椿の涙<鬼殺隊列伝・五百旗頭勝母ノ帖>   作:水奈川葵

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六.篠宮東洋一という男

 五百旗頭(いおきべ)勝母(かつも)は下弦の鬼を討ち果たし、齢十三にして花柱として立った。

 鬼殺隊史上最年少の、しかも女の柱ということで一部の風当たりは強かったが、案外と話のわかる人間もいるので、思ったほどに居心地は悪くない。

 

 父が裏切者ということも、さすがに柱は皆知っていたが、隊士のほとんどは知らされていないようだった。

 

 縫は勝母に裏切者の娘として白眼視されるがいい…と言っていたのものの、五百旗頭卓磨(たくま)が裏切者であるということも、自分の姪がその男の娘であるということも、誰にも話していなかった。

 五百旗頭卓磨と自分が縁戚関係にあることを話したくなかったというのもあるだろうが、単純に縫にはその手の話をできる相手がいなかったようだ。

 縫は隊内においても孤独だったのだろう。

 

 父も隊内に友人と言える人間は少なかったようで、勝母が入った時には同じ苗字であることに興味を示す人間はいなかった。

 

 だが隊士になった当初は、勝母もまた叔母や父とさほど変わらなかった。

 見かけは小柄で、子供らしいやや下膨れの丸顔は、年齢も相俟って、見くびられる対象であったが、一度立ち合えば二度と軽侮する人間はいなかった。

 

 力量ももちろんだが、子供らしからぬほどに丁寧でいて、鋭い舌鋒は、ちっぽけな自尊心であれば微塵に砕くほどの威力があった。そのせいで入隊当初、物珍しさに勝母に寄ってきたほとんどの人間は、すぐに勝母から距離を置いた。

 

 勝母にとってはその方が有難かった。型通りの人間関係など、面倒臭い。

 ひたすらに己の技を磨く。

 それこそが勝母にとっては至上の課題であり、目標であった。

 

 その先に柱として隊の最高位についても、勝母は充足しなかった。

 任務のない日も修練を怠らず、何であれば仕事以上に体を痛めつけた。

 

 強くなる。

 誰よりも強くなる。

 

 それこそが自分の生きていく糧である…と、信じていた。

 

 箪笥(たんす)の上に置いてあった母の縫った人形は、いつの間にか抽斗(ひきだし)の奥にしまい込まれた。

 見ると、泣きそうになるからだ。

 

 そういう自分の弱々しさに腹が立つ。

 いつまでも苛立つ。

 いつまでも満たされない。

 そうしてまた修練を繰り返す…。

 

 日々、真面目に隊務をこなし、柱としての重責を担うべく必死になっている勝母の前に現れたのが、篠宮(しのみや)東洋一(とよいち)だった。

 

 居酒屋での最悪の初対面の後、共同任務にあたり、噂通りの強さを目の当たりした勝母は、左近次を通じて手合わせし、ますますその技量に感心した。

 甲とはいえ一介の隊士にしておくには惜しい人材だ。いや、どう考えても、柱たるにふさわしい域に到達している。

 風柱はまだいるが、世代交代しても問題ないだろう。

 

「篠宮東洋一! お前、柱になれ!」

 

 高らかに勝母は叫んだ。

 新たな強者と出会い、剣を交わらせて互いに切磋琢磨する。それは勝母にとって非常に喜ばしいことだった。

 しかし、いつになく高揚した勝母に対して、東洋一は白けた視線を向けただけだった。

 

 その時から違和感はあった。

 

 酒宴の席で間違って酒を呑んで、気がつけば篠宮東洋一に背負われていた。

 自分のくしゃみで目を覚ました後、しばらく規則正しい揺れの中で、まだたゆたっていた。

 うすらぼんやりとした意識の中で、広い背中が温かくて、妙に安心したのを覚えいている。

 

 それが心地良くて、降りることもしなかったというのに、どうしてあんなことを口走ったのか……。

 これがいわゆる絡み酒というものだったのだろうか。

 昼からずっと胸の底にこびりついていた違和感を、東洋一にぶつける。

 

「……強くありたいと願って今までやってきたのだろう? なぜ柱になって、己の強さを誇示しない? お前は…なんのために鬼殺隊(ここ)にいる?」

 

