年の瀬も押し迫り、慌ただしさが増してきた12月。
昼食を終えた後。昼休みのトレーナー室に、随分と珍しいお客様が来訪した。
「お邪魔するよ、トレーナー君」
挨拶と共にやってきたのはシンボリルドルフ。トレセン学園現生徒会長にして、幾つものGⅠを制覇して七つの冠を戴いている“皇帝”だ。
鹿毛の長髪で、まるで三日月のような色違いの前髪が一房だけ存在する所はテイオーとよく似ている。違うとすればストレートに下ろしているか、ポニーテールにまとめているかの点くらいだろう。
だがこの皇帝様は常に威風堂々としており、静かな佇まいでありながら漲る覇気が抑えきれていないため、感じる印象はテイオーと全くの別物ではあるが。
とはいえ顔の作り自体は類似しているように見受けられる。血縁関係にはないようだが、姉妹と言われても違和感はない程に。
「よく来たな、ルドルフ。すぐに茶を淹れるから適当に寛いでいてくれ」
「いや、そのような気遣いは無用だよトレーナー君。私もそう長居するつもりはない」
「悪いがそういうわけにはいかないな。来訪客に茶の一杯も振舞わないんじゃ、俺の品性が疑われるんでね」
遠慮するルドルフを空いた場所に座らせ、俺は茶を淹れるため席を立った。あらかじめこいつが来ることは以前から伝えられていたため、歓待の用意は整っている。
ちなみに長らくルドルフのことをフルネームで呼んでいた俺だが。先日、本人に略称でいいと許可をもらったためにその言葉に甘えさせてもらっている。
いちいち長ったらしい名前で呼ばなくて済むのだからありがたいことだ。面倒だからと言って、親しくもないウマ娘に略称で馴れ馴れしく話しかけるのも問題だしな。
「皇帝様に出すには少しばかり貧相なもてなしだがな。すまないがこれで我慢してくれ」
「我慢も何も、押しかけて来たのは私の方だ。どのようなものであろうと、文句を言うような厚顔無恥な振る舞いはしないさ」
淹れ終わった茶を、買い置きしていた茶菓子と共に皇帝に献上する。ルドルフは湯呑みを手に取ると、俺の淹れた茶を上品な仕草で口に含んだ。
流石に絵になるな、ただ茶を飲んでいるだけなのにその姿からは気品すら感じる。
「……濃厚な味わいだ。緑茶特有の苦みや渋みの中にも、まろやかな甘さがある。率直に言えば、とても美味しいよ」
「皇帝様の口に合って何よりだ。わざわざ淹れ方を勉強した甲斐があったってもんだな」
「茶の淹れ方まで学んでいるのか……。粉骨砕身、君たちトレーナーの努力には私も頭が下がるよ」
「別にこんなものを覚えるつもりもなかったんだがな。休日にペットの面倒を見る機会が多くなったんで仕方なくだ」
ルドルフからの言葉に気分を良くする。褒められるために学んだわけではなく、来客をもてなすマナーとして習得した技術に過ぎないが、これほどのウマ娘に賞賛されて悪く思うわけがない。
「テイオーにも以前、同じものを振舞ってみたんだが散々だったよ。苦いだの美味しくないだの、淹れ方が悪いだので話にならなかった」
「ふふ、それは災難だったな。彼女は少しばかり甘党だからね、このような飲み物は口に合わなかったんだろう」
「あいつの甘いもの好きは筋金入りだな。しまいにはこの茶にも大量の砂糖を入れてたくらいだ。俺はもう奴に甘いもの以外を出す気がなくなった」
テイオーが休日に俺の部屋に来たいと言い出してから二か月近くが経った。
最初は多くの厄介事が容易く想定されるため、何度懇願されようとあいつを部屋に入れるつもりはなかったのだが。あんまりにもしつこいため俺も根負けしてしまった。
おそらく強く拒絶すれば断ること自体は不可能ではなかっただろうが、そうすることでまたこの前のようにしょうもない事態を引き起こされても困る。
