曇り後晴れ。時々豪雨。(タキオン編開始)   作:にゃす

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 スズカ目線となります。
 やっぱりダイジェスト気味。
 アプリ版をなぞったりしています。


sideスズカ(回想)

 スピードのその先へ。誰もいない景色へ。その景色を、ずっと見ていたい。

 

 私、サイレンススズカは、幼い頃からそれだけを考えていました。公園や、学校で駆けて、駆けて、いつまでも、どこまでもあの景色を追い求めていました。

 幼い頃の大まかな記憶は基本、それだけです。もちろん、走る事しか脳になかった訳じゃなくて……友人との記憶もありますが……大部分は、走りに関する事と、先頭に立った時の綺麗な景色だけでした。

 サイレンススズカは、とにかくそんな子だったんです。

 

 走る事に恋焦がれて幾時が経ち……私は両親からトレセン学園なる学園が存在する事を私は聞きました。

 日本各地の優駿が集う、日本最高峰のウマ娘養成機関。最高の設備と、最高のトレーナーもいる、最高の環境。

 

 ここに入れば、私はもっと速くなれるかもしれない。

 

 あの景色を、もっと見る事ができるかもしれない。 

 

 見たことの無い景色に辿り着けるかもしれない。

 

 私の目的は決まりました。トレセン学園に入学して、先頭の景色、誰も見たことの無い景色、自分だけの景色…その先を見ることに。

 

 トレセン学園は日本の最高峰です。もちろん、試験も厳しい。入学するためにお勉強もたくさんしました。…が……全てを決めたのは模擬レースの試験だったと思います。私は模擬レースで大差勝ちをすることができました。その時の試験監督は、手元が忙しなかったように記憶しています。

 

 結果から言うと……私は合格でした。

 

 そこからは速かったです。入学してからは、エアグルーヴ、タイキシャトル、マチカネフクキタルと言った友人達に恵まれて。お互いに切磋琢磨して。ウイニングライブなる物があると知った時は、多少戸惑いましたが…。友人の支えもあって振り付けを覚える事はでき、歌の歌い方も学べました。

 

 そんな中でも、私の中の一番は相変わらず走る事と、速さの先にある景色を見る事でしたが…。

 

 学園で過ごしていたある日。

 どうしようもなく走り回りたくなり、寮を抜け出してターフを駆けていた時。そこで、私はあの人に出合いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

___________時は選抜レース前。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はっ…はっ…はっ…!!」

 

 夜。もう誰もいないターフにて。私は風を切る勢いで地を蹴る。何処までも加速していけるような気がして、脚が止まらない。そんな感覚が、気持ち良くて仕方ない…。

 思わず、笑みが溢れる。

 

 体力の限界が来た所で、一旦脚を止める。

 夜はいい。誰もいなくて、静かで、自分だけの景色を心置きなく堪能できる。

 今日は一段と星が輝いているように感じるし、こんな景色を独り占めできるなんて……何だか特別なことをしている気分。

 

 空を見回し、息も整ったので、再びターフを走ろうと首を動かした時、視界に人影が映る。

 …私をじっ、と見つめている男性がいた。

 ……何だろう…?

 

「あの……」

 

 男性が突然話し掛けられてビクリと肩を震わす。

 

「私に何か……?」

 

「あぁ、いや……とても楽しそうに走るな、って」

 

「……はい。走る事って……本当に楽しいので」

 

「…………………」

 

「えっと……すいません、失礼します。私、もう少し走ってくるので」

 

「は、はい、行ってらっしゃい」

 

 男性には少し悪いが……この感覚と景色を忘れたくない。話を手短に済ませて…私は再びターフを駆けた。

 

 …………これがあの人との最初の邂逅でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

___________時は選抜レース当日。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トレセン学園のトラックにて。数十人の学園関係者と数百人のトレーナー、数百人以上のウマ娘がターフに集まっていた。

