『ねぇ、ラドン?』
『おい、ラドン』
『ラドン。』
『このままだと死んじゃうよ?』
『お前が望むなら、俺達がこの星を作り替えた後でも生きられるようにしても良い』
『我々と来い。』
眠りが浅い。
揺蕩う意識の中で、ラドンは夢の中に出てきた彼、彼等の思い出をゆっくりと反芻していた。
胴がなく、その代わりに腰から翼と三つの首を生やした眩い黄金色の竜。
まるでこの星の生き物とは思えないそれは、自らをいとも容易く海に沈めてみせた。
それは次にゴジラと戦い始め、やってられん! と帰ってみれば、一つの首が千切れた状態で戻ってきたその竜。
ゴジラはどうなったんだ? もしやゴジラも負けたのか? と思うも束の間、千切れた首から頭が生えてきたのに更に唖然とした。
そしてそれは俺に近付いてきて、真中の首が言ったのだった。
『貴様は何と言う?』
『ラ……ラドン。あ、あんたは?』
ゴジラと同等の大きさ、存在感。それに思わずびびりながら返すと、それは返した。
『ギドラ。この星を統べる者の名だ』
それは、短い交流だった。
けれども、俺の中に永遠に消えない記憶を残すには十分過ぎる時間だった。
世界中の怪獣達に号令を掛けて、それがギドラの元に来ようとするまでの、復活したゴジラがモスラと共にギドラを滅さんとやって来るまでの、たった数日の間。
退屈だと言う三つの首がそれぞれ俺に話し掛けて来るのだから、首が一個しかない俺にとっては溜まったもんじゃなかった。
しかも、どれかと会話すれば他の二つが噛み付いてきたりもして。
『ヤキモチでも妬いてんのか?』
思わずそんな言葉を投げた時には、左の首は素直に『そうだよ』とにっかりして答えたものの、真中と右の首からは殺意まで篭った怒りの形相で見られて、心底後悔した。
けれど、それはある意味図星だったという事でもあり、思い返してみれば良い思い出に入る部類のものだった。
遠い、遠い星の外からやって来たのだと言う彼等は、この星を我が物とする為にこれから活動をするのだと告げた。
『……具体的には?』
『我らの住みやすい環境にこの星を作り替える』
随分と大きく出たものだと思いながらも、あのゴジラと対等以上に戦い、そして世界中に轟く号令を投げる事も容易くやって見せるこの生き物は、実際にそれをやってのけるのだろうと思った。
『元々住んでいた俺達はどうなるんだ?』
『そりゃ、死ぬだろうな』
その答えには、大して驚かなかった。俺自身が驚く程に。
『だが、ラドン。貴様が望むのならば、貴様も適応出来るように作り替えてやっても良い。』
そんな言葉が真中の首から出てきたのに驚いて、けれど俺は答えた。
『……答えは、少しばかし待ってくれ』
すると、今度はギドラが驚いていた。すぐに頷くとでも思われていたのだろう。
分かりやすい形では出さないようにしていたが、ギドラが俺の事を気に入っていたのは確かだった。
何がどうして俺を気に入ったのか今も尚分からないが、聞いたところでギドラは答えてくれなかっただろう。
そしてゴジラがギドラを灰塵にした後に残ったのは、ひたすらに続く、胸にぽっかりとした穴が空いたような感覚。
寂しさという感情。
三つの首から、素直ではないにせよ好意を向けられている事は悪い事ではなかった。
けれども、俺はギドラを倒したゴジラに向かって、続けて殉じようとはしなかった。俺は自ずと、惨めでも生き続ける道を選んでいた。
なあ、ギドラ。どうしてこんな俺の事を気に入ってくれていたんだ?
