翌朝。日課であるスマホチェックをする。
「……………………」
スマホを開いてまず目に付いたのは10件以上の履歴が表示された連絡アプリだった。……多分ルドルフからだ。なるべく内容を見ずに、とりあえず『ごめん』とだけ送っておこう。
…送信してすぐに既読は付き…それと同時にメッセージの着信音が鬼のような勢いで鳴り始めた。
……やっっっばい。
鬼のような勢いのメッセージが昨日の脳内アラートを思い起こさせたため、スマホをベッドに放り投げてボフッ、と枕を押し付けた。…すると、今度は枕からヴーッ、ヴーッ、とバイブレーションの振動が伝わって来た。……ルドルフからの着信だ。すぐに切ってくれるかもしれないという一抹の望みに賭けてみるけど……止まる気配は一切無い。
……出るべきか…? 出ないべきか…? ……いいや、出よう。これ以上ルドルフに対して突き放すような態度を取ると僕がこの世から突き放されるかもしれないし。
僕は枕をスマホからどけて…。震える手で、受信アイコンをタップした。
「……もしもし」
「…………………」
……返事がない。 ………? ルドルフの息遣いだけが電話越しに聞こえる。その息遣いは何処か苦しげな感じがした。大丈夫かな…。
「ルドルフ?」
「……もしもし、トレーナー君。おはよう」
ルドルフはいつもの調子でようやく返事をしてくれ………いや。声に疲れが見えるぞ。僕が逃げた後にトレーナーニングでもしたのかな…?
「…おはよう、ルドルフ。……昨日は……ごめん」
「……何のことかな」
「え?」
「トレーナー君。昨日、何かあったのかな」
「え。いや……昨日、僕がルドルフから逃げて…」
「……おかしいね。私の記憶だとそんな事はなかったが…」
「えぇ? …ルドルフ、からかってる…?」
「…いや…」
「……トレーナー君。もしかして寝惚けているのかな?」
「そ、そんな訳」
「…トレーナー君。ここ数日の君は随分と疲れていたように見えた。それで帰宅してから悪夢でも見たんじゃ?」
「君が私から逃げるような事がある訳無いじゃないか」
「……えぇっと…」
「………………………………まぁ、今はそんな事はいいだろう」
「トレーナー君。トレーナー室に私物を忘れてしまっていたよ。大切な物は朝に取りに行くといい」
「ん…? あっ」
ルドルフに言われてようやく気付いた。部屋を見渡すといつも置いてあるリュックも水筒も何も無かった。全部トレーナー室に置いて来ちゃってる。スマホとか鍵とかポッケに入る物は大丈夫だったけど…。
「あんな大事な物を…」
「トレーナー室の鍵も開けっ放しだった。疲れているなら休むべきだよ、トレーナー君」
「う、うん」
「…では、失礼するよ。また学園で」
ブツリ…と電話は切られた。
「……………」
ルドルフの声の余韻がまだ耳に木霊してる。
…ルドルフのあれは演技かな…? 僕は昨日の事を鮮明に覚えてるぞ…。ルドルフの気迫が僕に絡み付いて、手が僕に迫って………いや、でも。もしかしたら本当に昨日のは夢で……。ほら、悪夢に限ってやたらリアルにみえるとか言うし。
…………さっさと準備して仕事に行こう。それと件のトレーナー室にも行かないと。
僕はルドルフの策に嵌った。
学園内の、人のいないルートをなるべく選んでトレーナー室へと向かう。傍から見れば僕は不審者である。
何でこんな回りくどい事をしているかと言うと……まぁルドルフに会うのが怖いからだ。朝のルドルフの電話もあったけどあのルドルフは何処か芝居がかってた。…それが不気味でしょうがない。
全ての原因はお前にあるんだから何してるんだと言われそうだけど…全くその通りだ。でも…あんな目と気迫を見せ付けられ…いや。夢かもしれないけど。それでも、ルドルフに会うって…無理だよ。
とにかく、生徒会室を避けるようなルートで遠回りしつつ、トレーナー室に向かい……。
その道中。
「おい、貴様」
「いいっ!?」
背後からやや棘のある声が飛んで来て、それに思わず肩をビクつかせてしまう。
ゆっくりと振り返れば……エアグルーヴがいた。
「何だ、その化け物に見つかったかのような反応は」
「お…おはよう…エアグルーヴ」
「…おはよう」
「…………」
…エアグルーヴは眉を下げたまま黙ってしまった。
「……?」
「…まさか本当に会長の言う通りのルートにいるとは…」
ボソリ、と何かエアグルーヴが何か呟いた。んん? なんて?