 私はその、ターフの外側。スタンドにいた。

 ……空気がピリピリしている。まるで弱い静電気が肌全体を撫でているみたい…。ウマ娘達も、皆目が鋭くなっているし、尻尾も落ち着かない様子でばさ、ばさ、と跳ねている。……私もそれは同じだった。右手で左肘をぎゅっ、と握ってみるけど…。……やっぱり落ち着かない。嫌でも尻尾が跳ねてしまう。

 

 …それと、無意識に左回りも。

 

 何故皆こんなに凄い剣幕なのか……それもそのはず。今日は、選抜レース当日。ウマ娘とトレーナーが3年間を共にするパートナーを選ぶ日。今後に非常に関わってくるとても大事な日。

 

 ……あの人も来てるかな…?キョロキョロと周りを見渡す。……いない。……凄い人混みだから見つけるのは諦めましょう…。

 あの夜限りの出合いだったと割り切る。

 

「すぅーーー………ふぅーーー……」

 

 気を落ち着かせようと深呼吸する。…やっぱり落ち着かない。こういう時こそ落ち着けと言われるけれど……本当に落ち着ける人っているのかな…?

 

 しばらくすると、自分の前の番の子達がぞろぞろと帰って来た。

 

 …そろそろ、自分の番ね…。

 ゲートインする子達の名前が読み上げられる。

 …来た。呼ばれた。自分の番だ。

 スタンドから降り、柵扉からターフへ入り、誰もいないゲートへと脚を進め…入る。続々と他の子達も入ってきて…その面々を確認するけど……タイキやフクキタルはいなかった。

 

 ゲート内で好スタートを切れるよう、姿勢を整える。腰を低く、左脚を後ろへ、右脚を前へ…。

 

 後はゲートが開くのを待つのみ。

 

 ガシャン、と言う音共に私達は走り出した。

 

 それと同時に、私は前へと躍り出て……全ての音が消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

___________選抜レース直後。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …私は後続の子達を引き離してゴールすることができた。実況も、歓声も全く聞こえず……。実は、勝利よりも気持ち良く走れたた事の方が個人的に嬉しかったり……。

 

 選抜レースも無事に終わり、ターフの柵扉を開き、スタンドへ戻ると……私に視線が集まる。…そして、その中から、貫禄のある、目をキラキラと輝かせた女性が駆け寄って来た。

 

 女性はトレーナーさんで、スカウトさせてくれないか、というお話をしてくれました。曰く、私はまだまだ速くなれる。私が望むなら、走り方を享受してくれ、レースで先頭を走らせてくれる、と。

 

 ……まだまだ、私は速くなれる?その言葉を聞いて、迷うことは無かった。……私はすぐにスカウトを受けました。…もっと速くなれるなら…何だって。

 

 より目の輝きが強くなったトレーナーさんに着いてきてと言われ、背中を追う。これから契約のサインとかをするのかな…?

 

 ワクワクした気分で着いていく途中で、こちらを見つめる男性に気付いた。

 ……あの、男性だ。何だか残念そうな顔をしている。

 

 ……何だか、記憶に残る人ね…。

 

 選抜レース後、私は本格的なトレーニングをするようになりました。…主に脚を溜めて、最後に一気に駆け抜ける走法を教えてもらいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

___________選抜レース後。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私がトレーナーさんにスカウトされて数日後。学園で模擬レースが行われる事になった。私もそれに出走することになっている。

 

 そして模擬レース当日。私はゲートの中にいた。

 

 レース前、トレーナーさんとミーティングがあり、スピードを制御した、計画的な走りを物にしてと言われた。言われた事を頭の中で復唱、復唱…。

 大丈夫…ちゃんと練習もしたし、頭の中で考えもした。後は、レースでやるだけ。

 

 ゲートの中で姿勢を整え……ゲートの開く音と共に私は走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結果は……8着。

 

 トレーナーさんに言われた通り、終盤まで脚を溜めていたのに…。

 

