乾いたターフを湿らせる   作:やわらかスマホ

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第十一話

 年明けを迎えて新しい年となり、1月も半ばを過ぎ去った時期。

 

 透き通るような青空が広がり、天気は爽やかな晴れ模様。それにも関わらず吐息すらも白く染まってしまう程に、凍てつくような寒さがあった。

 そんな気温の中であっても、レースは変わらず行われる。誰よりも速く走りたいという、ウマ娘たちの存在理由を証明するために。

 

 “若駒ステークス”。

 

 京都レース場で行われる、芝2000メートルのクラシック級オープン戦。その格付けとしては、最上位であるGⅠなどを含めたもの――いわゆる“重賞”と呼ばれるレースと比べると下に位置している。

 

 しかし、それでもこのレースの重要性はオープン戦とは思えない程に高かった。昨年デビューした有力なウマ娘たちが集まっているからだ。

 つまりこの若駒ステークスを制した者が、今後のクラシック戦線において主役の一人となっていくのは間違いないということになる。

 

 パドックでの観客たちへのお披露目も終わり、そんなレースの開始が間近に迫った中で。若駒ステークスの出走バの一人であるナイスネイチャが、空を見上げて物憂げに脳内で呟いた。

 

(はぁ、太陽が眩しいっすわ……。アタシもこの天気みたいに、清々しい気分でいられたら良かったんだけどねぇ)

 

 ナイスネイチャ――赤みのかかったボリュームのある鹿毛をツインテールにまとめており、赤と緑の耳カバーを付けているウマ娘だ。

 その飾り付けられたウマ耳は、しばしば友人達から『クリスマスツリーみたいで可愛い』と褒められることも多いのだが、今はそんなお祭り気分ではいられなかった。

 

(今日はあの“トウカイテイオー”が出るんだもんね……。テイオーと一緒に走るなんて罰ゲームかっての、勝てるわけないじゃん)

 

 内心で愚痴をこぼす。沈んだ気持ちで辺りを見渡すと、ターフの上に出走するウマ娘たちが揃ってきている。

 もうすぐレースが始まるのに、自分でも辛気臭いことだとは思うが。ひっそりと愚痴を吐くくらいは許してほしいところだ。

 

 トウカイテイオーとはナイスネイチャと同期にデビューしたウマ娘で、一言で表せば才能溢れる天才。

 

 入学直後から選抜レースや模擬レースで常に1着を取って周囲の注目をかっさらい、デビューした後も連戦連勝の超有望株。

 

 夢は尊敬するシンボリルドルフが達成した無敗の三冠と大きく、しかしそれが大言壮語には感じられない圧倒的な実力。

 

 性格は元気溌剌で天真爛漫。いつも自信に満ち溢れており、負けることなど端から考えていないような勝気な姿勢。

 

 ただ前だけを見て、ひたむきに夢を追い続けているその姿。少し捻くれた部分のあるナイスネイチャには直視できない程に、眩しくキラキラと輝いていた。

 

(なんかあの子っていつ見てもキラキラしてるんだよねぇ、何処の主人公だっての。アタシなんてそんな主人公の引き立て役がせいぜいだってのに)

 

 漫画やアニメの主人公かと思ってしまうくらい出来すぎなトウカイテイオーに比べ、自分の地味さを思い返してナイスネイチャは嘆息した。

 

 まず出だしからパッとしなかった。入学直後に行われた選抜レースでは3着だったし、その後何回かあった模擬レースでも2着が精一杯。

 

 やっとのことでトレーナーにスカウトされ、“チームカノープス”という中々に有名なチームに加えてもらってデビューしたのはいいものの――。

 

 迎えたメイクデビュー戦では結局2着。続く未勝利戦でようやく初勝利を挙げることが出来たのだが、なんというか本当に華がない経歴だ。

 

 トレーナーが見つけられずにデビューさえ出来なかった子や、出来ても勝ちきれなかった子もいるのだから贅沢を言っているのは理解している。

 けれど、あと一歩が足りないこのもどかしさも結構心に来るものがあった。

 

(……そりゃまったく勝てないんなら、アタシだって諦めもつくよ? でもこんな風に毎回3着とかだとさぁ、すっぱりと諦めることも出来ないんだよね)

 

 ナイスネイチャも自分に一つも良い所がないとまで卑下するつもりはない。トレセン学園に入学出来たのだから、こんな自分だってそれなりに優秀であることは自覚している。

 

