将来の夢は何か、子供の頃からそう問われることは案外多かった。
決まってそういうときは曖昧に笑って流していた。なりたい職業、叶えたい夢……どうにもピンと来ない。とは言え、いつまでもそんなことは言ってられない。
叶えたい夢は見つからない、ならば、現実的に自分にとって有益となる職業に就くことにすればいい。
社会的に高い地位が認められており、収入も問題がなく、仕事内容もやりごたえがあるもの。その条件で探してみて合致していると感じた職があった。
ウマ娘のトレーナー。
ウマ娘とは、走るために生まれてきた、輝かしい歴史を辿った別世界の存在の名前と魂を受け継いだ生き物。ベースはヒトだが動物のような耳と尻尾があり、その身体能力はヒトとは比べ物にならない。
最高時速は70キロを超えるし自動車でも持ち上げられるパワーもある。けれど、基本的に温厚な者が多く種族には女性しか存在しないという何とも歪な生物だ。
ウマ娘にとっては走ることとレースで勝つことが生きがいとも言える。そんな彼女たちの走りを指導して支えていくのがトレーナーという職業だ。
ウマ娘たちが走るトゥインクル・シリーズは世の中で最も熱狂的な人気を誇るスポーツ・エンターテイメントであり、必然的にウマ娘を育て上げるトレーナーの地位も高い。
各地から優駿たちが集まってくる中央のトレーナーになることさえ出来れば将来も明るくなる。そうして上手くウマ娘を重賞で勝たせることが出来れば金も名声も勝手に転がり込んでくる。地方でも悪くはない、だがどうせ狙うのであれば上を目指した方がいいし、強いウマ娘も必然的に中央に集まるために選択肢が広がる。
そんな程度の理由で、俺は中央のトレーナーになることを決意した。日本一のウマ娘を育てたいだとか、東京優駿を勝ち抜いてダービートレーナーになりたいだとか、そのような輝かしい夢もなく。ただの打算的な目標のために。
……けれど、まあ、関係ないだろ? そんなことは。世の中は結果が全てだ。俺が内心どんな低俗な思いを抱いていようが、担当のウマ娘を勝たせることさえ出来れば何も問題はない。
そうして目標を定めてからは早かった。
まずは昼夜を問わず勉学に励み、バカみたいに倍率の高いトレーナー養成校に入学した。
入学してからはまた勉学に次ぐ勉学の毎日。スポーツ医学にコーチング技術に最新のトレーニング理論。ウマ娘のメンタルケアについてやウイニングダンスの振り付けなど広く深く、数多くの知識を詰め込んでいく。
休まる時間など殆どない日々だった。けれど、別に苦に感じたこともない。目標に確実に近付いている実感があったし、自分という存在が少しずつ磨かれていくのは意外と心地が良かった。
そうしてあっという間に数年が経ち卒業試験となり、それに合格してから待ちに待った中央のトレーナーライセンス試験を受けた。数ある免許試験でも最難関だ、と養成校では何度も聞いていたのでどんなものかと思ったが……まあなんとか受かることは出来た。
思ったよりはあっさり受かったので拍子抜けではある。話に尾びれがついたかあるいは大袈裟に言って受験生を脅かしていたのか……いずれにせよ、これでトレーナー免許は取れた。それから中央のトレーニングセンター学園、通称トレセン学園での面接試験を経て俺は晴れてトレーナーになった。
……そしてトレセン学園にトレーナーとして就任して二週間が経って。
俺は早速窮地に立たされていた。
「……スカウトがまったく上手くいかねえ」
自分がトレーナーとして担当するウマ娘のスカウトが全くうまくいかないのだ。トレセン学園では新入生のウマ娘は模擬レースや選抜レースなどで己の実力をアピールしてトレーナーからのスカウトを待っている。
俺も当然それらのレースはチェックして上位に入着した娘や見どころがあると感じた娘に声を掛けるのだが全く相手にされない。まだ結果も出していない新人だからかなり厳しいものになるとは思っていたが予想以上だった。
