乾いたターフを湿らせる   作:やわらかスマホ

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第十二話

 若駒ステークスからいくらかの時が過ぎた休日。

 

 俺は担当ウマ娘であるテイオーと連れ立って街を歩いていた。目的地はデザートが評判であるという喫茶店、いつものように一緒に行きたいとねだられて向かう羽目になっている。

 横を見ると彼女は至極ご機嫌な様子で軽快に進んでいる。今にも鼻歌でも歌い出しそうな程に鮮やかなステップだった。

 

「トレーナーもさぁ、最近は結構すんなりついてきてくれるようになったよね。うむうむ、物分かりが良くなってワガハイも嬉しいぞよ」

「……なんだその喋り方は。無駄なことは嫌いなんだ、どうせ行くことになるんなら余計な問答はあまりしたくないからな」

「ふっふっふ、ようやくトレーナーも気が付いたみたいだね……この無敵のテイオー様からは、決して逃げられないってことをさ!」

「……」

 

 にやにやと俺の顔を覗き込み、こちらが呆れるくらいのドヤ顔を披露しながら隣で能天気なことを言ってくるウマ娘。

 俺はその言葉に何も返さず、すっかり脳にまではちみつが詰まっているその頭を軽く指で弾いた。

 

「あたっ! ちょっといきなり何するのさ!」

「いや、隙だらけだったからな。つい手が出てしまった」

「こんなときに警戒なんてしてるわけないじゃん! わけわかんないよーっ!」

 

 そんな風に適当に騒いでいるうちに、目的の喫茶店が近付いてくる。その店の入り口近くでは、見覚えのあるウマ娘が何やら悩まし気な様子で立ち尽くしていた。

 

 背中にまでかかる美しい葦毛、背筋がピンと伸ばされた気品ある立ち姿……見間違いようもない、あのウマ娘は――。

 

「あっ、マックイーンじゃん。おーい! こっちこっち!」

「て、テイオー!? それにそのトレーナーさんまで……どうして此処に?」

 

 大きく手を振ったテイオーに呼び掛けられて、こちらに振り返ったウマ娘――メジロマックイーンは、驚きに染まった表情で俺たちに疑問を投げかけてきた。

 

 メジロマックイーン。

 

 名門メジロ家の出身で、メジロの至宝とも呼ばれる実力者。沖野さんのチームスピカに属しており、長距離を得意とする『ステイヤー』としての類まれなる才を誇っている。

 

 名家のお嬢様らしく、優雅で上品な言動は見る者を感嘆させる。俺のすぐ傍にも確か旧家の令嬢がいたような気がするが、両者の振る舞いには雲泥の差があった。

 

「どうしてと言われても、喫茶店に来る目的なんてわざわざ語るまでもないと思うが」

「そうそうっ! ボクたちはこの店で評判のスイーツを食べに来たのだ! トレーナー、後でボクと一緒に食べ合いっこしようね!」

「悪いがデザートは好きじゃないからお前が一人で食べてていいぞ、俺に遠慮はするな」

「えぇーっ! ねぇ一緒に食べようよー、カップル限定のでっかいパフェとか頼んでさぁ」

 

 俺の返答に不満そうに口を尖らせるテイオー。マックイーンはこのような俺たちのやりとりを微笑ましそうに眺めていた。

 すまないがそんな目で見ないでもらえないか、こいつはどうだか知らないが俺は至って真面目なんだが。

 

「あらあら、相変わらず仲が大変よろしいですのね。私も少し羨ましくなってしまいますわ」

「ふふーん、ボクとトレーナーはもう切っても切り離せない親密な関係だからねっ! まさに『人バ一体』ってやつだよ」

「……なんでもいいからそろそろ話を進めるぞ。マックイーン、お前もこの喫茶店に用事があるんじゃないのか?」

 

 見せつけるかのように俺の腕に抱きついてくるテイオー。それを気にも留めずにマックイーンに質問を投げ掛ける。

 店の入り口近くでいつまでも騒いでいたらあまりにも迷惑すぎる、早い所本題に入らないと普通に営業妨害になってしまうからな。

 

「い、いえ……私は、その――」

「マックイーンもここのデザートを食べに来たんじゃないの? 確かスイーツとかすっごい好きだよね?」

「そ、そのようなことは――! ないとは言えませんが、私は現在カロリー制限を行っている身でして、スイーツなど頂くわけには参りませんわ……」

「……カロリー制限、か」

 

