……は? なんで? なんでドアノブが上に向かってひしゃげている? 脳が状況の理解に拒絶反応を示す。
だが、一応はものが詰まってる脳が無理にでも思考を開始した。
まず、ドアノブは鉄製である。そして、これは相当な力が加わらない限りこうはならない。何か特殊な工具でも使ったのだろうか。
そもそも誰がドアノブをひん曲げて何をしたかったのか。
………トレーナーはそれなりに高給取りだ。まさか金目の物を狙った空き巣か…?いや、でもトレセン学園のセキュリティを抜けてここまで入って来るってできるのか…?
何か危険な物を触るようなゆっくりとした手付きで、ひん曲がったドアノブに手を掛けて、引っ張ってみる。
ロックがイカれていた。
ギギギィ……と言うような、耳障りな音。あらぬ方向に曲がったせいで立て付けが悪くなったのか、鉄同士が擦れ合う不快な音を響かせながら扉が開く。
一歩、玄関へと踏み込んでみる。
「………………」
部屋の中は真っ暗だった。
………いる。
何か、いる。
玄関に入った途端、全身が総毛立つような感覚に陥いった。…生物としての防衛本能が警鈴を鳴らす。
……何だよ。まるで自分の部屋じゃないみたいじゃないか。
玄関の傘入れにあった傘を手に取り、部屋の奥深くへと向かう。一歩進む度に、何かの気配はどんどん大きくなって行く。物置にも、ユニットバスにも、何もいなかった。
そして、リビングに到着し……キョロキョロと周りを見回したが…何もいない。…残るは…。
…自分の寝室の扉の前に立った所で、いよいよ何かの気配を間近に感じることができた。
……寝室に何かいる。
傘を痛いくらいに握り締め、構えながら……ガチャ、と寝室へと踏み込んだ。
「あ、お帰り、トレーナー」
「は?」
テイオーがいた。
………テイオーがいた……?
暗闇からテイオーの爛々と光る瞳が見える。
完全に意識外だった存在に、思わず傘をバサリと落とした。
「遅かったね、トレーナー。お仕事?」
「あ、あぁうん、仕事だったけど」
ナチュラルに話し掛けてくるテイオー。その様子は、学園にいるいつものテイオーそのもので。もしここがトレーナー室なら、そのまま雑談に入っていたことだろう。
テイオーは部屋の隅っこで体育座りをしていた。テイオーの隣には大きめのリュックが置いてある。
あんまりにも自然にいたため、この異常な状況が頭から抜け落ちそうになってしまう。……正直脳がパンクしそうだ…。
「………なんで……ここに…いるの?」
テイオーがいることの異常性にまだ気付けて良かった…。恐る恐る聞いてみる。
「え〜? もう忘れちゃったの〜? さっきまたね〜って言ったじゃーん!」
「それにトレーナーと離れる気なんて無いし」
…学園でのテイオーとの別れ際の挨拶を思い出した。……まさか本当にまたねだとは…。……って、そうではない。
「家までの道……教えてなかったよな……?」
「うん。でも、なんとなく匂いで場所がわかっちゃった〜」
「……どうやって……入ったんだ」
「んー? それはもちろん、ドアノブを蹴り壊して入ったけど…」
頭が痛くなる。
テイオーがドアノブを破壊した犯人? どうして? なんで? テイオーが? 嘘じゃないのか? 冗談であって欲しかった。
「…テイオー。冗談は止めてくれよ…」
「冗談じゃないよ」
ザラリとした耳障りな声。……今のはテイオーが出した声なのか? とてもテイオーの声には聞こえなかった。
何を込めたら、こんな声が出せるんだろうか。
「トレーナーがさ、いると思って何回も何回もインターホンも押してノックもしたんだけど……誰も返事をしないから気になって自分で確認しに入っちゃった。冷静でいないと駄目だね〜」
「それで、居留守かなとか思ったけど、本当にいなかったから。だから帰って来るまで待ってたんだ〜」
テイオーから聞きたくもない犯行の動機が告白がされるが、まるでなんてことはしてない、と言った感じに口調は羽のように軽くて。
だが…その言葉の節々に狂気を感じさせた。
……一歩、テイオーから後退ろうとすると…。
「どこ行くの」
俺の脚を縫い付ける刺すような声に、脚が止まる。
「ッ…」
「もうお仕事は終わりでしょ?」
すく、とテイオーが立ち上がり、こちらを見つめる。その目が本当にいつも通りだったため、余計恐怖心を覚える。
「どこにも行く意味、無いよね」
「今夜はさ、ボクとお話しようよ」
一歩、俺にテイオー近付く。
「てっ、テイオー。まず何でこんなことしたのか教えてくれよ」
何か身の危険を感じた俺は、言い訳でもするように話を逸した。テイオーの二言目を遮るようにして。
「トレーナーがボクをこんなにしたから」
即答で返ってきたのはストレートレベルのジャブだった。
ああ、そうか……テイオーは俺がテイオーにしたことを恨んでいるらしい。………返す言葉も無かった。…確かに、俺はテイオーをここまで追い込んだ張本人と言える…。菊花賞前だって、有マ記念前だって、テイオーの背中を押して無理をさせてのは俺じゃないか。
「……脚のことは………本当に………もうしわ」
「違うよ。そのことじゃない」
「……え?」
あれ?
