乾いたターフを湿らせる   作:やわらかスマホ

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第九話

『もしもし、トレーナー? あのさ、ボクこれから出掛けるんだけど、やっぱり一緒に行かない?』

 

 メイクデビューから一週間程度が経った休日の朝。

 

 テイオーから電話があったので出てみると、開口一番こんな誘いを受けた。寮にある自室で朝食を摂り、いざ勉学に勤しもうと取り組み始めた矢先の出来事だった。

 

「またそれか、その話は昨日終わっただろ。忙しいから行けないと言ったはずだが、同じことを何度言わせるつもりだ」

『だって……一人じゃつまんないじゃん。ボクってほら、誰かに見られて輝くタイプだし』

「そういう役目はマヤノトップガンにでも頼んでおけ。俺は溜まった書物を読み漁りたいんだ」

『ぶーぶー! そんなのいつだって出来るじゃん! キミにはデビュー戦を勝った愛バを可愛がろうって気持ちはないの!?』

 

 テイオーが電話越しでもわかる程、不満を前面に出して喚き立てる。少女特有のきんきんとした騒ぎ声が耳に障り、俺は携帯を遠ざけた。

 

 飼っている犬にしつこく散歩をねだられているような気分だ。毎度のことながら、何をそんなにムキになるのかと思うくらい聞き分けが悪い。

 

 テイオーとの付き合いも約半年になる。日々接しているおかげか、自分でもなかなか親しくなれたと思う。

 こいつは明るく元気なため、一緒にいて楽しくないと言えば嘘になる。出来れば付き合ってやりたいのが本心だ。

 

 トレーナーと担当ウマ娘がプライベートでも共に過ごすというのは外聞が悪いが、正式に禁止されているわけでもない。というかいくら言っても聞きやしないしな。

 

 とはいえ遊んでばかりもいられない。ウマ娘ならばいい。練習やレースで疲弊した脚を休め、気持ちをリフレッシュさせる意味合いがあるからだ。

 

 だが俺たちトレーナーは話が別だ。古今東西かつ数多の情報を常に取り入れ、的確な判断を下せるように努力する義務がある。

 

 ――情に流されて、判断を見誤ってはならない。

 

 トレーナーの仕事とは、ホストのように担当ウマ娘を接待することではなく。時に非情になってでも、彼女たちの夢を叶えることなのだから。

 

「……で、話はそれだけか? なら忙しいから切るぞ、また明日な」

『えっ!? ちょっと待ってよトレーナー! まだボク言いたいことが――』

 

 返事を最後まで聞かずに電話を切る。こうやって強引にでも終わらせないと、結局最後には付き合わされてしまうからな。

 

 まあ少し心は痛むが仕方のないことだ。どうせ怒っているだろうから、明日機嫌を取ってやればいいだろう。

 

 気持ちを切り替えて勉学を開始する。年が明ければクラシック戦線に加わることになる、時間は有効に使わなければな。

 

 

 

 ――それから数時間後。

 

 いくつかのウマ娘に関する研究論文を読み終え、昼食を終えた俺は凝り固まった身体を軽くほぐした。

 

 長時間机に向かっていたため、ひどく肩が張っている。だが悪くない疲れだ、やはり新たな知識を得ていくのは気分が良い。

 

 なんとはなしにふと携帯を手に取ってみると、着信履歴が数件とメッセージが何通も届いていた。

 

 何回も通知が来ているのは知っていた。まあどうせテイオーだろうと思い気にも留めていなかったが、やはり全てあいつからだった。

 

(……まったく、諦めの悪い奴だ)

 

 苦笑しつつ、メッセージを読むために画面を開く。

 

『トレーナー、ボクこれからゲーセン行くんだ。いつものダンスゲームでまた最高得点更新しちゃうから!』

『服屋に行ったんだけど、店員に勧められて新しい服買っちゃったよ。後でトレーナーにも見せてあげるね!』

『今カラオケで歌の練習してるんだ―! 次のライブのためにもたくさん歌っておかないとね!』

『ねえトレーナー、今すごく調子が良いんだ。少しでいいから聴きに来ない?』

『もう一時間経っちゃったじゃん、早くしないとテイオー様のライブが終わっちゃうよ?』

『トレーナー、どうして返事してくれないの? 今部屋にいるんだよね?』

『……トレーナー、寂しいよ。早く返事してくれないと、ボク、もうダメかも……』

『トレーナー。ボク、ずっと待ってるから……』

 

 ――メッセージは以上だった。

 

