……引っ越してしばらく経った。
今、俺達は新居にいる。時刻は夕方。
退職届を学園へと渡してニ週間の内にトレーナー用マンションの扉を自費で修理し、同時に俺達は逃げるように引っ越した。
新しく越した先はトレセン学園から遠く離れた場所。テイオーの希望だった。俺と過ごすのに一番の障害だからさっさと離れたいとのこと。…そう言うテイオーは、随分と心苦しそうだった。つい数ヶ月前までは、あそこにいたんだから…やっぱり未練があるんだろう。怪我さえなければ、テイオーはまだあそこで……。
肝心のマイホームは……これもテイオーの希望で、人気の少ない森付近の一軒家を買って、俺達は今そこにいる。越してきてからどれ位経ったかは数えていない。
…マイホームの名義はしっかりと俺である。テイオーに渋られたけどちゃんとこれも自費で買った。情けない大人にはなりたくなかったからな…。
…一軒家買って口座にまだ余裕があるのには驚いた。
最初の方は引越し業者さんの手伝いやらをして、そしたらもう夜でその日は眠った。それからはダンボールを少しずつ開封して、少しずつ開封して……合間合間にテイオーにスキンシップを求められ、その相手をして…を繰り返した。
大分悠長に時間を使ったため今日までダンボールは残ったままである。
そんな新居に一つ、何か重い物を降ろすような音が響いた。
「おわっ……たぁ……」
部屋に置く最後の家具の位置を調整し……ドッカ、と和室の畳に倒れ込むように腰を降ろして胡座をかき…仰向けに倒れそうになった所を両手で支える。
「つーかーれーたー……」
そんな俺の組まれた脚の上にテイオーがうつ伏せで倒れ込むように乗っかってきた。
……とても疲れています感を出しているが単にくっつきたいがための口実だろう。
怪我をしたとは言えテイオーはウマ娘。体力は化け物なんだから。
あんなヒョイッ、とテーブルを持ち上げてケロッとしていて疲れましたは無理がある。
「…テイオーは汗一つ掻いてないな」
「……えへ、バレた?」
「引っ付きたいだけでしょ…」
「…だめ?」
「……いいけどさ…」
「……フフフ…」
テイオーはニヤリと笑みを浮かべるとそのまま猫のように俺の膝の上で丸まってしまった。…どかすっていう選択肢も無いしテイオーの好きにさせてあげよう…。
その間、俺は手で体を扇ぐ。
……テイオーは機嫌が良いのか耳と尻尾をくるくると振り回している。
ウマ娘の耳って不思議なんだよな。やたら可動域が広いのを見るに大分柔かいことがわかる。
…テイオーの耳の動きと、唐突に現れた好奇心からふと…もにゅもにゅしてみたいという欲求に駆られた。
…別にいいよな? これくらい…。
両手をテイオーの耳に伸ばし……かるーく掴んでみた。
「うひゃぁ!?」
するとテイオーは体と尻尾をピーンッ、と張って素っ頓狂な声をあげた。
「……と、トレーナー?」
…なんだ今の。とってもかわいい。
無言でもにゅもにゅと耳を撫で続けてみる。
「ん……んん………」
テイオーは嫌いではないのか、手を払い除けたりせず撫でる度にか細い呻きを漏らすのみで…。
「…これ……不思議な感じ…ぃ…」
テイオーの耳は…ぷにぷにしてて弾力があった。ちょっと柔らかいスーパーボールみたいな感触だろうか。……この感触は…無限に触っていられる気がする。
…でもさすがに耳を撫で続けるのは悪いので、散々堪能した所で耳から両手を離す。
「〜〜〜っ…はぁ……」
がくん、と膝の上のテイオーは力が抜けたのか、ふにゃりと…液体のようになってしまった。
…まだ耳の感触が手に残ってる…。
「………今の、好きかも」
「…またやってみる?」
「……お願い」
テイオーの脚が交互にパタパタと揺れた。
耳を弄ってからテイオーは俺の脚の上で猫みたいにゴロゴロと喉を鳴らしてジッとしていた。
……テイオーが頭だけをこちらに向ける。
「ねぇトレーナー」
「うん?」
「このお家、おっきくない?」
「うん。ニ階建てで3LDKだからな」
「……二人暮しならこんな広い家いらないよね〜?」
「………………」
「明らかに三人目を意識してるよね〜?」
「……いやぁ、引っ越しは大変だったなぁ」
そっぽを向いて無理矢理話を逸らす。…この話題はテイオーには早いしあんまりにデリケート過ぎる。
そもそも伸び伸び暮らせた方がいいだろうって考えて3LDKにしたんだから、本当にその気は無い。
