ここ数日、任務が重なって多少寝不足気味であったせいだろうか。
目をしばたかせて、こすって、見たが…間違いなく、今、天秤棒を担いで横切っていった男の向こうにいるのは、小生意気な花柱の
むろん、町中に勝母がいることは特に珍しいことではない。
思わず見てしまったのは、その勝母が、たじたじな様子で男に詰め寄られていたからだ。
基本的に、あの女が男に負けることはない。だが、それは鬼殺隊内にあってだ。
一般人相手にまともにやったら面倒なことになるので、否が応でも手加減せざるをえない。ある意味、勝母にとって、普通の男というのは一番やりにくい相手なのだ。
なにを怒らせたのか知らないが、面倒くせぇな…と思いつつ、東洋一は寄って声をかけた。
「おーい。どうかしたのかぁ?」
のんびりした口調で割って入ってきた男を、勝母はギョッとしたように見た。
それが東洋一だと気付くと、チッと舌打ちする。
「なんだよ、その態度」
東洋一がムッとして軽く睨むと、勝母は鬱陶しそうにつぶやいた。
「うるさい。向こう行け」
「ややこしそうな事になってるから、声かけたんだろうが。―――お兄さん、コイツ何かいらんことしました?」
東洋一が尋ねると、勝母に迫っていた男―――
「あの……どちらさまでしょう?」
怪訝そうに尋ねてこられ、東洋一はしばらく考えた後に思いつく。
「あー……兄」
「は?」
勝母が信じられないように見てきたが、東洋一はいけしゃあしゃあと笑った。
「お前が言ったんだろ?」
「……いつの話だ」
勝母は吐き捨てるようにつぶやいたが、旭陽はいきなり背筋を正して東洋一に向き直った。
「初めまして! 那霧旭陽と申します」
「………はぁ?」
まさかいきなり自己紹介してくると思わず、東洋一は首を捻った。
同時に、なんとなく…やっぱり声をかけないほうが良かったんじゃないか…と後悔する。
しかし、既に遅い。
「勝母さん御用達の薬問屋・
旭陽が相変わらず聞いてもない自己紹介を始める間、勝母はただただ東洋一が呆れ顔で去ることを祈ったが、東洋一の方は逆に興味が湧いた。
「へぇ…そりゃまた…お偉いことで。そんな秀才さんが、コイツに何か?」
「あ……え、と……」
それまで饒舌だった旭陽は、急に赤くなるとポリポリと頭を掻く。
「なんでもない! お前、どうせ花街にでも行くのだろうが! さっさと行け!!」
勝母はあわてた様子で、グイグイと東洋一を向こうへと押しやろうとする。
「おいおい…今はそんな金ねぇよ」
「じゃあ、貸してやる」
すぐさま勝母が財布を出そうとするので、東洋一はますます不審になった。普段であれば、そんな悪所通いはいい加減やめろ…とか何か文句を言っているところだ。
斜め前では、財布を出そうとして根付が何かに絡まって悪戦苦闘している勝母を、旭陽がニコニコと見ている。
東洋一はニヤリと笑って言った。
「いや…じゃあ、いっそ一緒に行きます? 秀才さん」
「へ?」
「ここからなら吉原でもいいが…女連れだとあそこは面倒だから、新橋あたりの料理屋で芸者でもあげましょうか? 金はコイツが持ってくれるらしいので」
「うるさい! 馬鹿! 一人で行け!!」
勝母が怒鳴りつけると、旭陽はおずおずとその肩を叩く。
「勝母さん。駄目ですよ、お兄さんに馬鹿とか言っては」
その時の勝母の顔といったら…。
東洋一はブッと噴き出すと、大笑いした。
「わかった、わかった。じゃ、消えてやるよ。煙草代で」
手を出すと、勝母が忌々しそうに駄賃を叩きつける。
「とっとと行け!」
念押しのように言われて、東洋一はニヤと笑うと、旭陽に軽く頭を下げてその場は後にした。
ただ…やはり後日、東洋一はこの旭陽との出会いを後悔することになった。
◆◆◆
「オイ、お前…あいつどうにかしろよ!」
珍しく屋敷にやってきた東洋一が怒鳴り込んでくるのを、勝母は冷たく見た。
今は解毒薬の精製作業中だ。細かい作業なので、あまり騒ぎ立ててもらいたくない。
「何が?」
「あの野郎だよ! あの、妙な…医学校だかなんだの、頭がいいんだか、馬鹿なんだか訳わかんねぇ野郎」
勝母はすぐに思い当たって、眉を寄せた。
今、一番思い出したくもない人間だ。
那霧旭陽は神農屋で再会してからというもの、やたらと屋敷に来ては相変わらず馬鹿みたいなことを言うので、
