視力が戻っても、すぐに鬼殺隊に復帰できるわけでもなかった。
ろくな食事も取っておらず、減少した体重を戻すのと同時に、再び修練の日々が始まる。
片目だけになっても、世界が半分になるわけではない。だが、確実に視覚野は以前に比べて狭まっているので、それも含めた対処が必要だ。
初めて覚えた頃と違った面白さがあった。
以前は祖母の作り上げたその型について、なぜこうした動作を行うのか理解できない部分もあったが、今は裏打ちされた経験が教えてくれる。そのたびに、改めて祖母の偉大さを感じた。こんなものを創り上げる才能は、誰しもに備わるものではない。
時々、
そんな因業深い自分を自嘲しながらも、夜には静かに己を見つめた。
――――― 楽しかろう…今、お前は…真実の戦いをしている。強者だけが許される世界で、戦っているのだ…
鬼殺隊士として、いや、ただの一剣士であれば、誰もが自らの強さを
自分がなんのために剣をとり、鬼を屠るのか。
考えると、いつも旭陽の穏やかな声が答えてくれた。
――――― 本当に…ありがとうございます、勝母さん
ずっと鬼を倒し、人を助けることなど当然だと思ってきた。
だから彼らの感謝の言葉にも、素っ気なく答えてきた。大したことではない、気にするな、と。
だが今は、助けた人々が少しでも生きる意味を見出だしてくれれば、と願う。自分の振るう剣によって、希望が潰えることなく繋がれていくことを祈る。
そうして徐々に以前と同じ体重に戻ってきて、そろそろ復帰しようかと思っていた頃に、訪ねてきたのは
鱗滝左近次から具合が悪い…
「すまないな、急に訪ねて」
志摩が客間を勧めたが、飛鳥馬は縁側でいいと入ってこなかった。ちょうど勝母も修練場から帰ってきたばかりで、庭を歩いているところを飛鳥馬に呼び止められたのだ。
「いや。大丈夫か? 私よりも具合が悪そうだ」
「あぁ、うん。そうだな…正直、あまりよろしくない」
飛鳥馬はさびしげに言ってから、じっと勝母を見つめた。
「なんだ?」
問いかけると、飛鳥馬は急に頭を下げた。
「すまん!」
いきなり謝ってこられて、勝母は戸惑った。
「なんだ急に。……なぜ謝る?」
「……すまん」
飛鳥馬は頭を下げたまま、もう一度言った。
ゆっくりと上げた顔は、苦しそうに歪んでいる。
「今のお前にこんな事を頼むのは非情だとわかっていながら、頼むしかないんだ。どうか、鬼殺隊を辞めないでくれ。柱として…お館様を支えてほしい」
勝母は飛鳥馬をまじまじと見つめ、フッと笑った。
「お前は…相変わらず、やさしいな」
おそらく飛鳥馬は勝母が父を殺したと、わかったのだろう。そのことで勝母が苦しんでいるだろうことも
だが同時に、飛鳥馬もまた霞柱であり、鬼殺隊の中核として先のことを考えなければならなかった。
自分が病にあって、先も長くないと知っていればこそ、苦渋の決断として、勝母に再び鬼殺隊に戻ることをわざわざ頼みに来たのだ。
「言われなくとも、もうすぐ戻る。少々、時間がかかったのは見ての通り、片目を潰したからだ」
「……やられたのか?」
「いいや。叔母の作った技の後遺症みたいなものだ。だが、もう片方はまったく問題ない。なにせ、今は
「あぁ…左近次から聞いたよ。あの外国に行っていた学生さんだろう? いや、もう学生じゃないのか?」
「たいして変わらぬ。眼鏡をかけるようになって、パッと見にはそれらしく見えるようになったが、中身の方は相変わらず素っ頓狂な奴だ」
「ハハハハ! そうか…いや、元気になったのなら、良かった」
飛鳥馬はホッとしたように溜息をつくと、立ち上がった。
「俺はこんな体になってしまって、おそらくもう柱も返上しなきゃならない。本当にお前には申し訳ないが」
「なに弱気になってるんだ。お前も治したら、すぐにでも復帰してもらうつもりだからな」
勝母が怒ったように言うと、飛鳥馬はニッコリと笑った。
「あぁ…がんばるよ」
「世話する者はいるのか? 老いた隠を何人か寄越すか?」
「いや…大丈夫。一応、世話してくれる人はいるから」
「そうか? 何か必要なものがあれば、すぐに鴉を送ってこい」
「あぁ、ありがとう」
去っていく飛鳥馬の薄くなった体が、建物の影に入ると見えなくなった。
勝母は黙って頭を下げ、長い間そのままでいた。
脳裏には少女の頃、稽古に付き合ってくれたときの飛鳥馬の姿が思い浮かぶ。すっかり痩せ細り、弱くなっても、優しいあの笑顔は変わらなかった。勝母を柔らかく受け止めてくれる。
涙がこぼれそうになって、勝母はグッと息を飲み込んだ。
様々な葛藤の中で日輪刀を置いた飛鳥馬に、穏やかな死が訪れることを祈った。
◆◆◆
飛鳥馬の訪問から数日経って、勝母は久しぶりに産屋敷邸を訪れ、長い間の療養を詫び、本日より復帰することを告げた。
「あぁー、やっと帰ってきたぁ」
式柱の
「いろいろと大変だったろうね。戻ってきてくれて嬉しいよ、勝母」
お館様である
「は。お気遣いいただき、恐悦至極にございます」
その場で甲階級の柱候補者の選定を行い、早速夜からは鬼狩りの仕事。
数ヶ月ぶりだが、日輪刀の斬れ味は鋭く、呼吸の技は容赦なく鬼を
以前と変わらぬ日常は、あっという間に勝母に鬼殺剣士としての平常心を取り戻させた。
復帰して
神農屋に注文しておいた薬の原料を取りに行こうと、門を出たところで呼び止められた。
「あっ! あのっ、もし」
怪訝に見れば、なんとなく見覚えのあるような女。
「お久しぶりです、
声を聞くまでおぼろだったが、やや早口で、どことなく強引な口調にハタと思い当たる。
「あんた…
「はい!