 東洋一は無言だった。

 屋敷の勝手口まで来た時に、とうとう怒りを抑えられなくなったのだろう。勝母をやや乱暴に放り出すと、冷たい眼差しで見下ろしていた。

 

「答えろ!」

 

 半ば酔った勝母は、執拗だった。

 

「俺は…いいんだよ。自分のことなんざ」

 

 面倒そうに突き放すように言われた時、勝母はなぜだか悔しかった。

 今まで必死でこなしてきた血反吐を吐く修練の日々を、足蹴にされ、唾されたような気分だった。

 苛立ちが頂点まで沸騰し、自分でも思ってもなかった言葉が出る。

 

「ふざけるな! お前なんかに何がわかる!? 私は…………!」

 

 その時は自分でも意味がわからず、ただ怒りに任せて口走っただけの言葉だった。

 

 

 

 翌朝。

 

 目覚めた勝母は自分の言葉を反芻し愕然とした。

 

 ひたすらに鬼を屠り、修練を繰り返し、強くなって、柱となっても満たされない理由―――。

 自らでその答えを昨日、叫んでしまっていた。

 

 ―――――私は……鬼狩りになどなりたくなかった!

 

 虚無を宿した瞳で、ぼんやりと中空を見つめる。

 

 ―――――忘れるのか?

 

 聞こえてくるのは、叔母の声。

 

 ―――――()()()を、忘れられるのか?

 

 少し嗄れた低い声。

 既に死んで久しいのに、どうしてこうまで鮮明に聞こえてくるのか。

 

 ―――――オマエの母を、弟を…殺したのは……誰だ?

 

 部屋の隅の暗がりを見ると、恨みに満ちた叔母の眼があった。盲いた目は焦点が合わないまま、勝母を睨みつける。

 

 ギュッと勝母は拳を握りしめた。

 叔母の幻影を直視しながら、つぶやく。

 

「殺す……必ず」

 

 ニタァと叔母が笑う。

 勝母は唇を噛みしめた。どこまでも、どこまでも、父を殺すその日まで、この叔母の呪縛からは逃れられないのだ。

 

 叔母の姿がなくなると、勝母は緊張を解いた。深呼吸とともに、ゆっくりと首を振って迷いを払った。

 本懐は遂げていない。弱音を吐くことは、まだ許されない。……

 

◆◆◆

 

 後日、町中でひょっこりと篠宮東洋一と再会した時、勝母は目を逸した。

 どうにも気まずかった。互いに酒の上での事と了承しているだろう…とは思いつつも、東洋一の方でどう思っているのかはわからない。

 

 俯いてそのまま通り過ぎようとする勝母の腕を、東洋一はいきなり掴んできた。

 

「花柱、いいところに来た」

「………は?」

 

 振り返ると、東洋一がパン! と両手を合わせて、いきなり拝んでくる。

 

「金貸してくれ! 煙草を切らしちまった!」

「…………」

「仕事の前には一服して行きたいんだよ~、頼むよ~」

 

 この男は情けない顔をするのが上手いな…と、妙な感心をしながら勝母は溜息をついた。

 

「…ちゃんと返せよ」

 財布を出して金を渡すなり、東洋一はニッコリ笑って手を振る。

 

「おう! 出世払いな!」

「いつだ、それは!?」

 

 聞き返した時には、もう走って行ってしまっている。

 勝母はあきれた。

 あの男に対して、真面目に思い悩むというのは、時間の無駄でしかない気がしてくる……。

 

 嘆息してから歩き出した足どりは軽かった。

 それが東洋一なりの韜晦(とうかい)なのだと気づくのは、随分後になってからだ。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 それから二年後――――。

 

 任務が早くに終わって帰路についていると、途中で鱗滝左近次と出くわした。

 水の呼吸の剣士で、勝母が柱になる前から何度か一緒に任務に当たっている。立合稽古において、柱以外で勝母の相手ができる数少ない一人だ。

 

「……終わりか?」

 

 天狗の面を被っているので、表情はわからない。だが、全身から漂う気は穏やかであった。おそらく勝母と同じ任務帰りと思われる。

 案の定、天狗は頷いた。

 