「用もなく来ないでいただきたい」
と、わりと直截に断ったら、今度は海外からの珍しい品種の薬だの何だのを持って、売り込みついでに来るようになり、
「薬草等については、お店の方でお
と言うと、今度は毎日のように手紙を送ってくるようになった。
たまに町中で会った時などは、もうそれこそ餌に飛びついてくる犬の子みたいに寄ってくる。
この前に東洋一に会ったのも、そのたまたまを運悪く見られてしまったのだ。
どうにか煙草代程度で帰らせたものの……正直、心配だった。
東洋一が周囲に面白おかしく話そうものなら、あっという間に隊内に噂が広がるだろう。
だが案外と東洋一は誰にも話さなかったようだ。
一番、仲のいい左近次ですら、それとなく訊いてみたが知らない様子だった。
勝母はとりあえず安心していたが、どうにも何か魂胆がありそうな気がする。
「……彼が何か?」
澄ました顔で勝母が尋ねると、東洋一は椅子に腰かけてワシワシと髪の毛を掻き毟った。
「あの野郎。お兄さんにお許しをもらいたいとか抜かして……しつこくつきまとってきやがんだよ! 誰に聞いたかヤサも知れちまうし…お前、どうにかしろよ!」
「………」
両手に瓶を持ってなかったら、勝母は頭を抱えていたろう。
ここ最近、旭陽からの手紙が来ないようになっていたのだ。別に待っていたわけではないが、急に止んだのでどうしたのかと思っていたが……
勝母は瓶をそっと机の上に置くと、おもむろに振り返った。
「兄とか嘘をつくからだ」
「元はお前だろうが。余計な詮索されたくないんだろう?」
「あの男は鬼殺隊について多少は知っている。別に気にする必要はなかったんだ。兄でないと言えば済むだろうが」
「言ったさ! そしたら兄じゃなかったら、どういう関係だとか聞いてくるから、余計に面倒なんだよ」
「………」
勝母はゲンナリした。自分は旭陽を助けたが、そこまで好意を受ける理由がわからない。まして結婚など……冗談が過ぎる。
東洋一は窓から入り込んできた桜の花びらを手の平に乗せ、フッと吹くと、うんざりした様子で言った。
「あー…面倒くせェ。ちょちょっと付き合ってフっちまえよ。そしたら、つきまとうのも
「
「馬ー鹿。俺にとっちゃしっかりした他人事で、このテのことは適当にやっつけちまう事なんだよ」
「適当にやっつけるって何だ!? 一般人相手に手が出せるか!」
「………」
東洋一は言葉を失うと、ガクンと天を仰ぎみる。
勝母は訳がわからないまま、ついでに気になっていたことを問うた。
「お前……私の…この…あの男とのこと、誰にも言ってないようだが……何の魂胆だ?」
じーっと勝母を見つめた後、東洋一はハアァと厭味ったらしい溜息をついた。
「なんだ! 一体?」
「ケツの青い
「だっ…れが……ケツが青い、だ! 子供扱いするなッ」
「へー。見たのかよ、自分のケツを。それとも見てもらったのかー? あいつに」
「…貴様ァァ……」
腰に刀があったら、抜いている状況だったのだが、幸いというべきか今、勝母が着ているのは作務衣だった。
少なくとも一方にとっては一触即発という雰囲気を割って入ったのは、
「あれ? お兄さん、いらしてたんですか?」
勝母と東洋一が同時に振り返ると、萌葱色の風呂敷包みを持った旭陽が立っている。
「何しに来た!?」
勝母はほとんど怒鳴るように問うたのだが、旭陽は久しぶりに聞いた声にうっとりしている。
「あぁ、久しぶりですね。勝母さんの声……」
「聞いてねぇし…」
東洋一はボソリとつぶやいて、自分は退散しようとしたが、出入口に旭陽が立っているので窓の方へとゆっくり歩いていく。
だが、妙に目敏い旭陽に呼び止められた。
「あ、お兄さん。事情はわかりました!」
「は?」
「勝母さんの異母兄で、最近になって知り合ったらしいですね。妙に他人行儀だと思っていたんですけど、今日ようやく納得がいきました。まぁ、色々とお互い思うところはおありだと思いますが、せっかくの縁なんですし、仲良くしましょう!!」
東洋一と勝母は目を見合わせた。
一体、どういう状況だ、これ。
「あのよ……」
東洋一はそろそろと旭陽に近づいて尋ねた。
「その話……誰が言ってたんだ?」
「誰? あー…そういえば名前を聞きませんでした。勝手に天狗さんって呼んでましたが…」
