曇り後晴れ。時々豪雨。(タキオン編開始)   作:にゃす

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sideスズカ.5

 トレーナーさんが目を瞑ったの感じ取った所で、私は目を開けた。それからしばらく、トレーナーさんを見つめ続ける。

 ……トレーナーさんが、近い。トレーナーさんの、鼓動が聞こえる。トレーナーさんの温もりを感じる。トレーナーさんの匂いもする。

 ……この状況がこの上なく、幸せ。

 

 トレーナーさんが起きてしまわないよう、すり、すり、と胸元に頬擦りしてみる。……頬に硬い感触。…トレーナーさん、結構がっしりしてる…。普段からスーツ姿だったため、全く意識して来なかったが……今、触れてみてわかった。

 

 ……今なら色々できちゃう…?

 

 ふと、頭の中にそんな考えが浮かぶ。…以前の私なら、理性が働いて無理やりストップさせていただろう。だけど、今の私は……今までに無い状況と、トレーナーさんと言う劇薬のせいで…歯止めが効かなかった。

 スルリとトレーナーさんの腕から抜け出し、起こさないように横向きのトレーナーさんを押して…。

 

「んしょ……」

 

 仰向けにする。……仰向けになったトレーナーさんを恐る恐る見てみると………しっかりと目を瞑って眠りについていた。……こういう時、本当に都合よく目覚めないんだ……。

 

 ふぁさふぁさと布団から静かに抜け出し…仰向けのトレーナーさんの上に移動する。そして、胸元辺りに乗っかる。

 

 私がトレーナーさんにウマ乗りになって見下ろす形となった。

 

 …トレーナーさんの寝顔、かわいい。すやすやと眠っていて、子供みたい。

 ゆっくり、吸い寄せられるように両手をトレーナーさんの頬へと持って行き……そっと頬に触れる。……柔らかい。もっちりしてる。

 ……トレーナーさんは、まだ起きない。

 

 私の行為はどんどんエスカレートして行く。

 

 頬に置いてある右手を、下へと滑らせ……人差し指と中指で、まず首筋をなぞる。ゆぅっくりと。

 首筋を這った指はやがて鎖骨へと到達し……そこで、円を作るように、撫で回す。

 

 はふぅ、と熱い息が漏れた。

 

 いけない事をしているみたい。

 一連の行為で脳が蕩けるような感覚に陥る…。トレーナーさんを押さえ付けるように、両手を肩に置く。

 …トレーナーさんの顔が目に入った。…何処か幼さを感じさせるお顔。それに、少しずつ、少しずつ、自分の顔を近付けて行く。

 10センチ。5センチ。…パサ、とトレーナーさんの顔に私の髪が掛かる。…後、2センチ…。

 

「うーん……うーん……………」

 

 トレーナーさんの唸り声。私はピタリと止まった。

 

「う……ん……?」

 

 トレーナーさんの体が揺れ……そして、パチリと目が開かれる。

 

 …残念。

 

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」

 

 トレーナーさんが跳ねて私の体揺れた。

 

 トレーナーさんの叫び声が部屋に木霊し、思わず両耳を伏せてしまった。……聴覚の優れたウマ娘にとってこの大音量は頭がガンガンする…。

 

 トレーナーさんが私の下でジタバタと暴れていたため、無駄ですよ、と肩を押さえ付けておく。

 ようやく状況を理解したトレーナーさんが私の腰を掴みかけて……手が止まった。

 

 …やっぱり初心ですね、トレーナーさん。

 

「ぁっ……く……す、スズカ…?……眠れないのか…?」

 

「…………………」

 

 ……確かに眠れない。トレーナーさんの事ばっかり考えてしまって…。いよいよ、私は頭がおかしくなってしまったのかもしれない。

 

「………トレーナーさんの事ばっかり…」

 

 いつの間にか、口からポツリと言葉が漏れた。

 

「最近…ずっとトレーナーさんの事しか考えられなくて…」

 

「ス……ズカ……」

 

 ずい、と、顔を近付けて…。

 

「……秋の天皇賞以降、ずっと変なんです、私。トレーナーさんを見ると……」

 

 トレーナーさんの肩を掴む手に力が込もる。

 

「…私を信じてたくさん走らせてくれたトレーナーさん。私のために寝る間も惜しんでトレーニングメニューを考えてくれたトレーナーさん。私がレースに勝つ度に本当に嬉しそうにしてくれたトレーナーさん。少しでも疲れたら絶対に休ませてくれたトレーナーさん。走る事以外にも楽しい事があるのを教えてくれたトレーナーさん」

