曇り後晴れ。時々豪雨。(タキオン編開始)   作:にゃす

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 病め〜、病め〜。


sideスズカ.1

 ……………左脚の鈍痛。それで、目を覚ました。

 

 ……まず見えた物は……真っ白な天井。そして、蛍光灯の光。……光に照らされて、私の思考も徐々に開けて行く。

 背中に布の柔らかな感覚。どうやら今、ベッドの上にいるらしい…。

 

 …私は、どうなった?

 自分の覚えている記憶を辿る。

 私は、秋の天皇賞に出走した。………レース中に…まず、眼の前に見たことの無い景色が広がって…それから、メキメキメキ、と。何かの砕け散る音が響いて。すぐに左脚から直接釘を骨に打ち込まれるような鋭い痛みが広がって……。

 

 ああ、私。怪我しちゃったんだ。

 

 バサリ、と丁寧に掛けられていた無地の毛布を退ける。……左脚は包帯で何重にも巻かれ、支え棒で完全に固定されていた。

 

 こういう時、絶対に取り乱す物だと思い込んでいた。…私は驚く位に冷静に状況を飲み込んでいた。

 

 私は秋の天皇賞で怪我をし、病院に運び込まれ……多分、手術を受けて……。ここに運び込まれた。

 

 ………走れるかな。治るのかな。どうなのかな。まず脚を見て思い浮かんだのはこれだった。苦笑いしたい気分だったが、顔にそれは現れなかった…。

 そして、応えてくれる人はここにはいなかった。

 

 起きてから、数十分経過した頃だろうか。

 

「________ズカさん……!」

 

 部屋の外から女性の声と足音がする。そして……ガラリと扉が開かれる。

 

「スズカさん……!!」

 

「………たづなさん」

 

「あぁ、起きて…! スズカさん、良かった……」

 

 扉から現れたのはたづなさんであった。相当に急いでいたのか…額には汗が滲み、息も絶え絶えで。

 

「………たづなさん」

 

「…はい」

 

「私の脚は」

 

 たづなさんの顔が強張る。

 

「治りますか?」

 

「………………」

 

 たづなさんは沈黙する。それが答えだった。

 

「………治る見込みは……薄い…と。回復しても……歩けるのがせいぜい……だそうです」

 

 たづなさんの瞳が光る。

 

「………………っ」

 

 口に出して言われると……こうもショックだなんて。体の芯から冷たい物が広がって行くような感覚が私を襲う。

 

 私は…サイレンススズカは…………もう、走れない。もう、あの景色を見れない。

 呆気ない、終わり。

 

 一生懸命、トレーニングして。ほんの一瞬だけ。辿り着けた。だけど、それだけだった。

 

 ガラガラと、自分の中にあった何か……大切な物が。崩れて行くような気がした。

 

 だけど、それだけで良かった。もし、学園に入る前の私なら……走れないと聞けば…きっと、どうにかなっていたことでしょう。

 

 スペちゃん、エアグルーヴ、タイキ、フクキタル…そしてトレーナーさん。皆との記憶が私を正気に繋ぎ止める。

 

 そうだ、サイレンススズカは走るだけが全てじゃない。私を形作るのはそれだけじゃない。……何度も、何度も、自分に言い聞かせるように…脳内で反復させる。

 今、私はきっと酷い顔をしているでしょう…。

 

「……スズカ…さん」

 

「……………ありがとうございます、たづなさん」

 

「わざわざ……来てくれて…」

 

「……………」

 

「………一人になる…時間をもらえないでしょうか」

 

「……はい」

 

 たづなさんは何も言わず、私に背を向けて扉の取っ手に手を掛ける。

 

 たづなさんは、本当に優しい人ですね。言い難い事も言ってくれて。私を見て泣き出しそうになって。

 部屋から出る途中で…一度たづなさんは振り返り…軽く頭を下げて、後にした。

 

 扉の閉まる音がよく響いた。再び、一人となる病室。

 

 ……私はどうすればいいの?