天狗から想像できる人間は一人しかいない。
勝母はヒクヒクと頬が動いて、笑いながら怒っているような奇妙な顔になった。
東洋一はゲンナリしつつも剣呑に光る視線の先に、天狗の面を被った鱗滝左近次の姿を思い浮かべていた。
「……何を考えているんだ…あの男」
「……あの野郎…たまにこういう妙な悪ふざけしやがる…」
二人が怒りに肩を震わせている間、旭陽は風呂敷包みを机の上に広げて、中から瓶やら紙に包んだ木の根やら、何かの動物の角らしきものを取り出していく。
「これ、姉さんに頼まれて持ってきました。注文の品です。昨日、船が早くに着いたので、急ぎかもしれないからって……」
「……あぁ。ありがとう」
とりあえず勝母は礼を言ったが、正直、今は薬を作る頭になれない。
調剤は細かく、正確にせねばならない作業なので、ある意味で集中力がいるのだ。今日はもう、とてもじゃないがそんな気分になれなかった。
「しかしお前さん…医学校だか何かに行ってるわりに、暇なのか? しょっちゅう俺やらコイツ追い回して…」
東洋一が皮肉まじりに言うと、旭陽はハハッと邪気のない笑顔を浮かべる。
「そんなことないですよ。学校と勉強の合間合間でどうにか頑張っているだけで。今日もこの後に剖検があるので、ついでで悪いんですが、こちらに寄らせていただきました」
「ボウケン?」
「ああ…えーと、解剖です」
「カイボウ?」
勝母も問い返すと、旭陽は珍しく言い淀んだ。
「あぁ…えーと……どうしましょうか。言っても気味悪くならないでしょうかね? その…人の体をさばく…というか。内臓とか骨とかを見るんですよ」
「…………」
勝母は無言になって動きが止まった。
人の死体を見ることは珍しくない。鬼に掻き切られた腹から臓物が飛び出ているのも、何度も見ている。何度見ても、慣れないが。
「あんた……案外とエゲツないことするんだな」
東洋一が意外そうに言うと、旭陽は困ったように笑った。
「まぁ…皆、気味悪く思うのは仕方ないんですけど、でも、人を助けようと思ったら、人の体をよく知っておく必要はあるんですよ。病気であれ、怪我であれ、どこに原因があって、どうしてその症状が起きるのかを知らないと、対処のしようがないですから」
「で、人の体を切りさばくのか? マグロみてぇに?」
「あ、もちろん死んだ人ですよ。今回は女の方が献体して下さったので、ようやく子宮とか卵巣とか、スケッチできそうなんです」
「シキュウ? ラン…ソウ?」
「えーと…生殖器官です」
「言ってることが難しくてわからん。お前、わかるか?」
いきなり東洋一に尋ねられて、勝母も首を振る。
さっきから生臭い話になっているのに、旭陽が妙に明るくて薄気味悪い。
二人ともから疑問を向けられ、旭陽はますます困ったように眉尻を下げた。
「えっ…と、あのー……その、赤ん坊を作るところ……ですかね」
その答えを聞いた途端、勝母は虫酸が走った。
瞬間的に、脳裏に幼い……あまりに幼くして逝ってしまった弟の姿が浮かぶ。
「嫌いだ!」
いきなり大声で叫ぶと、旭陽が呆気にとられたように見つめてきた。
勝母は旭陽に一歩近づくと、下から睨み上げた。
「私は…女の体を切り刻むような奴は嫌いだ!! とっとと出てけっ!」
◆◆◆
門の前で、東洋一はどうして自分がここにいるのかを考える。
勝母に怒鳴られて、追い立てられ(ついでに東洋一も一緒に)、花鹿屋敷を出た途端に、旭陽はしゃがみこんでガックリと項垂れた。
「おい……お前、この後、なんかあるんだろ? いいのか?」
あまりに長い間しょぼくれているので、東洋一がさすがに声をかけると、旭陽はいきなり立ち上がるなり、東洋一の肩をガッツリ掴んで、前後に揺さぶりながら叫んだ。
「どーしたらいいんですかッ!? お兄さんっ」
鼻水を垂らして号泣している男を見るのは…酒で潰れた飛鳥馬以来だが、どっちにしろ見てて嬉しいものでない。
「どう…って、まぁ…どうにかなるだろ」
「だって…ものすごく怒ってましたよ! 勝母さん!」
「いや…ちょっと初めて聞いてびっくりしたんだろ。今更、死人の肉を
一応、慰めたものの旭陽の耳には届いていないようだった。天を仰いで叫ぶ。
「ああー! 馬鹿だ、僕はーッ! あんな小さくて可愛らしいお嬢さんの前で、どうしてあんな生臭い話を始めてしまったんだあぁぁ」