 走っている最中に脚が重くなってしまった。ラストの、スパートを掛けるべき場面で……脚に、力が…。

 

 ……どうして…。全然、前が……景色が…見えなかった。

 

 トレーナーさんが心配そうに私の走りを論評する。終盤のキレが無かった事についても聞かれた。

 

 …自分自身にも理由は分からなかった。とにかく、脚が重くなって…。

 

 それを聞いたトレーナーさんはふむむ、と考え込み…。今の走りに慣れるまで、デビュー戦への出走を取り消そう、と提案した。

 

 ガツンとハンマーで頭を殴られたような気がした。走れ……ない……?そんな……。

 思わず、語気を強め、詰め寄るようにトレーナーさんに言葉を投げ掛けてしまう。

 トレーナーさんは冷静に、デビューに向けて万全の状態にしてあげたいだけ。だから、新しい走りに慣れてからデビューしましょう?と返す。

 ………それは、そう。トレーナーさんの言う通り。私の事を思って、そう判断してくれているのだから。…だから、トレーナーさんは悪くない。

 

 ……………でも。……慣れてからって………それって……いつ……?

 

 トレーニングでしか走れない事を知った私は……余りのショックに、その日はすぐにターフを後にしてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

___________模擬レースから数日後。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はっ、はっ、はっ……!!」

 

 また、夜。もう人も少なくなったターフをひたすらに駆ける。前へ前へ、脚を出し、疾走する。……だけど……駄目。伸びない。風を切る感覚が気持ちよくない。上手く走れていない証拠だ。

 …脚が重い。前までは、こんな事無かったのに。自分の走りに納得できないまま、私はゴールを走り切った。

 

「ふーっ……ふーっ………」

 

 ゴールを過ぎた後、段々と減速し…立ち止まった所で、膝に手を付いて息を整える。

 

「…………はぁ」

 

 ……駄目。こんなんじゃ駄目。前より、酷くなってる。全然、気持ちよくなかった。あの景色が…見えなかった。

 

 …最近、明らかにスランプだ。トレーナーさんに言われた通りのトレーニングと走り方はしているけれど…。

 …スランプだからこそ、以前の感覚を取り戻そうと走り込む。アスリートの卵としては、当然の考え。だけど、タイムはよくならない。ずっと、横這いだ。

 …これ以上のトレーニングはオーバーワークになってしまう。…休もう。

 

 ゴール横に置いてあったペットボトルを回収し、柵に掛けてあったタオルを首に巻く。

 そして、ターフから立ち去ろうと、踵を返した時。柵の外側。視界にスーツ姿の男性が映った。

 学園の見物客でしょうか。それか有望株がいないか目を光らせているトレーナーさんでしょうか。

 …いや、違う。……また、あの人だ。私の調子が悪くなって来た頃からかな…いや。選抜レース前から。そこから、ずっと、トレーニングを見てくれている。

 

 本当に、たまたま。気になってしまったので、じっ、と男性を見つめてみる。

 

 背格好は結構高い。特に拘りの無さそうな短く切り揃えられた黒髪。長いまつ毛。鋭めの目。気難しそうなへの字口。まだ、若そう。そして、スーツ。

 

 私の視線に気付いたのか、男性は急いで目を逸してしまった。

 

 ……ちょっと、話しかけてみよう。タタッ、と男性の前へと駆け寄る。

 

「!?」

 

 男性が明らかに驚いた様子を見せる。

 

「……あの」

 

「……へっ、あ、わ、私ですか?」

 

 結構気の強い人かな? と思っていたら…しどろもどろになってしまった。

 

「はい。突然すいません…。あの…結構前から、私のトレーニングを見物されています…よね…?」

 

「は、はい。見てて何だか調子が悪そ……失礼…」

 

 しまったと言う風に口を噤む男性。実際にスランプなのは事実なので何も言えない…。

 

「…はい。スランプなのは…本当なので」

 

「……どうやって私がスランプだと…?」

 

「あ、あー。サイレンススズカさんは……結構な有名人で……模擬レースとか、よく見に行ってて。それで、最近のサイレンススズカさんのトレーニング風景を見てると…あれ?ってなって」

 

 なるほど。と心の中で合点する。

 …それにしても。仲の良い友人以外にはスランプの話はしてないのに、よくこの人は…。…目がいい。やっぱりトレーナーの方なのかな…?

