椿の涙<鬼殺隊列伝・五百旗頭勝母ノ帖>   作:水奈川葵

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二十六.最強に宿る虚無

「今は会いたくない…と」

 

 志摩に言われた鱗滝左近次は、しばらく身じろぎもせず立っていた。しかし突然、草履を脱いで上がりこむと、あわてて止める志摩の声も訊かずに、閉じられた襖という襖をすべて開け放ちながら、花鹿(かじか)屋敷の中を歩き回る。

 

 北東にある小さな部屋の襖をパンッと開いたとき、左近次の目に飛び込んできたのは、薄暗い部屋の隅で、小さく縮こまった勝母(かつも)の姿だった。足音が聞こえていただろうに、その顔に左近次が来たことへの驚きも、不快もない。

 

 ただ、空虚なだけだ。

 

 左近次は勝母の前に立つと、見下ろした。

 いつもであれば、勝母は下からジロリと左近次を睨み上げていただろう。

 幼い頃からの無理な修練がたたってか、勝母は同じ年頃の娘に比べても小柄だった。だから、今こうして左近次がしているように見下されることを嫌った。

 背を伸ばすことは無理でも、気迫においてだけは負けまいとするかのように、鋭い視線を返してきていた。

 

 だが、今、勝母はぼんやりと宙を見つめるだけだ。

 

 左近次は微かに吐息をついた。

 

 やはり ―――― 勝母は積年の仇である父親を討ったのだ。そうして、その勝利は勝母にとって喜びではなかった…。

 

 燃え尽きたかのように、何の感情もなくなった勝母の弱々しい姿を見て、左近次は確信した。

 

 ぶっきらぼうで、しばしば皮肉めいたことを言う勝母の性格の裏にある、素直で真面目な人柄を左近次は知っている。

 ときに純真無垢とすら感じるほどに。

 そんな勝母が肉親を殺すことに、なんらの痛痒も感じないわけがない。

 

 傷つくのがわかっていたからこそ、かつて岩の呼吸を使う鬼が現れたと知って出奔した勝母を止めるために、篠宮(しのみや)東洋一(とよいち)は探し回って連れ戻した。

 決して彼女に父親を殺させてはならない…と、かつての風柱・風波見(かざはみ)周太郎(しゅうたろう)も言っていた。もし、勝母が父を討つことになれば、壊れてしまうだろう…と。

 

 そうして今、あのときの風柱の ――― 周太郎の憂慮は現実のものとなっている。

 今は、もう東洋一もいない。

 

 自分がその任にないことをわかっていても、左近次は勝母を再び奮い立たせねばならなかった。ここで彼女に抜けられたら、鬼殺隊は遠からず滅びる。

 

 深呼吸して、左近次は勝母に言った。

 

「すっかり…自らを失ってしまわれたようだ」

 

 抑揚のない冷たく聞こえる声音にも、勝母の表情は変わらない。

 

「……目が…見えないんだ…左近次」

 

 長い沈黙の後、小さく、か細い声で勝母がつぶやく。

 

 左近次は腰を降ろし、勝母の目をじっと見つめた。

 確かに言う通りらしい。まったく目が合わない。

 右目に至っては、真っ赤に染まったまま瞳孔が固まっていた。左目は黒く、問題ないようだが、そこに左近次の姿は映っていないらしい。

 

「さすがに盲目では、何もできまい。もう…育手となることも」

 

 自嘲めいた笑みを浮かべて勝母が言う。「情けない…ことだ……申し訳ない」

 

 細かく唇を震わせて謝る勝母の目からは、涙があふれた。

 頬を伝う透明な雫は、声にならない勝母の叫びのようだった。

 

 左近次は自らの無力さに唇を噛みしめ、心の中で勝母に詫びる。―――― 非情なことだ、我ながら。

 

「失明したと聞いておりますが、一度、医者に()てもらう必要があるかと思い……今日、連れて参りました」

 

 心中の苦渋を隠して、左近次は平坦な口調で話す。

 

