目鼻の先にあるトレーナーさんを見つめ続けて……気付いた時には視界に入っていた日の光に目を細める。…朝日が差し込んで来ていた。
もう、朝みたい。いつの間にかもう随分と時間が経っていたようだ…。
……夜通しトレーナーさんを堪能していたせいでちょっと頭が痛い。
魔が差して鼻と鼻がぎりぎり触れないレベルに、近付けていた顔を離す。
壁にある時計を見てみると…まだ6時にもなっていなかった。ちょっと、早く起き過ぎちゃったかな…。
「うぅ……ぐ…」
くぐもった呻き声が耳に入る。そして、私の隣がもぞりと動いた。トレーナーさん、起きたかな…?
……いや、目は瞑ったままだ。それに眉間に皺が…。
トレーナーさん…少し魘されてる…?
「スズカー………スズカー………」
…私の名前?………トレーナーさん、夢の中でも私の事を考えて…。
口元が緩む。
「…フフッ……」
冷たい、暗いものを胸に感じながら……未だに繋いでくれているトレーナーさんの右手を引き寄せ、自分の左手も添えて胸元に抱く。……今、多分凄いうっとりした表情をしてるんだろうな、私。
……しかし…夢の中の私がトレーナーさんと一緒にいて、独り占めしているのを考えると癪だ。…それに、生意気。起きてもいい時間だし、そろそろ起きてもらおう…。
「トレーナーさん」
「トレーナーさん」
「トレーナーさん」
手をにぎにぎしながら何回か呼びかけて…。
「ッあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……!?」
「ひゃっ」
ガバッ、と飛び上がるようにトレーナーさんが起きた。びっくりしたのでちょっとした悲鳴をあげ、目を何度も瞬かせてしまう。
トレーナーさんは錯乱した様子でぐるんぐるんと頭を揺らして辺りを見回している。
…もしかして私に関する悪夢…?
「………おはようございます?トレーナーさん」
「あ、あぁ……おはよう、スズカ」
「…大丈夫ですか?大分魘されていたようですが…」
「だ、大丈夫だ、問題無い。ちょっと嫌な……いや、嫌な夢でも無いけど……ま、まぁ夢を見たんだよ…!!」
「と、とにかく大丈夫みたいですね…良かった」
とりあえず嫌な夢じゃないみたいで良かった…。
…トレーナーさんはどんな夢を見てたんだろう。
聞く勇気も無いし、もう諦めよう……。
……急に黙り込んでしまったトレーナーさんの顔を覗き込んで見ると……何か嫌な事を思い出したような顔をしている。
「?」
どうしたんですか?と首を傾げて見せると…。
「…何でもないよ」
「そ、そうですか…」
「………スズカはよく眠れた?」
…実際は一切眠っていないけれど…。変に心配させてしまうのはいけないので…。
「はい。おかげさまで」
誤魔化しも兼ねて、トレーナーさんの握った手を見せる。
それを見たトレーナーさんはおっと、と言った表情で手を離してしまった。
ああ……ずっとそのままでも良かったのに……。
「………………」
「………………」
……こういう時、よく私とトレーナーさんは黙り込んでしまう。
気まずい沈黙を、ガラララ、と扉の音が破った。
「おはようございま〜す、スズカさ………」
あ、担当の看護師さん。
「……ええっと、スズカさん?そちらの方は?」
看護師さんが怪しい人を見る目でトレーナーさんを見つめる。
「あ、こちらの方は私のトレーナーさんです」
「あっ。そうだったんですねぇ〜。わざわざご苦労さまです〜」
それを聞いて看護師さんはすぐに警戒を解いてくれた。
「あ、あはは…どうも…」
「えぇっと、それでは、朝ご飯はこちらに置いておきますね?食べ終わったらまた後に回収しに参ります。では、失礼いたします〜」
看護師さんは色々察してか、机に病院食を置いて一礼し、そのまま早足に部屋から退出していった。
