「…………」
逃げるようにして236号室前から移動した俺はフラッシュに言った通り旅館内を散策し温泉の入口を探すことにした。
温泉旅館と言うことで温泉は一階にあるんだろうけど…。とりあえず端っこの方から探して行こう。
「……あったあった」
端っこからしらみ潰しに探して行った結果、温泉の出入り口は宴会場を挟んだ先にあった。
さて、ここまでで大体何十分か経過しただろ。フラッシュももう着換え終わってるはず。戻ろう。
フラッシュがまだ着替えている可能性も考慮して、ゆったりとした足取りで236号室前まで戻り……扉をノックしようとした所で、部屋の中でフラッシュが誰かと会話している声が聞こえた。…電話中かな?
それならば、今入るのは失礼だろう。
…扉の前で何もせずに突っ立っているのもあれなので、品が無いが、ちょっと耳を済ましてみる。すると…。
「___________」
……ドイツ語? 残念ながら大学での第二言語は中国語だったからな俺…。ドイツ語はわからないや。…会話の相手は男っぽいな。
「__________」
『………………』
「_____Ich möchte Sie um einen Gefallen bitten…」
『……………………………』
「……Ich möchte meinen Trainer meiner Familie vorstellen」
『……………………………………』
「Dafür würde ich gerne nach Deutschland reisen」
『………………』
「Kann ich meinen Trainer bei mir zu Hause wohnen lassen?」
『……………………………』
「Darf ich?」
『………………………』
「Ich danke dir, Papa」
『………………』
……最後にパパって言ってたような。家族と電話中だったのかな? まぁ確かに3年目の終わりだし娘に電話の一つや二つかけたくなるか。
やがて会話も終わったのか、何かを切るようなか細い電子音がして。
……終わったかな。
そう判断した俺は、扉に向かい三回手の甲を叩き付け…。
「フラッシュ〜」
「っ、トレーナーさん?」
「おーう」
部屋の中のフラッシュが何かを急いでしまう音がしてすぐに…。
「どうぞ」
「ただいまー」
フラッシュからお許しが出たので扉を開いて玄関に入り、靴を脱いで部屋に戻れば……浴衣姿のフラッシュが正座で出迎えてくれた。
そう言えば……フラッシュが日本の民族衣装を着るのはこれが初めてか…?
今まで制服、私服、勝負服姿のフラッシュしか見てこなかった俺はそれに思わず歩みを止め、座るのも忘れてしまいその場に立ち竦む。
……これはフラッシュが黒髪なのもあるけど……似合うなぁ、凄い。
「………トレーナーさん?」
「…………おっとごめん、似合うもんだからつい」
「…似合い、ますか?」
「うん。すげぇ似合う」
「…ありがとうございます、トレーナーさん」
フラッシュの耳と尻尾が小刻みに揺れた。…ウマ娘は感情を隠そうとしてもわかりやすいなぁ……と、内心苦笑いしつつ、フラッシュの隣にある座布団に腰を落ち着かせる。
「……あの、トレーナーさん」
「おう」
「電話、聞こえていましたか…?」
「あー、うん。ごめん、聞こえちゃった」
「……………」
「……………?」
…聞かれちゃまずい内容だったか?
「…トレーナーさん」
「は、はい」
「内容、わかりましたか…?」
「い、いやぁ全然? 何言ってるかまーったくわからなかったぞ」
「………」
…フラッシュは努めて平静を装おうとしているようだけど、明らかに胸を撫で下ろしている様子だった。
よっぽどプライベートな内容だったのか…?
「何かごめん」
「いえ…」
「…………」
「…………」
「……って、そうだ。俺も着替えなきゃ」
…何とも言えない雰囲気になってしまったため、場面転換め兼ねて惚けた声でフラッシュにそう告げる。
「あっ。はい、では私は外で待っていますね」
「すぐ終わるから!」
「はい」
フラッシュはぎこちない脚取りで部屋から退出した。……脚痺れてたのかな。
「フラッシュ〜。終わったぞ〜」
さっさと着替えて脱いだ服を畳んで扉の前にいるであろうフラッシュへ向けて声を掛ける。
「失礼します」
すぐに扉は開かれた。もちろん、入ってくるのはフラッシュ以外におらず。そのフラッシュは…先程の俺と同じように部屋へ戻りかけの所で歩みを止めてしまった。
「フラッシュ?」
「…トレーナーさん…浴衣、とても似合っていますよ」
「そう? 日本男児として嬉しいなぁ、はっはっはっ!」
「今まで見てきたあなたの中でも一番凛々しい…」
「……そんなに?」
「はい」
「…そこまで言われると俺も照れるなぁ! は、はは」
今日のフラッシュはなんか…凄い、遠慮が無いな…。さっきから調子崩れっぱなしだわ…。