「ごまかさないで」
しかしテイオーはそれを許してくれなかった。ごそりとテイオーは膝の上で仰向けになり、両手を俺の首に伸ばし引っ掛け、俺を引き寄せた。
「どうなの? トレーナー」
「……家は広い方がいいでしょ」
「…ふーん?」
「……ほんとぉ?」
俺の言い訳にテイオーは両目を細め、左手を首から外し、自分の部屋着の襟に掛けて…くい、と少し引っ張って見せる。…テイオーの白い肌がよく見えた。
「…ボクは別にいいんだよ〜。トレーナーはどうなのさ」
「ダメ」
「………………」
「うわ!?」
突如体に浮遊感が訪れた。
どうやらテイオーが首に回した腕を軸に俺を軽く投げ飛ばし、仰向けに倒したようだった。
「それ!」
そしてシャッ、と猫のように素早く胸元にテイオーが乗っかった。…軽い。
「よいしょっと…」
ガシリと俺の両手首をテイオーが掴み、畳に押し付ける。そして半目で薄笑いの…実に妖しい表情を俺に向けながら、顔を近付けて…。
「トレーナー。ボクはトレーナーよりも力が強いんだよ? トレーナーのことなんて簡単に思い通りにできちゃうんだよ? それでも嫌って言えるの?」
鼻と鼻の触れそうな距離。テイオーの生暖かな吐息が顔に降りかかる。
………テイオーはあのマンションに転がり込んでから少々向こう見ずな荒っぽさがあった。
…それでもこれはハイなんて言えないだろ。
ハイと条件反射的に喉から吐き出しそうになってしまうが、右手のジクジクする痛みをそれごと抑え込んで…。
これはまだ先の話だ。
「……ダメ」
「……いくじなし」
「いくじなしでいいさ」
「……………」
テイオーの眉がぴくりと跳ねる。
「……はーーぁ…」
テイオーは心底残念ですと言わんばかりに大きなため息を吐き、俺から降りて右隣に体育座りで座り込んだ。
……テイオーは本当にあらゆる手段を使って自らを鎖として俺を縛り付けようとする。
…ただ今回はテイオーも本気じゃなかったんだろう。自分でもデリケートな問題だとわかっていたようだ。大人しく引いてくれた。
「…びっくりした…」
このまま天井を眺めているのもあれなのでむくりと上半身を起こす。
「……………」
…隣のテイオーは色々不満なのかこつんこつんと肩に頭をぶつけてきた。大分不満なご様子で…。
なだめるようにして、テイオーの首の後ろに右手を回し、指先でテイオーの髪をサラサラと撫でてあげる。
……なんでテイオーってこんなに髪の毛がさらさらしてるんだろうな?
「…トレーナーはいつもそうやってごまかそうとする」
…隣を見てみるとテイオーは口をへの字に曲げていた。肩への頭突は止めてくれたみたいだけど。わかりやすいな…。
とりあえず、指が疲れるまで撫でてあげた所で右手を外すと…。
「…………」
今度は背中にぺしぺしと尻尾が叩き付けられる感触がした。…止めるなってことか。…しょうがない。
テイオーの頭に掌を乗せ、先程よりも強めに手をスライドさせていく。
「……ふぃぃ…」
か細い気の抜けた声が聞こえた。……テイオーは…これが好きなのである。理由は聞いた事がない。ただ、テイオーがぷんすか怒ってる時は褒めてあげるか撫でてあげると、大体は機嫌をよくしてくれる。
…こうして過ごす分には、おかしいことは全くない。表面から見れば、甘えたがりな妹をあやす兄、みたいな絵面だ。
実際の所は…テイオーに本当にそのままの意味でずっと一緒にいてとお願いされ…俺はそれを良しとして、受け入れた。そして…テイオーはお人形遊びをするように、俺を好きにしている。
こんな状況にあれば、何かしら思うことがあるだろう。…テイオーのことと、テイオーを最優先に考えるのようになってしまった俺の脳は、テイオーに対して疑問や疑念を投げ掛ける思考をしようとするのを許してくれなかった。
脳が拒否反応を起こすのだ。そして、それでも思考を止めなければ…まるで自分自身を罰するかのように、右手にピキピキと…神経を焼かれているかのような痛みが広がり始める。
ただ、ここに引っ越して来てからは、それも減った。……テイオーを見ると、これでよかった、この判断は正しかった、生活は和やかだ、これでいいんだと感じる程度には、俺が俺でなくなっていた。
…………俺が今テイオーに抱いている感情は何なんだろうか。
使命感?
