乾いたターフを湿らせる   作:やわらかスマホ

14 / 28
第十三話

 3月、晴天に恵まれた中山レース場にて。

 

 俺は熱気に包まれている観客席にいた。眼前では、今まさにある一つのレースが終わりを迎える所だった。

 

『勝ったのは4番、トウカイテイオー! やはりトウカイテイオーだ! 2着から3バ身以上の差をつけた余裕のある勝利です! この弥生賞でも一番人気に恥じぬ強さを見せつけました!』

『連戦連勝、本当に強いですね彼女は。次はいよいよクラシック戦線の本番、皐月賞です。その中心となる彼女から今後も目が離せませんよ』

 

 実況と解説がレースの勝者である、トウカイテイオーを賞賛する。デビューから未だに敗北を知らないそのウマ娘は多くのファンを魅了していた。

 このレース――弥生賞でも彼女は貫禄の勝利をもたらした。ならば、かの“皇帝”シンボリルドルフのように無敗の三冠を達成することも出来るのではないか。

 

 弥生賞とは、中山レース場で行われている芝2000メートルの重賞競走。そのグレードはGⅡであり、最高格のGⅠに次ぐ高さを誇っている。

 この弥生賞というレースは上位者に皐月賞での優先出走権が与えられる、いわゆるトライアル競争だ。コース条件が皐月賞とまったく同じであることも相まって、まさに前哨戦と呼ぶに相応しいものである。

 

 ――そんなレースで勝利したのだから、次の皐月賞でも期待が出来る。皐月賞を獲って、その勢いのまま三冠を達成してくれるだろう。

 

 興奮で声を荒げる観衆のそのような期待が手に取るようにわかる。今や、トウカイテイオーはクラシック三冠制覇という“夢”の実現をその目で見たい者にとっての大本命だ。

 

「見たか、これがテイオー様の実力だぁーっ! 次はいよいよ皐月賞! 今日みたいにさくっと勝っちゃうから、皆もいっぱいボクを応援してねっ!」

 

 歓声を上げる自身のファンに向かって、本日の主役となったテイオーが派手にアピールをする。まるで踊るような流麗なステップの後、天高く掲げられたピースサイン。

 自信に満ち溢れて力強く、それでいて愛嬌を忘れないその宣言でさらに観客席が沸き立っていく。

 

 ……もはや、トウカイテイオーというウマ娘は完全に皆の心を掴んでいた。まだGⅠタイトルこそ獲っていないものの、人気・実力ともにスターウマ娘と言っても過言ではない。 

 

(だが――()()()。まだこれから、何も始まっていない)

 

 圧巻の勝利に熱くなる周囲とは裏腹に、俺の思考は冷めきっていた。弥生賞を勝ったからと油断はしない、次も同じように勝てるとは限らない。

 トウカイテイオーというウマ娘をこの目で初めて見たあの日から、ここまでは確実に来るだろうと予想していた。当然の結果だ、テイオーは天才なのだから。

 

 本当の勝負はここからだ、最高ランクであるGⅠには独特の展開がある。GⅠ(グレード・ワン)は最高峰のウマ娘たちが己の信念や誇りを懸けて、全力でぶつかり合う至高のレース。

 一番人気だから、最も実力があるから……そんな理屈が常に通用する舞台ではない。全員が死力を尽くした果てに、誰もが予想もつかなかった結果になることだって多い。

 

 今日の結果に浮かれてしまえば、肝心の皐月賞で足を掬われる危険性は大いにある。最後まで気を緩めることはしない……全てが終わる、その時まで。

 

 そもそも、今テイオーが連勝出来ているのだってあいつ自身の才能と実力によるものだ。俺は大したことはしていない、その溢れんばかりの素質をただ単純に伸ばしただけ。

 別にトレーナーが俺でなくたって、ここまでならあいつは軽く到達していただろう。それ程までに圧倒的なダイヤの原石だった。

 

 所詮、俺はたまたま運良く優秀なウマ娘と契約できただけの新人トレーナーに過ぎない。学園の同僚や世間からも、少なからずそういう目線で見られていることは知っている。

 実際その通りだ、何も間違っちゃいない。俺はまだまだ未熟者で、トウカイテイオーという優駿の全てを引き出せているとはとても言えないだろう。

 

 ……だが、いずれは。

 

 俺でなければダメだったと、誰もが口を揃えて言わざるを得ない程の結果を叩き出してやろう。今までずっとそうやって生きてきた、これからもそうするだけだ。

 