てっきり脚の恨みを晴らそうと俺の部屋で待ち伏せしていると思ってしまった…。
「トレーナー」
俺がキョトンとしているとテイオーがさらに一歩踏み出し…。
「今までのレースの事はさ。すっごく感謝してるんだ」
「…じゃあ…?」
何だろう。
「……………………本当に気付かないんだ」
テイオーが心底残念そうな声を漏らして…。
突然俺の首を掴んだ。
「ゲゥッ…!?」
いつの間にそんな近付いて…!?
テイオーの身長に合わせてガクリと膝が折れる。そして、目の前にテイオーの顔。今、跪いているような形だろうか。
何が、起きてる。
「て”い、お”」
「トレーナーが、悪いんだよ。ボクがいくら近付いても、アプローチを掛けても気付かないんだから。…こんなに、好きなのに。燃えちゃいそうな位に」
ぐい、ぐい、とテイオーが無表情で、締めるように俺の首を掴みながら思い切り揺らす。あ、ああ………好き……だって……?
気持ち、悪い。視界がぐわんぐわんする。
視界が酸欠と脳の揺れのせいでノイズに塗れてきた…。テイオーはあんまり力を込めて無いんだろうが…。
…そして、白目を向き、意識を手放しそうにそうになった所で。
「ッハァ……! …ハァッ……!? ッゥ………!!」
酸素が肺に回る。それと同時に浮遊感。
ドサリ、と尻餅をつく。
……ペタペタと首周りを触ってみるが、テイオーの細い手は無い。テイオーが開放してくれたようだった。
「………アハハ…。……トレーナーは弱いね。こんな簡単に組み伏せれちゃうなんて。トレーナーとボクの力の差は歴然だね。いい事知っちゃった〜♪」
俺の前で両手をぐー、ぱー、ぐー、ぱー、と見せつけるように動かす。
「…最初からこうしておけば良かったのかな?」
膝をぴったりと付けてテイオーがしゃがみ込み、薄く笑みを浮かべながら……まるで、獲物を見つけたかのような目を向け…。
テイオーは俺の着崩したスーツのポケットに手を伸ばし、俺のスマホを取り出した。
「ちょ、テイオー」
取り返そうと手を伸ばすが、テイオーが何故かパスワードをクリアしたため、ピタリと体が硬直した。
な、何でそこまで知ってるんだ!?
「ふふーん!何でわかった!?って顔してるね〜。……画面丸見えのままボクの前で使ってたよね。ボクを信頼し過ぎ。嬉しいけど」
自慢気にテイオーが語る。
すぃ、すぃ、と画面を流して行くテイオー。すると……眉がピクリと動いた。
「……ふうん。桐生院トレーナーとか、他のマネージャーさんとか。すっごい仲良さそうじゃん」
「そ、それはたまたまって言うか…」
「頻繁にやり取りしてるのに?」
「……………」
「ボクとは素っ気ないのに」
「…テイオーとはまた学園で話せるから…」
「ボクはこっちでも話したかったよ」
「………ごめ…ん」
「……うん、だからね」
パキリと何かの割れる音が部屋に響いた。
テイオーに目を向けると……両手に、割れたスマホの残骸があった。
「なぁっ…!? テイオー!?」
「反省してるなら、これ、もういらないよね?」
俺の前で、嘲るようスマホの残骸をぷらぷらと揺らしながら見せつけるテイオー。そのままポイ、とテイオーは放り投げた。スマホの残骸は弧を描きながら部屋の隅へと転がり、ガシャンと言う虚しい音を響かせた。
俺の…スマホ……。……連絡手段が…。
「テイ…オー……」
「ボク以外の人を、今は見てほしくないんだ。…ごめんね、トレーナー」
「……………」
「……トレーナーはさ、どうして気付いてくれなかったのかな」
どうして……と言われると………。テイオーは幼かったし……すっごいいい子だったし…で、誰かの子供っぽかったし……そもそも、そういう対象として見ることができなかった。
いや、見たくなかった、の方が正しい。
……それに、トレーナーとしてそれはご法度だ。トレーナーはただひたすらに、機械のようにウマ娘のケア等をしていればいい。それが、トレーナーたる者の…姿だ。
何より頑張ってるテイオーにそんな目を向けられなかった。一緒になってバカになった。
つまり、何が言いたいかというと…。
「あ、あの……テイオーはそういう対象として見れなかったと言うか……」
こういうことである。
……しん、と部屋が静まり返った。……この沈黙は……まずい。
沈黙が長くなれば長くなる程、心臓にのしかかる圧が強くなる。いっそこのまま破裂してくれないだろうか。
「………そっか」
「……トレーナー」
「トレーナー」
「トレーナー」
「トレェェェェナァァァァ!!!!!」
テイオーは目を見開き、耳を後ろ向きに伏せ、尻尾を張り…。
テイオーの発した声で窓が震えた。……耳がキーンとする。まるで、時間が止まったかのようだった。
いったい、テイオーのちいさな体の何処からこんな咆哮が飛び出すのだろうか。
「ぁ………ぁ………」
「ボクの……ボクの何が気に入らないのさ!!」
ドゴッ、とテイオーが俺を肩越しに突き飛ばした。
……痛い!?