 

「………レースの分析で私以外の子をじっくりと観察するトレーナーさん。お昼に私がいない時に他の子と談笑しているトレーナーさん。たづなさんとよくお出かけしていたトレーナーさん。エアグルーヴのお手伝いをするトレーナーさん。他の子のトレーニングを眺めているトレーナーさん」

 

 一度漏れ始めてしまえば、壊れたダムのように、言葉の奔流は止まらず、吐き気も止まらなかった。

 

 スッキリするような感覚もするが。同時に、また自己嫌悪感に苛まれて行く…。

 

「トレーナーさんと一緒にいると安心します。トレーナーさんの笑顔を見るとドキドキします。私がレースに勝つととっても喜んでくれるトレーナーさんの笑顔が好きです。……他の子と一緒に楽しそうに笑っているトレーナーさんを見ると……胸がゾワゾワします。他の子と一緒にご飯を食べるトレーナーさんを見ると……何か、ドロドロとした物が湧き上がって来ます。トレーナーさんは、私のものなのに…って。…でも、それが、溢れ出すことは、ありませんでした」

 

 だけど、もう抑えられない。

 

 黒い何かが、私を内側から操っているような。…いや、この黒い感情は、紛れもなく私の。

 

「…ごめん、スズカ。スズカを一番優先してあげれたら…」

 

「ぁ……と、トレーナーさんは悪くなくて…」

 

 ああ、言わせてしまった。トレーナーさんは悪くないのに。

 

 ……しかし、感情はトレーナーさんに対する黒いもので塗り潰されて行く。自分の目に熱が籠もったのがわかった。

 

「………トレセン学園に入学したばかりの時は、本当にターフを駆ける気持ち良さと、先頭の景色にしか、興味がありませんでした。それが、いつの間にか………トレーナーさんに変わって」

 

「…秋の天皇賞が終わってからは………トレーナーさんの存在が、大きくなり続けて」

 

 もう、どうしようもない位にあなたを求めて止まないんです。

 

「……これが…好き、と言う感情なんでしょうね」

 

 私とトレーナーさんは黙り込む。

 トレーナーさんは何か言葉を選んでいるようだった。

 

「……スズカ。た、多分、スズカは骨折の…ストレスと……走れない事に対するストレスが…溜まってるんだよ。だから…一旦、落ち着こう……?」

 

 ビキリと頭の中が真っ黒に染まった気がした。ピクピクと指先が痙攣する。

 

「………あなたは………」

 

 私は思い切りトレーナーさんの胸ぐらを掴み上げた。それでトレーナーさんの首が絞まろうがお構いなしに。

 

 トレーナーさんは、いつもそうだ。

 

「ぅぁっ」

 

「あなたは、いつもそうやってのらりくらりと………」

 

「……今の関係を崩さないよう、私が近付いたらその分だけ離れて…………」

 

「……さっき、私の事は嫌じゃないって言ってくれましたよね…?」

 

「…本当は、嫌なんですね」

 

「い、嫌じゃないのは本当だよ…!」

 

 嫌じゃないなら。それなら、と考えるのは、間違っているのだろうか。

 ああ、好いていると言って欲しい。じゃないと壊れてしまいそう。私をあなたのものにして欲しい。あなたを私のものにしたい。

 

「なら……なら………もっと、もっとトレーナーさんを近くで感じる事ができる関係になっても……いいじゃ、ないですか…」

 

 何が、いけないのかな。……そう考えていると……。

 

「…私の…私の仕事はスズカを勝たせる事。もっと、輝かせる事。…だから、そう言う感情は、いらないと思ってた……。それに…トレーナーとウマ娘が、そういう関係になるのは…ご法度だったんだよ……!」 

 

 思わず目を何度も瞬かせてしまった。

 

 トレーナーさんの口から語られた内容は…………はっきり言って拍子抜けする物だった。私を好きになれないのには何か大きな理由があるのかと思っていたけれど………………実際は、随分と可愛らしかった。

 

 ………こういう場合、真面目過ぎるのも考え物ですね。

 

「……トレーナーさんは本当に、真面目なんですね」

 

 …どうしたらトレーナーさんは納得してくれるかな…。変な理由じゃトレーナーさんは絶対に首を縦に振ってくれない。

 