「…………忙しい人だったな」
「は、はい。……………でも…良い人だと思います」
「……だな」
「………さて、スズカ。朝ご飯にしようか………って、その前に…顔洗って歯磨きしなきゃな」
「ですね…。……あの、トレーナーさん。…体を……支えていただけますか?」
「…あぁ。任せてくれ」
部屋の雰囲気が重くなるのがわかった。私も、トレーナーさんも、この雰囲気、あるいは話が嫌なんだろう。無意識に怪我の事なんて忘れて、昨夜とさっきまで、他愛も無い、掴み所の無い会話を続けていようとした。
しかし、現実は嫌でも私達を引き戻す。
私はもう、走れない。
「……あー、じゃあ…」
トレーナーさんが困ったように頭を掻く。そして、寄ってくれ、と手招きして。すすす、とベッドの端に寄る。
……トレーナーさんが私の腰に手を回して、そのまま引き寄せるようにして立たせてくれた。
…トレーナーさんが、近い。少し集中すれば、鼓動の音も聞こえてしまいそう。
「大丈夫か、スズカ」
「っ……ふぅ。はい、大丈夫です。………ありがとうございます」
トレーナーさんに支えてもらっているけど……やっぱり左脚に大きな違和感があり…嫌でもフラついてしまう。
でも、ただ立っている訳にもいかないから…。
「……行きましょうか、洗面所」
「…ああ」
トレーナーさんは背が高いので、わざわざ私に合わせて屈んでくれて、私の左腕を首に回してくれた。…左手を支えるトレーナーさんの手をぎゅっ、と握る。
…骨折してもう走れない。だけど、そのおかげでトレーナーさんと一緒にいれる時間が増える。走れない事に絶望した。けれど、トレーナーさんを求めて止まず、トレーナーさんと一緒にいると全てを忘れられる……どうしようもない自分。
悲しみ、嬉しさ。矛盾した感情が同居していた。
__________数十分後。
支えられながら病室へ戻り、ぽふん、とベッドに座る。トレーナーさんがパイプ椅子に座って朝ご飯を取ってくれている間に足を伸ばす。
カタン、と音を立ててベッド備え付けのテーブルが私の前にスライドして来て、その上にご飯が置かれる。
「さぁ、スズカ。食べな。怪我人にはご飯が一番だ」
「はい…いただき、ます」
手を合わせ、箸を取って早速食べ始める。…うん。美味しい。味は薄いけれど、しばらくぶりのお食事だからか凄く美味しく感じる。
パクパクとお米や鮭の切り身、煮物を口に運んでいると、トレーナーさんの視線に気付いた。何も言わず私をじーっと見つめている。
……そう言えば、トレーナーさんっていつからご飯を食べてないんだろう。…きっとお腹、減っている。
「………トレーナーさん?」
「……んぁ?あ、あぁぁぁ、すまんすまん、ボーっと」
「トレーナーさんも食べたいんですか?」
「……あ?」
多分昨日のお夜位から何も食べていないはず。ああ、かわいそうなトレーナーさん…。
「そうですよね、トレーナーさん……私のために、昨日の夜から何も食べてなくて……」
「い、いや、私は大丈」
「はい、あーん」
鮭の切り身を一口サイズに切り分け、左手を添えながら箸で掴み、トレーナーに差し出す。
「あーー、…ん」
ぱくり、とトレーナーさんが鮭を食べる。
「フフフ……」
「モグモグ…」
…美味しそうに食べてくれた。なら…。
「はい、じゃあもう一口」
「モグ……い、いや、待って、スズカ。スズカの分が」
「いいんですよ。半分は、トレーナーさんがお食べになってください」
「いやでも」
「あーん」
「……………あーーー…」
耳に入らないフリをして素早くトレーナーさんに差し出す。
まるで新婚夫婦のようなやり取りに妙な高揚感を抱きながら、こんなやり取りを繰り返し………私はご飯を完食した。
