トレーナーさんをグイグイと引っ張りながら階段を登る。興奮で自分の尻尾がパタパタと跳ねるのがわかった。
「な、なぁスズカ、考え直してくれ、スズカは実家に帰って静かに過ごした方がいいと思うんだ、親御さんも心配してるだろうし」
「いいんですよ。私がこうしたかったんです。私の意思です」
トレーナーさんはあくまでも私に帰って欲しいらしい。……そういう訳にはいかない。こんなチャンス、もうないんだから。それに、もう嫌な思考に陥りたくない…。
「……!す、スズカ!私の部屋は何も無いし、弁当とかカップラーメンのゴミばっかり汚いぞ!」
ピタリ、と脚が止まる。
……カップラーメンのゴミばっかり?
「………トレーナーさん。私のリハビリに付き合ってくれている間……ずっとコンビニ等のお弁当を?」
「……う…うん」
「……………ッッ」
グイッ、とトレーナーさんを引っ張る。
「うわっ」
トレーナーさん……私のために自分の健康まで天秤に掛けていたんだ…。
ウマ娘の事になると本当に……。嬉しいけど、何も見えなくなるから困ってしまう。もはや狂気とも言えるかもしれない。
やがて階段を登り切って、216号室の扉の前に立つ。
「……トレーナーさん。鍵を」
「い、いやぁ、大の大人が若い女性を部屋に連れ込むって絵面がまずいと言うか、下手したら犯罪…」
「大丈夫ですよ、合意の上です」
「…す……スズカ…」
「さぁ。トレーナーさん。さぁ」
トレーナー室や控室で二人っきりになっても一切そういう気を見せなかったトレーナーさんが今更そんなことを言ったって説得力がない。私をここまで信頼させたあなたが悪いです。
トレーナーさんが鍵を開けるのを待つ。…一瞬こちらに振り向いた。
「?」
? 私は大丈夫ですよ? と言うか今更もう遅いですよ?
トレーナーさんは諦めたように肩を落とし、扉を開け、部屋へと入った。私もそれに続く。
……パチ、と玄関の電気が点くと、パンパンになった大きなゴミ袋が3つ見えた。中身は……コンビニ弁当やら、カップラーメンやら…の容器ばっかりだった。
…そもそも、玄関から覗くお部屋にびっくりする位生活感が無い。本当に必要な物だけを集めたような感じだ。
いよいよトレーナーさんの健康が心配になってきた。
これ程までに私のために良くしてくれたのは嬉しいですけど……それに甘んじた自分自身にも、刹那的なトレーナーさんにも、腹が立った。
「はぁ……」
思わず溜息が出てしまう。
それを聞いたトレーナーさんが恐る恐る振り返る。
「……トレーナーさんは本当にウマ娘以外に対しては無頓着で無関心ですね………。でも……」
「私のために、ここまでしてくれたんですね」
音を立てず、ぴと、とトレーナーさんの背中に体を押し付ける。そして、ペットを撫でるような手付きで、背筋に人差し指と中指を這わせ…。何度も、何度も、ゆっくりと。私を刻み込むように。
「トレーナーさんのそう言う所に」
「私は、惹かれてしまったのでしょうね」
背伸びをし、口元を吐息が当たる位耳に近付ける。そして、耳元で囁くように、声でトレーナーさんの耳を撫でて……ふるふるとトレーナーさんが震えた。
……フフフフフ……。こういうことは、あんまり経験が無いんですね。
「……あ……上がろうか、スズカ!」
あらら、残念。理性が勝ったみたい。私から逃げるようにトレーナーさんは玄関から上がった。
「フフフ……はい」
私も玄関から上がり、自分とトレーナーさんの靴を整える。
キャリーバッグは玄関近くの壁に面して置いておいた。
「……本当に何も無いぞ。いてもつまらないぞ」
「トレーナーさんが、いらっしゃいます」
本当に何も無いとしても、私はトレーナーさんがいるだけでいいんです。それだけで私がここにいる理由になる。
「……………」
ついに私を追い返す口実が無くなったのか、トレーナーさんは黙り込んでしまった。
さてと…。
……うん、冷蔵庫はちゃんとある。よかった。
特徴的な冷蔵庫を開く時のメリメリ、と言う音を響かせながら、開けて中身を確認してみる。
「…あるのは……生卵と、牛肉のロースと…バター。後は……」
食材もある。後は……。
他に何か無いか、台所辺りをキョロキョロと見回してみる。
「…食パンがありますね。調味料は……胡椒が。………トレーナーさん」
カチャカチャ、と冷蔵庫の食材を取り出しながら…。
「お掛けになって休んでいてください。晩ご飯は、私が作ります」
「い、いやぁ、悪いって」
「ここまで付き合ってくれたお礼の一部ですよ」
「…………じゃあ………お願い」
よし、許可は取れた。
…この具材で……まず食パンにバターを絡ませて……卵焼きとロースを挟んでサンドイッチにしましょうか。
そうと決まれば早速。
……もし、トレーナーさんと結婚できたら……毎日こうしてあげられるのかな?