「???」
「……そんなにコソコソして。何をしている。トレセン学園の正式トレーナーならばもっと堂々としろ」
「はは…は…ごめぇん」
「…あのさ」
「何だ」
「ルドルフの様子、どうだった…?」
「会長の様子?」
「うん。何か変じゃなかった?」
「………いや。特に変わった所は無かった。……会長に何か後ろめたい事でもあるまいな」
「えっ。ない、無いよ?」
「……会長は慧眼だ。何かを隠し通せると思うな」
「う、うん…わかってる…わかってる…」
「………。まぁ、いい。会長が仰っていたが、貴様、トレーナー室に私物を忘れたらしいな。弛んでいるぞ。皇帝のトレーナーとあらばそれに相応しくあれるよう心掛けろ」
「ひぃぃぃ、わかった、わかったよ。朝から説教は勘弁勘弁」
「精進することだ。では、回収しに行け」
「失礼します…」
朝からさんざエアグルーヴに怒られてしまった……。はぁ、さっさと回収しに行こ……。
と、言う訳で。
「……着いてしまった…」
着いてしまった……。
…あの後ルドルフはどうしたんだろうか。…エアグルーヴの様子から考えるに普通に過ごしてたっぽいけど……。
…こんな扉の前で考えても仕方ないや…開けるぞ。
ドアノブに手を掛け、回し…引く。
「…………」
…引く瞬間に昨日の光景がフラッシュバックし、手が止まった。
……いやいや、夢かもしれないんだから。何ビビってる。
僕は結構勢い付けて扉を開いた。
「失礼しまーす……?」
トレーナー室に入ると…まぁいつものトレーナー室だった。ルドルフが整理してくれたのか書類の束やクリアケースが綺麗に並んでいる。
「……………」
腰を屈めて床を見渡して見ると、昨日ぐしゃぐしゃにされた契約破棄届がどこにも無かった。
……もしかして昨日のは本当に夢だったのかな…。
えぇっと、まるごと忘れてしまったリュックは…あったあった。
まず机に掛けられてたリュックの中身を確認する。ジャージ、タオル、財布、メモ帳、トレーニングメニュー、USBメモリ、ボード、合鍵……全部あるね。リュックから財布とルドルフ用のトレーニングメニューとボードと走法メモ帳を取り出してっと。今日使うのはこれ位かな。
よし、練習場に出てルドルフを待とう。
机から踵を返して扉に向かい、扉をガチャリと開けて…。
「おはよう、トレーナー君」
「うわぁぁぁぁぁっ!?!?」
ルドルフがいた。
思いがけない声に思わず背中から後ろ側へと倒れてしまう。
ゴスッ、と言うような鈍い音がトレーナー室に鳴った。
「いたぁっ!?」
「トレーナー君!?」
ルドルフは慌てて僕に駆け寄って助け起こしてくれた。
「いっっつつ…」
「ちょっと…トレーナー君、大丈夫かい?」
「だ、だいじょう…ぶ……いてて」
右手で背中を擦る。…ジンジンとして痛い。……って、何でルドルフが狙い澄ましたように扉の前にいたんだ。このタイミングを…?
「…おはよう、ルドルフ」
ルドルフの様子は…昨日のようなおどろおどろしい雰囲気は無い。至って普通だ。
大丈夫…なのか…?
