「……ぅ…」
12月の肌寒い空気が顔を撫で…その寒さが俺の意識の覚醒を促した。
…あーっと……ここは…そう言えば俺…。
そうだ、俺はフラッシュの誘いで飛行機に乗ってドイツに来て…フラッシュ宅でフラッシュと一緒に寝たんだ。
脳内で一瞬にして昨日起きた事を整理し、俺は目をゆっくりと開ける。
「…………」
「クゥ………クゥ……」
フラッシュの顔が目の前にあった。
もし俺が鳥類だったならば今頃は凄まじい鳥肌になっていたはずだ。
待て、状況を整理しよう。
俺は今……どうやらフラッシュを腕に抱いているらしい。それもかなりガッチリと。これは…寝てる時、無意識に抱き枕にしちゃったっぽいな。対するフラッシュの両腕も俺の背中に巻き付いたままであった。
うーんとてもいい抱き心地だ…じゃなくてだな。
ど、どうする? フラッシュはまだ寝てるし…こっそり抜け…れるかこれ。変に動いて起こしたら悪いし。
「…………」
とりあえず、フラッシュの脇腹とベッドに挟まれてる右腕を引き抜こうとゆーっくり引っ張ってみる。腕は結構すんなりと動いてくれた。
ちょっと抜けて行く度にフラッシュの顔を確認してみるが、起きる気配は無くて。
よーし、このまま…。
グンッ、と。物凄い力で体がフラッシュに向け引き寄せられた。
「?!?!」
何が起きた?
何故かフラッシュの額と鼻が俺の額と鼻にぴったりとくっついてるぞ。俺の視界は今フラッシュで一杯だ。
そして……フラッシュの目がパッチリと開かれた。
「おはようございます、トレーナーさん」
「……………」
「………?」
「…おはよう、フラッシュ…」
「はい」
…どうやら最初から起きてたらしい。びっくりした…。
「お、起きてるなら起きてるって言ってくれよ〜」
「目を瞑って、あなたの体温を感じていたので…」
「そ、そう…」
「…………」
「それにしても…近くない? フラッシュ。鼻とデコが…」
顔が近過ぎてもうフラッシュの目しか見えないんだけど…。
「はい。ですが今の私達の距離を的確に表していると思います」
「…こんな近いってか? ははっ」
「私はそう思っています」
………近過ぎてフラッシュの心臓の音が聞こえるし、フラッシュが何か話す度に吐息が…。
「…ほら、そろそろ起きなきゃ」
「トレーナーさんは、どう思いますか?」
「…………………」
「……」
…これ話さないと駄目っすか?
なんて、言い倦ねていると……フラッシュの眉が少し吊り上がった。それと同時に、俺の体はフラッシュにより強く押し付けられる事になってしまい。
まずいまずいまずいまずいこの姿勢とてもまずい。何がまずいかってどう見てもまずい。待て、冷静になれ、冷静に。情けないぞ俺。
「す、すす…すんごい近いと思う! もう正直言うと! 温泉にも行ったしフラッシュの家にまで来たし!」
半ば白状するように内心を吐露すると、フラッシュはようやく拘束を緩めてくれた。それに伴いフラッシュの顔が俺から離れ…。
「…フフフフッ……75点、合格です」
今の告白を聞いてフラッシュはまた一歩進んだ、懐柔できたと言わんばかりに満足そうに笑った。
「っはぁ〜〜……」
朝から疲れるわ…。
「……フラッシュ? そろそろ起きようぜ」
「まだ私達の起床予定時刻まで26分ありますよ」
「起床時刻まで決めてあるんかい」
「……………」
「……………」
これから何かされるかと思っていたら、フラッシュはただぼーっと俺の事を見ているだけで。
「…楽しい?」
「いえ…」
「なら」
「安心するから、では駄目でしょうか」
「……」
「……時間になるまでだぞ」
「はい」
フラッシュの頭が俺の胸元に押し付けられた。それを拒もうとする気は…もう俺には起きなかった。
フラッシュとは本当に時間になるまで見つめ合っていた。……なんかもう、慣れちったな。良いのか悪いのか。