 

「…失礼ですが…あなたは…トレーナーの方…でしょうか…?」

 

「い、いえ。そろそろ許可が降りるんですけども……私、まだ研修中で……。な、なのでさっきのは聞き流してください…」

 

 研修中…と言う事は、トレセン学園に入ってまだ数年。それにまだ若い…。浪人してまで学園に入るトレーナー志望の方もいる上に、研修が長引く人もいるのに、数年でもうそんな目を…?

 

「…あの」

 

「は、はい」

 

「こう…私の今の走りを見ていて、何かこうした方がいい、と言うのは…?」

 

 何だか、今聞かないと駄目な気がして。期待を込めた目で男性を見てしまう。男性はうぇっ、と言った様子で目を逸してしまった。そして…。

 

「えぇっ……と…まず、サイレンススズカさんの得意な走り方って…?」

 

「走り方…ですか? …逃げ…だと思います」

 

「逃げですか。じゃあ、新しい走り方に慣れてないんだと思い…ます」

 

「……………」

 

 男性のアドバイスを黙って聞く。

 

「スズカさんの最近練習している走り方は先行とか、差しですね。あれは終盤からスパートを掛ける走り方で…」

 

 男性は一気に話してしまわないように、要所要所で数泊区切ってアドバンスを開始してくれた。

 

「なので、仕掛けるタイミングとスパートの掛け方を練習してみたらどうでしょう」

 

 …確かに、今まで逃げてばっかりいたから私には仕掛けるタイミングが拙い。

 

「例えば…ショットガンタッチとか、水泳トレーニングとか。後、瞬発力が大切なので、パワートレーニングとかも」

 

 ちょうどトレーナーさんが私に見せてくれたトレーニングメニューにあるトレーニングを耳にできた。

 トレーナーさんのメニューはやっぱり適切だったのね…。

 

「そして何よりも……一回休んでみるのもいいかもですね。どうしようもない時は休むに限ります」

 

 最後の一言が…今の私にとって一番的確なアドバイスに聞こえた。

 

「……トレーナーですらないヤツのアドバイスなんて本当に脳の片隅に置いとく…なんなら忘れてしまっても」

 

 言い切った後、男性は慌てて真に受けるなと言う。いや……凄い…アドバイスになりました。

 

「いえ…とても参考になりました。…ありがとう、ございます」

 

「い、いえいえ…」

 

「………」

 

「………」

 

 初対面で…かつ話すこともないため、気まずい沈黙が私達を包む。

 

「……じゃ、じゃあ。私は色々仕事があるので…。トレーニング、頑張ってください。サイレンススズカさん」

 

 沈黙を破ったのは男性の方でした。

 

「あっ…はい。ありがとうございました…」

 

 言うことは言った。去らば、と言わんばかりにシュタタタタッ、と男性は走り去って行った。

 

 ……名前、聞くの忘れちゃったな。

 

 男性の背中を見送った所で、私もターフを後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数日後。

 

 私は夕方のターフにいた。

 彼からのアドバイスに従ってトレーニングをしてみた所、調子は少しずつではあるけど戻り始めた。やっぱり、あの人のアドバイスは適切だった。

 先行や差しでの走り方はこんな感じだったのね…。

 トレーナーさんも私の最近の走りを見て、大分良くなってる、ととても喜んでくれていた。

 ……でも、やっぱり。以前程……。あの、先頭にいる時みたいに……気持ち良い、と感じることはできなかった。自分だけの景色は…見れなかった。

 