フラッシュは自分から目を逸らす俺を見てかくすくすと小さく笑い、俺の右隣、空いている座布団にぽす、と座った。
「……またと無い機会なので、このまま一緒に写真を取りませんか?」
「お、写真か。いいじゃんいいじゃん。なら早速…」
「いえ」
自分のスマホを取り出そうとしたら、数秒速くフラッシュがスマホを取り出していた。
「私のスマホで撮って、後で撮れた物をトレーナーさんに送ります」
「あぁ、それでもいいや」
「では…」
フラッシュは俺の横により近付き…二人並んで移れるようスマホを掲げた。
「ピース」
俺はスマホに向かい口角を上げ、無難にピースサインをする。
「……………」
「……………」
…しかし、いつまで経ってもフラッシュの指がシャッターボタンをタップすることは無く。
「……フラッシュ?」
「トレーナーさん……」
隣にいるフラッシュに目をやると、何やら不満気な様子だった。
「?」
「それでは味気無さ過ぎます」
「えぇ〜。でも俺、これ以外のポーズ知らんよ」
フラッシュは掲げたスマホを一回降ろし、少し考え込んだ後…。
「………もっと、こうっ」
「ぬんっ!?」
突然フラッシュの右腕が俺の右腕に絡まり、フラッシュに体が引っ張られる。ち、近…。
「頭もこうです」
「ちょちょちょ」
クイッと絡まった右腕をさらに引き寄せられ、それに合わせてフラッシュの頭が俺の頭に寄り、こつんと頭同士が接触した。
「それで何かポーズしてください」
「こ、こう? こうでいいのか?!」
フラッシュの指示通り首元に左手を持ってきてピースサインをして…。
「はい、そのままで…」
「……………」
そして、ようやくシャッター音が聞こえた。
「っはぁ」
それと同時にフラッシュが右腕を離してくれて…そのまま俺はフラッシュから弾かれるようにして左側の畳に向かい体を倒した。
「ふぅ……ありがとうございました、トレーナーさん」
「ど、どうも……」
フラッシュは写真の出来栄えを確認するため、すぐにスマホに目を落とす。しばらくじぃ、とスマホの画面を眺めて…。
「…いい感じです」
結構いい出来だったのか、フラッシュは満足そうに頷いた。
…あーびっくりしたわ。
「そりゃ良かった…」
「トレーナーさん。誰かと一緒に写真を撮る時は一緒に映る人のことも考えてあげてくださいね」
「あい…」
俺は畳に伏せたまま右手を挙げる。今のでどっと疲れてしまった…。
写真を撮った後は、フラッシュに脚の痺れない正座の仕方を教えてあげたり、ドイツの温泉旅館と日本の温泉旅館の違いについて教えてもらったり、晩飯を食べたりして時間が過ぎるのを待った。
「……そろそろ温泉に入れる時間ですね」
「おっ……と。そうだな、もうそろ19時だし。持つ物持って行くかぁ」
フラッシュの一言で一度室内の時計を確認し、俺の脳内は完全に温泉モードへと切り替わった。
体を起こしてキャリーバッグの置いてある所に向かい、中からボディタオル、シャンプー、ボディソープ、タオルを取り出し、湯桶に乗っける。
フラッシュも俺の後に続き自分のキャリーバッグを漁り始めて……俺より大分多い荷物を取り出して湯桶に乗せた。
…髪の手入れとかあるもんな、うん。
「では、行きましょうか、トレーナーさん」
「おう! テンション上がってきた」
と、言う訳で部屋から温泉の入口まで俺達は移動した。
ただいま俺はフラッシュと並んで湯桶を持って暖簾の前に立っている。
「……日本の温泉は男女別々なんですね」
「おう、そうだぞ?」
「ドイツでの温泉は混浴が一般的で…日本式は今日が初めてです」
「へぇ〜。それ、初めて知った。ドイツは混浴なのか。お互いにカルチャーショックだな…」
「……………」
初めて知るドイツ文化に面食らっていると、何やら隣から視線を感じたので視線の方に振り向いて見ると…フラッシュが俺を見ていた。
「……ん?」
「…いつか…」
「うん」
「いつか…一緒にドイツの温泉に行きたいですね」
「!?!?!?」
「ではお先に失礼します」
「……!?…………!?」
フラッシュのとんでも発言に思考停止していると、フラッシュはそそくさに女湯の暖簾を潜ってしまった。
俺は……しばらくその場で呆然としていた。
「ふぃ〜〜。いい湯だったな〜」
「ふ、ぅっ……そう、ですね…」
温泉から出た後…俺が先だったためフラッシュが出てくるのを待って、合流した後はこのように有料のマッサージ機にお世話となっていた。
温泉は実に素晴らしかった。ちょっと湯に長く居過ぎたせいかまだ頬が熱い。
隣のマッサージ機にいるフラッシュを見てみると、俺と同じらしく目は何処かぼんやりとしていて頬に朱が差していた。…このマッサージが終わった後、一緒に湯冷まししよ。
「フラッシュ〜」
「は、い?」
「マッサージ終わったら一緒に庭園行かない?」
「いい…ですね。そうしましょ…ぅ…」
……マッサージ機のせいでフラッシュが大分だらしない顔になっていた。