 まずはテイオーの夢である無敗の三冠を達成させる。その後は、可能な限り重賞で勝利を積み重ねていこう。一歩ずつ、確実に。

 

 そうしていけば、いつかはきっと――。

 

 

 

「やっほーっ! 無敵のテイオー様のご登場であーる! さぁ、もてなせもてなせーっ!」

 

 弥生賞の翌日。

 

 学園のトレーナー室で資料の整理をしていると、勢い良くドアが開かれてテイオーが飛び込んできた。

 基本的に大きなレースの次の日は完全休養日に設定している。激しいレースを終えたウマ娘の脚は、本人が想像している以上に多大な負荷が掛かっているためだ。

 

 ウマ娘という種族の脚は、残念ながらその高速に耐えきれるほど丈夫には出来ていない。細かく気を使ってやらなければ、すぐにでも怪我で走れなくなってしまう。

 だからこそ、メリハリをはっきりとつけて休むべきときは休ませているのだが……。

 

「やれやれ、今日は休みだって言ってるのにお前も大概暇な奴だな」

「いやぁ、トレーナーが一人で寂しくしてるかなって思ったからさ。ボクってばトレーナー思いの優しいウマ娘だと思わない?」

「どうせ遊び相手が欲しいだけのくせによく言うもんだ、そろそろ慎みを覚えたっていいんだぞ」

 

 テイオーに軽口を返しながら資料を片付ける。とりあえず今日はここまでにしておこう、こいつが来たのなら予定を変更する必要がある。

 しかしこいつのこういう人懐っこいところは変わらないな。もはやテイオーは国民的なスターへとなりつつあるが、その態度に変化は見られない。

 

「ありゃ、やめちゃうの? 別にボクに遠慮しなくたっていいんだよ? 近くでトレーナーを見てるだけでもボクは満足だから」

「お前がよくても俺が落ち着かないだろうが。大体なんでいつもずっと俺を見ようとする、見てたってお前が楽しめることなんて何もないぞ」

「何言ってるのさ、仕事してるトレーナーを眺めてるだけでもとっても楽しいよ。ボクのためにこんなに頑張ってくれてるんだなーって思うと、嬉しくなっちゃうんだ」

「そういうもんなのか? 俺には理解できない感情だな……」

 

 微笑みを湛えるテイオーだったが、俺にはその行動原理が理解できなかった。一緒に何かをするのであればまだしも、ただつまらない作業を見物するだけで満足するなど……。

 はっきり言ってしまえば時間の無駄であるとさえ思う、ゲームや漫画に興じていた方がまだ彼女のためになるのではないか。

 

 時間はなるべく有効に使うべきだ、そう考えた俺は部屋の片隅からある物を取り出す。

 

「そんなに暇を持て余してるんだったら俺と少し打たないか? ルドルフから話は聞いているぞ、お前も嗜んでいるんだろう」

「おぉっ、チェスじゃん! いいねーやろやろ! ボクね、チェスはちっちゃい頃からやってるからすっごく強いんだよ!」

「ほぅ、それは期待できるな。俺もチェスの腕には自信がある、お手並み拝見させてもらおう」

 

 言いながら机にチェス盤を置き、盤上にいくつもの駒を並べていく。

 

 白と黒、それぞれ6種類16個の駒を使って敵のキングを追いつめるボードゲーム――言わずとも知られているが、それがチェスだ。

 日本では似たような競技である将棋の方が盛んだが、世界では圧倒的にチェスの方が普及しておりその歴史も長い。

 

 世界各国で流行っており、競技人口も多いため俺は昔からたまにチェスで遊んでいた。今の世の中、インターネットを使えばいくらでも国を問わずに対戦相手が見つかるからな。

 戦略性が非常に高く、その奥行きも深い。頭の回転を磨くにはぴったりの趣味であり、完成されたそのゲーム性は俺の心をしかと掴んでいた。

 

 駒を揃えてそれぞれの持ち時間を計る時計を設置した俺は、わくわくしながらじっと待機しているテイオーへと向き直る。

 

「先手は譲ろう、遠慮せずにかかってくるといい」

「ふふーん、そんなに余裕ぶっちゃっていいのかなぁ? ボク、最近ではあのエアグルーヴにだって勝ってるんだよ? キミも結構強そうだけど、流石にボクには勝てないと思うな」

「それは楽しみだ、弱い者いじめをするのは気分が良くないからな」

「またトレーナーはそうやって口が減らないんだから。負けて泣いちゃっても知らないからね」

 