 マックイーンは何処か煮え切らない態度だった。テイオーの言からデザートの類が好物らしいし、本人のカロリー制限中という言葉からある程度の事情は察せられる。

 

 身体を絞るためにデザートを我慢しているものの、つい喫茶店の前を通りがかってしまい誘惑に負けそうになっている。

 大方そんなところだろうな。女性というのは大概甘いものには弱いもんだが、このお嬢様も例には洩れないわけか。

 

「別にデザートの一つや二つくらいなら食べてもいいんじゃないか? その分だけ運動すればいいだろう、奢るからお前も一緒に来ればいい」

「えっ、マックイーンも一緒に? うーん、まぁマックイーンならいいかな……」

「……お誘いは大変ありがたいのですが。由緒あるメジロ家のウマ娘として、このような誘惑に負けるわけには……」

「そんな物欲しそうな顔で言っても何の説得力もないな。いいから行くぞ」

 

 うだうだと悩み続けているマックイーンの背中を強引に押し、俺たちは三人で喫茶店の扉をくぐることになった。

 

 そもそも俺たちが来るまでずっとこんな調子だったのなら、今まで相当我慢してきたことは明白だ。

 たまには好きな甘いものを食べさせてストレスを発散させてやるべきだろう、耐えてばかりというのも健康には良くない。

 

 ……そうして喫茶店に入ったはいいものの、俺にとって予想外の出来事が起こってしまった。

 

「いやあ、評判通りここのデザートは最高だねーっ! いくらでも食べられちゃうよ!」

「くっ、テイオー……貴方、いくら何でも食べ過ぎですわよ。ぶくぶく太ってそこのトレーナーさんに嫌われても知りませんから」

「ふふふ、ボクはいくら食べても太らない体質だからね。あれれ、どうしたのかなマックイーン。食べないの? ねぇもう食べないの~?」

「カロリー制限している私に対してなんと残酷なことを……! なぜこのようなことが平気で出来るのです、貴方には慈悲の心がないのですか!?」

 

 俺の担当ウマ娘が何故かマックイーンを散々に煽り倒している。

 

 テイオーの前にはショートケーキにフルーツパフェ、にんじんゼリーなど様々なデザートが並んでいる。それらを美味しそうに頬張り、えらくノリノリで楽しそうにマックイーンへ見せつけていた。

 対するマックイーンはというと。メロンパフェを見たこともないような至福の笑みで平らげた後は、流石にそれ以降の注文を控えている。

 

(まぁ賑やかで何よりだな、連れてきた甲斐があったというものだ)

 

 二人の言い争いを尻目に、俺はカップを傾けてコーヒーを口に流し入れた。もう面倒だからこのまま我関せずを貫きたい。

 その思いも虚しく、こいつらのろくでもない口論は次第に激しさを増していった。 

 

「トレーナーさん、貴方のウマ娘でしょう! 彼女の暴挙を止めてください、このような行為は到底許されることではありません!」

「あっ、ダメだよマックイーン! いくら自分がスイーツを食べられないからってボクのトレーナーを困らせたら!」

「いつも彼を困らせているのは貴方ではないですか! どうせここに来たのも貴方がワガママを言ったからに決まっています!」

「トレーナーはこんなことで怒らないもん! このヒトはボクのことをいつも一番に考えてくれてるんだから!」

 

 さらにヒートアップしていく二人のウマ娘。もはや限界だと感じた俺は仲裁に入るべく、飲みかけのカップから手を放す。

 ちょっとした親切心で誘っただけだったが、こんなことになってしまうとはな……。

 

 ――それから数分後。

 

「ごめんね、トレーナーにマックイーン。ボクちょっと調子に乗り過ぎちゃったよ……」

「いえ、謝るのは私の方ですわ。申し訳ありません、メジロの名に泥を塗るような醜態を晒してしまいました……」

「……いや、気にするな。大したことじゃない、だが俺だけならいいんだが店に迷惑を掛けるような真似は今後控えてくれ」

 

 先程までの様子が嘘のようにしゅんとしているテイオーとマックイーン。彼女たちはウマ耳をへたれさせながら謝罪の言葉を口にしていた。

 