 泥臭い道のりではあったものの、こうやってオープン戦にも出走しているのだから自分も結構やるじゃんと自画自賛したい気持ちもあった。

 

 だが――そこまでだ。結構やるとか良くやったとか、そんな感じの敢闘賞ばかりになってしまうのが自分だということも嫌という程わかってしまった。

 

(まあいいや、レース前なのにそんなことばっかり考えてても仕方ないしね。ネイチャさんの下町育ちのこの雑草魂、ちょっとばかり主人公様に見せつけてやるとしますかね)

 

 気持ちを切り替えてこれから始まるレースに集中する。あのキラキラなウマ娘、トウカイテイオーに勝てるとまで自惚れてはいないが、それでも手を抜くつもりはない。

 

 斜に構えているナイスネイチャも立派なウマ娘であり、勝ちたいという欲求は存在しているからだ。やるからにはもちろん全力を尽くす。

 

 そんな風にして気合いを入れていると、件のウマ娘であるトウカイテイオーがこちらへと近づいてきた。

 

「ネイチャ、今日はよろしく! こうやって公式戦で一緒に走るのは初めてだけど、良いレースにしようね!」

「テイオー……。アンタこんなとこで話してていいの? アタシなんかに話しかける暇があるなら観客へのアピールでもすればいいのに」

「それはもうたくさんやったから大丈夫! 今はネイチャと話したい気分だったんだ」

 

 鹿毛のポニーテールを揺らしたトウカイテイオーが人懐っこく笑う。こうやって愛嬌があるからこのウマ娘は憎めないのだと、ナイスネイチャは思った。

 

(才能に恵まれてて、可愛くて、性格もまっすぐで素直。ホント、アンタって主人公だよね。アタシみたいなモブとは全然違う)

 

 光り輝く太陽を前にすると、どうしても目を背けたくなってしまう。眩しすぎる光に目を灼かれてしまうから。

 自分のような脇役とは違うのだと、はっきりと理解させられてしまうから。

 

 そんなネガティブな心を押し殺して、いつものようにナイスネイチャはシニカルに言い放つ。

 

「さっすが一番人気のテイオー様は余裕綽々ですねぇ。アタシなんて緊張で心臓バクバクだってのにさ」

「あはは、流石にボクもまったく緊張してないわけじゃないけどね。でも楽しみな気持ちの方が大きいんだ、これからボクの強さを皆に見せられると思うとワクワクするじゃん」

「……ワクワクする、か。いやぁ、やっぱキラキラなウマ娘は言うことが違うわ。じゃあアタシも頑張るとしますかね。アンタに勝つ、とは言い切れないけどベストは尽くすからさ」

「うん。でもボクが一緒に走るんだから、1着だけは諦めてね。その結果はずっとボクの――ボク達だけのものだから」

 

 今ので言いたいことは全て言ったのか、トウカイテイオーが去っていく。それまで終始にこやかに話していた彼女だったが、最後の言葉だけは目が完全に笑っていなかった。

 それだけ本気ということなのだろう。無敗の三冠を達成するためにはただ一度の敗北すらも許されない、夢の実現へ向けた並々ならぬ執念が窺えた。

 

(しっかし、あのテイオーがわざわざ声を掛けてくるなんてねぇ……)

 

 ナイスネイチャにとって意外だったのはむしろそこだった。トウカイテイオーは前しか見ていない、自分のような脇役なんて眼中にもないと思っていたのだが。

 

(……あんな宣戦布告みたいなこと言ってくるなんて、実はネイチャさんも少しはライバル視されてたり? はは、まぁそんなわけないか)

 

 胸中で冗談めかして独りごち、今度こそレースに向けて気持ちを備える。たった1人しか勝利が許されない、ウマ娘たちの真剣勝負が今にも始まろうとしていた。

 

 

 

「はぁ……はぁ……。3着、やっぱり今回もこんなもんか……」

 

 レースも終わり。クールダウンを終えて乱れた息を整えたナイスネイチャは、電光掲示板に表示される順位の結果を確認して感慨もなく呟く。

 

 まるでロケットブースターでも搭載しているかのように、終盤ぐいぐいと加速していったトウカイテイオーはともかくとして。2着のウマ娘にすらも追い縋れなかった。

 

 言い訳するつもりはない、自分は現在持てる力を全て出し切ったと言える。それでもなお3着にしかなれなかった。

 