 チェスとは先手が有利とされているゲームだ、実際に勝率も先手の方が高い。対戦相手であるテイオーの実力はまだわからないが、年長者として不利を受け入れる。

 その道のプロには到底及ばないが、そこらのアマチュアには引けを取らない程度には腕に覚えがあるからだ。

 

 これで負けたらまったく格好がつかないが、それならそれで構わない。テイオーがそこまでの強者であったのなら、そちらの方が良い勉強になる。

 チェスに限らず、どのような競技でも強い相手と戦った方が有意義な時間を過ごせる。

 

 それにまぁ、負けることは好きではないが――こいつに負けるのであれば悪くはない。そう思えてきた程度には、俺はテイオーを担当ウマ娘として好いている。

 

 らしくもない思考を巡らせながら、俺はテイオーとの対局に没頭していった。

 

 ……流れるように時間が進んでいく。いつしか互いに無言になり、静寂の中でただ駒を打つ音だけが部屋に響く。最初のうちは意気揚々と攻めていたテイオーだったが、次第にその顔色が悪くなっていった。

 

「――チェック」

 

 俺は自身の持つ黒のルークでチェックをかける。チェックとは、次の一手で相手のキングを取りにいける状態のことを言う。将棋の王手と言えば話は早いだろう。

 これでテイオーの白のキングは追いつめられた、上手く逃れることが出来なければゲーム終了だ。

 

「ま、まだだよ……。ここから逆転してみせるから。まずはキングをこっちに動かせば――」

「チェックメイト。キングにもう逃げ場はない、これで詰みだ」

 

 テイオーが後方に下げた白のキングに向かって、控えていた黒のビショップで囲む。もはやどう足掻いても白のキングが取られることは確定した、これでゲームセットだ。

 言うだけあって強かった、定石はよく抑えていたし少なくとも初心者からは完全に脱却している。積極的なテイオーらしく攻め気が目立つスタイルだ、もっと経験を積めばまだまだ強くなるだろう。

 

 敗北を受け入れられなかったのか、テイオーが俯いてわなわなと震えている。

 

「う、嘘だ、こんなの何かの間違いだよ……。ボクが負けるなんてぇーっ!」

「ははは! なかなか良い声で鳴くじゃないか、さっきまでの威勢はどうした?」

「どうしてそんなに嬉しそうなのさ! いつもこんなときばっかり楽しそうな笑顔するんだから、このいじわる!」

  

 負け犬が遠吠えしている。テイオーがあまりにも面白いリアクションをするので愉快な気分になり、笑いが出てしまった。反応が大袈裟すぎるだろ。

 ついからかってしまいたくなる。あまりよろしくないことではあるが、褒めてばかりだとどうせ調子に乗るしこれくらいが丁度いい。

 

「お前といると退屈しないな。毎日楽しませてもらっているよ、流石は俺の愛バだ」

「そういう言葉はもっと別のタイミングで聞きたかったなぁ! 今言われても全然喜べないんだけど! とにかくもう一回やろ、次は絶対ボクが勝ってやるから!」

 

 テイオーが再戦を願うので盤上の駒を元に戻して、また試合を行う。……当初計画していた予定は崩れ去ったが、これはこれで得るものもあるだろう。

 

 

 

「チェックメイトだ、今回の対局は悪くなかったぞ。徐々に搦め手も加わってきて、緩急が上手く織り交ぜられてきた」

「うぅ、また負けた……。ていうかさ、ちょっとトレーナー強すぎない? もしかしたらカイチョーよりも強いかも」

「まぁ俺も子供の頃からやってるからな、単に年季の差が出ただけだ」

 

 それからも数局打って、いい加減に疲れも溜まってきたので小休止する。チェスはただ駒を進めるだけの単調な作業だが、脳を酷使するので短時間でえらく疲労する。

 チェスや将棋のように先の先まで見通す頭脳労働は、想像以上にカロリーを消費すると言われている。例えばプロの世界では、一局で数キロ痩せることだってあるそうだ。

 

 それは極端な例だろうが、何戦もして少なくないカロリーを消費しているのは間違いない。俺は一旦席を立ち、ご機嫌取りも兼ねてテイオーに甘い飲み物でも用意してやることにした。

 

「……トレーナー、こんなに強いなら最初からそう言ってよ。全然勝てなくてすごく悔しいし恥ずかしかったんだからね」

「いや、最初から腕に自信があるとは言ってただろ。むしろお前が対局する前から自信満々すぎて、どれだけの実力なのかと警戒したくらいだ」

「パパやママだって褒めてくれたし、エアグルーヴにだって勝ったから大丈夫だって思ったんだ。でも、こんな……あぁもうっ! トレーナーのバカ! 変態!」

「わかったわかった、とりあえずこれでも飲んで落ち着け」

 