俺はこんなにも弱かったと言うのに。
急かして来るギドラに対して、俺は答えた。
『あんたがゴジラを殺してから答えるよ』
『それなら頑張るね!』
『俺達が負けるとでも?』
『お前達、ゴジラを侮るなよ。だが……引き伸ばしておいて、貴様の答えが我らの意思と適わなかった場合の事は分かっているのだろうな?』
『期待しておいてくださいよ』
俺は少し恥ずかしげに、そう返した。それ自体が答えみたいなものだったが、俺はその時、他の全ての命がどうなろうともギドラに付いて行くという決意を固めていた。
未だに疼く肩を貫かれたその傷。
俺がモスラを殺せていれば、ギドラは勝っていただろう。
そう考えると今でも罪悪感が湧いて来る。ギドラが死んだのは、俺が不甲斐なかったからでもあるのだ。
「俺は……弱かったんだなぁ」
口が動いた。殆ど目が覚めている。起きようと思えば起きられるだろう。けれど、起きたところでする事もない。ゴジラに寝ていろとどやされるだけだ。
ギドラと共に好き勝手出来たならば、それはどれだけ楽しかった事か。
この地の命が殆ど失せたところで物寂しくなるのかもしれないが、それでもギドラは俺と共に居てくれるだろうし。
目をぎゅっと瞑る。
……。
…………。
けれども何かが、とても僅かではあるが、何かがちくちくと身体の感覚を刺激していた。
例えるなら、黄金色の、雷のような。
そこで目がはっきりと覚めた。
「…………ギドラ?」
空を飛んだ。訴えかけて来る感覚に従うままに、空を飛んだ。
海を越え、時に大地を焼き焦がしながらラドンは飛んだ。
その目はひたすらに真っ直ぐにどこかを向いていた。
ギドラが俺を呼んでいる。微弱なそれでも、俺には伝わる。
少なくとも、少なくとも、ギドラは欠片でも生きているのだ。完全に死んだ訳じゃない。
首が千切れても何ともなかったように再生したのだから、欠片でも残っていれば再生するかもしれない。
また会えたらどうするのだろう。
役立たずと罵倒されても良い。完全復活する為の糧になっても良い。でも、それでも、あの黄金色の三つ首を見上げたいのだ、俺は。
だから俺は、ゴジラよりも先にそれに辿り着かなくてはいけない。
昼も夜も、ラドンは飛んだ。疲労も忘れて空を飛んだ。
その場所は、ギドラが死んだ場所とはとても遠く離れていた。
ギドラが通った場所でもない。
酷く荒れた土地。ゴジラの熱線の痕跡。抉れた丘、人間の施設の中から強いギドラの気配を感じる。
そしてまた、ゴジラを模したような巨大で、バラバラになった金属の塊があった。
それからも、ギドラを僅かに感じた。
ラドンはそれらを見て、理解した。
……こんな、こんなものに人間達はギドラの死体は利用されたのだ。
怒りが湧いてきたが、今は人間を相手にしている場合じゃない。抉れた丘に近寄って、施設を炎で溶かし落とす。
その中に、頭蓋骨があった。
「ああ、これは……これは……」
ゴジラによって千切られた左の首だ。
こんな骨だけになっても、ギドラを感じる。ギドラはまだ、完全には死んでいない。
ラドンは周りの人間達を払い除けて、それを咥えて持ち去った。
*****
「なあ、お前はどうしたら生き返ってくれるんだ?」
ラドンは、頭蓋骨に向かって幾日も話しかけた。
獲物をその口の中に入れてみたり、熱を与えてみたり、時には自分を傷つけて血を垂らしてみたり。
けれど何をしても、頭蓋骨は何の反応も起こさなかった。
遥か遠方の俺にまで存在感が届いてきたと言うのに。
だが、それでもラドンは眠っている時よりも遥かに満たされていた。一度は喪ったと思っていたギドラを、こんな形でもまた目にする事が出来ているのだから。こんな形でもギドラは完全には死んでいない、それが分かるのだから。
頭蓋骨の隣に座り、幾度と語りかける。
謝罪から郷愁まで、愉楽から寂寥まで、ラドンは心の内を隅から隅まで吐露するように語りかけた。
食事に行く時も極力離れず、眠る時もそれを抱き締めながら。