温泉の庭園は俺の語彙で言い表すと……風情があった。和風建築に、芝に、石畳に、ベンチに、夜空。隣には浴衣姿のフラッシュと来れば、もう完璧だろう。
…庭園にはカップルらしき組がちらほらいた。俺とフラッシュもそれっぽい雰囲…………違う、そうじゃないだろ。今日はただ慰問に来ただけ、慰問に来ただけ……。あっぶね。
「月が綺麗ですね」
「えっ?」
物凄い勢いでフラッシュの方を向いてしまった。あの、今のはかなり有名な…。
「?」
当のフラッシュは……頭上にハテナマークの浮かんでいそうな顔をしていた。…まぁうん、そうだな、ドイツ育ちのフラッシュが月が綺麗ですねなんて知ってる訳無いか。ただの感想だろう。
今日は勘違いが甚だし過ぎるぞ、俺。調子に乗るな…。
そういう、自戒の念も込めて…。
「…だな! 月綺麗だなー!!」
「……ふふふ…」
……この温泉に来てからのフラッシュの笑みには、何か含みがある気がしてならなかった。
庭園を回った後は、大人しく部屋に戻って来た。
…庭園を回って湯冷ましの効果があったかと言うと……そんなことはなく、むしろ余計頭に熱が籠もった気がする。
現在、俺はフラッシュに背を向けて布団にくるまっている。先程からの、畳み掛けるような言動のせいでフラッシュを見ていると落ち着かないからである。
「トレーナーさん」
「ん、んん?」
「こっち、向いてくれないんですか」
「こ、この体位が落ち着くなーなんて」
ごそり、と何かがこちらに近付く音がした。…その音が俺に対する警告に聞こえてならず、俺は急いでフラッシュの方を向く。
「…やっぱりこっちの方が落ち着くなー!?」
「はい、私もこの方が落ち着きます」
ごそ。
「……今日のフラッシュはさ…凄い押してくるな?」
「そうですか?」
ごそ。
「うん。相部屋にしてたり…ドイツの温泉に誘ったり」
「……多分、気分が上ずっているんだと思います」
ごそ。
「フラッシュが? 珍しい」
「はい……多分、トレーナーさんと一緒だから…」
ごそ。
……何かフラッシュさん近付いて来てません?
「……フラッシュ、何かさっきと距離違くない?」
「そうですか?」
「さっきからどんどん近付いて……」
「…………」
ごそり、とフラッシュはさらに近付いた。…これはもう確信犯だろ。
「トレーナーさん」
「んん?」
「世間一般で見て、一緒に温泉旅行へ行くような男女はとても仲良く映るはずです」
「うん」
「私もそう思います。トレーナーさんとはとても仲が良いと」
「…う、うん」
「……トレーナーさんは、どう思いますか?」
「…俺?」
「はい」
「俺、かぁ」
「………仲、良いと思う。かなり」
「かなり?」
「私は、それ以上だと思います」
フラッシュの瞳が俺を捉えた。決して、捉えて離さない。それはまるで素直になれと俺に訴えかけているかのようで。
「……正直、フラッシュとはもう……ただの男女と言うには………って」
ここでハッとして我に返る。危なかった。これ以上は……。浮ついた気分のせいで色々口走ってしまう所だった。
あぁ、今日はだめだ。自分の立場をもどかしく思ってしまうなんて。
「……………」
「…トレーナーさん」
ごそり、とフラッシュはさらに俺に接近し……もうフラッシュの頭は俺の胸元…と言うか体が密着しそうだった。
「この部屋には、誰と誰がいますか」
「俺と…フラッシュ…だけ、だな」
「はい、あなたと私だけの、二人きりです」
最後に一回、布の擦れる音がして……ついに、フラッシュの体が俺にぴとりとくっついた。
「誰も、見ていませんよ」
フラッシュの人差し指が俺の首筋をなぞる。
「あなたを咎める人は誰もいない」
「フラ…」
やばい、頭がおかしくなる。ギチギチと理性の糸が音を立てている。防波堤に掛かる圧力が強くなっている。
「私も……今、あなたになら何をされてもいい…」
「トレーナーさん」
トレーナーさん。トレーナーさん。トレーナーさんトレーナーさんトレーナー……。
頭の中でフラッシュの声がエコーのように繰り返し反復する。
ぷつり、と頭の中で何かが弾けた。
「フラッシュ」
「あぁ…」
気持ちの赴くままに、俺は両手をフラッシュの腰に回し、思い切り抱き寄せてしまった。
「ごめん、フラッシュ。ごめん」
「トレーナーさん…」
フラッシュも、拒まずに俺の肩を掴んでくれた。
お互いの体温が混ざり合い、とても暖かい。この暖かさが頭をどうにかしてしまう。
今、この瞬間だけでも……トレーナーであるのを止めた俺は、間違っているのだろうか。
あぁただ。間違っていたとしても、俺は今までに無い幸福感に満たされていた。
……トレーナー、失格か? はは。
…ふと、フラッシュを見てみると……フラッシュは既に俺の事を見上げていた。口を三日月に歪め、瞳を妖しく輝かせながら。
まるで目的を達成したと言わんばかりに。
次回、隙を生じぬ二段構え。