…………食欲、落ちてる。折れる前なら、もっとパクパクと行けたのに。
脚の折れたウマ娘は直ちに脚以外に影響が出始めると聞いたが、こんな顕著に現れるとは…。
「……………」
「……………」
……トレーナーさん、何か言いたげな顔をしている。
多分、私の今後についてだろう。永遠に来なくていいと思えた時が来た。
トレーナーさんを見つめながら、何を言われるのか待つ。
「……スズカ。君はもう、走れない」
ジクジク、と体の節が痛む様な気がした。
「……はい」
「スズカは、どうしたい?」
「私は……私は…」
「……道は、いくつかある。まず、トレセン学園の特別顧問になることが1つ」
以前、トレセン学園にウマ娘の顧問の方がいたのは知っている。ただ、エアグルーヴや会長の代には、既にいなかったそうな。
「もう1つは、一般企業に就職することだ」
基本的に、ウマ娘ならばこちらを選ぶだろう。走れなくなった……商品価値の無いウマ娘は、こうするしかない。
それに……顧問になって…他の子の輝きに触れたら。多分、耐え切れない子がほとんどなんだろうな…。
トレーナーさんが私の答えを待つ。
………私は………私はどうしたらいいのかな。
特別顧問になる? …私は教える事は上手くない。
一般人として過ごして、一般企業に就職? これが一番現実的なんだろう。だけど……走らない自分の姿を思い浮かべる事ができなかった。
……トレーナーさんは最後の一択を言わなかった。本当に、どこまでも優しい人。これは基本、誰も口に出さないけど…。
何もかも諦めて死を選ぶ事。それが最後の一択。走る事に、本当に命を懸けていたような子は…燃やし尽くされて、灰になってしまう。灰から火は、起こらない。……私はこれを選ぶ勇気が無かった。
何も決められない。トレーナーさんが隣にいてくれればそれでいい、という腐った思考。
私は、なんて惨めなんだろう。
目が熱くなって、とても物事を考えられる状態になれなかった。
「ごめんなさい……私は……まだ、選べません……ッ……」
「…そうか。そうだよな。いきなり、ごめんな…」
俯いた私の背中をトレーナーさんのゴツゴツした手がなぞる。
「ごめんなさい……やっぱり…まだ、受け入れられないみたい…です」
トレーナーさんに背中を擦られ続けてしばらくして……やっと、落ち着いて来た…。
……何も考えたくない…。トレーナーさんに溺れていたい。トレーナーさんの事しか考えたくない。
私の様子を見て、そろそろ大丈夫かと判断したトレーナーさんが…。
「スズカ」
「…はい」
「しばらく、リハビリを頑張ろうか」
「……はい」
「……じゃあ、スズカ。私は一旦家に戻るから……風呂に入らないといけないし……学園にも連絡しないといけないし。明日の朝、絶対来るから。ごめん、な」
「いえ……2日間も…側にいてくれて、ありがとうございます」
「うん……じゃあ、もう行くよ。またな」
「はい、また明日」
トレーナーさんは一旦帰るそう。カタカタ、とリュックを背負い、パイプ椅子を部屋の隅に片付け…。
……できるならば、あの背中に抱き付きたい。掴んで離したくない。
トレーナーさんがそういう人じゃないのはわかっている。だけど、このまま捨てられて、もう二度と見向きもされなくなってしまうかもしれない、と考えると。
トレーナーさんが扉の取っ手に手を掛ける。
それと同時に、胸元から、ぞわり、ぞわり、と冷たい感覚が広がって行く。脳へ、心臓へ、指先へと。
そして、クリアになる思考。視界がノイズ掛かり、黒い靄のようなものが映る。
ガララ、と扉が開かれ……最後に、トレーナーさんが振り返る。
私は酷い顔をしていたんだろう。トレーナーさんは恐怖に顔を歪ませ、そのまま逃げるように病室を後にした。
次回、決心するスズカ。