強いウマ娘は実績のあるベテランや有力なチームを束ねるトレーナーを求めるのは道理。かと言って何もせずに諦めて傍観していれば担当が一人も付くことがないまま時が過ぎ去り、スカウト能力なしとみなされ地方にでも飛ばされるだろう。
誰でもいいから手当たり次第に声を掛けるか? だがこれも正直微妙に思える。養成校では優秀と言える成績ではあったので、おそらく誰かしらは応じてくれるだろう。新入生がメイクデビューを果たすためにはトレーナーがつかなくてはならないのだが、膨大な数のウマ娘に比べてトレーナーは不足しており、必ず余るウマ娘が出てくるからだ。
けれど、そうして質を下げたウマ娘でトゥインクル・シリーズを勝ち抜けるとはとても思えない。中央のトレセン学園に入学している以上は誰でも全体で見れば間違いなく上澄みなのだが、それでも超えられない壁というものはある。天才の中の天才には努力だけでは決して勝てない。見比べればわかる、上と下ではどれだけ絶望的な差なのか。
例えば選抜レースで見たあの天才、宙を飛び跳ねるように走るダイヤの原石を見てしまうと、才能の残酷さというものを思い知らされる。トレーナーがいかに研磨しようとも有象無象ではアレに生涯届きはしないのだと。
いずれにせよ、スカウトが上手くいかないのは事実なので、何かしらの手立てを考えなければならない。そもそもなぜここまで成功しないのか。実績がない新人だからというのは大きな理由の一つだろうが、同期のトレーナーは既に何人か有望なウマ娘と契約している。
つまり新人というだけが全てではなく、俺自身にも原因がある。何が足りない、どんな理由だ? ウマ娘に真摯に寄り添う姿勢やひたむきに夢を駆ける情熱か、あるいはもっと単純に信頼を築くに足るコミュニケーション能力の不足か。
もしこれらの理由が大きいのであれば俺にとっては難題に過ぎる。ある程度取り繕うことは出来ても、やはり本当にトレーナーという職業に誇りを持つ者にはその点では敵わない。滲み出る雰囲気が違うだろうし、本気の姿勢というのは確かに相手に伝わるからだ。
(……もう少し粘って無理そうなら強いチームのサブトレーナーになるしかないな)
トレーナーライセンス試験を優秀な成績で突破したため、学園からは就任直後でも単独でウマ娘を指導することが許されている。けれど、このままいつまでもスカウトに成功しないのであればその資格にも何の意味もない。
まだ諦めるには早いのだが周囲の視線も厳しいものになってきてはいるし、時間の経過とともに目ぼしいウマ娘には担当がつき始めてしまっているため実質的なタイムリミットも迫っている。
あと何日か励んでそれでも誰も捕まえられないのであれば、すっぱりと諦めて有力なチームのサブトレーナーとして働く道を選んだ方が賢明だろう。単独でトレーナーとしてウマ娘を担当して勝たせることが出来れば一番だったが、なかなか上手くいかないものだ。ライセンス試験のときよりも遥かに難しい。
この世界は結果が全て。どのような崇高な想いを抱いていようが、あるいは下衆な気持ちでいようが結果を出すことが何よりも大事なことだ。上を目指せるウマ娘のスカウトもトレーナーの大事な仕事。俺はトレーナーとして結果を出すための最初の一歩で既に躓いている。まだメイントレーナーは時期尚早だった、それだけの話なのだろう。
トレーナーとしての名門に生まれていたり、あるいはメジロ家やシンボリ家などの名家のウマ娘とのコネでもあればまた違ったかもしれないが……。あいにく一般家庭の出なのでそのようなものは望みようがない。
まあ、サブトレーナーとして歩み始めるのも悪い選択肢ではない。熟達したベテラントレーナーの手腕を間近で拝見できて大いに参考になるし、様々なウマ娘たちと実際に触れ合えるので知識と現実の差を埋められる。何年かすればその経験は力となり実績に代わり、スカウトするときも有利に働くはずだ。
――そうしてその日も無事スカウトは失敗に終わり、俺はグラウンドに設置されているベンチに腰掛けながら、広大なターフをとんでもない速度で走るウマ娘たちを遠巻きに眺めていた。
(やはり何度見ても不思議なもんだな、あんな華奢な少女たちが自動車並みの速度で走ってるってのは)
