椿の涙<鬼殺隊列伝・五百旗頭勝母ノ帖>   作:水奈川葵

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二十七.散華

「やぁ、勝母(かつも)さん。もうお昼ですよ」

 

 三日ぶりに訪れた旭陽(あさひ)は、明るい声で呼びかけながら、閉め切っていた襖も障子も開け放つ。

 見えないが、光を感じて勝母の瞼は揺れた。

 

「……何しに来た?」

 

 剣呑に尋ねても、旭陽ののどかな口調は変わらない。

 

「もちろん、診察です。天狗さんにも頼まれていますから。お食事、召し上がってないようですね」

 

 話しながら、ガサガサと何かを取り出す音がする。すぐにフワッと香ばしい甘い匂いがしてきて、勝母は思わず問いかけた。

 

「パン…か?」

「あ、やっぱり匂いがしましたか? 志摩さんから勝母さんが食べないって聞いて、焼いてきたんです」

「………」

 

 勝母はゴクリと唾を呑み込んだが、その強い匂いのする方からプイッと顔をそむけた。

 

「いらん!」

 

 怒鳴りつけると、旭陽はしばらく言葉を失っているようだった。

 沈黙が流れたあと、急に大笑いが響く。

 

「アッハハハハッ!」

「うるさいぞ! なにを笑っているんだ!?」

「だって…すごいやせ我慢だと思って」

 

 旭陽はヒーヒーと苦しそうに息をしながらも、まだクスクス笑っていた。

 

「笑うな!」

 

 勝母がさらに怒鳴ると、かえって吹き出してまた大笑いする。

 それ以上パンの匂いを嗅ぐのも腹立たしくて、勝母は立ち上がると、縁側へとスタスタ歩いていった。そのまま縁側を横切って庭に出ようとして、背後から抱きとめられた。

 

「危ない! 落ちるところですよ」

「うるさい! お前の言う通りなら、私は見えているんだから心配する必要ないだろう!」

「うわぁ。随分と皮肉なことを仰言るようになりましたね、勝母さん」

「離せ!」

「あ、お庭で散歩でもしますか? いいですね、今日はずいぶんと暖かいですよ」

「誰が…」

 

 文句を言おうとしたが、急に体が浮いた。

 突然のことで勝母は今の自分の状態が理解できなかった。

 

「なっ…おい! お前ッ、なにをしているんだ!? 降ろせ!」

 

 あわてて足をバタつかせるが、旭陽は「よいしょ」と体勢を整える。

 

「危ないですってば。いやぁ、本当に痩せちゃいましたねぇ。こんなに簡単に僕に抱っこされちゃうなんて」

「うるさい! 黙れ!」

「はいはい。じゃあ、勝母さんもおとなしくしてくださいね。今、庭に降りるので、暴れられると、さすがに僕も勝母さんもひっくり返っちゃう」

 

 暴れられて困るなら勝母を放り出せばいいのに、おそらくこの男は自分よりも勝母を庇おうとするのだろう。そうなればきっと怪我をするのはこの男の方で、暴れた勝母を非難することもしないのだ。

 

 勝母はムッと押し黙ったまま、しばらく旭陽に身を任せるしかなかった。

 

「さっき、この庭を見て回ってから勝母さんの部屋にお邪魔したんですけど、以前よりも種類が増えましたねぇ。桜に負けないくらい、いろんな花が咲いてて。お庭をゆっくり見て回るだけでも楽しめます」

「……どうでもいい、そんなもの」

外国(むこう)に行ったら、僕が花に詳しいって驚かれましてね。僕なんて姉さんの門前の小僧で、聞きかじった程度の知識でしかないのに、専門家なのか? って訊かれて、色々質問責めにされました」

 

 何気なく話す旭陽に、勝母はふと気になって尋ねた。

 

「そういえば…お前、いつ帰ってきたんだ?」

「帰ってきたのは、勝母さんに再会した日ですよ」

「は?」

「まぁ、はっきりと僕もいつ帰るのか家族に言ってなかったので、港に着いても当然誰の出迎えもないし、だったら先に勝母さんのところに行こうと思って」

 

 つまり家族に帰国を知らせる前に、花鹿邸に来たことになる。

 勝母は呆気に取られた後、一喝した。

 

「馬鹿! お前! 先に家族に無事な姿を見せるべきだろう!! あっちはずっと心配されていただろうに」

「え? でも、帰ってきても大して驚かれませんでしたよ。あ、帰ってきたのか~って。その日に早速、欄間の掃除させられましたし。あ、一応、晩御飯は好物を出してもらえました。ずーっと向こうの食事だったんで、本当に味噌汁がおいしくて」

 