「……ルドルフ。怒ってない…?」
「? 怒る? 何に?」
ルドルフは目をパチクリさせて首を傾げて見せた。
「…本当に夢だったのかなぁ…」
「……トレーナー君。君が心配だよ。本当に疲れているようだね…。有給は溜まっているんだろう? 取ったらどうだ」
「か、考えとくよ、あはは……」
「…じゃあ…ルドルフ。トレーニング、しようか」
「…トレーナー君。無理はいけないよ」
「大丈夫大丈夫」
「…そうか。では、行こうか」
ルドルフのそれを合図にしてぱさぱさ、と自分の服を叩き、トレーナー室から出てルドルフと一緒に練習場へと移動した。
それからはいつものように、何の事故も無くトレーニングをした。トレーニングしてる間、ルドルフは特に不穏な様子も見せなかった。……もしかして本当に僕が疲れてるだけで昨日のは夢だったのかな……?
……夢…なのかもしれない。何にせよ僕にとっては夢の方が都合がいい。……あんなルドルフは…もう、頭から消し去りたい。
「ふうぅぅぅぅ」
トレーニングも終わり、書類仕事も終わらせ、今日のルドルフのトレーニングを振り返った所で、仕事は終わった。
「お疲れ様、トレーナー君」
「ルドルフこそ。ごめんね、書類仕事まで手伝ってもらっちゃって」
「なぁに、これ位、どうと言うことはないさ」
「…さて、もういい時間だ。仕事も終わったんだ、帰ろう、トレーナー君」
「ん……」
チラリと窓から外を見てみると、月がもう光っていた。
「だね、帰ろっか」
「一緒に、ね」
…ルドルフは何故かトレーナー室にまで鞄を持って来ていた。
「…そうしようか。よいしょ、っと」
まぁおかしくはないか。僕もリュックを取り上げて、背負う。
「よーし、行くよー」
「あぁ」
消灯し、僕達は一緒にトレーナー室を出た。
「…………もう、逃さないよ。トレーナー君」
「? 何か言った? ルドルフ」
「いいや?」
帰り道、ルドルフは何かの埋め合わせをするようにたくさん話しかけてくれた。…マンションまで会話が絶えることは無かった。
「肉は美味しいのだが…ついつい食べ過ぎてしまっていけない」
「えー、別にいいんじゃないかなぁ。トレーニングで食べた分だけ燃やせばいいし」
「そう言う訳にもいかない。不摂生はレースに如実に現れてしまうんだ。…それに、スカートがキツくなってしまう」
「ルドルフはもう十分細いと思うよ?」
「……君にそう言われるとまた食べ過ぎてしまうな。ハハハ、情けない…」
「食べないよりも食べた方がいいって……っと。着いた着いた」
ルドルフと会話しながら帰ったおかげかいつの間にかトレーナー用マンションに到着していた。ルドルフと一緒に敷地に入る。
「トレーナー君は何号室に住んでいるのかな?」
「325号室だよー」
「3階かな?」
「そうそう」
なんて会話をしながら僕達は階段を上がり、自室前まで来て…カチャン、と扉を開いた。
「ただいまー。ほら、ルドルフもおいで」
「お邪魔するよ、トレーナー君」
そしてルドルフと一緒に靴を脱いで部屋に入る。
「…忙しいのに綺麗に掃除されているね」
「自分の家位は綺麗にしときたいからねぇ」
「汚れていたら掃除をしてあげるつもりだったのだが…来る口実が減ってしまったよ」
「ルドルフ…」
そして、手を洗って自室に移動し…。
「ここがトレーナー君の部屋か」
「そうそう、ここが僕の部屋だよ。ベッドにでも座ってて」
「失礼するよ」
ルドルフはぽふ、とベッドの端っこに座った。僕もリュックを投げ置いて、どすんとベッドに倒れ込むように座り込んだ。
「綺麗な部屋だ」
「面白い物は何も無いけどねー」
………ん? 何かおかしいような。
「……ルドルフ。何かおかしくない?」
「…? おかしい? 何がおかしいんだ?」
「えぇっと…」
隣にいるルドルフが首を傾げる。おかしい…おかしいんだよ。
…………隣にいるルドルフ?
……ルドルフ?
が隣に?
ルドルフが僕の部屋で……。
……………………!?!?!?!?