今の状況を遠目から見れば……ただの若い夫……止めよう。まだ早い。いずれは目指したいけど、まだその時じゃない。
料理に集中しよう…。
料理中。
カタン、とトレーナーと私が対面するような感じに、テーブルにちょっとだけ手の込んだサンドイッチを盛り付けたお皿を置く。ナイフとフォークも添えて。
「トレーナーさん。お待たせしました」
「んん……いや、全然待ってないよ。……凄く……美味しそうだ」
「フフフ……では、お召し上がりください」
「うん…いただきます…!」
トレーナーさんが早足に椅子に座った。私は対面に座る。
そして、ナイフでパンを切り分け、フォークで口に運んだ。
「!」
「……お口に合いましたか…?」
「おいひい……!ハグッ……モグモグ…!」
「……良かったぁ」
よ、良かった。これで口に合わなかったら爪で自分の顔を掻き毟っていたかもしれない。
……私も食べよう。
1口、2口と。……うん、自分で食べても不味くはない。
チラリ、とトレーナーさんの方を見て…フォークが止まる。
……トレーナーさんの食べてる姿、かわいい。ハムスターみたいにモゴモゴしてる…。
ご飯よりトレーナーさんの姿を見ている方が美味しい気がしてきた。
結構口に合ったのか、トレーナーさんはモグモグと一気に食べてしまった。
「っふぅー……ごちそうさまでした」
「お粗末様でした〜。…はむっ」
じーっ、とトレーナーさんを見ていたため食べるのが遅くなってしまった…。さっさと食べてしまおう…。
ぱくぱくと、特に味わう事もなく私は食事を平らげる。……まだウマ娘としての食欲は少しだけ残っている感じですね…。
「……ごちそうさまでした」
「…………」
「……よし、スズカ。ご飯も食べ終わったし、もう帰ろうか」
……諦めの悪い。本当に真面目なんだから…。
…チラリと部屋の窓から外を見る。…暗い。よし。
「……今日はもう遅いですし。こんな夜道を歩くのは、ちょっと怖いですね…」
「えっ」
正直、夜遅くまで自主練する事も多かったし暗がりは怖くない。
それに、ウマ娘は身体能力が高いので、変な人が挑んでくることはないでしょう。私達ウマ娘なら組み伏せることができる。なので、これはただのでまかせである。
「………うん。危ない…な。……スズカ。泊まって……行くか?」
「……はい♪」
やった。言質を取った。トレーナーさんの優しさを利用しているようで悪いけど、これで今日の所はもう心配無い。耳と尻尾がわかりやすくピコピコと揺れた。
「……食器は、私が洗うから。スズカはお風呂に入って来な」
……お風呂。
「……トレーナーさんもごいっ」
「あー!あー!聞こえない聞こえなーい!!」
「……わかりました。お先に、失礼しますね。……………………………………………もう」
……別に一緒に入ってもいいんですよ…?私は全然嫌じゃありません。
でも、残念…。
「ふ、風呂はリビングを出て右だぞー」
「はーい」
私はリビングを出て一旦キャリーバッグまで向かい、中から櫛、ドライヤー、歯ブラシ、タオル、ボディタオル、シャンプー、トリートメント、ボディーソープ、湯桶、そしてルームウェアを取り出す。
さて、入りましょう…。
ざぁ、ざぁ、というシャワーの音が響く。しっかりと手入れされた仕切りのあるタイプのユニットバスにて、シャワーの水を被る。自分の長い髪の泡を落として行き、一旦後ろ側で結ぶ。そして、ボディタオルを手に取りボディーソープを数滴垂らし、体を磨く。
……さすがにトレーナーさんをお風呂に連れ込む事はできなかった。あの調子だと隣で寝ていても、いつまでも絶対に手を出してこないんだろうな…。とてつもない信頼感と同時にちょっと自分に自信が無くなる。…体が細いせいかな…?トレーナーさんはふくよかな人が好み…?はぁ…。
溜息を吐きながらタオル越しに胸元をペタペタと触る。……ちょっと虚しくなったから止めよう。
…私は別に、今日トレーナーさんと一緒にお風呂に入って、何かの間違いで体が汚れても良かったんだけどな。
そしたら、トレーナーさんはもう私から離れられない。
そんな邪な事を考えながら、顔の水を拭うように両手でゴシゴシと擦っていた所、指の隙間から鏡が見えた。
それには、当たり前だが自分の顔が映っていて。
……酷い顔。何かの焦燥感を感じる。目が何故か幾分と暗い。…何でそんな目をしてるの。
急に自分が物凄く醜くなっているような気がした。
…目障りだ。
鏡の中の自分の左目に、人差し指を押し付けてみる。
コツン、と。鏡を叩く音が響くだけだった。
「………………」