 走る事だけが全てじゃない。だけど、それが私の大部分を占めていたのは本当のこと。

 

 学園にはもうきっといられない。走れないウマ娘が学園にいる理由はない。

 スペちゃんもエアグルーヴもタイキもフクキタルも、走れない私に興味を無くすかもしれない。価値を見いだせないかもしれない。

 トレーナーさんも契約を解約して新しい子のトレーナーになってしまうかもしれない。

 私は……もう、いらないのかもしれない。

 

 一度、暗い思考に沈むと……ドロドロ、とどこまでも沈んで行ってしまう。

 

 ああ、だめ……。

 

 ブンブンッ、と両手で頭を押さえ付けながら頭を振る。

 

 今は何も考えないようにしよう…。

 

 病室に一人、思い悩んでいても、仕方がない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

________数時間後。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 コンコン、と扉がノックされる。

 

 ガララ、と扉が開かれて……現れたのは…随分とやつれたように見えるトレーナーさんだった。

 

「スズカ」

 

「トレーナーさん」

 

 声が重る。

 

「あ……スズカ。あの…」

 

「……椅子が、ありますから。お掛けになってください」

 

「……うん」

 

 ああ、トレーナーさん……。来てくれた……。私はまだ見限られてはいなかった。

 

 胸の内に燻る黒い物が少し払われたような気がする。

 

 トレーナーさんはパイプ椅子に座り、リュックを降ろす。

 

 こういう時、トレーナーさんはいつも……。

 

「………ごめん」

 

 トレーナーさんは私と目が合うや否や……すぐにごめん、と謝ってくれた。

 ……トレーナーさんは、よく謝る。何かあるとすぐに。それを思い出して、ほんのちょっぴり面白くなって……。

 

「………フフフッ」

 

 思わず、笑ってしまった。……まだ笑える余裕はあるみたいね。

 

「ッ、スズカ?」

 

「すぐ、謝ってくれると思っていました」

 

 右手で口元を押さえ、笑う。

 

「えっ、あ……うぅん…」

 

「トレーナーさんは、ことあるごとに謝りますから。今みたいに、ね?」

 

 完全に把握されていて少し恥ずかしかったのか、トレーナーさんは頭をガリガリと爪で掻く。

 ……トレーナーさんとは、もう3年近い。3年間、ずっと近くで過ごして来た。だから、細かな癖までちゃんと把握している。把握できた。

 

 私とのやり取りで緊張やらが解れたのか…。トレーナーさんは重い口を開く。

 

「……スズカ、脚は…?」

 

「………………」

 

 思わず、口を閉ざしてしまう。

 

 トレーナーさんも察したようだ。

 

「……もう、走れない、そうです」

 

 俯きながら、ポツリと呟くように。……自分の口から発して……ようやく、自分認められたような気がした。

 

「……私が……私が止めていれば…!」

 

 トレーナーさんが突然激しく自分自身を責め立てるような口調で話し出す。

 

「よく、考えてみれば、スズカの骨折は防ぐ事ができた……。スズカのあの走りは、ウマ娘の限界を超える物だった………気付ける兆候はあった!!私が…気付いてあげられたら……スズカは………」

 

「……こんな事にはならなかった」

 

「……………」

 

 ……確かに、私は本当に調子が良かった。だけど、それは私が望んで、私が勝手にそうなったこと。トレーナーさんは、悪くない。

 

「スズカがレースに勝って行って……私は……敏腕新人トレーナー等と囃し立てられた。はっきり行って、嫌な気分じゃなかった。私は……スズカが完全無欠だと思い込んでた。盲目になってた。スズカに限界なんて無いって思い込んでた。だから色んなレースに出走させた……。それが…スズカの脚を蝕んでいた」

 

 ピクリと自分の耳が動くのが分かった。

 

「……止めてください」

 

「私が驕らなければ…私がもっと冷静でいれば…」

 

 トレーナーさん?

 

「…止めてください」

 

「私は……私はスズカを……スズカを壊した____」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「止めてください」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それ以上言わせない。言わせてはならない。私は思わずベッドから身を乗り出し、トレーナーさんの腕を両手で掴んでしまう。

 

「……自己評価が低くて。自分で自分を貶すのは、トレーナーさんの悪い癖ですよ。それに」

 

「私のためにここまで頑張ってくれた人を…悪く言われるのは、許せません」

 

 少し、キツめの口調で投げ掛ける。

 

「……ごめん」

 

「気を付けて、くださいね」

 

 私のためにここまでしてくれた人を……どう悪く言えようか…。

 

「………スズカのために、来たのに。スズカに慰められてしまったよ。情けない」

 

「……いいんですよ。会いに来てくれただけでも、嬉しいですから」

 

 ……沈黙が流れる。……病室で、話すことも無いし……。

 

 ……聞きたくはないけど……気になっていた事を聞いてみる。

 

「…トレーナーさん。私はもう、いらないのでしょうか」

 

「…スズカ?」

 

「私は、レースの中に生きて来ました」

 

「エアグルーヴに、タイキに、フクキタルに、スペちゃんに。皆、大切な人です。でも、私が走れなくなったら。もう、皆の側にいる価値が、私には無いんじゃないかって。……トレーナーさんに、契約を解約されて…そのまま見向きもされなくなってしまうんじゃないかって」