(3着でも充分凄い、あと一歩じゃん頑張ってとか皆簡単に言うけどさ。その一歩がとんでもなく遠いんだよね……)

 

 毎日のトレーニングは当然欠かさず行っているし、トレーナーと一緒に出走レースの研究もしている。考えられる限りの努力を重ねて――それでも3着が関の山。

 こうして最後の一押しが足りない敢闘賞が続くと、これが自分の定位置であるかのように思えてしまう。

 

(こんな感じでずっと3着ばっかり取っちゃうのかなぁ……。そうしていつか『ブロンズコレクター』なんて呼ばれたりして。いやいや、もうやめ! 気分が滅入るだけだしね)

 

 つい自虐してしまうのは自分の悪癖だと理解していたため、無理やり思考を終わらせる。こんな自分をいつも応援してくれる地元の商店街の皆もいるだろうし、憂鬱な顔は見せられない。

 

 その商店街の人たちを少し探していると、華麗に1着を手にした本日の主役――トウカイテイオーの姿を見つけた。

 観客席に向けて勝鬨を上げていた彼女は、それを早々に終わらせると一目散に自身のトレーナーの元へと駆け出していった。

 

 トレーナーにしばらくあしらわれていたが。後で軽く褒められて満面の笑みを浮かべるトウカイテイオー。その一幕を覗くだけで、彼女がいかに彼に好意を向けているのかがわかる。

 

(テイオーってあのトレーナーさんのこと、やっぱり好きなのかな。いやぁ、あのどっからどう見てもクソガキだったテイオーがあんな恋する乙女にねぇ。アタシも年を取るわけだわ)

 

 自分も彼女と同じ年齢であるにも関わらず。まるでずっと傍で見守ってきた親戚か何かのように、ナイスネイチャは感慨深そうに頷いた。

 

(でも大丈夫なのかな、テイオー。あのトレーナーさんって恋愛感情とかあんまりなさそうだけど)

 

 ナイスネイチャが見る限り、あの青年がトウカイテイオーとどうにかなる可能性はかなり低いように思えた。

 彼は冷静で落ち着いた人物であり、普段のトウカイテイオーへの態度から案外優しい部分も見え隠れしているのだが……。どうにも誰かと恋愛しているところは想像できない。

 

 何度か話したことはあるが、「俺は恋愛なんて興味ないな、少なくとも担当ウマ娘に手を出す程餓えちゃいない」とかなんとか言いそうな雰囲気がある。

 トウカイテイオーは外見も言動も幼いため、年の離れた妹とかそんな感じに分類されているであろうことは想像に難くない。

 

(それでも、アンタは諦めずにずっとアピールしてるんだね。いつか――あのトレーナーさんが振り向いてくれるのを信じて)

 

 ナイスネイチャにとって、トウカイテイオーは完全無欠の存在だった。何をしても上手くいっている主人公だと思っていた。

 

 だが、そんな彼女にも一筋縄では達成できない願いがあった。そのためにいつも必死で努力しているのだと思うと、強く共感する思いがある。

 

 ――いや、もしかしたら。自分が知らなかっただけで、彼女は思ったよりもよっぽど努力も苦労も重ねているのかもしれない。

 

(アタシも腐ってばっかりはいられないなぁ……。こんなの柄じゃないけど、負けずにやってみますかね)

 

 ナイスネイチャは自分に喝を入れるように頬を叩くと、未だに熱狂している会場を後にする。

 

 ……勝ちたいと、そう思い始めてしまったこの気持ちはしばらく冷めそうもなかった。

 

 

 

「うひゃあ、冷たいよーっ! トレーナー、もういいでしょ? こんなに冷やさなくたって大丈夫だって!」

「もう少しの辛抱だから我慢しろ、レース直後は脚への疲労が最も溜まる。酷使している脚だけは冷やしておかないと怪我に繋がりやすいからな」

 

 トウカイテイオーが若駒ステークスを無事に勝利で飾った後。

 

 ウイニングライブが始まるまでの空いた時間を利用して、彼女は控え室で自身のトレーナーからアイシング処置を受けていた。

 冷やすことで走行後に強い負荷が掛かった筋肉が炎症することを抑えたり、疲労を軽減したい場合にこのアイシングは重宝される。

 

 激しいレースで熱を発した身体の部分のうち、特に負担の大きい膝やその周辺が氷嚢で容赦なく冷やされていく。

 控え室では暖房が充分に効いており、屋外とは違って快適な気温ではあるものの冷たいものは冷たい。よってトウカイテイオーもトレーナーに抗議していた。

 