 勝母はあきれるしかなかった。

 旭陽も含めて、那霧家はどこか超然としたような、肝の据わった人間が多い。お多可(たか)などは筆頭だろう。

 

「勉強はできたのか?」

「そうですね。まぁ、まだこちらでも研究は続けますけど」

「研究? まだなにか勉強するのか?」

「えぇ、最新の器材も手に入れましたしね。京都の方で教鞭を取らないか…っていう話もあったんですけど、僕、壇上に立って、話したりするの苦手なんですよね。緊張しちゃって。前にズラーっと生徒さん達が並んでると、もー、皆さん僕より賢そうな顔してて、怖くって。だからそのお話は断っちゃいました」

 

 勝母はまたも唖然とした。

 国費で留学させてもらえるぐらい頭がいいくせして、何を言っているのだ、この男は。

 

「教師など、誰にでもできることではないだろうに…お前もつくづく訳のわからない男だな」

「まぁ…僕は一研究者の方が性に合ってるんですよ」

 

 旭陽の言葉は相変わらず迷いがない。(てら)うこともなく、気負うこともなく、自然体で、誰によっても、何によっても、その道を外すことはない。

 

「それが……お前の目指す道なのか?」

 

 勝母は旭陽に尋ねながら、同時にこれまでの自分に問うていた。

 

 

 ――――― 私の目指したものは何だったのだ?

 

 

 旭陽は腕の中にいる勝母をじっと見つめた。

 思い詰めた顔で、微かに震える唇が、痛ましい。

 出会った頃の弾けるような充実した気力も、鋭く尖った眼差しもなかった。ひどく小さい、怯えたような、自信なさげな少女がいるだけだ。

 

 旭陽は顔を上げた。

 視線の先に、桜の木がある。もう満開だった。

 薄桃色の花びらが光の中で散っている……。

 

「僕は…好きなことをしてきただけですから。特に何かになろうって思ったりしませんでした。今も、これからも、たぶん変わらないでしょうね。家族や、上の人からは独り善がりだと注意されますけど」

「そんなことはない。お前のやってることは、きっと誰かの為になることだ」

 

 勝母は気弱そうに言う旭陽に発破をかけるように言った。旭陽はフフッと笑みを浮かべる。

 

「そうですね。本当に……ありがとうございます、勝母さん」

 

 やけにしみじみと言う旭陽の口調に、勝母は眉を寄せた。

 

「なにが?」

「あの日、あの時、勝母さんに助けてもらえなかったら、僕はこうして自分の好きなことをすることもできないで、鬼に殺されていたでしょう。僕が好きなだけ勉強できて、独逸(ドイツ)にまで行くことができたのは、勝母さんのお陰です」

「………」

 

 黙り込んだ勝母の脳裏に、旭陽と最初に出会った、鬼から助けた日のことが流れる。

 それから次々に、これまでに斬った鬼、救えた命、救えなかった命、様々な人々の姿が流れていく。

 

 最後に、見えなかった父の手が、勝母の拳の中に温かく甦る。

 

 

 ――――― (みゆき)……

 

 

 あのとき、自分は父を救えたのだろうか…?

 

 一筋こぼれた涙の(みお)に、ヒラリと桜の花びらが落ちて、くっついた。

 

「今、桜の木のところか?」

「はい」

「降ろしてくれ」

 

 旭陽はすこし逡巡して辺りを見回し、勝母を平たい岩の上に降ろした。

 

「草履を持ってきます」

「いい。冷たくて気持ちがいいんだ…」

 

 ひんやりした石の上で、早春の風に吹かれる。

 さっきまで抱っこされていたせいで、思わずブルリと身が震えた。すぐにバサリと何かが肩に掛けられる。

 

「着てて下さい。暖かくなったとはいえ、その格好じゃ寒いです」

「重いな。なんだこれは?」

「外套ですが、重いですか?」

「………いや」

 

 外套程度を重く感じる自分が、随分と弱くなったように思えた。

 数ヶ月前ならば、振り払っていただろう。

 だが今は、この温かさを手放せなかった。

 

 そっと一歩踏み出す。

 長年の修練の果てに硬くなった足裏に、柔らかな春の草を感じる。

 

「桜はこちらですよ」

 

 そっと旭陽が手を取り、桜のある方へといざなってくれた。

 硬い樹皮を手の平で感じていると、旭陽も同じようにペタペタと幹を軽く叩きながら、懐かしそうに言った。

 

「そういえば、この木には名前があるんでしたっけね? えぇと…『勝利』でしたっけ?」

「『必勝』だ」

「あぁ、そうそう! 勝母さんの姉妹の木でしたね」

「………」

 

 勝母は見えない目で、おそらく満開であろう桜の木を見上げた。

 

