椿の涙<鬼殺隊列伝・五百旗頭勝母ノ帖>   作:水奈川葵

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二十九.待つ者の覚悟

 里乃(さとの)との久しぶりの再会の後、勝母(かつも)神農屋(じんのうや)にたどり着くと、こちらでも大きな女の声が響いていた。

 

「だぁかぁらぁ、こちらのお嬢さん、ぴったりだと思うのよぉ! なんたって博士様(はかせさま)だからねぇ…そこいらの小便くさい娘っこよりも、少し年は重ねてるけど、落ち着いた女の方が、気遣いもできていいと思うのよぉ!」

「ホホホ、左様ですねぇ」

 

 神農屋の女主人・多可(たか)が、めずらしく圧倒された様子で、愛想笑いを浮かべている。

 目の前には、どっしりした体格に比べて、小さく丸髷(まるまげ)を結った女が、暑いのかパタパタと扇子をひっきりなしに動かしながら、話しを止める様子もない。

 

「今度のお芝居のときになんか、どう? 桟敷席、用意するし。多可さん、団十郎贔屓(ひいき)にしてたろぅ?」

 

 多可は曖昧な笑みを浮かべていたが、ようやく勝母に気付くと、地獄に仏とばかりに駆け寄って来た。

 

「あらぁ、いらっしゃいませ! ようこそいらしてくださいましたねぇ! ご用意は整えておりますので……あ、シゲさん。申し訳ないねぇ。お得意様おみえなんで」

 

 やや白々しさを感じながらも、多可は話を打ち切る。

 シゲと呼ばれた女は興ざめした顔になったが、フンと鼻息をつくと、やはり大声で念を押した。

 

「あぁ、そうかい。じゃ、()()()()に聞いておいとくれよ」

「ハイハイ」

 

 軽く返事しながら、多可は勝母を連れて店の奥へと入っていく。

 

「あー、やれやれ。肩が凝る」

 

 仕切りの暖簾をくぐって、家と店を繋ぐ土間のちょっとした小上がりに腰を降ろすと、多可は一息ついた。

 勝母は格子窓の間から去っていくシゲの姿を一瞥してから尋ねた。

 

「誰か見合いでもするのか?」

「えっ?」

「さっき芝居の桟敷席がどうとか言っていたろう?」

 

 神社の茶屋だったり、芝居の桟敷席などで、互いの姿を確かめ合って、相手の器量を見るのは、見合いの常套手段だ。

 多可は苦笑した。

 

「えぇ、まぁ…これがあの馬鹿相手でも、是非にも~…なぁんて次から次に、世話焼き婆やら爺やらがやって来ましてねぇ」

 

 勝母はピクリと眉を寄せた。

 多可が言う『馬鹿』というのは、たいがい旭陽(あさひ)のことだ。

 

「……あの男に見合い…?」

 

 聞き返しながら、心臓が凍りついたようだった。胸の内側から冷えていく。

 

「そうなんですよ! 本当にねぇ…どこから嗅ぎつけたんだか、外国から帰ってきた博士先生だとかって、やたら褒めそやしちゃって。子供の時分にゃ、棒っきれみたいな役立たずとか散々だったくせにね。今だって、そう変わりゃしないってのに」

「………そうか」

 

 勝母は固い顔でつぶやいたが、階段下の暗がりにいたせいか、多可は気付かなかった。

 そこへ噂すれば影とばかりに、旭陽が姿を見せる。

 

「うわっ! 何してるんですか、多可姉さん。そんなところで」

「あぁ、ちょうどよかった。五百旗頭(いおきべ)様がおみえだよ。前に注文していた茶葉と、烏犀角(うさいかく)。ご案内頼むよ」

 

 早口に言って、多可はさっさと店に戻ってしまった。

 勝母は顔を強張らせたが、旭陽は屈託のない笑顔で招いてくる。

 

「いらっしゃい。どうぞ上がってください」

 

 いつもここに来たときには、裏にある家の応接間に通されて、品物を受け取るのが常だった。

 そのついでに多可が紅茶を淹れてくれたりするのだが、帰国してからは勝母の診療も含めて、旭陽が主に応対するようになっていた。

 普段どおりにしようと思うのに、勝母は黙り込んで動けなかった。

 