「腹が減ったので、帰りに東洋一さんに教えてもらった店にでも行こうかと…一緒に行きますか?」

 

 左近次は初対面の時から、年下の勝母にも丁寧な言葉遣いだった。誰に対しても基本、そうだった。

 ただ、敬語であるからといって物柔らかな性格というわけでもなく、これで言うことは案外と辛辣であり、立合いとなれば、もっと容赦ない。

 勝母は左近次といるのは楽しかった。

 

「うん。行く」

 

 連れ立って歩き出すと、大通りはまだ宵の口で、仕事終わりの町人達がうろつき回っていた。

 人通りの多い大通りから外れた裏通りの、やや入り組んだ路地の奥から蒲焼きのいい匂いが漂ってくる。程なくして、鰻の絵の描かれた提灯の店が見えてきた。

 

「あの男、どうやってこういう店見つけてくるんだ? 前も妙な所にある蕎麦屋とか見つけてくるし…」

 

 勝母は少し呆れ口調で言うと、左近次はクイと天狗面を上に上げた。寝食の時だけは外すらしい。

 

「さぁ…? ここは、においを辿って見つけたらしいですよ」

「犬か…あいつは」

「まぁ、お陰様でこちらは探さずに美味しい店にありつけるので有難いですよ」

 

 相変わらずしれっと言いながら左近次は入って行ったが、すぐに足を止めた。

 続いて入ろうとしていた勝母は、左近次の背中に頭をぶつける。

 

「…っ…オイ! つかえるだろう」

 勝母が注意すると、意外な声が聞こえてきた。

 

「あ…花柱様」

 

 左近次の背から顔を出して見れば、一段上がった畳の間で、勝母の姿を見るなり正座しているのは、風波見(かざはみ)賢太郎(けんたろう)だった。現風柱の子息で、風柱を代々継いできた惣領家・風波見家の跡取りである。

 

「あ……」

 その横で飲んでいたのは香取(かとり)飛鳥馬(あすま)だ。

 既にそこそこ呑んでいるのか、顔が赤い。

 

「こんな所で会うとは奇遇だな」

 

 言いながら、飛鳥馬は場所を空けてくれる。こうなると、断るのも角が立つ。チラと左近次を見たが、異論はなさそうなので、二人の酒席に交ぜてもらうことにした。

 

「意外な取り合わせだな…」

 勝母は飛鳥馬と賢太郎を見比べながら言った。

「共同任務だったのか?」

 

「あぁ。賢太郎の管轄がこちらに変わったのでな…まあ、俺は来月から蝦夷陸奥辺りに回されるし、引き継ぎみたいなものだ」

 やや呂律があやしくなりつつ、飛鳥馬が説明する。

 

「ふぅん」

 適当に返事しながらも、勝母の心中はザワザワと逆立った。

 まだ最終選別も終わらない、この時期の配置転換? 随分と急な気がする。

 

 現在、柱を束ねる立場にある風波見周太郎は賢太郎の父であり、鬼殺隊士ならば知らぬものなどいない『伝説の風柱』。

 代々風柱を継いできた風波見家としては、当然ながら賢太郎に跡を継がせようと思っているのだろう。

 今回の配置転換もその布石であろうか? 賢太郎に実績を積ませるための。

 少し前から関東近辺での鬼の出現は確実に増えている。場数をこなすには都合がいいだろう。

 

 気に入らない…。

 

 自分は花柱になったが、祖母の跡を継いだ気はない。あくまで実力であると思っている。

 他の柱もまたそうであるべきだ。

 既に柱を継ぐに足る人物がいるのに、いつまでも因習を声高に主張するのは、隊の為にならない。

 例え、その人物が望んでないにしても…だ。

 

「この際だから聞くが、賢太郎…お前、自分が篠宮東洋一より優れていると思うか?」

 

 唐突であったが、賢太郎はその聞きようによっては無礼な質問に、フワリと微笑んだ。

 

「いいえ…」

「今後もあの男を越える自信は?」

 

 賢太郎はしばらく考え込んだ。

 隣にいる飛鳥馬は、あまりにあけすけ過ぎる勝母の問いかけに、落ち着きなく目を動かしたが、左近次は勝母の隣で鰻丼を受け取って、平然と食べ始めた。

 