 騒ぎ立てるこいつらをどうにか落ち着かせた俺は、激しい疲労感を隠しながら最低限の注意をする。

 所詮子供のじゃれ合いではあるんだが、如何せん場所が悪すぎる。外でこんな騒ぎを起こしていることが知られたら洒落にならない。

 

(それにしても、休日だというのに何をしているんだろうな俺は)

 

 俺にとって、休日とは身体を休める日のことではなかった。さらなる研鑽を積んで、他者よりも先を歩くために用意された時間だ。

 

 より良い結果を出すためには妥協は許されない、常に持ち得る全力を尽くす必要がある。だが無理をしているつもりもなかった、俺には当たり前のことだったから。

 

 だというのに、今の俺は担当ウマ娘に付き合ってこんなことをしている。これで俺は成長出来ているのか? 一歩でも前に進めているのか?

 

 ……いや、経験は力だ。どのようなものであれ、経験することは無駄にはならない。

 

 それに俺が付き合うことでテイオーが喜んでくれるのなら悪くない取引だ。焦りすぎるなと沖野さんにも言われている、これは決して意味のないことではないと信じよう。

 

「うぅ……。春の『天皇賞』も近いというのに私としたことが……」

「春の『天皇賞』か。まだ三か月はあるんだが、少し根を詰めすぎじゃないか?」

「――いえ、『まだ』三か月もあるではないのです。『もう』三か月しか私には残されていないのですよ。だからこそ、これからの日々を大切にしなければならないのです」

「そうか、そうだな……」

 

 気落ちしていたマックイーンの顔が引き締まり、その声が真剣さを帯びる。今年からシニア級になった彼女は、あと三か月で春の『天皇賞』へと挑戦できる。

 その一連の様子を見るだけで、マックイーンが春の『天皇賞』の制覇にどれだけの想いを乗せているのかがわかった。

 

「『天皇賞』で1着を取ることこそ、私に課せられたメジロ家の使命。もはや義務であると言っていいですし、長年思い続けた夢でもあるのです」

「夢、か……」

「えぇ、私の大切な夢です。春の『天皇賞』はメジロ家の大黒柱でもある、おばあ様とおじい様の思い出のレース。あの方たちのためにも、絶対に負けるわけには参りません」

 

 熱い想いを述べるマックイーンの瞳が爛々と輝く。夢を語る連中はいつもこうだ、呆れるくらいに一途で愚直でひたむきで。

 眩く見ていられない程のきらめきを放っている、今でもこいつらが何故こんなにも夢にまっすぐなのか理解できていない。

 

 だが、それでも――。

 

「……良い夢だな。多くの願いや期待が込められているのを感じる、その夢が叶うことを俺も祈ってるよ」

「ありがとうございます、トレーナーさん。貴方の想いも背負って、このメジロマックイーンは春の『天皇賞』制覇の悲願を果たしますわ」

「トレーナー! ねぇねぇボクはボクは!? ボクだって『無敗の三冠』っていうすっごい大きい夢を持ってるんだよ!」

「いや、お前の夢なんて成り立ちも含めてとっくに全部知ってるが」

「なんでそんな雑な対応なのさ!? マックイーンのときと全然違うじゃん!」

 

 喚き立てるテイオーに我慢できないという様子でマックイーンが吹き出す。それからもしばらくの間、俺たちは叶えるべき夢について話し続けた。

 

 

 

 喫茶店で会計を済ませた後。用事があるらしいマックイーンと別れた俺たちは、行きと同じく二人で歩いていた。

 何やらマックイーンはカラオケボックスに向かうとか言っていたが。ウイニングライブの練習だろうか、やはり印象に違わず勤勉な優等生だ。

 

「……マックイーンは良いウマ娘だな。優雅で気高く、強い」

「ふんだっ! マックイーンなんて大したことないよ! ボクの方がよっぽど強くてカッコいいウマ娘なんだから!」

「何を対抗してるんだ。お前とあいつは違うんだ、比較しても仕方ないだろう」

「だってトレーナーがマックイーンのことばっか褒めるから悪いんじゃん。キミはボクのトレーナーなんだから、ボクだけを褒めてればいいの!」

 

 テイオーは完全にへそを曲げていた。確かに喫茶店でも少々邪険にしてしまったかもしれない。

 いや、言い訳をさせてもらうとぞんざいに扱っているのではなく。大分親密になったため、つい気安くしすぎてしまうせいだ。

 