「ちょ、ルドっ!?」
「? トレーナー君?」
「何でルドルフが僕の部屋にまで着いてきてるの!?」
ルドルフとの話に夢中になってしまって全く気が付かなかった。と言うかルドルフがあんまりにも自然に付いて来てて気付く余地すら無かった。
「…………」
「…ルドルフ…?」
ルドルフは黙って突然立ち上がり、扉の方へ向かい……カチャン、と内側のロックを掛けた。そしてこちらに振り返り…。
「やっと、二人きりになれたね、トレーナー君」
「この時を待っていたよ」
静電気が僕にまとわり付くような感覚がした。
「ルド…ルフ…?」
「君も私も夢見がちだね、そうは思わないかい」
ルドルフの目から段々と光が失われて行く。
……僕はここで昨日の出来事が夢じゃなかった事を理解した。…ルドルフが…ずっと演技していたことに、気付いた。
「まさか君にあんなに拒絶されてしまうなんてね」
「うあ、ぁ…」
「あそこまで不安になったのは、昨夜が初めてだよ」
ルドルフは僕の知らないルドルフになっていた。
「初めからこれを狙ってた…の」
「あぁ。少々危ない船だったが、上手く行った」
少し気まず気に話しながら、ルドルフは再び僕の横に座った。
そしてずず、とルドルフがベッドの上を移動して僕に身を寄せる。
……ルドルフの肌は暖かかった。しかし、それと同時に、怖気のする冷気のような物も発せられていた。
「何度、君を誰もいない物影に引き摺り込みそうになったことか……」
もう、逃げられない。ウマ娘の反応速度と瞬発力に勝てる訳が無いから。
「昨日の事は…謝るから」
「何回でも」
「いいや。トレーナー君は悪くないよ。あれは私の落ち度だ」
「君をこの手にできなかった私の、ね」
…ああ、これ、相当酷い掛かり方してる。どうする、僕…?
「…トレーナー君。契約の破棄をしない、と言ってくれないか」
「えぇ?」
「お願いだから…」
「っ、うん、しない。しないから。だから安心して…」
「本当に?」
ぐりん、とルドルフは待っていましたと言わんばかりに首を動かして、横から僕の顔を覗き込んだ。
「本当、本当だよ」
「……なら」
ルドルフは自分の鞄に手を突っ込み…中からグッチャグチャの契約破棄届を取り出した。ルドルフが回収してたのかぁ……。
「これを破り捨てて欲しい」
「…うん…」
僕はルドルフから契約破棄届を受け取ると、ビリビリと8枚程度の紙屑に裂いた。
「これでいい…?」
「もっと」
「……はい…」
もっと言われたのでさらにビリビリと小さな紙屑に裂いた。もう契約破棄届の字も読めない位に。
「これで…いいかな…?」
「……………」
ルドルフはコクリと小さく頷いてくれた。
「あんなモノ……私達の前にあるのが間違いだ…」
「…………」
「…………」
「……さて、誰もいないね、トレーナー君」
「…う、うん」
ルドルフは僕の両肩に手を乗せた。
「?」
そして突然肩に力が加わったかと思うと、僕は何故か横向きにベッドに倒れ込んでいた。
そして背中側よりルドルフが脇の下から手を通し、僕に抱き着いているのがわかった。
ルドルフが僕を引き倒していた。…ルドルフの表情は見えないためわからない。
「……ルドルフ?」
「誰も、私達を見ていない。誰も私がここにいるのを知らない」
「今なら君を思い通りにできてしまいそうだ」
「…悪い冗談は止めて欲しいかなぁ、あはははは…」
「冗談に見えるかな」
耳元でルドルフが囁く。
「る、ルドルフはそんなことする子じゃないでしょ?」
「ウマ娘は牙や爪を隠すのが得意でね、トレーナー君」
だめだぁぁぁぁ!! ルドルフの良心に訴えかける作戦失敗!!
…これは非常によろしくない。ルドルフは抱き着いてる感覚だろうけど、僕からすれば完璧に組み付かれてる状況だ。どうやったって逃げられない。これはもうルドルフに落ち着いてもらうしか方法はない。何か…何か時間を稼げる話題は……そうだ。
「どうして……ここまでして僕に拘るのかな…?」
「…どうして、か」
「…それはね」
次回、束縛。