「なるほど、な……」

 

 全てを読み終えた俺の口からは、思わずそんな言葉が飛び出していた。何がなるほどなのかは自分でも理解できていない。

 

(……さて、次はこの前買った書物でも読むか)

 

 引退した元トレーナーが出版した、長い現役生活で得たノウハウや心構えを記した著書。今まで読むのを心待ちにしていたものだ。

 

 まだまだ未熟な俺には参考になることばかりのはず、これを読んで今見たことは全て忘れてしまおう。

 

 ……というわけにはいかないだろうな、残念ながら。

 

 現実逃避はこの辺にして、対応を考えなければならない。放っておいたらさらに厄介なことになるのは目に見えている。

 

 しかしテイオーも、あっさりしているように見えて意外に面倒な奴だ。少し仲の良い程度のトレーナーに対してですらこのザマだ。

 

 将来あいつの恋人になる奴は大変だろうな。恋人ともなればこれよりさらに束縛されるだろうし、他の女と仲良くしただけでも嫉妬するかもしれない。

 

 憧れの対象である、シンボリルドルフに向けるような感情の大きさ。それが形を変えて襲い掛かるのだから、さもありなんというものだ。

 

 テイオーの恋人があいつに振り回される姿を見てみたい気もするが、その頃にはもう俺もお役御免になっているだろう。どうせ何年も先の話だろうし。

 

 いずれにせよ、今あいつと向かい合っているのは俺だ。まずはこの状況をどうにかしなければならない。

 

 おそらく言いたくもないことを言う必要があるだろうが、これも仕事だ。やりたくないで済まされることではない。

 

 意を決して、俺はあいつに電話を掛ける。

 

『あっ、トレーナー!? もー遅いよ、何やってたのさ! 勉強は終わったんだよね?』

 

 電話に出たあいつはいつも通りだった。メッセージの文面では落ち込んでるように見えたが、そういうわけでもなさそうだ。

 

「――テイオー、俺は何度も言ったな。忙しいから付き合えないと。なのに、なぜお前はあんなものを送ってくるんだ?」

『え……?』

「あんな文面を何度も送られたら、流石に連絡しないわけにはいかない。お前は俺の邪魔をして何か楽しいのか?」

 

 意図して声を低くしながら言う。けれど、決して荒げはしないように注意を払う。怒っているわけではなく、諭しているだけなのだから。

 

 携帯の向こうから、テイオーの息を呑むような気配がする。普段とは違う雰囲気だと察したのだろう。

 

「お前は俺を好きな時に呼べばついてくる、召使いか何かとでも思っているのかもしれないが。だけどな、悪いが俺だっていつもお前に付き合うことは出来ないんだ」

『ち、違うよ! そんなこと一度も思ってない! ボクはただ、トレーナーと一緒にいたくて――』

「わかってるさ、お前に悪気がないことは。だが、悪気がないからって何をしても許されるわけではない」

 

 こいつの本心は、ただ親しくなった俺と一緒に遊びたいだけ。

 

 そんなことは百も承知だ。あのメッセージにしたって、一向に返信しない俺の気を引くために送っただけだということも。

 

 そこまで理解しているのなら、こんな注意はせずに黙って付き合ってやればいいと他の奴は思うかもしれない。

 

 だが、そうやって全てをなぁなぁで済ませてしまえばこいつはどうなる? 何をしても平気だと勘違いして、どんどん増長していってしまうだろう。

 

 線引きが必要なんだ。やっていいことと悪いことがあるのだと教えてやらなければならない。今回の件は、明らかにやりすぎだった。

 

「お前は少し直情的すぎる。自分の都合をただ押し付けるだけではダメだ。お前と同じように相手にも都合があり、利害がぶつかるときはあるのだから」

『……うん』

「これからは物事を多面的に考えることも覚えていけ。こうしたらどうなるか、相手はどう思うのかも視野に入れるんだ」

『……うん、ごめんなさい』

 

 テイオーが消え入りそうな声で謝る。自分でやっておいてなんだが、こいつのこんな声は聞きたくなかった。

 だが、これは弱さだ。そうやって今まで甘やかしていた俺の心の弱さが、テイオーの判断を誤らせてしまった。

 

 ……彼女のためを思うのなら、時には厳しく接することも必要だったというのに。

 

『あ、あのさ、トレーナー。ボクのこと、嫌いになった……?』

「……バカか、こんなことで嫌うわけないだろ。くだらないことを言うな、次から気をつければいいだけの話だ」

『……うん。ボク、ちゃんと気をつけるから……これからも、一緒にいてね?』

「――」

 