時間になった後はフラッシュと一緒に起きて顔を洗って歯を磨きリビングに向かい……何故かフラッシュ夫妻がとびきりの笑顔で出迎えてくれて、フラッシュも笑顔を返していた。笑顔の意味が何だったのかは俺にはわからなかったけど…。
朝食はお母様が用意してくれていて、クロワッサンで売ってるような、いかにもヨーロッパっぽいパンを朝食に添えてくれた。確か…ブレートヒェンなんて名前だったかな。
『お口に合うといいのですが』
って心配してくれたけど大丈夫、めちゃくちゃ美味しかったです。
朝食後、夫妻は気を使ってくれたのか……フラッシュと俺をリビングに残して別室へと行ってしまった。
今、リビングには椅子に隣り合わせに状態で座っている俺とフラッシュの二人だけである。
暇潰しにドイツのテレビ番組を見ようたって俺にはドイツ語がわからないし、自然とフラッシュと話し込む事になった。
「…フラッシュってさ。ケーキ作るの上手いじゃん」
「はい。トレーナーさんからすればそれなりに上手な方だと思います」
「あれっていつから作ってるの?」
「それは……ありきたりですが、物心付いた時から……としか」
「ふーん。フラッシュのケーキは美味いから引退してもその道で食ってけると思うぜ」
「……引退後、ですか」
「うん」
「…私にも、いつか勝負服を脱ぐ時が来るんですよね」
「今じゃないけどね」
…何気なく言っただけだけどどうやらフラッシュからすると難しい話しだったらしい。フラッシュの目にはいくらかの迷いと未来への不安が見て取れた。
「…そう言えば」
「?」
「トレーナーさん、どうして私が勝負服を着ている時は私の顔じゃなくて頭より後ろの方を見るんですか?」
「え?」
今その話題ですか?
「そりゃ……フラッシュに失礼があっちゃいけないし」
「私は別にトレーナーさんに何をされようが失礼だとは…」
「ほら、親しき仲にもなんとやらだから!」
「…勝負服、もしかして嫌いなデザインでしたか…?」
「いやいや、めちゃくちゃフラッシュに似合ってると思うよ」
「ならなぜ…」
わかって言ってるのか!? それとも本当にわからないのか!? 今日までの経験で俺は前者だと思うなぁ!!
「……目の…」
「はい」
「目のやり場に…困るって言うか」
なるべくフラッシュの方を見ずに、小さな声で。
…今の声を聞き取ったフラッシュがクスクスと笑ったのが聞こえた。
………演技巧者がぁぁぁぁ。
「トレーナーさん……」
フラッシュから俺の体に絡み付くような声が発せられる。
「あれはドイツの民族衣装、ディアンドルを模して作られた勝負服なんです」
「全体的に露出度が高いのはそのためです」
「そ、そうなんだ…」
「ドイツでは頻繁に着られる服ですよ。ドイツにいれば嫌でも目にする事になります」
「なので…」
右肩…右腕にフラッシュがしなだれ掛かる。
……………。
「目のやり場に困るなら、今のうちに私で慣れてしまいましょう」
「………恥ずかし気も無く」
「私の言っていることは本当ですよ。一々気にしているようではドイツで生きて行けません。行事の度にトレーナーさんは上を向いて過ごすことになってしまいます」
「…私はあなたの前でならあれを着たまま生活しても構いませんし」
フラッシュの右手が俺の右腕をするすると撫で下ろして行く。
「それにあなたの目の保養にもなると思いますよ。あなたにとって悪い話ではありません」
「わ、わかったわかった」
「あぁ、ですが、眺めるなら私だけに留めておいてくださいね。さすがに他の女性にとっては失礼です…」
「まだ言うか!? まるで俺が…」
まるで俺がそういう奴だって言い草に思わずフラッシュの方を向いてしまい。…フラッシュは満面の笑みで出迎えてくれた。
「俺を何だと…!!」
「私のトレーナーさんです」
「……………」
……だめだ勝てねぇ。
「……目移りされると、少し妬けてしまいますしね」