 テイオーに砂糖が大量に入ったココアを差し出す。彼女はそれを受け取り不機嫌そうなジト目をしたまま、ちびちびと口に入れていく。

 結局、何度対戦をしようがテイオーが俺に勝つことは出来なかった。連敗したことによる鬱憤がこれで少しでも晴れればいいんだが。

 

 そもそも、テイオーは幼少の頃よりチェスをやってきたと言うが。実際に行っていた時間はそう長くないだろう。

 レースに向けた練習は元より、歌にダンスにゲームなどテイオーの趣味は多いためチェスに割ける時間は少ない。

 

 対して俺は学生時代、休日の気分転換に一局打つことも多く経験の差は大きかった。だから敗北しようが何も気にすることはないんだがな。

 

「しかしやはりチェスは良い、頭の体操になる。これからはたまにこうやって打つのはどうだ? そうすれば、お前もさらに柔軟なレース運びが出来るかもしれないぞ」

「えぇー……。どうしよっかな、いくらトレーナーの頼みでもそれはあんまり気乗りしないや。だってトレーナー強すぎなんだもん、代わりに格ゲーとかにしない?」

「気持ちはわかるが、流石に格闘ゲームではレースセンスはチェスほど磨けないからな……」

 

 俺の提案にテイオーはあからさまに嫌そうな顔をした。挑まれた勝負事からこうも彼女が逃げようとするのは珍しい。

 トウカイテイオーは相手が強ければ強いほど燃え上がる、負けん気の強いウマ娘だ。それは強いウマ娘になるにはうってつけの気質であるのだが、それでもこうなってしまった。

 

 少し容赦がなさすぎたか……。だが、それでも俺との対戦に再び興味を持ってもらわなければならない。

 テイオーとこうやってチェスをすることは、両者にとって多くのメリットがあるからだ。

 

 ウマ娘のレースは時間にして数分以内で終わる、非常に短いもの。その一瞬の競争の中で、目まぐるしい駆け引きが行われている。

 コースの内からいくのか、外からいくのか。道中のペース配分、位置取りはどうするのか。どのタイミングで仕掛けるのか。どの相手をマークするのか。

 

 他にもコースや天候、芝の状態によっても考えることは増えていく。それらの無数の要素を頭に詰め込み、瞬時にその場における最適解を導き出さなければならない。

 頭の回転が速ければ、そういったレースプランを組み立てることも上手になる。その練習としてチェスを頻繁に行うのは最適だ。

 

 テイオーは当然として、俺自身にもそれは良い経験になる。実際に相手と向かい合って打つ対局は、パソコンで画面越しで行う一戦とはまた違った駆け引きが要求されるからだ。

 

(だからこそ、もう一度こいつにはやる気を出してもらいたいんだが……)

 

 どうしたものかと思案して、一つの解決策を思いつく。単純なことだが駄目で元々だ、ひとまず試してみようか。

 

「じゃあこうしよう。お前がもし俺に一度でも勝てたら――お前の望みをなんでも一つ聞いてやろう、それならどうだ?」

「――え、なんでも!? 今なんでも聞くって言ったの!?」

「あ、あぁ……。だが、俺に叶えられる範囲での話だ。俺にも出来ないことは山とある、現実的に無理なことや他人に迷惑を掛けるような願いは聞けないぞ」

「うん、大丈夫大丈夫! トレーナーなら……むしろ、トレーナーにしか叶えられない簡単なお願いだから! すっごくやる気出てきちゃった、早速もう一戦やろ!」

 

 恐ろしいほどに食い気味なテイオーに気圧される。いくらなんでも極端すぎだろ、どんな願いをするつもりなんだこいつは。

 

 願いを叶えるランプの魔神を気取ってみたが、何か失敗したのではないかと感じる光景だ。このチェスで例えるのならば、敗北に繋がりかねない悪手を打ってしまったような感覚。

 脳が警鐘を鳴らしているのがはっきりと理解できた。マズい、これで敗北してしまえば俺の今後に関わるような一手が来るかもしれない。

 

 思惑通りにテイオーのやる気を引き出すことは出来た。だが、とても良い笑顔をしながらこちらを見つめるその様子からは、何処か言い知れぬ寒気を感じる。

 

(……とりあえず、時間を作ってチェスの研究をしておいた方が身のためだろうな)

 

 先程とは打って変わって果敢に対局を挑んでくる彼女に、俺は内心で溜め息を吐いた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。