 ……あの人は…私には逃げに大きな適性があると言ってくれた。……あの人の指摘で改めて実感できた。私には、逃げしかできないって。………今日、トレーナーさんに言ってみよう。今の走り方は、私には合わない、と。………正直とても怖い。あんな、真剣に私のためにトレーニングしてくれているトレーナーさん……。とても、いい人。こんな、恩を仇で返すような……。

 …でも、言わないと…。

 

 ふと心細くなって…私が、助けを求めるように辺りを見回すと……。

 

 ………いた。あの人だ。いつもの黒いスーツ姿の、あの人。あの人も私に気付いたのか、軽く会釈を返してくれた。

 

 タタタッ、と話をするため、小走りで駆け寄る。

 

「……おはようございます」

 

「お、おはよう…ございます」

 

 彼は目を逸しながら……。

 

「…大分、良くなりましたね。調子」

 

「はい…。お陰様で…。本当に…本当に、ありがとうございます」

 

「い、いえいえ…ちょっとこうした方がいいかもって言っただけなので…」

 

「………あのっ。あなたは、私に一番適性のある走りはなんだと思いますか…?」

 

「えっ?……ぁー………逃げ…だとおも……いや、逃げです」

 

 彼は断言した。

 

「……今日、それを…トレーナーさんに言おうと思っています」

 

「は、はい」

 

「それで……その……。私は口下手なので………一緒に、来ていただけませんか……?」

 

「…私とですか?」

 

「ぁっ……め、迷惑なら…」

 

「あ、いえ……私でよろしければ付き合います」

 

「ほ、本当ですか…? ありがとうございます…! 今からお話に行くので……少々お待ちください」

 

 彼にその場に待っていて、とお願いし、スタンドのロッカールームへと走る。手早くジャージから制服に着替え、彼の元へと戻る。

 

「お待たせしました…!」

 

「いえ、全然待ってませんよ」

 

「では……こちらです」

 

 私達はトレーナーさんのトレーナールームへと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………なので……すみません、教えていただいた走り方は、私には…」

 

「そう……ごめんね、たくさん悩ませてしまったみたいね……。そちらのトレーナーさんも、この子を気にかけてくれてありがとう」

 

「い、いえいえ…困っているウマ娘がいたら、助けるのがトレーナーの仕事ですから」

 

 …あれ?トレーナーさん?

 

 トレーナーさんが言ってくれてようやく気付いた。あの人の肩に、トレーナーバッジが光り輝いていた。

 

「…サイレンススズカさんの可能性を伸ばしてあげてください」

 

「……そうしたい所だけど…。私はどうしても型にはまった指導をしてしまうから、また窮屈な思いをさせてしまうかもしれません」

 

「だから……どうかしら、スズカ? 移籍という形で、こちらの方に担当していただくのは」

 

「………えっ、移籍、ですか?」

 

 トレーナーバッジに見とれていて移籍という言葉を認識するのに時間がかかった。

 

「ええ。柔軟な思考を持っていて、何よりウマ娘のことを……あなたのことを尊重してくれる、素晴らしい方だと思う」

 

「あ……ありがとうございます……」

 

 ちらり、と彼の方を見る。ガリガリと照れくさそうに頭を掻いていた。

 

「……あの、トレーナーさん…。私のために、トレーニングを考えてくれて…真剣にトレーニングをしてくれて……ありがとうございました」

 

 ぺこり、とトレーナーさんに頭を下げる。

 

「………ふふふ。いいのよ。ウマ娘のために何事も全力。それが私達トレーナーよ。さて…」

 

 そして、トレーナーさんがちらりと彼を見る。

 

 ……よし。

 

「あの……もし、こんな私でよろしければ……私のトレーナーになっていただけませんか…?」

 

 彼を見つめながら……今までで一番期待を込めた目で見つめる。

 

「うぇっ…。あっ……と……サイレンススズカさんがそう望むなら……是非とも…!」

 

 一瞬迷う素振りを見せた彼は……すぐ、頭を縦に振ってくれた。

 

