊の指示で左近次が動くはずもなかったが、今回ばかりは言う通りにした。
というのも一伊の疑問については、左近次も考えていたからだ。
花の呼吸の最終奥義によって失明したというが、あの花柱にそこまでの技を出させるような鬼が下弦にいたというのだろうか?
どうも腑に落ちない。
夜の任務前に花鹿屋敷へと向かいながら、左近次は今回の勝母の長い休養について推測した。
もし ――― あまり考えたくないが ――― もし勝母が、鬼となった実の父に、とうとう出会ったのなら?
天狗の面の中で、左近次は顔をしかめる。
勝母が己の母と弟、初代の花柱である祖母を殺した父親に、凄まじい憎悪を抱いていたことは知っている。だが同時に、父親への複雑すぎる思いを抱えていたことも、左近次は感じ取っていた。
復讐を果たしたことで、勝母が清々しているなら、とっくに姿を見せているだろう。
失明していようが、今後の出処進退について、お館様はじめ自分たちに言わずに放っておくなどありえない。
あれで責任感は人一倍強いのだ。そうでなければ、柱の筆頭など務められるはずがない。
だがいまだに勝母は姿を見せない。だけでなく、誰に会おうともしない。
その理由が父を殺したことへの
はたして、今から自分が会いに行くことすら正解なのか、わからなくなってくる……。
天狗の面が俯く。
徐々に重くなっていく足を進めていくと、やがて花鹿屋敷へたどり着いた。
しかし、その門前に佇む人影に足を止める。
しばらく見つめていると、視線を感じたらしいその男が振り返った。
「ヒャアッ!」
仰け反ってへなりとしゃがみこんだ男は、天狗面の左近次をまじまじと眺めたあとにヘラッと笑った。
「あぁ…天狗さん。お久しぶりです」
男 ―――
◆◆◆
――――
最期の最後で呼ばれた名前は、復讐を決めたときに封印し、二度と呼ばれることもないと忘れていたものだった。
けれど皮肉なことに父を殺したと同時に、その名は息を吹き返した。
勝母にその名を与えてくれた、その人によって。
聞こえないように耳を塞いでも、聞こえてくる。
何度打ち消しても、呼びかけてくる。
それはとても優しい、幼き日の勝母が恋い慕った父の声。父の言葉。
恨めしかった。
惨めだった。
長く枷であった父への復讐。
その成就は勝母にとって待ち望んだ勝利であり、祝福であるはずだった。
それなのに今の自分に何一つとして喜びはない。
母と弟を残忍に殺され、闇に降る雪の中、立ち尽くしていたあの日と、何も変わっていない。
それでも、もう叔母の呪詛のような言葉は、聞こえなくなっていた。勝母が父を討ったことで、勝母の中に巣食った彼女の執念は消えたのだろうか。
代わりに何度も思い浮かぶのは、鬼となる前の父の姿だ。
幼い勝母に背を向けるだけだったその広い背中でさえも、勝母には懐かしく慕わしい。
―――― 父上は、
幼い勝母の問いかけに、父は渋い顔で言った。
―――― 父などと…思っておらんだろうが……
幼い娘に自分の気持ちをうまく伝えられず、もどかしそうな父の姿。
―――― お父様は本当に伝えたいと思うことが、上手に言えないの……
母はいつもと同じようにやさしく言いながら、楽しげだった。
不思議そうに首をかしげる勝母に、まるでいつかその時が訪れることを予知していたかのように言った。
―――― あなたがもう少し大人になれば、きっとお父様の優しさに触れることができますよ……
なんて皮肉なんだろうか。
父を殺した後で、父の優しさを知るなんて。
首を落としたあと、
―――― 何を…泣く…
低く、かすれた声は、思ってもみないほどにあたたかくて。
親を殺したことに動揺し、自らの罪に震える娘を、安心させるように。
お前に罪はないのだと。お前は間違っていないのだと。
だから―――……
―――― 父と…思うな……
最期の最後まで、すべての罪は自分なのだと言って、消えた。
勝母の長い闘いは終わった。
そう。
終結は勝母にとって自分自身の淘汰を意味している。
もう勝母には、自分がなんのために存在しているのかわからなかった。ひたすら修練して鬼狩りとしての強さを追い求めた日々が、一気に虚しくなった。
鬼狩りとなって、強くなって、より強くなって、やがて柱となった。
すべての鬼殺隊士の頂点。
鬼でさえも震える超強の剣士。
だが、だからといって、それが……なんだ?
鬼殺隊士として、裏切者である鬼を葬っても、それはただこれまで積み上げてきた戦績の一つでしかない。
―――― ……研鑽を積み、技を磨く。それは何のためにそうしているのか…
不意によみがえってくる故風柱・
あのとき、自分はなんと答えたろう?
わからない。もうわからない。
なにも。
耳を塞ぎ、見えない目を瞑り、ギュッと身を縮める。
だが、周太郎の問いかけが鋭く勝母を刺す。
―――― 殺して成就したあとは?
急に自分が果てない谷底に落ちていくように、勝母の血の気がスゥゥと引いていった。
いきなり闇に放り出された幼子のように、泣き叫びそうになる。
手を伸ばしても、もはや父は助けてくれない。
勝母が殺したから。
とうとう一人になった、と勝母はぼんやり思った。
憎み続けている間、父は勝母にとって最大の仇敵であると同時に、常に自らの
自らを形作った親として恨み、
もういない。
もう、どこにも。
一人……たった一人、黙念と薄暗い部屋の中で、虚無を見つめる。
「勝母様」
志摩が襖の向こうから呼びかけてきた。
「勝母様、水柱様と……」
「会わぬ。引き取ってもらえ」
にべない勝母の返事に、志摩は口を噤み、静かにその場から離れた。
誰も来てほしくなかった。
一人で、そっと弔いたかった。
父と、積年の恨みと憎しみの果てに、息絶えた自分を。
<つづく>
次回は2023.02.18.投稿予定です。