「医者?」

「そうです。あなたに医事の心得があることは存じておりますが、こればかりは他者に診てもらわねば、回復する手立ても講じられません」

「そんなもの…無理に決まっている」

「とりあえず、診察を受けて下さい。先生、こちらに」

 

 左近次はずっと廊下で立ち尽くしていた()()に声をかける。 

 

 勝母の状態を見て、呆然としていた医者 ――― 那霧(なぎり)旭陽(あさひ)は、おずおずと部屋の中に入ると、勝母の前に座った。

 ゴクリ、と唾を飲み込む。

 じっと見つめたが、勝母の反応はない。やはり目が見えていないようだ。

 

 旭陽は唇を噛みしめ、膝の上で手を握りしめる。

 難しい顔でしばらく押し黙っていたが、深呼吸を一つすると、決然と勝母を見た。

 顔の前で指を二本たてて、ゆっくりと上下左右に動かしながら尋ねる。

 

「……何本かわかりますか?」

 

 勝母は少し首をかしげた。

 なんとなくその声がひっかかった。しかし違和感の理由はわからず、静かに答える。

 

「……わからない」

 

 旭陽はカバンから小さな箱を取り出し、その中からガラスで出来た燈火器(とうかき)を出した。

 一体何であるのか聞きたそうにする志摩に、シッと口の前に指を立てる。

 カチャカチャと慣れた様子で準備してから、左近次に耳打ちした。

 

「すみませんが、部屋の襖を閉めて下さい」

 

 左近次は頷いてすぐに襖を閉めて回った。

 庭からの光が遮られ、また部屋が暗く沈む。

 

 旭陽はマッチを()って、火を灯すと、ガラスの火屋(ほや)をかぶせた。

 明るく、ガラスを通した複雑な光の揺らめきが部屋に広がる。

 

 旭陽は勝母の顔をもう一度窺ったが、やはり表情に変化はない。

 

「火をつけたのか?」

と、尋ねてきたのは、少しキナ臭い匂いがしたからだろう。

 

「大丈夫ですよ。危ないものではありません」

 

 旭陽が再び朗らかに言うと、勝母はピクリと眉を寄せる。

 

 そうっと旭陽は勝母の目の先に灯りを持っていった。

 静かに、それぞれを両目の前に持っていっては、しばらく止めてじいっと勝母の瞳を窺う。

 

 旭陽はふぅと息をついて燈火器を降ろすと、再び襖を開けるように言った。

 それから勝母に向き直って、はっきり告げる。

 

「右目は、もう完全に光を失っています。左目は問題ありません」

「問題ない、とは?」

 

 左近次が問うと、旭陽は言い換えた。

 

「見えています」

「嘘だ!」

 

 勝母は立ち上がって怒鳴った。「見えないんだ! 何も見えてない!! 本当に何一つ、見えないんだ!」

 

 しかし旭陽は厳然たる態度だった。

 

「見えているはずです。しっかりと光にも動きにも反応していますから」

「嘘をつくな! 那霧旭陽、お前…お前だろう? なぜそんな嘘をつく!?」

 

 先程来聞こえてくる懐かしい声音に、一人の姿しか思い浮かばず、勝母はその名を呼んだ。

 かすかに安堵しつつも、以前にはなかった旭陽の強硬な態度に混乱する。

 

 一方、旭陽は動揺する勝母と対照的に、至って冷静だった。

 

「僕は診断において嘘をつくことはしません。それが命にかかわることであっても、です。勝母さん、あなたの左目は視力を失ってはいません」

「違う!」

 

 勝母は立ち上がると、歩き出そうとして敷いてあった布団に引っかかって無様に倒れた。

 倒れたまま突伏して動かない。ぎゅっと布団の布を掴む。

 

「少し、お話をしましょうか」

 

 旭陽は昔と変わらぬ優しげな声で言って、左近次に目配せした。察した左近次が立ち上がり、次いで志摩もその場から退く。

 

 二人きりになったあと、旭陽はにっこりと笑って言った。

 

「ただいま帰りました、勝母さん」

 

 勝母は布団に顔を押しつけながら、嬉しくて、それなのに自分の言い分を認めない旭陽にも腹が立って、こんな姿になった自分が恥ずかしくて悔しくて、いろんな気持ちがないまぜになって、涙が出そうになる。