ググッ、鏡の左目に押し付けている指に力を込める。込めた分だけ、鏡の中の自分はどんどん酷い顔になって行く。………指と鏡に変な音が鳴り始めて、ようやく鏡から指を離した。
少し指が痛い。
ガッ、とシャワーヘッドを取り、顔へ水を掛ける。
そこからはなるべく鏡を見ないようにして体を洗った。…お風呂でこんなに疲れたのは初めてだった。
その後はお風呂から出て体を拭き、ルームウェアに着替えて歯を磨いた。
ガラガラガラ、と水ごとモヤモヤを吐き出せたら良かったけど、そんなことは無かった。
最後に、ドライヤーを髪に掛ける。ドライヤーのうるさい位の音が、私から思考を奪う。その音がとても有り難かった。
最後に、櫛で髪を整え……トレーナーさんの所へ。
「ふぅ……気持ちよかった……」
「それは良かった」
努めて平静を装ってトレーナーさんの前を歩く。
……トレーナーさんがじっとこちらを見ている。…ちょっと恥ずかしい。
「…スズカが終わったから、次は私が入ってくるよ」
「はい。お待ちしています」
そして、今度はトレーナーさんの番。
トレーナーさんの背中を見送り、私はソファに座った。
……暇だったのでスマホを取り出してみる。
スマホは通知でいっぱいだった。特に大した投稿もしていないのにやたらフォロー数の多かったウマッターなんか凄まじい量のダイレクトメッセージが表示されていた。…私はそっとウマッターを閉じる。
逆に親しい友人との連絡用として使っていたウマスタグラムを確認してみると……数件のメッセージが表示されるのみだった。スペちゃんやエアグルーヴ達のお別れの言葉があったので一人一人丁寧に返す。
そういった作業を終わらせ、スマホをしまった所で…。
「おかえりなさい」
「ただいま」
トレーナーさんが帰ってきた。…チラリと時計を見る。
「あ〜。スズカ。もういい時間だし、そろそろ寝ようか?」
「はい…そうしましょうか」
……何かトレーナーさんが不敵な笑みを浮かべている。
「よし、じゃあ、スズカには悪いけど私の布団を使って今日は寝ておくれ。私はソフ」
言わせませんよ?
私は素早くトレーナーさんの手首を掴む。
「トレーナーさん。トレーナーさんだけソファなんて不公平です。一緒のお布団で寝ましょう?」
トレーナーさんが振り返る。
「ね?」
「ッ……」
トレーナーさんが怯んだ。こうなると、基本的に押し通せる。
「ど……どうしても?」
……凄い渋りますね…。なら、最終手段を使わせてもらいましょう。
「……トレーナーさんは、私の事、きら」
「そんな訳無いじゃないか」
「……フフフフッ♪なら、大丈夫ですねぇ」
即答してくれた。……フフフ…。
トレーナーさんが寝室へ向かったので、私はその後に続く。
……トレーナーさんの寝室は本当に生活感が無かった。枕、布団、毛布。白、白、白。無地の白。唯一毛布にはにんじんのアップリケが縫われていた。カーテンもあるにはあるけどこちらも無地。……後は…本棚。難しい本ばっかり…。
…娯楽品も無いし……。
ぼふ、とトレーナーさんが布団に入ったので、私もゴソゴソとトレーナーさんの隣に入り込む。
…トレーナーさん、暖かい。それに、鼓動が早い。
「…せ、狭いなぁスズカ! やっぱり私はソファに」
トレーナーさんは慣れていないのか…慌てて私から離れようとして…。
「いえ? むしろ暖かくて……」
何故だか、今はとにかく離れるという行動がとても嫌だった。だから、私はトレーナーさんの右腕に絡み付く。
「気持ちいいですよ…」
「す、スズカ……」
じ、とトレーナーさんを見つめる。……この状況になり、今更考えてみると……。色々と、迷惑を掛けてしまった。
リハビリに始まり、、タクシーで無理やり押さえ付けたり、お家に押しかけたり、お風呂を借りたり……。
「ごめんなさい、トレーナーさん。勝手な事をしてしまって」
「いや………いいんだけど…さ」
「……走る事を止めて。学園から去って。私には友人もいます。……けど。不安なものは……不安で。……だから」
「……スズカ」
ぽふ、と。頬に暖かな感触。するりと動いて、それがトレーナーさんの手であることがわかった。
……この手が、ずっと私を包み込んでくれたらな…。
「私は、スズカが立ち直るまで一緒にいてあげるつもりだから」
「だから、いいんだよ」
「…トレーナーさん」
……離れないで。
自分の体をトレーナーさんに密着させる。そして、顔を胸元に押し付ける。
……トレーナーさんに胸元に抱かれてるみたい。
「………おやすみ、スズカ」
トレーナーさんがそう呟き、目を閉じた。
私は見上げる形でトレーナーさんを見つめ続けた。
次回、怖いスズカ