まあ、何事もプラスに考えるべきか。断ることで無駄に騒がれたり落ち込まれたりするよりは、いっそあいつの提案を受け入れた方が余計な労力を使わなくて合理的だ。
そうして、定期的にテイオーが訪れることが決定してしまったため。不本意な形ではあるものの茶の淹れ方くらいは修めておくべきかと学んでみたのだが……。
その結果は先に述べた通り大不評だった。だから一度目で酷評されて以降、俺が奴に出すのは砂糖を多く入れたカフェオレやココアへと変わっている。
まったく手の込んでいないそちらの方は大絶賛されているのだから、流石の俺でもやりきれない思いが募った。
「舌がお子様な奴はこれだから困る。甘いものが好きなのは構わないが、こういう渋い飲み物にも理解を示してもらいたいもんだ」
「彼女にも悪気はないんだ、許してやってくれ。逆にそう言う君だって甘いものは苦手だそうじゃないか。千差万別、誰しも好き嫌いがあるのは仕方のないことさ」
「……そうだな、お前の言う通りだ。自分の好みや価値観を押し付けるのは良くない。くだらないことに拘る俺の方こそ狭量だった」
ルドルフの穏やかに諭すような物言いに、俺の感じていた微かな不満が霧散していく。こいつの声や話し方は聞く者の心を落ち着かせる効果があるように思う。
発言にも何一つとして間違った所はなく、彼女の言動の全てが正しいものだと認識してしまう程だ。
俺もウマ娘を導くトレーナーとして、なるべくみっともない姿は見せないように努めているがここまでにはどうやってもなれない。
――これが“皇帝”シンボリルドルフか。なるほど、確かにこれは絶対の君臨者だ。テイオーに限らず多くのウマ娘が心酔しているのも頷ける。
「ところで、今日はどんな用件で来たんだ? わざわざ世間話をするほどお前は暇じゃないだろう」
「君とは一度このようにじっくりと話をしてみたかったという気持ちはあるが、確かに今日の本題は別にある。……テイオーが最近、よく休日に君の部屋に訪れているという話を彼女から聞かされていてね」
「――なるほど、そういうことか。生徒会長としては当然こんなことは見過ごせないというわけだな、すまなかった。俺も担当ウマ娘がトレーナーの部屋に入り浸るのは良くないと思っていたんだ、テイオーにはこの後キツく言っておこう」
ルドルフの真剣な表情と話の導入から全てを察する。つまりこいつは生徒会の会長として俺に警告をしに来たわけだ。
それはそうだ、普通に考えて年頃の女生徒が男性トレーナーの部屋に頻繁に行くのは不味いに決まっている。
そんな俺の言葉を聞いて、何故かルドルフが慌てて止めに掛かる。ひどく珍しいことに焦っている様子だ、こいつのこんな姿は初めて見る。
「トレーナー君、早合点しないでくれ! そんな無粋なことを言いに来たんじゃないんだ。君と彼女が部屋で休日を満喫していること、それ自体は別に構わない」
「いや、構うだろ。何か問題が起きてからじゃ遅いぞ」
「……私たちは君を信頼している、謹厳実直な君ならば大丈夫だと。とにかく、君とテイオーはよく自室で一緒に楽しんでいるそうじゃないか」
「まぁ楽しんでいるかと言われるとやや疑問は残るが、一緒には過ごしてるな」
てっきり会長として俺の行為を非難しに来たのだと推察したのだが違うらしい。前から思っていたが、この学園はトレーナーと担当ウマ娘の距離が妙に近いケースが多いな。
学園もある程度ならばそれに目を瞑っているようにも感じられる。トレーナーと担当ウマ娘の間に絆が芽生えることで、その娘から想像を絶する想いの力が引き出されると言われることもあるが。
その効果でも期待しているのかもしれない。学園のトレーナーにウマ娘ではなくヒトが多いのはそのためだろうか、ヒトとウマ娘の間からでしか発現しない何かが存在しているのか?