嬉しそうに頷く姿に勝母は懐かしさと同時に、なぜこんなところにいるのかと首をひねる。
「確か、亭主の在所に行くと言って…」
言いかけた勝母を遮って、里乃はきっぱりと言い放つ。
「別れたんです!」
勝母は口をあんぐり開けて固まった。「……別れた?」
「はい! あの男、とんでもない浮気者で。一人はご隠居のお妾、一人は女義太夫のなり損ないみたいなガキ相手に…もう情けないやら、馬鹿らしいやらで、
せいせいしたように言う里乃は、前に比べるとどこか肝が据わったような、体も一回り太った印象だった。浮気者の亭主には辟易しているようだが、それなりに人生経験を積んで、貫禄がついている。
「そうか。まぁ…ロクでもない男にいつまでも付き合ってやる必要もなかろう」
適当に言ってから、一番聞きたいことを尋ねる。
「で? なんでここに?」
「あ! いえ…五百旗頭さんにはご祝言もらったじゃないですか? それがこんなことになってしまって申し訳なくって…謝りにきたのと、お返しにきたんです」
「ハァッ?」
「いや。私、あのときもらったお金、取っておいたんですよ。子供でも生まれたら、色々と物入りだろうし…と思って。でも結局、使わなくて、畳の裏に隠していたんです。あの野郎に使われたらたまったもんじゃあない。どうせ女か酒か博打なんだから」
昔からおしゃべりであったが、今は磨きがかかって、より早口になっている。
勝母はフゥと軽く息をついてから、ヒラヒラと手を振った。
「そんなもの、やったんだから、後がどうなろうが好きに使えばいいんだ。わざわざ返しにくるなんて、あんたも人が好いな」
「だって、けっこうな大金ですよ」
「そうだったか?」
あわてて押し付けたので、いくらだったかなど自分では覚えていない。正直、そのまま貰ってくれればいいのだが、わざわざやって来た里乃の気持ちを無下にもできなかった。
「これからどうするんだ? こちらに戻ってきたのか?」
尋ねると、里乃は首を振った。
「いえ! こちらに伺ったのは実は寄り道で。私の故郷は信州なんですけど、祖母がずっと店をやってて、年なんでもう休業していたんです。それで、ちょうどいいやと思って。せっかく東洋一さんに紹介してもらって料理の勉強もしたし、そこで心機一転? 一念発起? とりあえず、イチからやって行こうと決めまして」
「なんだ、そうか」
勝母はホッとした。これで受け取る必要はない。
「だったら、それは門出の餞別だ。そのままもらっておけ」
「えぇっ?」
「人の餞別を突き返すようなことはしないだろう? じゃ、がんばれ」
それ以上、里乃が何かを言い出す前に、勝母は背を向けた。
里乃は呆気にとられていたが、どんどん小さくなっていく勝母に、あわてて大声で礼を言う。
「あっ、あ……ありがとうございまーす! 一段落したら、お手紙書きますねーッ!」
勝母はあきれた笑みを浮かべて振り返った。
往来の人に注目されているのも気にせず、ブンブンと手を振る里乃に、軽く手を上げて振り返す。
奇妙な縁だ…と、すぐに踵を返して歩きながら思った。
元は東洋一の
昔は里乃や母に、どこか生身の女を感じて嫌悪したものだったが、時を経て勝母が変わったのか、それとも里乃がすっかり開けっ広げになって逞しくなったのか…おそらくどちらもだろう。
いずれ東洋一が戻ってくることがあれば、一度会わせてみるのもいいかもしれない。
面白いことになりそうだ。……
<つづく>
次回は2023.03.11.更新予定です。