恐怖?
愛?
父性?
恋慕?
あるいは全部か?
…逆にテイオーは俺にどんな感情を抱いているんだろうな。…わかるのは…俺へと向けるあの執着心からして、少なくともまともな感情じゃないってことだ。
俺からトウカイテイオーという存在以外をなるべく排除しようとし、俺の内面をトウカイテイオーで埋め尽くして行く。俺をトウカイテイオー無しでは生きていけないようにするために。
それが如実に現れているのは……家のカーテンが日中なのにも関わらず、全て閉められていることが物語っているだろう。カーテンの付けられない窓から射し込む光が、俺達にとっての唯一の光だ。テイオーからすれば、俺の外界への興味すらも不安に感じるんだろうな。
…テイオーの内面はもう俺ばっかりなんだろうか。
テイオーは俺を縛り付け、お人形遊びをすると同時に、俺にとって都合の良い存在にもなろうとした。朝起こしに来て、料理を作り、可愛らしく甘えて見せて、夜はしがみついて寝て、最大限俺に気に入られるような態度と言葉を選び、乾いた目で俺を見つめる。料理は美味しいし、甘えてる時のテイオーは犬猫のような可愛さがあった。
こんな態度を取られたら、大抵の男はオチるんじゃないか?
テイオーは何かの神話か昔話に出てくる男を堕落させる妖怪かのようだった。確か…玉藻の前か…九尾の狐だったかな。テイオーをそんな化け物としては見れないが…。
…頭が割れそうな位痛くなり始めたので、いい加減考えるのを止めた。
これの、繰り返しだ。考え込むとどうしても違和感に気付き、それに自問自答して、頭が痛くなって、止める。……テイオーに求められ…何も考えずに一緒に蕩けている方がよっぽど楽だった。引っ越してからはそれがより顕著になったし……考える時間も減った。…段々と自分の思考力が落ちているのもわかった。俺はテイオーの人形に成り果てて行っている。人形でいる方が楽だから……テイオーが求めるままに、お人形になってみせた。
「…テイオー」
「んー?」
「俺が引き止めてなかったら…テイオーはどうするつもりだったの?」
「………わかんない。全部どうでもよくなって…いいように大人に利用されて、ポイ捨てでもされてたんじゃない?」
「それか…数日後に水死体でも発見されてたかもね」
…こういう危なっかしい態度を見ると、余計一緒にいなければと思ってしまう。本当に……そうなってしまいそうだから。
「…トレーナー」
「ん?」
「ずっと、一緒にいられるよね?」
この家は出口の無い鳥籠だ。そして俺達は鳥籠に囚われた鳥のようだった。ただし、躾をする飼い主はいない。…だから…一度沈み始めればどこまでも沈んでいくだろう。ずぶずぶと…底なし沼の泥のように…絡み付いて、互いに沈んで行く。
果たしてこの関係が正しいかはわからない。だけど、どこまでも爛れた、どこまでももどうしようもなく、どこまでも甘ったるい……テイオーとの関係は…俺にこの鳥籠で果てるまで共にいる覚悟をさせるのに、十分だった。
「…あぁ。ずっと一緒だよ、テイオー」
「……えへへっ、そうだよね。ずっと一緒だよね」
右腕にテイオーの両腕が巻き付けられ……ちょっと痛い位の勢いで、ギュゥゥゥゥ、と力が込められる。
「本当に……大好き」
「絶対に、離さない…」
「…離れないよ、テイオー」
トレーナーサイドを最後までありがとうございました。
次回からはテイオーサイドです。