シンボリルドルフ(プロローグ)
「……………………」
時間は夜。場所はトレーナー室。僕はパソコンに釘付けになっていた。
パソコンの画面に映し出されるのはルドルフの最近出走したレースだ。それを見ながら明日のためのトレーニングメニューを書き出していく。
…うん、相変わらず凄いよ。圧倒的な走りだ。文句の付けようが無い、完全に計算され尽くれた理想の差し。レースIQって言うのかな…それが既に僕を遥かに凌駕してる。正直もうレース前の僕の指示はいらないんじゃないかって位だ。
いや。実際にもういらないんだろう。僕の頭の中にあるレースの知識は全部ルドルフのために出し尽くしてしまったし、ルドルフはとても頭がいいからそれらを全て吸収してしまった。これじゃ僕がルドルフのリュックだよ。
…三年かぁ。速かったなぁ…。
ルドルフに教えられることはもう何もないよ。
……って、何かの漫画のお師匠様ポジかいな。
とにかく明日のためのトレーニングメニューは書き終わったし……と言っても、ルドルフに直すべき所が無いからひたすら能力トレーニングをする感じのメニューなんだけれど。
今日はもう帰ろう。
翌朝。生徒達の掛け声がよく響く練習場にてルドルフを待つ。
ルドルフは生徒会の仕事が朝からパンパンなので練習場に来るまでが他の生徒よりも数十分遅い。速く来てくれた方がありがたいのが本音だけど、これはルドルフの望んだことだから言うことは何も無い。
…ルドルフって書類の山を捌いた後にトレーニングもして授業にも出てるんだよね。トレーニング量も他の生徒と比較して少なくなるはずなのに、一体どうやってあの戦績と走りを維持しているんだか。
…やっぱり積んでるエンジンが違うんだろうな。トレセン学園には時々ジェットエンジンを積んでるのかと思うような生徒がいるけど、ルドルフはそっち側だ。他がガソリンエンジンで走ってる中、ルドルフはジェットエンジンで撫で切る。それも涼しい顔で。
つくづく……何でこんな僕が担当しているのかわからなくなる。もっと優れたトレーナーは他にもいるのに。
「___________ナー君」
おっと。
「_____レーナー君」
耳に完全に記憶された声がしたので、くるりと振り返る。
「トレーナー君」
「ルドルフ」
ルドルフが小走りで練習場に現れた。ジャージ姿だ。
「おはよう、トレーナー君」
「おはよう、ルドルフ」
「…すまない。今日も遅れてしまった。なるべく間に合うように心掛けているのだが…」
「いいんだよ、ルドルフは自分の目指す所を目指して」
「…ふふ…。…それで、トレーナー君。今日のトレーニングは?」
「うん、はいこれ。今のルドルフに合うように考えたトレーニングメニュー」
「ん…ありがとう」
僕はトレーニングメニューの印刷された紙を挟んだボードごとルドルフに差し出し、ルドルフはそれを受け取った。
「トレーニングメニューは印刷されてる通りだけど、ルドルフの今の状態を一番わかってるのはルドルフ自身だから。変更したい部分は好きに変更してもらって構わないよ」
それを聞いたルドルフはボードに一瞬目を落とし…。
「……………いいや。理想的なトレーニング組み合わせだ。それに今更トレーナー君のメニューを疑問に思うなんて」
「ん…そっか。じゃ、早速始めよう。まずは柔軟体操〜」
「ああ」
ルドルフは屈伸、伸脚、前屈、足首や腰、股関節の柔軟をこなして行き…。
「……っふぅ」
「よし、柔軟終わり。次はアップの練習場一周。頑張れ!」
ルドルフはコクリと頷き、その場で数度ジャンプすると…。
「さて……フッ……!!」
ズドンと走り出した。……フォームに…おかしな所は無い。今日も絶好調みたいだ。走ってる最中にフォームも崩れないし、完璧。
……どうしよう、何も言うことがない。トレーナーとしての職務を全うできない。どうしよう。