 

「本当に見えないんだ…嘘じゃない」

 

 嗚咽を殺して低くうなるように言うと、旭陽は勝母の背をポン、ポンと優しく叩いて落ち着かせながら、頷いた。

 

「えぇ、わかってます」

「嘘をつけ。絶対に信じてないだろう」

「いいえ。勝母さんが僕に嘘を言うわけがありません。僕と勝母さんの間に嘘なんて必要ありませんから」

 

 旭陽は当たり前のように言う。

 かつて自分にその言葉をくれた人に向かって。

 

 だが勝母はあまりに堂々とした旭陽の言いように、ますます困惑した。

 

「じゃあ、お前の見立てが間違っているのか?」

「いいえ。僕の見立ては間違ってないです。おそらく。そして勝母さんが見えないことも真実です」

「何を言ってるんだ……」

 

 勝母は旭陽の言う意味がわからず、むっくりと起き上がった。

 ギロリと旭陽がいると思われるあたりを睨みつける。

 旭陽はあらぬ方向へと睨みをきかせる勝母にクスリと笑った。

 

「笑ってるじゃないか!」

 

 耳聡く聞きつけて、勝母が抗議すると、旭陽はアハハハと楽しげに笑った。

 

「勝母さん」

 

 呼びかけて勝母の両頬に手をあてた。「僕はこっちです」

 そっと自分の方に向かせると、やさしく諭す。

 

「見えなくなっているんですよ、勝母さん」

「なんだと?」

「目が見える、っていうのは、ただ瞳にものが映っていれば見えている、ということにならないみたいなんです。瞳がとらえた映像を、脳に送ってそこで再構成される…っていう研究がありましてね」

 

 勝母はものすごい渋面になった。

 

「お前の言うことは相変わらず訳がわからん」

 

 にべなく言う勝母に旭陽はクスクスとまた笑い出す。

 

「いやぁ、相変わらずだなぁ」

「笑ってないで、ちゃんと説明しろ!」

「いや、今言った通りなんだけどなぁ。つまり、勝母さんの場合は瞳の機能は正常だけど、脳に送ってる途中がおかしくなっているのか、それとも脳で再構成されるときにおかしくなっているのかして、見えない状態なんでしょう」

「………治るのか?」

 

 勝母は強張った顔で問いかける。

 

 自分でも自分の気持ちがよくわからない。

 このまま見えないままでいたいような気もするが、わざわざ左近次までが来るのであれば、鬼殺隊が切羽詰まった状態にあることは明白だ。

 抛りだすことは………できない。

 

 旭陽が静かに答えた。

 

「勝母さんが、見たいと思えば」

「………」

 

 なんと辛辣な言葉だろう。

 旭陽は見抜いている。勝母が本当は何も見たくないのだと。

 このまま心を閉ざして、一人、罪の中に埋もれ息絶えたいとすら願っていることを。

 

 旭陽は立ち上がると、縁側に出て庭を見た。

 桜の蕾がちらほらと開き始めている。数日の間に満開になるだろう。

 

「桜が咲き始めてますよ、勝母さん」

「………見たくない」

 

 勝母にはわかっていた。

 祖母が名付けた『必勝』の桜。

 もうすぐ満開になるだろう。

 

 だが、見たくもない。

 あれを見れば、勝母は鬼殺隊士に戻るしかない。

 父を殺した非情な鬼狩りに。

 

「また、来ますね」

 

 旭陽は勝母の肩にそっと半纏をかけ、歩き去っていく。

 

 やわらかな春の日差しが差し込み、ちんまりと小さい勝母の影を落としていた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 その日の夜、勝母は横になっていてもまんじりともせず、起き上がった。

 

 障子を開いて縁側へと出る。

 相変わらず、目に映るものは何もない。

 

 裸足のまま、そっと庭へと歩き進める。

 目が見えなくとも、ある程度の庭の造作についてはわかっていた。それでも、ときどき思いもしない木の根や石に足を取られる。

 