 切実な想いが込められたような言葉だったため、返答に詰まってしまう。

 

 本当に調子が狂う。いつものように生意気な態度ならばやりやすいのだが、こいつのこういう姿はやはり苦手だ。

 

「――なあ。ところでお前は、まだカラオケボックスにいるのか?」

『え? うん、そうだけど……』

 

 先程の願いへの返事代わりに質問を投げ掛けると、テイオーからは呆気に取られたような声が返ってくる。

 何の脈絡もない質問だったから無理もない。だが、俺にとっては重要なことだった。

 

「そうか、そいつは良かった。ちょっとばかり肩が凝ってきたんでな、気晴らしに歌でも聴きたいと思っていたところだ」

『もしかして、今から来てくれるの……?』

「なんだ、イヤなのか? あれだけ何件も送ってきたくせにわからない奴だ」

『全然イヤじゃないよ! でも、トレーナーってホント素直じゃないよね。そんなにボクと一緒にいたいなら、最初からそう言えばいいのにさ!』

 

 途端に声に元気が戻ってきたテイオーに、現金な奴だと内心で笑う。

 

 しかし、結局耐えきれずに甘やかしてしまっている。今回は厳しく諭そうと思っていたのに、最後まで非情に徹することが出来なかった。

 

 俺は中途半端だ。皆のように担当ウマ娘を心から信頼し、真摯に寄り添っていくことも出来ず。そうかといって一線を引いて厳しく管理することも出来ていない。

 

 ――本当に説教が必要なのは、何もかもが半端な俺の方なのかもしれない。

 

『……いつもありがとね、トレーナー』

 

 ぽつりと呟かれた感謝の言葉を聞きながら、そんなことを思った。

 

 

 

「……沖野さん。担当ウマ娘との距離感はどんな感じが望ましいんですかね?」

 

 翌日、テイオーとの練習が終わった後で。

 

 俺は先輩トレーナーである沖野さんを誘って、彼の行きつけであるというバーに来ていた。いかにもな雰囲気の大人の飲み屋だ。

 

 大人のオンナに憧れているマヤノトップガンが見たら、おそらくこの空気だけで酔ってしまうだろう。

 

「あぁ? なんだいきなり。そんなもん、相手によって変わるだろ。親しく接して欲しい娘もいれば、なるべく放っておいて欲しい娘だっているんだからよ」

「いや、そうなんですけど。少し、気になりまして」

 

 沖野さんは俺の質問に怪訝そうな声で答えてから、軽くグラスを傾けてカクテルを口に入れる。

 

 この沖野という男性は、学園でも有名な“チームスピカ”のトレーナーだ。

 

 年齢は聞いていないがおそらく30前後。髪を後ろで一つ結びに束ね、左側頭部を狩り上げた独特な髪形をしている。

 

 普段は棒つきのキャンディをまるで葉巻のように咥えており、飄々として軽薄そうな印象を相手に与える人物だ。

 

 だが、沖野さんも彼が率いるスピカも決して甘く見ていいものではない。

 

 俺は普段会話する中で、彼がウマ娘に対して熱い想いを抱いている優秀なトレーナーであることを知っている。

 

 担当ウマ娘にセクハラまがいのことをして、彼女らに蹴られている姿をよく目撃されるが。あれだって、確かな絆がなければ成し得ない光景だろう。

 

 彼に育てられているチームスピカも逸材揃いだ。

 

 スペシャルウィーク、サイレンススズカ、メジロマックイーンなど。いずれもトウカイテイオーにすら引けを取らない程の優駿が集められている。

 

 沖野さんとは、トレーナー同士の交流会や普段の練習での業務連絡など。様々な機会を通して友好関係を深めた。

 

 学園でしばらく勤務していれば、自ずと他のトレーナーとも接触する機会がある。たまたま縁があったのがこの人だったという話だ。

 

 俺は、沖野さんに前日にあったテイオーとの出来事を軽く話した。

 

「へぇ、なかなか青春してるじゃないの。アオハルポイント高いぜこいつは」

「……何すかそのしょうもない得点は。沖野さん、俺は真面目な話をしているんです」

「いや、だってよ。他になんて言えばいいんだよ。お前さんは別に間違ったこたぁ言ってないしな」

 

 沖野さんが苦笑する。確かに間違ったことを言ったつもりはない。だが、自分が正しいのかどうかは自信がなかった。

 