「東洋一さんが、今後一切、隠れて稽古をすることがなければ…有り得るかもしれませんね」

 

 その答えに勝母はフンと鼻を鳴らした。

 

「…では無理ということだな」

「そうですね」

 

 賢太郎は穏やかに答えると、酒を一口含む。

 貴公子然とした態度に、勝母はイラッとしてつぶやく。

 

「だが、あの男は柱を継ぐ気はないと言っていた。お前に遠慮しているのか……」

 

 賢太郎は甚だ無遠慮なその言葉に目を丸くした後、面白そうに勝母を見つめた。

 

「…何だ?」

「花柱様は…東洋一さんが好きなんですね」

「………」

 

 勝母が眉間に皺を寄せ沈黙すると、妙な緊張感に包まれた。

 カタン、と左近次は食べ終えた丼鉢を膳に置き、勝母に声をかける。

 

「鰻、冷えますよ」

 

 言われて勝母は無言で食べ始めた。

 鰻は美味しかったが、心境としては非常に面白くなかった。どうして今の会話の流れで「東洋一さんが好きなんですね」になるんだ? 意味不明だ。

 

 賢太郎とはこれまでも何度か話したことはあるのだが、どうにも読みづらかった。

 表情が動かないのは左近次もそうだが(それは面を被っているか否かに関わらず)、不思議と左近次といても居心地の悪さを感じることはない。

 だが、賢太郎は話していると、いつも何か引っ掛かる。

 

「………わかる」

 

 ややあって口を開いたのは、香取飛鳥馬だった。

 

 東洋一と同期というこの霞の呼吸遣いは、普段はとても常識人であり、遠慮がちな性格もあって、あまり目立つ存在ではなかったが、正確無比にして手堅いと称される剣技は手練の域だった。

 

 但し…酒を呑むと、多少人格がおかしくなる。

 四人が黙り込んだ間に耐えきれなかったのか、やたら酒を呷っていた飛鳥馬は、いつも通りというべきか…泥酔しつつあった。

 

「…花柱の言う通りだ。俺もそう思う。あいつがどうして柱にならないのか、もう風柱様は………あ、いや、御子息の前で言うのは気が引けるが…」

 

 飛鳥馬はあわてて遠慮したが、賢太郎は笑って促した。

 

「僕は気にしませんよ。わかっていますから…」

「そうか…じゃ言う。東洋一は今や風柱様に代わって全国を飛び回っている。本人は頑なに認めないが、俺は既にヤツは十二鬼月を討っていると思うんだ…」

 

 それは勝母もまた当人に聞いたことがある。

 訊いた途端に不機嫌になって、話を打ち切ったので真相はわからない。

 

「昔な…東洋一と康寿郎と三人で約束したんだ。三人で柱になろう…って。東洋一もあの時には、なろう…って言ってたのになぁ……もう、忘れたのかなぁ?」

 

 言いながら、飛鳥馬は目に涙を浮かべると、急に突っ伏した。

 肩が震えている。

 

 勝母は内心で溜息をついた。

 香取飛鳥馬の泣き上戸に出くわすのはいつぶりだろう?

 前もここから長かった。亡くなった兄達の話を始めて、一人亡くなる毎に大泣きしていた。

 

「あぁ、忘れてますね」

 

 左近次はそんな飛鳥馬の感傷的になりがちな気持ちを知ってか知らずか―――おそらくわかっていると思う―――ずっぱりと言い切る。

 飛鳥馬はガバッと顔を上げると、もうボロボロ泣いていた。

 

「やっぱりか!」

「ええ。それ、最終選別の時の話でしょう? 東洋一さんが前に話してくれましたけど、ただただ香取さんと炎柱様が酒が弱くてクソ面白くもない…っていうことぐらいしか言ってませんでしたよ」

 

 本当は飛鳥馬が泣き上戸なのにも言及して、だからそれからはあんまり呑まさないようにしている…という注意点も言っていたが。

 

「最終選別の後の酒盛りの話なら、僕も東洋一さんから聞いたことあります。楽しそうに話しておいででしたよ」

 