素直で甘えん坊だった左の首。
何度も翼でゆっくりと撫でながら、思い返す。
放っていると右の首や真中の首が噛みついたり睨みつけたりして不満を訴えて来るのに対して、左の首はしょんぼりしたり涙目で見てきたその左の首。
いつの日か生き返ったら、左の首から全身まで元に戻っていくのだろうか。それでも、流石に記憶は飛んでしまっているだろうか。
でも、それはそれで良いかもしれない。支配欲も失せてしまえば、ゴジラと戦う理由もなくなる。けれど、それは俺と接したギドラとはもう全く別物か。
とにかく。ラドンが望む事は、記憶喪失になっていようとも、どうなっていようとも。
「またいつか、お前と、お前達と話せる日が来て欲しい」
その黄金の三つ首を、俺よりも遥かに雄大なその翼を、この俺に見せて欲しい。そしてその目を俺に向けて欲しい。
俺をラドンと呼んで欲しい。
ラドンはその日も頭蓋骨を抱えて眠った。
それは幸せな眠りだった。ゴジラが来ている事も気付かない程の熟睡をする程の。
翌朝。
「おい、ラドン」
その王の声に、ラドンは飛び起きた。
「ゴ……ゴジラ……」
ギドラの目の前で立っているゴジラは、ラドンが眠っている様を暫く眺めていたようで、大海を泳いできたであろうその全身には全く湿り気がなかった。
柔らかい眠りから一瞬に絶望へと落ち込んだそのラドンに対し、ゴジラは半ば諭すように、ゆっくりと口を開いた。
「それを渡して貰おうか」
「い、いやだ」
ヴオンッ、とその背鰭が青く光り始めた。
「逃げられるとは、思ってないよな?」
「う、う……」
後退るラドンは、思わず叫んだ。
「な、なんでアンタは、あんなものを作り上げる人間を滅ぼそうとしないんだ! それに比べれば俺の持ってるこれなんて、何の害にもなりゃしないだろう!」
「人間は群れている。クソな事をするのはその中のほんの僅かだけだ。
けれどそれは、ギドラは、一つだけだ。滅ぼすか滅ぼされるか、それしかない」
「う……う……これが、こんなのがまた元通りになると思うのかよ!」
「そう思うからお前はそれを大切にしているんだろう」
「やだっ、いやだっ!」
頭蓋骨を咥えて飛び立とうとするラドン、しかしゴジラは体を翻し、ラドンが飛び立つ前にその尾で弾き飛ばした。
咥えた頭蓋骨が転がっていき、ラドンもまたその巨体をごろごろと転げさせた。
ヴオンッ、ヴオンッ!
音を立てながらゴジラが放射熱線を溜め始める。
動けないラドンがそれでも必死に訴えた。
「うっ、ぐっ……お、俺にとって! ギドラは! ギドラはっ!! モスラにとってのお前だったんだ! それを! それでもギドラを! これでさえも!! 俺から奪おうとするのか!! ゴジラ!!!!」
それを聞いて、ゴジラはほんの僅かな間、溜めを止めた。けれども。
ヴオンッ、ヴオンッッ!
「やめてくれゴジラ!! やめてくれ!! やめろ!! やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
叫びも虚しく、青い放射熱線は一瞬でその頭蓋骨を塵と変えた。
「あ、ああ、ああああ、あああああ! あああああ!! ああ、あ、あ、あ、あ、ああああああ」
ラドンはその焼け跡へと、軋む体を必死に動かして這ってでも近付いていく。
「あああああ! あああああ!! ああああああ、あああ、ああああ、ああああああああああ!!」
ゴジラはそんな様子を半ば複雑そうな目で見ながらも、背を向けて歩き始める。
時間を掛けてやっと辿り着いたその焼け跡。必死に骨の塵を集めても、集めても、もうギドラは感じられない。欠片たりとも。微塵たりとも。
「ギドラ、ギドラ、ギドラギドラギドラギドラアアアアアアアアアアああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…………」
ゴジラが地平線の彼方まで去って行こうとも、ラドンは叫び続けた。
いつまでも、いつまでもラドンは叫び続けた。