「それで、だ。テイオーは休日、君の身の回りの世話をしているらしい。相違はないかな?」
「間違ってはいないな。何を考えているのかは見当も付かないが、家政婦の真似事をするのが今のお気に入りらしい」
「ふむ、そうか……」
ルドルフが顎に手をやり、何事かを思案する。しばらく考え込んだ後、少しばかり言いにくそうにしながら口を開いた。
「その、なんだ……。物事には正当な報酬が与えられて然るべきだ、トレーナー君もそうは思わないかい?」
「なんだ、回りくどいな。いつも泰然としているお前らしくもない、何が言いたいんだ」
「わかった、単刀直入に言おう。時期は問わないが、今度テイオーを労ってあげてはもらえないだろうか?」
「……何だと?」
皇帝からの思わぬ頼みごとに間の抜けた声を出してしまう。何を言い出すのかと思えば、まさかテイオーを労ってくれなどと言われることになるとは。
まさかあいつがルドルフに頼み込んだのだろうか。自分がトレーナーにぞんざいな扱いを受けているから何とかしてくれ、というように。
俺の表情から思考を見て取ったのか、ルドルフが疑問に応じるかのように続ける。
「勘違いはしないでくれ。私は君がテイオーに理不尽を強いているとは思っていないし、彼女から頼まれたわけでもない」
「ならどういうことなんだ? 実際、俺は出来る範囲であいつの面倒は見てるつもりだぞ」
「そうだろうな、私もそこを疑うつもりはない。ただ、健気に君の世話をしたと話すテイオーに少しばかりの報酬があれば。彼女ももっと喜んで君に尽くせるのではないか、と愚考してね」
つまり日頃テイオーに身の回りのことをやってもらっているのだから、御礼なりなんなりであいつの機嫌を取ってやって欲しいということか。
確かに休日において料理だの掃除だのはしてくれている。別にこちらが頼んだわけではないのだが、それでも成果に対して礼の一つも言わなければ筋が通らないか。
「わかった、考えておこう。だがお前も案外あいつには甘いんだな。公明正大な生徒会長にしては贔屓が過ぎるんじゃないか?」
「はは、そう言われると返す言葉もないな。彼女は私によく懐いてくれていてね。ときに立場を忘れてつい可愛がってやりたくなってしまうんだ。……幻滅したかい?」
「いや、逆に見直したよ。どんな相手でも完全に平等に扱えるんなら、それこそ恐れ多くて話もまともにする気が起きないからな。そんな奴はもう神や仏と何も変わらない」
「――ありがとう、そう言ってくれると気持ちが楽になる。しかし君と話すのは心が弾むな、彼女が君を慕う理由がわかるような気がするよ」
言ってから、ルドルフが屈託のない笑顔を見せる。彼女の笑った顔は、普段よく見ているものを想起させた。やはり、ルドルフはテイオーによく似ている。
もっと取っつきにくくお堅いウマ娘かと思っていたが、想像以上に気さくだし何より情の深いウマ娘だ。
そんなルドルフだからこそ。いつもテイオーを相手にしているかの如く、俺はからかうように指摘することにした。
「お前は将来、きっと親バカになるな。賭けてもいい」
「まったく何を言っているんだトレーナー君。そんなことを言う君の方こそ、余程親バカになりそうじゃないか」
「……俺が? どうやら皇帝には冗談のセンスだけはないようだな、俺なら間違いなく厳しく子供を育てることが出来る」
そんな風にして、昼休みが終わるまでの間。幾分か打ち解けられた俺とルドルフはしばらく軽口を叩き合っていた。
ルドルフの来訪から何日か経った休日の午後。
「トレーナー、お掃除終わったよー! 次はどうすればいいの、何でもボクに任せてよ!」
可愛らしいエプロンを身に纏ったテイオーが俺の前にぴょこりと顔を出した。自分の部屋なのに当然のようにこいつがいる事実に、悲しいことではあるが大分慣れてしまっていた。
もはやいつものことではあるが、今日も今日とて家事を張り切っている。当初、渋々と彼女を部屋に招き入れたときはここまでやる気に満ち溢れてはいなかった。
むしろ最高に酷かった。勝手にゲーム機を持参して執拗に相手に誘ってきたり、平気で菓子などを食べ散らかしたりなどとやりたい放題もいい所だったからな。
見かねた俺は興奮のためか暴走していたこいつを叱り、幾つかのルールを制定することにした。『俺の作業の邪魔をしない』や『片付けはきちんと行う』などの至極当然なものだ。
部屋に入る前に再三言っていた、トレーナーの邪魔はしないとは一体何だったのか。どうせこうなるから部屋になんて入れたくなかったんだが。
流石に前回からそう間を置かずに注意を受けたことで大分懲りたのか、今度は精力的に俺の世話を焼きたがるようになってしまった。本当に何をするにも極端な奴だ。