「………小さくて……可愛らしい?」
東洋一がその形容に首をひねると、旭陽が「そうです!」とまた肩を掴んで揺さぶってくる。
「あんな可憐なお嬢さんにする話ではありませんでした! それなのに僕は…いい格好したいばかりに……ちょっと学のあるところをひけらかして……なんと嫌味で不躾な男でしょうか!」
「………」
嫌味で不躾…というより、奇妙で物好きなんだよ……と東洋一は思ったが、言っても聞いてなさそうなので喉の奥で留めた。
「どうしたんです?」
聞き慣れた声がして、東洋一はギロと睨んだ目で振り返る。
天狗面の鱗滝左近次が腕を組んで見ていた。顔は見えないが、絶対に笑っていやがる…と思うと、益々ムカついてくる。
「天狗さん……わざわざ見に来て下さったんですか?」
旭陽が洟をすすりながら問いかけると、天狗は頷いた。
「ちょっと気になったもので」
「よく言うな。見物に来たくせに」
東洋一が毒づくと、「まぁそうなんですけど」といけしゃあしゃあと言う。
「なにか…怒らせました? あの人」
左近次が問うと、旭陽は東洋一から天狗の方へとよろよろ歩いて、縋りつく。
「お兄さんと勝母さんの仲は取り持てたんですけどぉ……僕が馬鹿なばっかりに、勝母さんに怖い思いをさせてしまって……すっかり嫌われてしまいましたぁ」
「……なにがあったんです?」
左近次は人目も憚らずオイオイと泣く男に辟易した様子で、東洋一を見てきた。
「知ったことか。あのチビと、このトンチキが勝手に赤くなったり青くなったりしてるだけだ」
「そう苛々するものじゃないですよ。
「誰が兄だよ!」
「花柱にとっては、あなたは兄のような存在らしいですよ。風柱様のご子息が
「賢太郎が?」
東洋一は聞き返しながら、どうして左近次と賢太郎の間でそんな話が出たのか…内心で首をかしげたが、とりあえずはこの目の前で情けなく泣きわめく男をどうにかせねばならない。
「おい…ヒョロ高ノッポ。いつまで泣いてやがる。そういうのがあいつにゃ、いっとう嫌われるぞ。しゃっきりしろ、しゃっきりと!」
喝を入れると、旭陽はヒクッとしゃくりあげて涙をこらえた。
「ず……ずみばぜん」
「男がいつまでも女のことでグダグダ泣くな。鬱陶しい。テメェの本分は何だ? チビのケツ追っかけて、蹴られて転がって泣き喚くことか?」
「…………」
「やることやれ。人を助ける為にやってんだろうが…人が嫌がるような、気味悪いことでも…お前にゃ必要なことなんだろう? だったら貫けよ。それであいつがいつまでもグダグダと、しょうもねェことを抜かすなら、俺がそこの川にでもぶち込んでおいてやるよ」
「そんなひどい事はしないでください!」
旭陽は涙の乾いた顔で懇願すると、深々と頭を下げた。
「ありがとうございます、お兄さん。僕は…今は勉学に打ち込むことに致します!」
大声で宣言すると、旭陽は例の剖検とやらに遅れる……と、走って行った。
どうにも滑稽な後ろ姿を見ながら、東洋一はフと笑った。
「遅っせえなァ…なんであんな遅く走れるんだか」
「やれやれ…」
後ろで左近次は天狗面をとると、額にはりついた前髪をかきあげた。断髪にしたが、まだ慣れないらしい。
フゥと溜息をつくと、呆れたような顔で東洋一を見る。
「またそうやって……人を
「は?」
「自覚もないし……」
「なに言ってんだ、さっきから。っていうか、お前…なにあのトンチキに妙なこと言ってんだよ! なんであいつが勝手に俺とあのチビの仲を取り持つんだよ!」
「今更ですか? せっかくいい具合にまとまったんでしょうから、細かいこと気にしなくていいですよ。面倒でしょう?」
左近次がいつものようにサラリと流すと、東洋一は眉間に深い皺をつくった。
しかし、しばらく考えてみてから、考えがまとまらないことに気づくと、考えることをやめた。
「もぅ…いいや」
面倒くさくなって、ブラブラと歩き出す。
左近次はクスリと笑った。
本当に手の上でうまく転がる人だ…。
「オイ! ウマい天ぷら食わせる店、見つけたぞ。行くか?」
「…いいですね」
「お前、奢れよ」
左近次は笑って、再び天狗面をつけると、後をついて行った。
<つづく>
次回は2021.08.25.水曜日に更新予定です。