「よし、アイシングはこの辺でいいだろう。次はマッサージだな、お前のストライド走法は脚への負担が大きい。これも念入りに行わなければならない」

「……トレーナーはそうやっていつも簡単にボクの脚を触ろうとするけどさ、ボクだって女の子なんだよ。ちょっと、いやかなり恥ずかしいんだけど」

「そんなことを言われてもな、俺だって別に好きで触ってるわけじゃない。必要に迫られて仕方なくやっていることだ」

「ちょっと何それ! 嫌々ボクの脚を触ってるの!? 恥ずかしい気持ちを抑えながら、キミのために必死に我慢してるのに!」

 

 トレーナーが本当に渋々といった表情で膝中心のマッサージを始めるのを見て、トウカイテイオーは堪らず叫ぶ。

 

 乙女の柔肌に遠慮なく触れておいてなんて言い草なんだろう、まったく女心がわかっていない。こっちはこんなに恥ずかしいのに、このヒトは何も動揺していないし。

 

 出会った頃から何も変わらない朴念仁なトレーナーに、トウカイテイオーは頬をぷくりと膨らませる。

 

「……トレーナー、もうマッサージはいいけど変な所は触らないでよ。もし触ったら責任取ってもらうからね」

「ただ担当ウマ娘の脚をマッサージしただけで何の責任が生じるんだ……」

 

 トレーナーが苦笑いする。担当ウマ娘がこのように彼を困らせるのは日常茶飯事であるため、受け流す術も板に付いていた。

 

「そういえば、さっきレースが始まる前にナイスネイチャと話していたな。あれはどんな話をしていたんだ?」

「あぁ、ネイチャには『今日はボクが勝つから覚悟しといてね』って宣言したんだ。ネイチャとは仲の良い友達だけど、レースでは勝たなきゃいけないライバルだしね」

「……意外だな、お前がそんな風に相手を気に掛けるとは思わなかった。特にナイスネイチャはその……まだ、お前の敵にはならないだろう」

「うん、今なら何度やってもボクが勝つっていう自信はあるよ。それでもネイチャは侮れない、万が一があるかもしれない」

 

 実力ならば上回っている自負がある。けれど、ただ相手よりも強いというだけでは勝利の女神が微笑まない時もある。

 

 本人にはあまり自信がないようだが、ナイスネイチャの末脚はトウカイテイオーにとっても脅威だった。もしかしたら、不運が重なれば勝利を奪われてしまうかもしれない。

 

 そうなってしまえば全てが終わりだ。自身とトレーナーで描いた『“無敗”の三冠』という夢が潰えてしまう。それだけは、絶対に認められない。

 

 トウカイテイオーのその真剣な眼差しを見て、トレーナーはふっと表情を和らげた。珍しいことに嬉しそうな笑みを浮かべて言う。

 

「……お前は変わったな。出会ったばかりの頃のお前は、前ばかり見ていて後ろをまるで気にしていなかった」

「トレーナー……?」

「でも今は違う。背後から迫るライバルの影をきちんと認識して、視野も広くなった。先を見据えることは大事だが、同じくらい横や後ろを確認することも大切だ。お前が成長してくれて、俺は嬉しく思うよ」

「――もしボクが変わったとするなら、それはトレーナーのおかげだよ。キミがいつもボクに真摯に向き合ってくれるから、絶対にその期待に応えなきゃって思えるんだ」

 

 トウカイテイオーのその言葉を聞いて、トレーナーは優しげな顔になった。常に何処か皮肉に染まったような表情ばかりなのに、肝心な時はこうやってとても優しい。

 

(ホントにズルいヒトだよね、そんな顔されたら離れられなくなっちゃうよ)

 

 こっそりと溜め息を吐くトウカイテイオー。自覚はないのだろうが、あまりにもウマ娘を誑かすのが上手い。いつも素っ気ない態度のくせにたまに見せる温かさに参ってしまう。

 

 いつだって一緒にいたくなる。もちろんもう逃がすつもりなどないが、自分の気持ちを再確認できた。

 

 このヒトと、いつまでも夢を追い掛けていられたなら――それは、どれだけ幸せなことだろうか。

 

 だからこそ、トウカイテイオーはこう思った。

 

(これからもずっと一緒にいようね、トレーナー。無敵のテイオー伝説には、絶対にキミが必要なんだから!)

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