 思わず、笑みが溢れてしまった。

 

「…あの…すいません。何だか…サイレンススズカさんを掠め取る感じになっちゃって…」

 

「……あなた、律儀ね…。いいのよ。私の指導はスズカに合わなかった。それだけのことよ」

 

「……はい。サイレンススズカさんを託されたからには……もう死ぬ気で頑張ります」

 

「その意気」

 

「………さて、良かったわね、スズカ!あなたの活躍、心から期待しているわ」

 

「あぁでも、私の担当の子が相手になった時は別ね。その時は全力で勝ちに行くから、あなたもしっかり成長なさい」

 

「はいっ……!!」

 

 こうして……あの人は、私のトレーナーさんになってくれたのでした。

 

 

 そこから、移籍用の書類等を準備し…トレーナールームから出て……。

 

「…………」

 

「…………」

 

「…トレーナーさん?」

 

「は、はい?」

 

「……そんなに……気を使って敬語を使わなくても…」

 

「あ……いいのか…?」

 

「はい。それと……サイレンススズカさん、だと長いので…スズカでいいですよ」

 

 トレーナーさんは一瞬躊躇う素振りを見せたけど…。

 

「……あぁ。分かった。これからは…そうするよ、スズカ」

 

「………ふふふ…はい」

 

 他愛もない会話をしながら、その日はトレーナーさんのトレーナールームで移籍の手続きを終わらせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トレーナーさんが変わってからは、私の走りもまた変わった。正確には戻ったと言える。

 

 個人的に調べて、逃げはとても難しいのは理解できた。

 トレーナーさんからも、正直逃げはとても難しい走り方だと言われた。けれど、止めろとは言わなかった。

 私の逃げをより伸ばすため…願いを叶えるため、坂路トレーニング、スタミナを付けるために水泳、逃げでは一番重要なスピードトレーニングをしてくれて…。……正直、びっくりする位しっくりと来るトレーニングで……トレーニングでの走りが楽しくてたまらなかったな…。

 

 久々に……心の底から楽しい、気持ち良いと思える走りができて……本当に良かった。

 

 一番気になっていたデビュー戦の事も恐る恐る聞いてみて……。

 

「ああ、出よう。走りたくてウズウズしてるでしょ?」

 

「! はい!ありがとうございます…!」

 

 予定通り、出走させてくれることになった。

 ……絶対に、負けられない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 デビュー戦当日。

 

 私は阪神のコース。そのゲートの中にいた。

 

 ゲート内の空気は重苦しく、選抜レースの時と同じように空気がピリピリしていた。

 でも、デビューする子達は皆…不安そうな表情は浮かべていない。……勝ちに来た表情だ。

 

 トレーナーさんのおかげでコンディションは最高潮…。この日のためにたくさんトレーニングをした。タイムも縮んだし、怪我をしないように補強もたくさんした。後は、私が全力で走るだけ。

 

 …今日勝負する子達は皆メイクデビューに向けてそれ相応のトレーニングを積んできており、本格化を迎えた子達。絶対に油断するな、とトレーナーさんに注意された。もちろん、油断するつもりはない。

 ……先頭は…先頭の景色は……誰にも譲らない…!

 

 ゲート内の全員が構える。

 

 そして……ゲートは開かれた。

 

 私は今までで一番のスタートダッシュが切れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結果は……7バ身…いや、8バ身差で、私の1着。

 

 ……見れた。誰もいなくて、静かで。どこまでも続いていて。歓声も、実況も、足音も、自分の鼓動も。全てを置いて行くような速さで。辿り着けた…!!あれが、私の見たかったもの………もっと、見ていたい…!