 俺は本当に上手くやれているのか、もっと他に良い方法があったのではないか。そんな疑念が常に付き纏っている。

 

「お前さんはちっとばかし真面目過ぎるな。そんなに深く考えず、もう少し肩の力を抜いてみろ。心配しなくても、新人にしちゃあ上出来なもんだぜ」

「……新人にしては良く出来てる。だからってそれが手を抜く理由になるんですかね。あいつらにとっては、新人だろうとベテランだろうと関係ないんです」

 

 学園のウマ娘たちにとっては、夢を叶える機会は一度きりだ。まだ未熟な新人だから、この程度でも仕方がない。

 

 そんな言い訳をして歩みを止めたくはなかった。むしろ、新人だからこそ常に試行錯誤して成長しなければならないんだ。

 

 俺の様子を見かねたのか、沖野さんが呆れたように言う。

 

「そりゃそうだけどよ。人間、気を張ってばかりじゃ持たねえぞ? 時には気楽に構えることも必要なのさ」

「そう、ですね……。確かに、少し焦りすぎているのかもしれません」

 

 トレーナーとして担当ウマ娘の夢を叶える。その結果を出すことに囚われすぎて、視野が狭くなっていたのかもしれない。

 

 根拠のない自信を持つことは禁物だが、心に余裕を持つことも大切かもしれないな。俺が揺らいでいたら、担当ウマ娘であるテイオーにも良くないだろう。

 

 話を聞いてもらって気持ちが多少落ち着くのを感じた。悩みを相談するだけでもメンタルケアには良いと聞いたことがあるが、実際その通りだったようだ。

 

「沖野さん、今日はありがとうございました。気持ちが楽になったのを感じます、貴方に相談して正解でした」

「なら良かった。だがまぁ、そんな改まって礼を言う必要はないさ。後輩の悩みを聞いてやるのも先輩の務めってもんだからよ」

 

 沖野さんが手をひらひらと振って快活に笑う。

 

 尊敬すべき先輩であり、競い合うライバルでもあるこの人。いつか、恩返しも兼ねて彼を超えられるように努力していこう。

 

 決意を新たにしていると、沖野さんが神妙な顔になって告げた。

 

「……ただ、一つだけお前さんに忠告することがある。しばらくの間、担当ウマ娘をこれ以上増やすのだけは絶対にやめておいた方がいいぞ。間違いなく面倒なことになる」

「それは、俺がまだ未熟だからですか?」

「いや……それもないわけではないが、もっと他の要因だ。こんなの説明するのも野暮ってもんだし、言ってももう手遅れだろうから理由は深く言えんが。とにかくそうしとけ」

「えぇ……。何ですかそれは、普通に気になるんですが」

 

 一体何の話なんだ、手遅れとか怖いことを言わないで欲しいんだが。これ以上の追及は許さない雰囲気を感じたので、聞き出すことも出来ない。

 

 まぁいい、どのみち担当を増やすほど余裕があるわけではない。精神の安定のためにも、この忠告通りテイオーに専念すればいいだけだ。

 

 その後もしばらく雑談をして。財布の中身が空っぽだった先輩の分まで金を払い、俺たちはバーを後にした。

 

 

 

「あのね。あれから反省してボクもずっと考えてたんだけどさ。これからは、ボクがトレーナーの部屋に行けばいいんじゃないかな?」

「……何?」

 

 沖野さんに悩みを相談して心機一転した次の日。

 

 放課後に練習を始めるためテイオーと合流すると、奴は突然こんなことを言い始めた。

 

「だってほら。そうすればトレーナーも勉強できるし、ボクもトレーナーの傍にいられるし一石二鳥じゃん! 流石ボクだね、すっごく冴えてるよ!」

「……」

「もちろんトレーナーの邪魔するつもりはないよ? それどころか、料理とか掃除も手伝ってあげちゃうし。普段はあんまりやらないけど、ボクって割と何でも出来るからね」

「……」

 

 さも名案であるかのように得意げに語り続けるテイオー。その反面、俺は上手く返す言葉が出なかった。

 なるほど、確かに理屈としては悪くはない。今度はそう来たかという気分だ。だが、感心してばかりもいられない。

 

 このまま話を進められては、休日における俺のプライベートスペースにまでこいつが居座ることになってしまう。

 

(……教えてくれ、沖野さん。これはどうするのが正解なんだ)

 

 せっかく気持ちを入れ替えられたと思ったが。またしても面倒なことになってしまい、俺は堪らず天を仰いだ。

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