 賢太郎がとりなすように言うと、飛鳥馬は「うぅぅ…」と肩を震わせて泣きむせぶ。

「あの男ォ……人が勇気を振り絞って…一緒に柱になろうって言ったのに。………いや! 言うな!! わかってる!!」

 

 いきなり飛鳥馬は手で制してきたが、特に誰も何も言っていない。

 

「俺なんかが、柱になれるわけないんだ! 俺は風波見家や煉獄家のような由緒正しい惣領家でもない! 花柱のように祖母が柱だったわけでもない! ただただ先祖代々鬼殺剣士ではあったが、誰も柱になった奴なんかいない! 由緒正しい一般隊士家系なんだ!」

 

 なんだ、それは…と思いつつ、誰も口を出さないのは、下手に刺激したら、そこからまた妙な方向に進んで収集がつかないからだ。

 

「俺なんて、小さい頃から色々と兄達に鍛えられてようやっと隊士になれた程度だ……それなのに、あいつは()()風柱様の継子になるというだけでも大したものなのに……今や、風柱様の代理で動き回っているんだ…しかも、それを声高に言い回ったりもしない。ああ見えて謙虚なんだよ、あの馬鹿は……な? 賢太郎」

 

 いきなり自分に水を差し向けられたが、賢太郎はあわてることなく「そうですね」と頷いて肯定する。

「見せませんからね、努力を。そういうの…格好悪いと思うのか」

「そうなんだよ! よくわかってるな!! さすが伝説の風柱様の息子だ!」

 

 そこは誰の息子であろうが関係ないだろうが……と、勝母は鰻を噛みながら思う。賢太郎も賛辞にしろ、嫌味にしろ、いつもいつも何かというと『伝説の風柱の息子』扱いをされるので、正直面倒だろうな…と少しばかり同情する。

 

 その賢太郎は相変わらず本心なのかどうかわからない微笑を浮かべて、酔っ払いの相手をまともにしていた。

 

「それにしても香取さん。そこまでご自分を卑下されるのものでもないでしょう? 柱の話が出ているのは香取さんもでしょう?」

 

 勝母は眉を寄せた。それは確かにその通りだが、現段階では柱しか知らぬはずのことだ。

 

「なぜ、お前がそんなことを知っている?」

 勝母が鋭く尋ねると、賢太郎は軽く肩をすくめた。

 

「香取さんほどの戦績であれば、自然とそういう噂は立ちますよ。まして、今は霞柱はいないんですから。実力でいえば、鱗滝さんも水柱になってもおかしくないでしょうけど」

「………」

 

 勝母はスッと目線を外した。

 現在の水柱は先だって鬼との戦闘中に怪我を負って、今は治療中だ。もし、復帰が難しいとなれば、おそらく近いうちに左近次は水柱として立つことになる。

 そのことは柱合会議では既に議題として上がっている。賢太郎が知らぬのなら、周太郎は会議内容をすべて息子に話しているというわけでもなさそうだ。

 

「俺は…東洋一が柱にならないなら、ならない!」

 

 突然、飛鳥馬が叫ぶ。

 子供の駄々のような文句に、勝母は眉をひそめた。

 

「あの男が柱になるのと、お前がなるのかは関係ないだろうが」

「男の約束だ!」

「つまらん。所詮、酒の席での約束なんぞ…むこうは忘れているんだ。意味がない」

 

 にべなく勝母が一刀両断すると、飛鳥馬はグビリとまた酒を呷って、「ハアーァッ」と大仰な溜息をつくなり、ボソリとつぶやいた。

 

「いっそ……東洋一と念友になりたい」

 

 勝母が意味を理解するのに言葉を失っている間、隣で珍しく左近次が飲んでいた茶を噴いた。賢太郎は驚いて口が半開きで止まっている。

 

 しばしの沈黙の後―――

 

「……香取。あんた…酔ってるな」

 

 辛うじて勝母が声をかけると、飛鳥馬は顔を上げるなりキッと睨んできた。

 

「酔ってるさ! 酔わないでいれるか!! 前だって酔った勢いで言ったけど、あいつ本気にしないですっかり忘れてるんだッ!」

「そりゃそうでしょう…」

 

 左近次は手拭いで口を拭いながら、あきれたようにつぶやく。

 勝母は深く溜息をつくと、飛鳥馬に厳しく諭した。

 