 ……結局、それも甘えか。親しければ何をしても許してくれるなどただの妄想だ。

 

「嫌な思いをさせて悪かったな、これからは気を付けよう。お前は最高のウマ娘だ、俺には勿体ない程のな」

「う、そんな言葉でボクは騙されないよ。トレーナーはすぐにそうやってボクを惑わせるんだから!」

「まぁそう言うな。お前の機嫌が直らないと非常に困る、今の俺にはお前しかいないんだ」

「……そこまで頼まれたらしょうがないなぁ、今回だけだよ? 次からは目移りせずにちゃんとボクのことをいっぱい褒めてくれないとダメだからね?」

 

 あっという間に顔をにやけさせて態度を軟化させるテイオー。こいつちょろいな、という感想が一瞬でも脳裏に浮かんでしまった自分を責めた。

 だがお世辞に弱いため騙されやすそうなことも否定できなかった。少なくとも俺がトレーナーである間は、あまり目を離すことは禁物に思える。

 

 なんだかんだでこいつも良いとこのお嬢様だからな……。純粋でたまに世間知らずな所もあるし、両親が心配になって頻繁に電話を掛けてくるのも頷ける。

 

「そういえば、マックイーンの夢について話してて思ったんだけど。トレーナーってさ、どうしてトレセン学園のトレーナーになろうと思ったの?」

 

 すっかり機嫌が元通りになったテイオーにそんな質問をされる。こいつにとっては何気なくふと思い立っただけだろうが、嫌な所を突かれた。

 それらしい理由をでっち上げることもできるが、担当ウマ娘には正直に答えよう。幻滅されたらその時はその時だ。

 

「……中央のトレーナーという肩書が欲しかった、通りが良いからな。優秀なウマ娘を育て上げれば名声も高まる。それに、トレセン学園は給料も多い」

「ふーん、そっか」

「淡泊な反応だな。俗な理由だとは自分でもわかっている、軽蔑しても構わないぞ」

「いやぁ、なんかトレーナーらしいなと思ってすごく納得しちゃったよ。逆に『日本一のウマ娘を育てたかったから』とか言われた方が驚いちゃったかも」

 

 テイオーが「あはは……」と苦笑いを浮かべる。こいつの想像の中の俺はどうなっているのだろうか。かなり気になるが知れば心に少なくない傷を負いそうだ。

 

 とにかく、始まりはそんな理由だった。そのようなくだらない理由で――俺は、ここまで来てしまった。

 

 そしてテイオーは顎に手を当てていくらか思考した後、さらに疑問を投げかけてくる。

 

「――じゃあさ、どうしてトレーナーだったのかな? その条件なら、医者でも弁護士でも別に良かったんじゃない? キミならなんだってなれそうだしね」

「……買い被り過ぎだ、俺はそんなに優秀じゃない。トレーナーを志したのだって適当に選んだだけで、行き当たりばったりな男だ」

「そうなんだ……。でも良かった、どんな理由でもキミがトレーナーになってくれて。そのおかげで、こうやってボクはキミと出会えたんだからね!」

 

 咲き誇る向日葵ですら見劣りしそうな程に、テイオーが嬉しそうに笑う。今だけはその笑顔から顔を背けたかった。

 

 ……俺は、そんな風に信頼を寄せられる程大した人間じゃない。ただの俗物だ。

 

「ボクと契約出来て、トレーナーも本当にラッキーだったよね。だって『無敗の三冠ウマ娘』になっちゃうボクだったら、トレーナーの欲しがってるもの全部あげられるもん!」

「……あぁ、そうだな。お前がいれば、全部手に入りそうだよ」

「うんうん! だからね、これからもボクと一緒に頑張っていこっ!」

 

 言葉に詰まった俺はテイオーの頭を優しく撫でる。彼女は気持ちよさそうに目を細めていた。

 

 ――金も、地位も、名声も。

 

 かつて望んでいた全てのものが、今では俺の手の届く範囲にあった。いや、むしろ現時点ですら上出来なほどに結果を出せている。

 

 だというのに、そう考えてもまったく喜びに震えることはなかった。本当に、俺はそんなものを欲しているのか?

 

 いつになったら、何処まで結果を出せば……俺の心は満たされるんだ。

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