「今はお前に頼むことはないから休んでていいぞ、子供じゃないんだから自分のことは自分で出来るしな」
「じゃあさ、やることないなら一緒にどっか買い出しに行かない? 夕飯のメニューとか考えながらさ。ふふ、ボクこういうのちょっと憧れてたんだよねーっ!」
「別に夕食なんて適当に済ませておくから大丈夫だ。お前はその辺でゲームでもしていればいい、そんなことまでやらせるのは悪いだろ」
纏わりつくテイオーに対し、俺はそちらを見ずに『月刊トゥインクル』を読みながら雑に返事を返す。
月刊トゥインクルとはその名の通り、トゥインクル・シリーズについての情報が詳しく記載されている雑誌であり、その中でも最大の発行部数を誇る大手だ。
レースの開催情報、有力選手の大まかなデータやインタビュー記事、記者のコラムなど様々な有益情報が載っている。
その中でも今の俺が求めているのはトレーナーへのインタビューだ。いずれ自分も受けることになるだろうから、そのときどのように答えるのが無難なのかの判断材料になり得る。
中央のトレーナーとして在籍している以上。新人だろうと関係なく、今の俺はトレセン学園の顔の一つでもあるのだから無様を晒すことなど許されない。
そうしてしばらく雑誌と睨み合いをしていると。不意に横から手が伸びて、持っていた雑誌を奪い取られる。
視線の先には、膨れっ面をした担当ウマ娘の姿があった。ほったらかしにしていたためか、どうやらご機嫌斜めな様子だ。
「もうっ、トレーナーのバカ! パパやママに教えてもらわなかったの? 話をするときは相手の顔を見て話しなさいって! ボクのことをちゃんと見てよ!」
「……確か邪魔はするなと言っておいたはずだが、これはどういうことだ?」
「うぅ……。で、でも、やっぱり話は相手の顔を見てするべきだってボクは思うし……」
「ま、いいさ。別に急ぎの用件ってわけでもない。……で、何の話だったか」
俺の言葉に、ぷんすかと怒っていたテイオーの顔がバツの悪そうなものへと変わる。とはいえ今回は俺の行儀も悪かった、この程度で責めるのは器の小ささが露呈するだけというもの。
テイオーと向かい合った俺は、気にしていないと示すように俯いた彼女の頭をぽんぽんと軽く叩くように撫でる。
こいつは背が小さいため、少し屈んで下を向いていれば座ったままでも簡単に撫でることが出来る。先のルドルフの頼みもあるし、ここは優しくしてやるとしよう。
話を促されたテイオーは、屈んだ状態で上目遣いをしながら恐る恐るといった感じで喋り始める。
「ええっと、一緒に夕飯の買い出しに行きたいなあって。……ダメ?」
「ダメではないが、もっと良い提案があるな。たまには外食でもしてみるのはどうだ? いつもお前には世話になっているからその礼も兼ねてな」
「ホント!? ねぇ嘘じゃないよね、もしこれで冗談とかだったら流石のボクでも許せないよ!」
テイオーの瞳が一気に輝く。ポニーテールも尻尾も喜びを表すかのように跳ね回っている。
たかが外食くらいで大袈裟な奴だな。こいつはお嬢様だから、もっと良い食事を味わってきただろうに。
しかし、やはりテイオーはこうやって無邪気に騒いでいるのがお似合いだな。どう見てもこいつは世話するタイプではなく、世話される側のウマ娘だったので現状には違和感しかなかった。
「冗談なわけないだろ、何をそんなに疑ってるんだ。今日は特別だ、何処へだろうと好きな場所へ連れてってやるさ」
「じゃあお寿司とかでもいいの!? ボク、こう見えても結構たくさん食べるから後悔しちゃうかもよ?」
「なんだって構わない。家事の件だけではなく、お前にはいつも感謝してるからな。――あのとき俺を選んでくれてありがとう、来年もよろしく頼む」
「――トレーナー! ボクも、ボクも感謝してるよ! あのときボクをスカウトしてくれてありがとっ! ボク、キミのためにも絶対に夢を叶えてみせるからねっ!!」
感極まったのか、テイオーが勢いよく俺に抱きついてくる。何度でも思うが、こいつの感情表現は激しすぎるな。この盛大なスキンシップはウマ娘特有のものなのだろうか。
だが、俺がテイオーに感謝しているのは紛れもない事実だ。もし彼女がスカウトに応じてくれなかったら、今頃どうなっていたかわからない。
これ程までに才覚に恵まれたウマ娘と契約することが出来たのは本当に僥倖だった。彼女のおかげで、俺はトレーナーとしての職務を全うすることが出来る。
ジュニア級も間もなく終わり、とうとう本番となるクラシック級へと歩を進めることになる。俺たちの夢を叶える舞台までもう少しだ。
そして、クラシック戦線で無敗の三冠を勝ち取り……見事にテイオーの夢を叶えることが出来たそのときこそ。
――あんな辛気臭いものではなく。奇麗に輝く、素晴らしいものが見られるだろう。