 

 ゴールしてからしばらく興奮が冷めなかったせいか。それか、放心状態だったせいか……。スタンドからの声が全く聞こえなかった。

 しばらくして、スタンドからの凄まじい声援が鼓膜を突いた。

 ハッ、として、スタンドに向かい手を振る。……歓声がさらに大きくなった。……み、耳が割れそう……。

 ぺこりと最後に観客席にお辞儀をして、私はコースから立ち去った。

 

 ロッカールームに帰る途中の通路にて…。

 

「スズカーー!!」

 

 目をキラッキラに輝かせたトレーナーさんが迎えに来てくれた。

 

「あっ。トレーナーさん」

 

「やったなスズカ!! 完璧な勝利だぞ!!」

 

「はい……自分走りができました。本当に…良かった」

 

「……自分だけの…景色は見れた?」

 

「…はい。誰もいなくて、静かで、どこまでも続いていて……。とっても、綺麗でした…」

 

「…良かったなぁ、スズカ…」

 

「…よし、じゃあ、ロッカールームに戻ろうか」

 

「はぁい」

 

 ロッカールームでは、今後の予定について話し合い……。

 

「あー、スズカ。もう着替えた方がいいな…。外で待ってるよ」

 

「あ、はい…。少々お待ちください」

 

「じゃあ」

 

 ガチャ、バタン、とトレーナーさんはそそくさにロッカールームから退室した。………速く着替えちゃお。

 

 その後は特に何も無く、着替えてトレーナーさんと一緒にタクシーに乗って学園まで帰った。……トレーナーさん、本当に嬉しそうだったな…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それからしばらく経ち。

 

 私はトレーナーさんのサポートもあり、どんどん勝利数を延ばして行きました。レースでは未だ負け無し。

 トレーニングでのタイムもどんどん縮み、ずっと調子がいいままでした。

 次に出走予定の日本ダービーは、初めてのG1。全力で勝ちに行きたい。最高レベルの舞台なら、あの景色の、もっと先へ…。

 

 トレーナーさんと過ごしていて……あることに気付きました。

 トレーナーさんは……本当に私中心の生活をしていました。

 私が休むまで絶対に休まない。休日は私のレベルに合わせたトレーニングメニューを何度も何度も練り直す。毎日脚の調子がどうか聞いてくる。体作りができて、消化に良いお弁当まで作ってくれる。あんまりに私が走る事にしか興味が無いから心配して、わざわざ遊園地のチケットを用意してくれて、友達と遊んでおいで、と勧めて来たり。

 

 …トレーナーさんの休んでいる所を見たことがありませんでした。……だから…いい機会だな、と思って…トレーナーさんの用意した遊園地のチケットを使い、一緒に休みも兼ねて遊びに行きました。……正直、遊園地なんて初めてで…。どう回ったらいいかわからないし、人も多くて流されそうになって……そんな私のために、迷子にならないようトレーナーさんはずっと歩幅を合わせてくれました。

 帰った後は……タイキに囃し立てられてちょっぴり恥ずかしかったです……。

 

 ……この時から、多分。私は、トレーナーさんを心から信頼するようになったんだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日本ダービーは、無事1着を取れました。G1でも、私の逃げは通用しました。

 この時からやたらメディアの方々の取材が増えたと思います。

 

 日本ダービー後、様々な賞に挑戦する中で……トレーナーさんとは、段々プライベートな事を話したりする関係になっていました。トレーナーさんはとても真面目なので……私とは一定の距離を取ろうとしていましたが……返って、それが私のトレーナーさんに対する信頼を強めてしまいました。加えて、レースに勝つ度に見せるあのキラキラした瞳が、本当に心から喜んでくれている、と示していて…。

 トレーナーさんの好きな食べ物。好きなテレビ番組。好きな本。トレーナーさんの癖も知れて…。

 ウマッターのDMでもちょっと話す仲になり…。

 段々、私とトレーナーさんの間にある壁と言う物が破壊されて行きました。

 

 そして、中山記念で1着を取ってから。その頃から、いつの間にか、トレーナーさんの存在が……私の中で大きくなっていました。

 走る事は好き。楽しい。あの景色を追い掛けるのも好き。

 ……でも、トレーナーさんと一緒にいる時も……楽しい。トレーナーさんと話していると、自然に笑みが溢れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トレーナーさんとの関係が近くなってからしばらくして…。