ルドルフが帰ってきたら褒める位しかできないなぁ…。……まぁうん、それだけでいいか、ウマ娘の走行フォームに一切の問題が無いのはいいことだし。
ウマ娘が練習場を一周するのはとても速い。もう僕のいるゴールラインまで後100m位だ。
今、僕の横をルドルフがよこぎ…。
ブォンッ……っとルドルフが僕の横を走り抜けた後に風圧が来た。
……ヒェェ。
「お……お疲れ様」
「ふぅぅぅ………。…トレーナー君。私のフォームにおかしな点は無かったかな?」
「んああ、無いよ。全然。ビデオとかDVDにして中等部にみせてあげたい位完璧なフォームだった」
「…それを聞けて円満具足だ。さぁ、トレーニングに移ろう」
「うん、じゃあまずは_______」
ルドルフは運動強度レベル5のトレーニングを楽々とこなしていった。
朝のショットガンタッチでは…。
「フッ……!!」
投げたボールをダイブすること無くキャッチし…。
昼の将棋では…。
「がぁぁぁぁぁぁ負けたぁぁぁぁぁぁ!!」
「ははは、これで私の56連勝目だ、トレーナー君」
「くぅぅぅぅっそぉぉぉぉ……」
コテンパンに打ち負かされ。
そして夕方のタイヤ引きでは…。
「ふ………ぐ………!!」
もはやちょっとした速歩きで巨大なタイヤを引き、さらに。
「トレーナー君、あのタイヤ、増やせるだろうか?」
「ええっ!?!?」
なんて衝撃的な発言をかます。
……夕陽がルドルフの汗を照らしている。
……レベル5トレーニングってかなりきついはずなんだけどなぁ。ルドルフ、多少息を切らしてるけど目が全然死んでない。…レベル5トレーニング以上のトレーニングってこの世界には無いぞ。…どうしよう。
「…る、ルドルフ。今日のトレーニングはこれで終わりだよ。お疲れ様」
「ふぅ……もう終わりか。…トレーナー君こそ、お疲れ様」
「うん。じゃあ、僕はトレーナー室に戻ってるから。お仕事頑張ってね、ルドルフ」
「ありがとう。では」
ルドルフは手を僕に軽く振り、僕もそれに振り返す。…満足そうにルドルフは練習場を後にした。
……ルドルフが僕の手に負えなくなっていくのを現在進行系で恐怖…しながら今日のトレーニングは終わった。
トン、トン、トン、と気品を感じるノック音。
「どうぞー」
入室許可と同時に扉が開かれ、現れたのは…。
「やぁ、トレーナー君」
「あれ、ルドルフ」
ルドルフだった。
「どしたの」
「ちょっと、今後のレースについて情報を共有しておこうと思ってね」
「あぁー、そっか。まだその話し合いしてなかったね。…生徒会の仕事はいいの?」
「それは大丈夫だよ。この時間のために今日は速く終わらせて来た」
「ん…わかった。…立ってるのもあれだから…座ろうか」
「失礼するよ」
ぽす、とルドルフは僕の対面の席に座った。
「それで……わざわざ脚を運んでもらったのに申し訳無いんだけど、レースの予定はしばらく無いんだよね…」
「む……そうか。理由は?」
「いやぁーー…敬遠だね」
「敬遠?」
「ルドルフの出走登録をしようとすると皆取り消して逃げちゃうんだよ」
「………皆、怯まずこのシンボリルドルフに牙を立てて欲しいのだが…」
「そうも行かないんだよ、勝負の世界は…」
「……ルドルフやマルゼンスキーみたいな子は避けては通れない道だよ」
ルドルフは眉を下げて「ふぅ…」と溜め息を吐く。…ルドルフもわかってるんだろうけど、やるせないよな。
「…仕方がない。次のG1G2に向けてひたすらトレーニングすることにしよう」
「うん」
「しかし……困ったな」
「んん?」
「この時間のために書類仕事を速く終わらせてしまったから、しばらく時間の空きが…」
「あら……。…トレーニング…はもう全部終わってるからなぁ。さらにやるったってルーティンが崩れるしルドルフは疲れるし…」
「…………」
……ルドルフがこちらをじっと見ている。……これは何かを僕に訴えてる時の目だ。
「……ここで時間潰してく?」
ピョコ、とルドルフの耳が揺れた。どうやら正解だったらしい。