「どうしました?」

 

 一歩近寄られて、勝母は逃げるように、より奥の暗がりに引っ込んだ。

 旭陽がキョトンとなる。

 

「ん? あれ? どうしたんですか、本当に」

「寄るな」

 

 低く言うと、旭陽はパチパチと目をしばたかせた。

 

(みゆき)さん? どこか具合が悪いんですか?」

「………違う」

 

 言ってから、急に胸が苦しくなってきた。着物の胸元を荒々しく掴むと、旭陽があわてて土間に降りてきた。

 

「大丈夫ですか? とりあえずこちらに上がって下さい」

「嫌だ」

「嫌って…なんかつらそうなんですけど。暗くてよく見えないから、こっちに…」

「嫌だって言ってるんだ!」

 

 勝母はくるりと踵を返して、店の方へと戻りかけたが、荷物を運んでいた丁稚(でっち)にぶつかりそうになって、あわてて足を止める。

 キョトンと小さな丁稚が勝母を見上げた。

 

「アラ? どうしたんです?」

 

 大福帳を持った多可が尋ねてくる。

 

 勝母はハッと顔を上げた。

 店にいる者たち ――― 手代(てだい)や番頭、客に至るまで、全員の視線が自分に向けられているのに気付いて、一気に顔が赤くなる。

 

 間の悪いことに、背後のくぐり暖簾の間から、ひょっこりと旭陽が顔を覗かせた。

 

「どうしたんですかぁ?」

 

 旭陽は困惑しつつも、のんびりと尋ねてくる。

 勝母はまたくるりと回れ右するなり、旭陽の体と仕切り口の隙間を脱兎のごとくすり抜けた。

 

「うわわわ」

 

 勢いに巻き込まれた旭陽がくるくる回って、一緒に暖簾が体に巻き付き、よろけて柱に頭をぶつける。

 

「なーにやってんだい、このトンチキは!」

 

 多可のあきれた怒声が飛んだ。

 

 丁稚に手伝ってもらいながら、旭陽が暖簾から抜け出し、よろよろと勝母を追いかけた頃、勝母は既に庭に出ていた。

 何度も訪れて勝手知ったる家であったので、土間から庭に出るまで、迷うことはなかった。

 多可の夫の趣味である盆栽がズラリと並んだ場所まで走ってきて、ハァハァと呼吸を整える。

 

 自分でもなぜ逃げているのかわからなかった。

 ただ、ひどく胸がザワついて落ち着かない。

 具合が悪いとは思わないが、今日は旭陽に会わない方がいい気がする。

 

 深く息を吸って吐き出すのを何度か繰り返すと、ようやく気持ちが落ち着いてきた。

 

「あぁ……いた」

 

 ちょうど都合よく旭陽が、息をきらせながら小走りにやってくる。

 勝母はもう一度、深呼吸してから、かしこまった様子で旭陽に伝えた。

 

「悪いが、今日は日が悪い。帰る」

「えっ? 烏犀角(うさいかく)は? 早めに欲しいって言われてませんでした?」

「……あとで志摩に取りに来させる」

「いや、だったら今持って帰ったほうが早いでしょう」

 

 旭陽にしては至極(もっと)もなことを言われて、勝母は押し黙った。

 ややあって、小さな声でボソリと言う。

 

「……とにかく、今日はお前と話したくない」

「えぇっ!?」

「失礼する」

 

 そのまま横を通り過ぎようとする勝母の腕を、旭陽がしっかりと掴んだ。

 

「ど、どど、ど、どうしてですか? 僕、なにかしました? 何か怒ってるなら、言って下さい!」

 

 慌てすぎてどもりながらも、旭陽は必死になって尋ねる。

 だが勝母にだって、自分がそんな気分になる理由などわかりようもなかった。ブンブン腕を振りながら、怒鳴りつける。

 

「怒ってない! どけ!!」

「怒ってるじゃないですかぁ」

 

 泣きそうになりながらも、旭陽は決して勝母の腕を離さない。

 勝母はギリッと歯軋りして、また怒鳴った。

 

「情けない声を出すな! 嫁の来手がなくなっても知らんぞ」

「は? ヨメ?」

 

 旭陽は聞き返してから、確認してくる。

 