 

 浅ましい。トレーナーさんにただ優しい言葉をかけて欲しいと言う思いもあった。とにかく今は救いが欲しかった。

 

 トレーナーさんは……少し考え込んで…。

 

「…スズカ。私はまだ数十年程度しか生きてないから説得力が無いかもしれないが……。皆がスズカと話す時の顔は…サイレンススズカと言う存在が好きで、一緒にいる、と言う顔だったぞ。スペと、エアグルーヴと話した事があるが……あいつらはスズカの事を自慢気に話していたよ。…本人のいない所で、本人を褒めるやつが、本当の友人だ。タイキシャトルも、マチカネフクキタルも、きっと同じさ。スズカが走れなくなったって、ずっと友人のままでいてくれるよ」

 

「……それに、そんな覚悟で私はスズカのトレーナーをしていないよ。スズカがトゥインクシリーズを走り切って、プロの世界に入っても……ずっとトレーナーでいるつもりだった。君の走りを見ていたかったし……どこまで行くか見届けたかった。だから……スズカが立ち直るまでは、全力でお手伝いするさ」

 

「…トレーナー、さん」

 

 トレーナーさんの言葉は、どこまでも暖かかった。目の奥が熱くなる感覚がする。

 言葉が出ない…。あなたはいつもそうやって、私に優しい言葉をかけてくれる。

 

「……トレーナーさんは、これからどうするんですか?」

 

「…ん?これからか……」

 

「……まだ、考えてないな」

 

「でも…スズカと一緒に居ようとは、思ってる」

 

「…そうですか」

 

 トレーナーさんが一緒にいてくれる。それを聞けただけでも良かった。誰もいてくれないと、また思考が暗く沈んでしまうのがわかっていたから……だから、安心できた。

 

 ……何より、トレーナーさんを独り占めできる時間が増える、と考えると………。

 無意識に耳がピコピコ跳ねてしまった。

 

「…今日は帰らなくても大丈夫なんですか?」

 

「今日は…ずっと一緒にいるよ」

 

「…ありがとう、ございます」

 

「…………なぁスズカ」

 

「はい」

 

「何か欲しいもの、あるか?なんでもあげるぞ」

 

 ……今日は本当に耳が忙しないですね。……欲しい物………欲しい物…………。

 

 …トレーナーさんが欲しい。……なんて、言えないので……。

 

「……手を。握ってもらえますか?」

 

 これで、妥協した。

 

「…手か?それだけでいいのか?」

 

「はい」

 

「……わかった」

 

 私はスッ、とトレーナーさんに右手を差し出す。トレーナーさんはカタン、とパイプ椅子ごと近付き…何やら凄い丁寧に握ってくれた。

 ……トレーナーさんの手、暖かい。そして、ゴツゴツとしていて力強さを感じる。……トレーナーさんも、男性なんですね。…意識するとちょっと恥ずかしくなっちゃう。 

 

 …トレーナーさんはこういう経験が少ないのかな……?明らかに目が泳いでいて可愛い。

 

 ……それにしても……安心できる。トレーナーさんを、真近で実感できる。手を握っている間は、何処にもトレーナーさんはいかない。ずっと、私の隣。

 

 ……離さない。

 

「……スズカの手、ひんやりとしていて気持ちいいな。………………スズカ?」

 

 …疲れのせいか何だか瞼が重い……。目を、閉じよう…。

 

 もぞもぞとトレーナーさんが手を握ったままベッドに体を預けるのが感覚で分かった。

 ……手を、わざわざ握ったままで……嬉しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目を開ける。

 

 トレーナーさんは目を閉じて寝る準備に入っていた。

 

 ………胸の奥底から灰暗いものが溢れる。

 トレーナーさん、綺麗な顔。髪の毛、整えてないと言ってたいたけど……凄く、サラサラしてる。寝息も、可愛い。

 

 ずっと見ていたい。

 

 この景色は……誰も知りませんよね。きっと知らない。私だけの物。たづなさんも、桐生院トレーナーも知らない。

 

 いつの間にか口角が吊り上がるのが分かった。

 

 今、私がトレーナーさんを独り占めしてるんだ。今だけトレーナーさんは私の物。

 ……このままずっと私の物にできないかな?

 

 …考えるのは、明日にしよう。今はとにかく……トレーナーさんを感じていたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トレーナーさんをずっと見つめていた。私が気付いた頃には、既に日が病室に差し込んでいた。




 次回、今後について考えるスズカ。
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