「なんて?」
「いいえ? 何も」
「??」
ドイツに来て一日目は…フラッシュ宅でのんびり? と過ごす事になった。
ドイツに来て二日目……そろそろ、日本のことが頭にチラついて来る頃だ。昨日は……色んな意味で息つく暇も無かった…。
この時期、普通俺はトレセンにいるため、俺はもう仕事の事を考え始めていた。仕事人になった覚えは無いんだけどなぁ…。
今はやるべき仕事も無いため、ドイツでの朝のルーティンを終わらせ、フラッシュの部屋にいる。
隣にいるフラッシュは…いつも持ち歩いている予定表に目を通しており。
「仕事、溜まってないかなぁ」
「………………」
「……そんなことよりも、トレーナーさん」
「そんなことって……おう、何?」
「ドイツにもトレセン学園があるのはご存知ですよね?」
「ああ、知ってるよ。トレセン学園は国際規格だならな」
「はい、国際規格なのでトレーナーバッジさえ所有していればトレーナー試験をパスすることができて、面接を受け選考を通ればどこのトレセン学園でも勤務が可能になります」
何かいつもより早口だったな…。
確かにフラッシュの言う通り、トレセン学園は国際的な規格だ。試験も全て同じ内容、同じ日時に行われる。それにより手に入れたトレーナーバッジは言わば国際免許のような物である。
「うん」
「トレーナーさん」
「ドイツのトレセン学園は日本のトレセン学園と違って洋風建築で、日本のトレセン学園とはまた違った美しさがあるんですよ」
「そ、そう」
「………………」
何かすっげぇ目で訴えかけてくるんだけど…。何となく言わんとしてる事はわかるけどまだ俺にその気は無いぞ…。まぁでも…見に行くだけなら…。
「…洋風建築のトレセンは確かに見てみたいかもなー」
「今から、見に行きませんか?」
そう来るよなー。まぁ、時間もたくさんあるし、ずっとフラッシュ宅でで過ごすのもあれだし。
「よーし。なら今から行くかぁ」
「わかりました」
そうと決まれば…着替えて出発だ。予定が決まってからは俺達は速い。着替えて財布に日本円から換金したユーロを詰め込み、フラッシュに連れられて電車に乗り…ドイツのトレセン学園へと向かった
着替えはどうしたかって? …同じ部屋で着替えたさ。さすがにフラッシュの方は見なかったが。
電車に揺られ数十分、ドイツのトレセン学園に着いてからは見学許可証を発行してもらって学園内に入れた。トレーナーバッジを見せたら一発で発行してくれたし本当に便利だなこれ…。
そして現在、俺達は庭園を歩いている。俺が一歩先、フラッシュがその後に続いてる感じだ。
「何か……映画に出て来そうな雰囲気だな」
「でしょう?」
ドイツのトレセン学園はフラッシュの言う通り日本の物と全く違う雰囲気だった。
中世と言うレベルにまで遡る訳じゃないけど、全体的に落ち着いた色の石レンガの建造物に、石畳の地面、さらには庭園があり庭園には池が張ってあった。その池の真ん中にはアニメでお嬢様方がお茶を飲んでいるような小さい水上テラスが。もちろん橋付きだ。そして、校舎前にはお馴染みの女神像があり。
日本のトレセンよりも荘厳な感じだな。近代的な教会って所か? それをドイツウマ娘が彩っているため、とても様になっている。目隠しでいきなりここへ連れて来られたら異世界だと勘違いするかもしれない。
「フラッシュはここに来る可能性もあった訳か」
「はい」
「その時は、あなたに出会うことは無かったでしょう」
「…フラッシュに出会えなかった俺、ねぇ」
俺はそこで歩みを止める。フラッシュは隣まで歩いて、歩みを止めた。
「フラッシュのトレーナーじゃない俺なんて想像できねーなー」
「私も、あなたがトレーナーではない私を想像できません…」
……少し、恥ずかしくなってフラッシュから顔を逸らす。
「…フラッシュさ、温泉の話はどうなったの?」
「はい?」