 とある祝日に、トレーナーさんと一切連絡が取れなくなってしまう事がありました。…さすがに心配になってトレーナーさんのスマホに10回位電話をかけて、ウマッターのDMにも結構な量のメッセージを送って…。

 それでも、一切の返事が返って来なかったので……。凄い不安に襲われました。

 私が生きて来た中で初めての感覚でした。人と連絡が取れなくなって不安になることなんて、一度も無かったのに。

 

 どうして連絡が取れなかったかと言うと……後日の朝、やつれた顔で謝りに来てくれたトレーナーさんの説明で、理由は分かりました。

 どうやらたづなさんと話し込んで朝帰りになってしまったらしいです。……とにかくトレーナーさんが無事で良かった…。

 

 土下座するような勢いでトレーナーさんが謝って来たので、特に怒る気も起きませんでしたけど……。

 

 が……トレーナーさんから、何やらアルコールの匂いがしたので…。たづなさんと話し込んだ後、一緒に飲み明かしていた事が想像できました。

 トレーナーさんは仕事柄、そういう事も必要なんでしょう。でも、一日中、トレーナーさんを独り占めできたたづなさんの事を……酷く羨ましく思う自分がいて…。

 

 この頃から…他の子とお話しているトレーナーさんや、他の子のレースを見ているトレーナーさんを見ると……胸の奥に、黒い何かが燻るようになっていました。

 自分を見て欲しい。私の走りよりもその子の走りの方がいいんですか?そんな感情が溢れてくる。でも、口にはしない。

 

 この時までは……まだ理性で自分を繋ぎ止める事ができていました。

 

 燻る気持ちとは裏腹に……私の脚と、スピードは、デビュー当時と比べて格段に速くなっており…。トレーナーさんの組んでくれるトレーニングが、私をここまでにしてくれていました。

 

 次の秋の天皇賞では……トレーナーさんが目を離せなくなるようなレースをしよう。そう、心に決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

___________秋の天皇賞当日。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「スズカ。この調子なら行ける。目一杯走って来てくれ」

 

「はい…。私、頑張ります。…だから……目を離さないでくださいね…?」

 

「あぁ。行ってらっしゃい。頑張れ」

 

 始まりのロッカールームでは、あまり多くは語らない。トレーナーさんはいつも手短に済まして送り出してくれる。

 

 行ってきます、と返して……私はロッカールームを出て、コースに続く通路へと出た。

 

 ……通路を出て、コースへと辿り着くと、大歓声が耳を突いた。ゲートに向かう途中で、軽く観客の方々に手を振りながら……ゲートインする。

 

 ゲートインしてからは、速い。

 

 歴戦の猛者達は、ほぼ同時に構えて……ゲートの開放音と共に、走り出した。

 

 私はいつものように序盤から先頭へと躍り出る。

 

 誰にも私の影は踏ませない。

 

 後続の足音はちょっとして私の耳から消えた。歓声も、実況も、鼓動も、次々と置き去って行く。

 第1コーナーでも加速を止めない。

 

 今日の私は、本当に調子がいい。もっと速く、もっと速く。小さい頃から、ずっとずっと追い求めて来た景色。今日は、さらにその先へ……私でも、見たことの無い景色へ…!!そして、トレーナーさんに…私の走りを、焼き付ける。

 第2コーナーでも、減速することはない。

 

 私はさらに脚を動かす。脚は私に応えてくれた。

 少しずつ。だが、確実に。私はトップスピードからさらに加速する。

 第3コーナーで、トップスピードを超える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……見えた。音も無く、どこまでも広がる綺麗な景色。それは、今まで見えた景色よりも、ずっと色鮮やかで…気持ち良くて……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  左 脚 か ら 鈍 い 音 が 響 い た 




 次回、病室でのスズカ
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