 …………私はもうトレセン学園のウマ娘じゃない。トレーナーさんの担当ウマ娘でもない。

 

 これだ。

 

「…私はもう走れるウマ娘じゃありません。トレセン学園からも退学しました」

 

「だから…」

 

 トレーナーさんの胸ぐらを掴んでいた手を離し…トレーナーさんの体が重力に引かれ倒れる前に、頭を両手で掴む。

 

「だから、もうそんなことには気を使わなくていいんですよ?」

 

 私は緩く笑いながら、囁くように話す。……これが、猫撫で声と言うのかな。自分でもこんな声が出せたことに驚いている。

 ……トレーナーさんの瞳に迷いや葛藤の色が浮かんだ。

 そう、それでいいんです。もうあなたは、私に気を遣わなくていい。

 

「トレーナーさん」

 

「あなたにどうしようもなく、恋い焦がれています。私をあなたのものにしてください。あなたを私のものにさせてください」

 

「……スズ…カ……」

 

 パクパクと、水を失った魚のように口をトレーナーさんが動かす。

 

 そして…。

 

「私で…良ければ。よ……よろしく…お願いします」

 

 言った。言ってくれた。

 

 これまでに無いほど頬が吊り上がるのがわかった。胸の内にある黒いものがどんどん引いて行く。

 

「フフ…フフフ……そう言ってくれると、信じていました」

 

 良かった。…もし、今の言葉が聞けなかったら……私は……。

 

 …私は?私はどうなっていたんだろう。

 ……今はトレーナーさんに甘えさせてもらおう……。それしか考えないようにしないと…。

 

「………トレーナーさん……これからずっとよろしくお願いしますね♪」

 

 トレーナーさんの頭を掴む両手を離す。

 

「よいしょ…よいしょ…っ」

 

 ちょっと身を屈めて這うようにトレーナーさんから降りる。…やっぱりがっしりしてますね…。

 とりあえず、トレーナーさんの右腕側にぴと、とくっつき…首に両手を回す。

 

 こうやってガッチリホールドすれば逃げられないでしょう…。

 

 …トレーナーさんが私の肩を抱いた。

 嬉しくて耳がパタパタしてしまう。

 

「……なぁスズカ。私で本当にいいのか…?もっといい人が」

 

 首に回した手でトレーナーさんの口を塞ぐ。言わせない。

 何を、今更…。

 

「トレーナーさん。そういうのは、聞きたくありません。それに、トレーナーさん以上の人なんて、考えられません…」

 

「……ごめん」

 

「…私は、トレーナーさんがいいんです」

 

「……どうして私なんだ?」

 

 ……どうして、と言われると……一言では言い表わせなくなってしまう。いつの間にか、走る事とトレーナーさんの事が一番になって…。それで…。

 

「…それは……。トレーナーさんと過ごした時間がそうした、としか…」

 

「そっ…か」

 

「……スズカは家に顔を出さなくてもいいのか?こんな所にいて。…怪我の話もしないといけないし」

 

「…うぅーん……正直、そこまで考えていませんでした…。…頭が真っ白でしたし……トレーナーさんの事を考えるあまり…」

 

 本当に、トレーナーさんのために向こう見ずになってしまった。後で、実家にメールしよう……。もうこのまま独り立ちしますって。

 …トレーナーさんとしばらく過ごしたら実家に来てもらって…………こういうのは、外から埋めて行くはずだから。…ちょっと……いや、かなり段階を飛ばしてしまったけれど…。

 

「あ…あはは…。相当悩ませてちゃったみたいだな…」

 

「…フフフ…はい。なので、その分トレーナーさんに…」

 

 その分、いっぱいトレーナーさんに愛してもらおう。私も、もう私無しで生きていけない位、愛しますから。

 

 ……安心感からか、いきなり目がしょぼしょぼし始めた。ちょっと、目を瞑ろう……。

 

「…スズカ。……………スズカ?」

 

 虚ろにトレーナーさんの声がする。その呼び掛けにはいと答えたいけれど、何故か目と口が動かない……。

 

 それからちょっとして。

 

「スズカ。…好きだよ。とても」

 

 ……そこだけ、聞こえてしまった。…都合のいい耳ですね。

 …どうしよう、心臓がうるさい。脳が溶けそうになる。…心臓の音、トレーナーさんに聞こえちゃってないかな……。

 

 ああ、でも……嬉しいから…もう、いいや。




 次回、幸せなスズカ
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