肩が外れるかと思った。それ位の衝撃だった。
「いっづ!?」
俺は尻餅をついていた状態から仰向けにふっ飛ばされるように倒れ込む。
トレーナーは身体能力も優秀でなければならない。俺は、そこそこ運動に自信があったし、体幹だってある方だと思っていた。
だが、ここに来てテイオーと俺との圧倒的な差を実感することになってしまう。……俺は逃げれない。
「ボクが生意気だから!? ちっちゃいから!? カイチョーみたいに美人じゃないから!?」
「……なら、ご飯をいっぱい食べて大きくなるよ。お化粧も覚えてもっと綺麗になる」
「…トレーナーが好きなボクになるよ。……だからボクを好きになってよ」
「……………」
テイオーが爪を食い込ませながら拳を握る。
「……ボクを好きになれ!!! 好きになってよ!! ボクをこんなにしたんだから!!!!」
俺を見下ろし、テイオーは綺麗な顔を歪めて叫ぶ。
ああ、クソ……教科書通りにやろうとして、盲目になって、これか……。先輩達に言われた通り、教えられた事よりも大切な事があるって、ほんとだった。
もっと近付いてあげれていたら。テイオーをここまで傷付けないで済んだのに。クッソ……。理解してあげてるつもりになってるだけだった……!!
…とりあえず、落ち着いてもらわないと…。
「………て、テイオー……一回、落ち着こう…」
「………ボクを好きになる気は無いんだ」
「ちが!? そうじゃない!!」
「…………………」
「…………あ」
突然テイオーが何か閃いたような表情をした。
「そっか、わかった」
テイオーの歪んでいた顔に満面の笑みが張り付く。……ゾッとするような笑みだった。
「なーんだー。そういうことか〜」
「トレーナーはボクの耳と尻尾が気に入らないんだ〜」
「……は?」
「トレーナー! こっち来て!」
「ちょ、テイオー!? 待って! 待って!」
急に深い笑みを浮かべたテイオーは、俺のスーツの襟に指を引っ掛けて、そのままリビングに向かった。こっちに来てと言っても強制じゃないか…。
抵抗して見せるが、それは本当に無意味で儚いものだった…。テイオーは軽々俺を引き摺り回す。
引き摺られる形になったため、ガンッ、ゴンッ、と鈍い音を響かせながら段差やら家具やらに体をぶつけられた…。とても痛い…。
そして、テイオーはリビングの、台所で歩みを止めた。……どうして台所なんかに…?
カチャン、と戸棚が開かれる。
……テイオーの目的が想像できてしまい、背筋からゾワゾワと怖気が広がり、体が凍った。今、テイオーの開けた戸棚は……刃物を収納している戸棚だった。
「……テイオー、そこは危ないから」
何とか、口から言葉を捻り出すが…。
「ううん、これでいいの」
「考えてみたらさ、トレーナーは桐生院トレーナーみたいなヒトには愛想振り撒いてたし、ボクみたいなウマ娘には一定の線引してたよね」
ガチャガチャとテイオーが戸棚の中身を漁る。
「……桐生院トレーナーとは、仕事仲間だし……」
「ミークから聞いたよ。温泉旅行に誘われたんだってね」
「旅行に誘われるってことはただの仕事仲間じゃないよね」
「…………………」
「トレーナーもさすがに断ったみたいで良かったけど。…行ってたら、ボク、おかしくなってたかもしれない」
「……もう、おかしいのかな? ボク。いや、人を好きになるのは、普通のことだよね? トレーナー? ……ねぇ……」
「う……ん……」
……肯定するしか、なかった。
「…それでね、何でトレーナーがボクに興味を持ってくれなかったかを今考えてみたんだ」
スルリと…鋭い光を放つモノをテイオーは取り出し、こちらに向き直る。
「トレーナーはウマ娘なんかよりもヒトが好きなんだよね!」
「……ボクのこの耳と尻尾が気に入らないんだよね!!」
「こんな耳と尻尾……いらないよね」
「だからさ………トレーナーの手で切り落としてよ」
「トレーナーの手で、好きなトウカイテイオーにしてよ」
テイオーは、光を映さない目を俺に向けて………包丁の柄を、床に放り出されている俺に向けて差し出した。包丁の刃は月明かりに照らされ、鈍く、不気味に光っている。テイオーの目とは、対照的だった。
包丁なんかより、テイオーの目の方が…ずっとずっと、鋭く見えた。
次回、泣くテイオー。