「ヨメ…って、お嫁さんのヨメ、ですか?」

「………」

「花嫁さんのヨメですかね?」

「……同じだろうが!」

 

 勝母は怒鳴ってから、ハアァーっと長い溜息をついた。頭痛がしてくる。

 

 ようやく旭陽の腕を振り払うと、不機嫌に言った。

 

「お前、見合いをするんだろう? 縁談がひっきりなしに来ているらしいじゃないか」

「あぁ……らしいですね」

「何を他人事みたいに…自分のことだろうが。いい年なんだから、とっとと身を固めてほしいと…お多可さんだって、言わないかもしれないが、思ってるだろうさ。いつまでも姉の家に居候という年でもないだろうが」

「え……それって」

 

 旭陽はまじまじと勝母を見つめ、パチパチと何度か瞬きを繰り返したあと、いきなりパアァァと顔を輝かせた。

 

「じゃあ、僕と結婚してくれるんですね!」

「ハアァ!!??」

 

 いきなり話が明後日(あさって)どころか、明々後日(しあさって)にぶつかって一昨日(おととい)に戻ってから、また一年後に消えたのかと思うくらい、ぶっ飛んだ方向にいっている。

 驚き過ぎて思考できなくなった勝母の前で、旭陽は満面の笑みで万歳していた。

 

「やったーっ! ようやく幸さんからご承諾いただけましたーっ」

 

 徐々に万歳三唱が耳に届いてくると、勝母はハッと我に返った。

 

「ちょっと待ていっ! 誰がいつ、了承なんかしたぁッ? だいたい、いつそんな話をしたぁッ?!」

 

 大声で怒鳴りつけると、旭陽はキョトンと勝母を見てから、しれっと答える。

 

「だって、僕が身を固めた方がいいんですよね? そう言われましたよ、今」

「それは言ったが…」

「プロポーズは、七年前にしましたし」

 

 いきなり聞き慣れない横文字を言われて、勝母はますます混乱した。

 

「ぽ…ぜ…? なんだって? 七年前?」

「プロポーズです。求婚です。結婚して下さいって、申し込んだじゃありませんか」

「いつの話だ、それ」

「だから七年前ですよ。勝母さんに助けていただいて、お店で運命的な再会をしたときに!」

 

 いちいち大袈裟な旭陽の言い方にあきれながら、勝母の脳裏にユラユラと七年前のことが映し出される。

 

 

 ――――― 僕と、結婚してください!

 

 

 そういえば言っていた。

 当然、本気にしていなかったが。

 

 過去の、あまり印象のよくない思い出に渋い顔になる勝母とは対照的に、旭陽は嬉くてたまらないようだった。

 

「長いこと待った甲斐がありました! あ、そうだ! またお稲荷さんのところに行って、今回のお礼に、油揚げをお供えしないと。いなり寿司も奮発しておきましょう!」

 

 また話が脱線しつつある。

 勝母は慌てて旭陽の妄想を止めた。

 

「馬鹿馬鹿、待て、馬鹿! ちょっと待てというんだ、この馬鹿! そんな簡単な訳にいくか! 私が結婚なんて、できるわけがないだろう!」

「なぜです?」

 

 即座に問い返されて、勝母はうっと詰まった。

 あちこちに視線を泳がせてから、思い出したように叫ぶ。

 

「私は今、鬼殺隊を離れるわけにはいかないんだ!」

「あぁ…はい。もちろんです」

「なに?」

「お仕事のことでしょう? もちろん、続けて下さい。だいたい幸さんはじっと家を守って…なんて性格でもないですし、そもそも家事全般まともにできないでしょう。僕も毎日というわけにはいかないですけど、お料理と、高いところの掃除なんかは志摩さんと一緒にやるようにしますよ。後顧の憂いなく、どうぞ、お仕事行って下さい」

 

 勝母の苦手分野を容赦なく指摘しながら、旭陽はニコニコ笑っている。

 

 そのまま丸め込まれそうで、勝母はまたあわてて断る理由を探した。

 しばらく考えてから、ハッと何かに気付いたような表情を浮かべる。だが、すぐに目を伏せ、唇を噛みしめた。

 

「どうしました?」

 

 旭陽は首を傾げ、屈託なく尋ねてくる。

 勝母はしばし迷いつつも、口を開いた。

 