「お前があの男とどうなろうが知らんが、柱の話とはまた別のことだ。くだらん駄々をこねてないで、さっさと拝命しろ!!」

「イヤだッ!!」

「この……いい年してイヤって何だ、イヤ…って」

 

 いい加減ムカついて、思わず手が拳をつくったが、殴る前にコテンと飛鳥馬は寝入ってしまった。

 

「相当…酔ってますね」

 左近次は鰻丼を食べる手を休めることなくつぶやく。

 

「知ってたか?」

 勝母が問うと、左近次はチラと飛鳥馬を見た。

「まぁ、なんとなく…感じてはいましたけど。ただ、あくまで精神的なものだと思いますよ」

 

「………羨ましい」

 

 いきなり言ったのは賢太郎だった。

 勝母は思わず聞き返した。

 

「羨ましい? なにが?」

「僕には香取さんみたいに、誰かを真剣に好きになることなんて出来そうもないですから」

「妙なことを言う。お前には妻がいるだろうが」

 

 賢太郎は確か最近、祝言をあげたばかりだ。幼馴染の許婚者(いいなずけ)であったと聞く。特に問題があるようには思えない。

 だが賢太郎は苦く、皮肉っぽく笑った。いつも薄笑いを貼り付けている男にしては、その表情の揺らぎは稀なことだ。

 

「いますが……妻は家族なので」

「………よくわからん」

 

 勝母は眉を寄せると、鰻の肝を噛み潰して飲み込んだ。苦味が舌の上で走る。

 賢太郎は飛鳥馬に羽織をかけてやりながら、穏やかに尋ねてきた。

 

「花柱様は東洋一さんのことが好きでも、抱かれたいとは思わないでしょう?」

「………」

 

 生々しい言葉に、勝母は嫌悪感を感じた。ヒクヒクと頬の肉が痙攣する。

 

「あれ? 違いましたか?」

 返事しない勝母に、賢太郎が首をかしげる。

 

巫山戯(フザけ)るなッ! なんであんな男にッ」

「でしょうね。僕もそうです。だから家族なんですよ。僕にとって東洋一さんがそうであるように…花柱様にとっても、兄のような存在なのでしょう?」

「………」

 

 確かに以前、便宜上、『兄』としての(てい)をとったことはあるが。

 

 しばらく考えてみたが、うまく想像ができなかった。自分に家族の縁は薄い。まして兄という存在はない。考えようがなかった。

 

「まぁ、いない人の話はこれくらいに…。東洋一さんのくしゃみが止まらないでしょうからね」

 

 左近次は立ち上がると、刀を差しながら言った。

 今夜は珍しいことばかり起こるようだ。左近次が鰻丼を二杯で終えるのも、そんな洒落っ気のある冗談を言うのも。

 

 しかも続けて妙に強い語気で、

「香取さんは任せます、御曹司。それと、あまり花柱様をからかうものではない。この人を傷つけたら、それこそ()()から叱って頂くことになりますよ」

と、天狗の面を再び被りながら言う。

 

 賢太郎はスゥと目を細めた。

「……貴重な御意見、いたみいる」

 

 妙な雰囲気のまま外に出て歩き出すと、勝母は左近次に尋ねた。

 

「最後のアレは何だ?」

「………わかりませんか?」

 

 左近次は前を向いたまま歩きながら、尋ね返してくる。

 

「わからない。どういう意味だ?」

「彼は彼なりにあなたと仲良くなりたいんでしょう。おそらく」

「………全く…わからない」

 

 勝母は途方に暮れて夜空を仰ぎ見た。

 鼻の利く左近次には、賢太郎の読みづらい胸の内もある程度推測できたらしいが、勝母にはさっぱりだった。

 

 こういう時、話相手が男というのは困る。自分が女であることに枷を感じたことはあまりないが、やはり性別が違うと、どうにも通じがたいところがある。

 

 ムゥ…と押し黙った勝母の頭を、左近次はぽんと軽く叩いた。

 天狗面で顔は見えなかったが、なんとなく優しく笑っている気がした。

 

 

<つづく>

 

 

 






次回は明日2021.08.22.日曜日の更新予定です。また日をまたぐかもしれませんが…すいません。


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