 こけて、膝から血を流しながらも、勝母は歩いた。

 やがて、少し開けた場所に出て周囲をウロウロすると、肩にドシンと木の幹が当たって尻もちをつく。

 

「………おまえか」

 

 そっと、手を伸ばすと、ゴツゴツした幹があった。

 ビョオォ、と風が吹いて、頭の上でざざざと葉擦れの音がする。

 

 闇の中、まだ若木であった頃の桜と、その前に佇んでいる祖母の姿が浮かんだ。

 

 

 ――――― この木は「必勝」と名付けた…

 

 

 在りし日の祖母の姿。

 年経てもその威勢が衰えることを許さず、伸ばした背筋には凛とした人品を漂わせ、鷹揚でいて、決して自分を曲げることのなかった祖母。

 庭の造作になど興味を持ったことなどなかったのに、急に桜の木を手配して植えさせた。

 

 あれは祖母の亡くなる一月ほど前のことだ。

 あるいは尋常ならざる勘で、自らの死が突然訪れることを感じていたのだろうか……?

 

 

 ――――― いずれ、私は死ぬ。そうして私を覚えていてくれた者も死ぬ。それでよい。よいか、勝母。人の命は儚い。鬼に比べて瞬きの間に過ぎるほどに短い。だが、未来(さき)を信じてつなぐことは人にしかできぬ。この木はその証じゃ……

 

 

 自分の代で無惨を殺せなかったことは、祖母にとって最も悔しいことだったろう。

 それでも祖母は信じた。

 いずれ自分という存在が消えたときの、その後までも、自らが灯した火が消えないことを。

 

 なんという強靭な魂だろうか。それにひきかえ――――…

 

 勝母はがっくりとその場に崩折れた。

 

 自分はいったい、今まで何をしてきたのだろう?

 

 ひたすらに鬼を屠って、自らの強さだけを求めてきた。

『強くあること』。

 それだけが自分にとっての至高だと信じてきた。

 

 

 ――――― 楽しかろう…今、お前は…真実の戦いをしている。強者だけが許される世界で、戦っているのだ……

 

 

 父は見抜いていた。

 勝母が自分と同じように、比類なき『強さ』に憧れ、その戦いの場に臨んで、狂気に近い高揚感に恍惚としていることも。

 

 勝母は拳を握りしめると、ガツリ、と地面を(なぐ)った。何度も何度も撲って、皮膚が裂けて血が流れても、撲り続けた。

 

 強くなったのは、復讐のためだった。

 自らの技量だけを恃みにして鬼を屠った。

 精強であることを誇って、柱となった。 

 だが、そこに信念などない。何もない。自分はなにもない、空っぽの存在だ。

 

 

 ――――― あの男を殺して、お前が成り代わるか?

 

 

 風波見周太郎は危惧していたのだろう。

 勝母がいつか父を殺して抱くであろう虚しさの果てに、それまで自分を形作ってきた『強さ』に縋ることを。

 そうしていつしか父と同じ道を歩むかもしれないと。

 

 

 ――――― 強さを…求めれば…果てなき道へと進む

 

 

 いまわの際の父の言葉が蘇る。

 

 父もまた、同じ虚しさを抱えたのだろうか。

 この虚無に耐えられず、己の求める道が正当なものだと信じて、求道の果てに鬼となる道を選んだのだろうか。

 

 

 ――――― 鬼は元は人なのだ。人であったものを殺す。生きとし生けるものを殺すという点において、才能のある人間などいない。……いなくていい

 

 

 聞いたときには詭弁でしかなかった周太郎の言葉が、深く勝母をえぐる。

 

「……うぅ…う……」

 

 泣きながら、勝母は自分の無力さに打ちのめされた。

 

 自分はいったい、なんのために鬼を殺してきたのだろう?

 自分はいったい、なんのために鬼狩りになったのだろう?

 

 わからない。

 もう、なにもわからない。

 

 ただ目の前に続く闇が永遠で、そこで自分はずっと独りでいるしかないのだ……。

 

 

<つづく>

 





次回は2023.02.25.に投稿予定です。
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