「お前も知っているだろう。私は…()()()()が来ない……ほとんど」

 

 以前に旭陽に指摘されたように、勝母の生理は定期的に来ない。なんであればこの一年近く、止まっているのではなかろうか。

 問題があるのはわかっている。

 ただでさえ不規則な生活である上、命をすり減らす現場にいて、女としての機能が停止するのも無理はない。

 

「子供はできない、たぶん。だいたいこんな稼業じゃ、子供なんて産めないだろうし…」 

 

 暗い顔で言う勝母に、旭陽は朗らかに笑った。

 

「まぁ、子供は授かりものですから、僕らの間に来てくれないなら、それも仕方ないと思います。こういうことは、女の人だけのせいとも限らないですしね」

 

 旭陽はさすがに医学知識があるせいか、女だけを蔑んで、石女(うまずめ)などと揶揄(やゆ)することはなかった。可能性としての妊娠確率について淡々と述べるだけだ。

 

 むしろムキになったのは勝母の方だった。

 

「そんな訳にいくか! お前の跡を継ぐ者だって必要だろうが」

「僕の跡? そんなの必要ないですよ」

「店をどうする気だ?!」

「店はお多可姉さんがもう継いでます。あ、ウチの家は基本的に長女が跡取りなんです。男は芸事だとか、好き勝手にやっていい代わりに、まとまった金をもらって家を出ることになってて。だから僕の兄さん達は寄席の席亭になったり、もっと儲けてくるって上海(シャンハイ)に行っちゃった人とか色々いますよ。家業はしっかり者の女が継いでくれるので。多可姉さんの娘のお津多(ツタ)ちゃんも、僕よりしっかりしてて算術も得意ですし」

 

 那霧(なぎり)の家の特殊な事情を聞いて、勝母はなんとなくこの家の人間の、少々変わった雰囲気の理由がわかった気がした。

 

 何をどう言えばいいのかわからなくなってきて、呆けていると、旭陽がかがんで勝母の顔を窺ってくる。

 

「他に心配事はあります?」

「私は……」

 

 勝母は言いかけて逡巡した。

 

 思い出すのは祈り続ける母の姿だった。

 任務へと赴いた父の無事を祈って、毎日神棚にきちんとお供えものをして、ずっと祈っていた母。父が行方不明となって、悲しみに打ち震えていた…。

 

 

 ――――― 怖くて…私にはもう無理だって…

 

 

 いつも不安な気持ちで東洋一(とよいち)を送り出して、待ち続けることに耐えられなかった里乃。……

 

「私は、いつ死ぬとも限らないんだぞ」

 

 勝母は低く呻くように言った。

 俯けた顔を上げることができず、いっそ耳を塞ぎたくなる。

 

 本当はこのことについて、旭陽に選択を迫るようなことはしたくなかった。

 お前はどちらを選ぶのか、と。

 母のように耐えて待つのか、それとも里乃のように……逃げるのか。

 聞きたくない。

 旭陽がどちらを選んでも、勝母は苦しい。

 

 しかし旭陽の答えは明瞭で、力強かった。

 

「覚悟はしてます」

「…………」

「幸さんが自分の命を懸けて鬼と戦っているんですから、僕も、いつあなたを失うかもしれないっていう恐怖と戦うしかないですよ。つらいだろうし、苦しむでしょうけど、覚悟はしています」

 

 勝母は顔を上げ、呆然と旭陽を見つめた。

 目にかかっていた膜が取り払われたかのように、くっきりと、すべてが輝きはじめる。

 背が高いだけで、頼りないと思っていた男は、本当は勝母などよりもずっと強かった。

 強く、(ひろ)く、大きい……。

 

 その姿が、見る間に歪んだ。

 

「ええぇぇっ!? どうしました? 幸さん!」

 

 目の前でいきなり涙を流す勝母に、旭陽はまたあわてふためく。

 

 勝母は手を伸ばした。

 グイ、と旭陽の服を掴んで、無理やり引き寄せる。

 温かな心臓の音を聞くために胸に顔を埋めたのは、恥ずかしかったからだ。……たぶん。

 

 

<つづく>

 




次回、最終回になります。2023.03.18.更新予定です。
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