「ほら、この前温泉旅行行った時にドイツの温泉にも行きたいって言ってたじゃん」
「ああっ」
フラッシュは思い出したように目と耳と尻尾を揺らした。
「それなのですが、さすがにドイツ旅行中の予定に組み込むには時間的な余裕が無くて…」
「考慮はしました。しかし、温泉への移動時間や帰る時間を考えたらトレーナーさんと過ごす時間が減って吊り合わないと判断したので…」
「そっか。今日みたいな感じでも楽しいけどな」
「……覚えていてくれたんですね」
「……まぁ」
「期待していましたか?」
「…………」
「……いつか、一緒に…行きましょう?」
「何も言わないぞ…」
「フフッ……」
俺達は静かに学園を回った。
学園を回った後はそのまま帰…らず、ドイツのスタバとか、お菓子とか食べ歩きをしてからフラッシュ宅へと戻った。
ドイツに来て三日目。ついに年越しをドイツで過ごすこととなった。初めて国外で過ごす年越しだ。何だか…緊張する。
年越しと言う事もあり、日本で言う年越しそばのような食べ物が出された。おさげがそのままドーナツになったような形のパンである。名前はへーフェうんちゃらかんちゃらと言うらしい。こちらもとても美味しかったです…。
フラッシュ家はケーキ屋なため、年越し記念に注文が増えていた。
ドイツって年越しにケーキ食べるっけ…? まぁいいや。
そして何故か朝にフラッシュ夫妻にドイツの家の物価について説明された。俺の今の稼ぎを教えたら満足そうにうんうんと頷いてたし……なーんか、家族ぐるみでやろうとしてるな。
……とりあえずそれは置いておいて。
今日の昼から夕方はフラッシュが以前より案内したかったらしい故郷の絶景スポットやらを巡った。なんと言うかフラッシュの住む街はノスタルジックな気分にさせる場所が多い。昔ながらの建造物に近代建築が雑居したような景色は…日本ではお目にかかれないだろう。日本の街は近代都市感がバンバン出てるからな。
夕方頃には街回りが終了した。
一日の時間も過ぎ、年越しの夜……閉まった店エリアの客席にて、俺はフラッシュと対面していた。
「始まりますよ、トレーナーさん」
「え?」
フラッシュが何か始まると言った直後、爆撃音のような凄まじい爆音が響いた。
俺は思わず頭を机に伏せ腕で頭を覆う。
「うわぁぁぁぁぁ空襲!?」
「花火ですよ、トレーナーさん」
「あ…?」
指の隙間から窓の外を見てみれば…閃光を放つ色鮮やかな光が明滅していた。
「ほ、ほんとだ…花火」
俺は腕を机に置いて元の姿勢に戻った。
「これがドイツの年越しです。日本とは真逆のイメージでしょう?」
「…おう……日本は除夜の鐘が鳴って神社から越天楽が流れるから…これは」
「ドイツの年越しは賑やかな行事ですから。若い人はこれからビールを飲み明かします」
「はえ〜。カルチャーショックカルチャーショック」
「花火も日本と違ってとにかく派手な感じだな」
「……そして、多くの男性が女性に膝を付く日でもあります」
「あーん。まぁ、一大イベント? だし。ムードもあるしな。これなら狙い目だと思うわ」
「………………」
フラッシュは右手で頬杖を付いて、俺を流し目で見つめた。
「………何だよ」
「何も?」
フラッシュは、何かを隠すように耳を小刻みに揺らすだけだった。
それ以上、追求することはせず…俺とフラッシュは窓の外を見上げながら花火を楽しみ…やがて花火の明滅も無くなった頃。
「…綺麗だったな」
「はい」
「上がろうか」
フラッシュは小さく頷いた。
花火を見た後は、お互い自然な足取りで同じ部屋向かい……いつものように、一つのベッドに入り込んだ。
…今日、わかった事がある。フラッシュとの距離感が完全バグってる。今更直せとか、もう無理だ。一度付いた癖のみたいなのは、直らない。
……もう考えるのやーめた。
…さてね。そろそろ帰らないとだな。
次回、最終攻勢の始まり。