ウマ娘の生体構造についてはまだ完全に解明されてはいない。なぜあそこまでの身体能力を誇るのか、どうして種族単位で走ることとレースで勝つことにこだわるのか。ウマソウルと呼ばれる異世界からの魂を継承したことが関係していると推測する研究者はいるが、それだって信憑性に欠ける。というかウマソウルってなんだよ、何の魂だ。
あまりにもスカウトが上手くいかないためにそんな益体もないことを考える。現実逃避であることはわかっているし、もっと建設的な思考を巡らせて一秒でも早く担当ウマ娘を得なければならないのだが、どうにも疲れた。この作業はなかなかに心を削る。
会社の営業職などはやったことがないが、こんな感じなのだろうか。とりあえず今日の所は引き上げよう、思っていた以上に心身ともに疲弊しているようだ。すっかり日も落ちてきておりウマ娘たちも寮に帰り始めているし。……そして帰り支度を整えていると。
……ふと、目に入ったものがある。
まばらになった人陰の中で、それを全く気にも留めずにただ前を見て芝の上を走る姿。
遠目で見てもはっきりとわかる。ウマ娘の中でも小柄だがそれを感じさせない力強さが溢れる走り。一歩を踏み込む脚の歩幅が大きい、俗に言うストライド走法。まるで脚にロケットエンジンでもついているかのようであり。大空を自在に飛び回るように、跳ねるように駆けているあのウマ娘は――
(……トウカイテイオー。まだ練習しているのか、ずいぶん熱心だな)
トウカイテイオー。
今年この学園に入った新入生であり、その中でもトップクラスの才能を持っている注目株だ。先日行われた選抜レースでは二着と何バ身もの差をつけて圧勝していた。
メイクデビューもまだ果たしていない新入生であれだけの走りが出来るなどとても信じがたい。レースを自分の思う通りに動かすセンスや抜群の運動神経は凄まじいの一言。だが真に特筆すべきは、身体全体の類を見ない程の柔らかさだろう。
膝や足首の柔軟性が極めて高く、それをバネのように活かして爆発的な推進力へと換えていける。それがあの速さの秘訣だと俺は考えている。身体は鍛えていけばある程度まで柔らかくすることが出来るが、あそこまでとなるともはやトレーニングで身に付くようなレベルではない。
紛れもなく、正真正銘の天才。それがトウカイテイオーというウマ娘を表すに相応しい評価だ。本人曰く、「ボクは最強無敵、無敗の三冠ウマ娘になるんだ!」とのことらしいが決して大言壮語ではない。憧れているらしい生徒会長のシンボリルドルフを超えることだって、あるいは不可能ではないかもしれない。
あの輝かしい才能に惹かれ、俺もすぐにスカウトを申し出たのだが速攻で断られた。いや、断られたという表現は正しくないか。正確にはスカウトが殺到しすぎて相手にさえされずに埋もれて終わった。あれだけの才能だ、担当につくことさえ出来れば三冠ウマ娘のトレーナーも夢ではないわけだし、我先にと押し寄せるのも当然だろう。
噂によるとトレーナー希望者が集まりすぎて、最後はジャンケンで勝った者がなることに決まったらしいが……そんなことあるか? 早々に脱落したから真偽は知らないが、トレーナーとはいかに希望者が多かろうがジャンケン大会で決まるものではない。大方、あまりにも人が集まりすぎたために誰かが皮肉っただけだろう。
(しかし、これは期待の新入りウマ娘に接触する良い機会か?)
トレーナーはとっくに決まっているだろうから一番の目的は果たせないが、実力のあるウマ娘と話すことは勉強になるだろう。どういうことを考え、どんな趣味趣向なのか。あれを口説き落としたトレーナーについても興味が湧く。今後スカウトする際の参考に出来るかもしれない。
そうと決まれば、トレーニングが終わったタイミングを見計らって声を掛けるとするか。
そのような軽い気持ち、そう、本当に大した考えもない軽い気持ちだった。
……ただ溢れんばかりの才能を持つ有望なウマ娘と話してみたかったという興味本位。たったそれだけで俺の人生が大きく変わるなどこの当時は思ってさえいなかった。