「…そうしよう。いや、そうしたい」
「ん、わかった……」
そうと決まれば引き出しを開いてお菓子箱を取り出そうとするが……肝心のお菓子を切らしていた。
「あー、どうしよ、出せる物が無いや」
「いいんだよ、トレーナー君。君との時間だ。君さえいればいい」
「ははっ、僕はそんなに楽しい物でもないのに」
「私にとっては最高の話し相手さ」
「はいはい…それで、何をしようか」
ルドルフが一瞬考え込んだ。
「…トレーナー君、実は最近新作ができたんだ」
「おっ」
知る人は少ないだろう。ルドルフは実はダジャレのスキルを磨いているのである。
知っている人からのダジャレの評判は……あんまりよろしくない。
「どんなやつ?」
「こほんっ…」
ルドルフは得意気に咳払いして見せて…。
「…菊花賞にきっかり勝つ」
「……………」
「………トレーナー君?」
「……………」
「………失笑するほ」
「ふっ………くふふふふっ……」
「!」
「どうだ…!?」
ズイッとルドルフが目をキラキラさせながら身を乗り出す。
「あはっ、はははは……!! なんだそれぇ…! お、面白…!」
「そうか…そうか! ふふふっ…」
ルドルフはそれを聞いて満足そうに席に直った。尻尾もご機嫌そうに揺れている。
「あふ…っ…ふふふ………ひぃぃぃ……はぁ………はぁ………わ、笑い死ぬ……!」
「これは自信作なんだ。お気に召したようだね」
「ふーっ………いやぁ、上手い。……菊花賞の賞ときっかり勝つの勝もかけてるね?」
「! 気付いてくれたかっ」
「今回のは大分頑張ったみたいだねぇ」
「そうさ。…君なら気付いてくれると思っていた」
「うんまぁわざわざ僕に披露するってことは手が込んでるってことだろうから…」
「それで………生徒会の子達には受けた?」
「……………………」
……耳がへなりと萎れてしまった。反応はどうやら芳しくなかったらしい。
「おっと失礼……」
「……ブライアンは反応してくれなかった。エアグルーヴは……頭を抱えてしまった」
「えぇー。酷いなぁ。こんなに面白いのに」
「トレーナー君。私達はやはり感性がおかしいのだろうか…?」
「そんなこと無いと思うけどな……センスが先鋭過ぎるのかもしれないし」
「そうだといいのだが…」
こうしてしばらくの間ダジャレの話題や最近起きた面白い話で盛り上がった。
他愛もない話も一段落した頃。
「ルドルフはさ」
「?」
「今のトレーニングに満足してる?」
「……そうだな。今の所は…いい具合に体に負荷が掛かっていて丁度いいよ。だが…いずれはアレでも満足できなくなってしまうだろう」
あ……あれすらもいつかはヌルくなると……。
「そっ……かぁ」
「………トレーナー君?」
「ああああ……ちょっとルドルフのための新しいトレーニングを考えなきゃって」
「…他でもない君だ。きっと私をよりよく導いてくれると、信じているよ」
「…う…ん」
「…では、トレーナー君。時計もいい時間を指している。私はこれで失礼するよ」
「あ…わかった。…おやすみ、ルドルフ」
「おやすみ、トレーナー君」
ギィ、とルドルフが椅子から立ち上がり扉に向かう。そして扉を開き…最後にこちらに振り返る。
ルドルフは僕に微笑んでからトレーナー室を後にした。
「……………」
「……………スゥゥゥゥゥゥゥ」
両手で顔を覆って机に肘を付ける。
……ルドルフの期待に応えられる気がしない。度々、僕はシンボリルドルフの荷物持ちだと形容される事があるけど…正しくその通りだと思った。僕じゃもうルドルフをこれ以上強くしてあげられない。僕がルドルフの足枷になってしまう。シンボリルドルフと言う才能を……僕が殺してしまう。これは絶対に避けなければ。
「……………」
ガチャン、と引き出しを開き……その最奥にある一枚の書類を取り出す。
書類には契約破棄届とデカデカ印刷してある。
………契約、破棄するべきなんだろうなぁ。
次回、不和。