「父が…私につけてくれた名前は(みゆき)というんだ」

 

 ボソリとつぶやく。

 言ってしまってから、少し後悔する。どうしてそんなことを話してしまったのかと、自分でもわからない。

 今となっては、志摩以外知ることのない名前。

 二度と、誰に呼ばれることもない、捨てた名前。

 

 旭陽は当然、勝母の心中など知ることもない。ただ心底驚いて、聞き返してくる。 

 

「みゆきさんですか?」

「あぁ。幸せと書いてみゆきと読む。……似合わないだろう?」

「そんなことありません。とてもいい名前です。幸せであるように…と名付けられたのでしょう」

 

 勝母は黙り込んだ。

 同じことを言っていた母のことを思い出す。

 

 

 ――――― 幸…という名前は、あなたが幸せになるように…と願って、つけて下さったのよ。

 

 

「本当にそうなら……どうして、私は父を殺さなければならなかったんだ?」

 

 誰に向けるでもなく問いかけた勝母の声は震えていた。

 嗚咽を呑み込んだ顔が、奇妙な笑みを浮かべて歪む。

 

「鬼になって、母と弟を喰って、祖母を殺して…どうして私だけ生かした? 毎日、叔母の怨嗟を聞いて、父を殺すためだけに強くなった。復讐だけが、私の生きる意味だった。そうしてようやっと…望みは叶ったのに、私は……私は…何も、ない」

 

 勝母は我知らず宙に手を伸ばしていた。

 ハラハラと舞い落ちる花びらが、あの日の雪となる。

 

 闇の中に降る雪。椿の木の横で立ち竦んでいた幼い自分。

 復讐は果たしたと伝えても、振り返った顔は暗く……恨みに満ちた目で勝母を睨みつける。

 

 ゆらり…と体が傾いた。

 だが、倒れることはなかった。何かが勝母をしっかりと縫い留めるように、支えてくれている。

 

「お父さんを殺したくなかったんですね」

 

 たった一言。

 柔らかな口調でありながら、きっぱりと言い切った旭陽の言葉に、勝母の瞳から涙が滂沱と溢れた。

 

 固く閉ざし、自分ですらも見えなくなっていた本心を、あっさり射抜かれた。

 ううーっ、と嗚咽を止めようと唸ったが、無理だった。

 

「殺したく…なかった…」

 

 泣きじゃくりながら、つぶやく。

 

「殺したくなかった…けど、鬼だから…私は…鬼狩りだから…母上の…仇だからっ…」

 

 長く自分の奥底に押し籠めていた幼い勝母が、声を上げて泣き叫んだ。

 

「殺したくなかった! 殺したくなかった!! 殺したくなかったのに……父上ぇぇ」 

 

 七歳のときに母を失い、生きる希望をなくして茫然自失となっていた勝母に、叔母は生きるための力として『復讐』を与え、そこに絶えず『恨み』と『憎しみ』を注ぐように強要した。

 

 つらかった。苦しかった。……寂しかった。

 

 けれど叔母からの心無い言葉よりも、ずっと勝母を傷つけていたのは、自らの本心に目を背けてきた自分自身だった。

 今、ようやくそれがわかっても、もう言葉は届かない。

 自分は父を殺してしまった。

 

 声も涸れ、涙が乾いても、勝母は虚ろだった。

 このまま……目の見えないまま、闇に埋もれてしまいたい。……

 

 旭陽は黙っていた。何も言わず、しゃくり上げる勝母の背を優しく撫でさすっていた。

 

 静かで穏やかな春の日差し。

 哀しげな歔欷(ききょ)だけが響く。

 止まったような時間。

 突風が吹いて、ザアァと葉擦れの音が沈黙を動かした。

 

「……幸さん」

 

 不意に呼ばれて、勝母は顔を上げた。

 何も見えないはずなのに、旭陽が微笑んでいるのがわかった。

 

「綺麗ですよ、桜」

 

 旭陽の声に呼応して、ザザとまた葉が鳴る。

 勝母に呼びかけるように。

 

 ゆっくりと勝母は振り返った。

 見ようと思ったわけではないのに、光が徐々に瞳の中にあふれてくる。

 

「…………ああ」

 

 吐息と一緒に、呻くようにつぶやく。

 

 淡雪のごとく、桜が春の光の中で舞い散っていた。

 

「綺麗だ。ずっと……気付かなかった」

 

 旭陽の腕の中、勝母は恍惚とその美しい光景を見つめていた。

 やがて緩慢な微睡(まどろ)みが訪れると、ゆっくりと温かな鼓動の聞こえる場所に身を委ねた。 

 

 

<つづく>

 




次回は2023.03.04.投稿予定です。
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