乾いたターフを湿らせる   作:やわらかスマホ

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第十四話

 皐月賞。

 

 日本ダービーや菊花賞に先駆けて行われる「クラシック級三冠レース」の第一弾であり、その名誉あるGⅠレースに出られるウマ娘は18名。

 

 そう――この一生に一度の晴れ舞台に挑めるのはたったの18名である。彼女らがいかに優駿であるか、どれだけの者が理解しているだろうか。そもそもが名門である中央のトレセン学園に入学できること、それ自体がエリートの証。

 

 そこから自身のトレーナーを見つけてメイクデビューを果たすことも困難を極める。これはトレセンが抱えている長年の問題でもあるのだが、ウマ娘の数に比してトレーナーの絶対数が少なすぎるからだ。

 

 加えて首尾よく担当を見つけられたとしてもデビュー戦か、もしくは未勝利戦で勝てなければ先へは進めない。そこを乗り越えてオープン戦や重賞を勝ち抜いて――ようやく辿り着けるのがこの皐月賞なのだ。

 

 まさに上澄み中の上澄み、選ばれし18名と言っていい。

 

 そんな、デビュー二年目であるクラシック級における頂点を決める戦いが、今まさに行われようとしていた。

 

『さぁやってまいりました、本日のメインレースである皐月賞! 皐月賞では「最も速いウマ娘」が勝つ! このクラシック三冠レース、最初の王冠を手にするのは一体どのウマ娘なのでしょうか!? 選び抜かれた優駿たちが今――本バ場に入場します!』

 

 そして最初に入場することになっている1枠1番のウマ娘から順に、選手たちがこの中山レース場の(ターフ)に降り立ってくる。

 登場した各ウマ娘を簡単に実況が紹介していくが、観客たちはそれを聞きながらも何処か気もそぞろな様子。

 

 観衆はある一人のウマ娘の登場を待ち詫びており、どうしても気持ちが急いてしまっているからだ。早く、早く――あのウマ娘を俺たちに見せろ、というように。

 ……そして、ついに入場するウマ娘も次で最後となり。多くのファンが見守る中でそのウマ娘が姿を現す。

 

『いよいよ出てきました、トリを飾るのはもちろんこの娘! 本日の主役、8枠18番トウカイテイオー! 堂々の一番人気です、無敗を貫く「レースの天才」がこの皐月賞でも華麗に勝利を奪うのか!?』

 

 8枠18番、トウカイテイオー。

 

 鹿毛(かげ)のポニーテールをなびかせて歩いてくる、小柄ながらも気迫に満ちたウマ娘。圧倒的な強さと人気を誇るその少女の入場に、場内のファンのボルテージが最高潮に達する。

 

 彼女の元々の人気の高さに加えて、最高峰の格であるGⅠレースであること。いつもの体操服とは違う勝負服を着ているのも相まって、盛り上がりも一段と大きい。

 勝負服とは、ウマ娘がGⅠレースに出走するときにのみ着用の許される特別な衣装。この勝負服を着用してレースを走ることは、多くのウマ娘にとって憧れとなっている。

 

 基本的に、勝負服のデザインには本人の意向が反映される。トウカイテイオーの勝負服は、白と青を基調にした軍服のような装いをしていた。

 見る者が見れば、シンボリルドルフのそれにとても似通っていることにすぐ気付くだろう。かつて“皇帝”の絶対的な勇姿に憧れた少女は、その勝負服にも理想を取り入れていたのだ。

 

 そんな勝負服を着こなして大歓声を浴びるトウカイテイオーは、いつにも増して魅力に満ち溢れていた。まるで満天の星空の中、一際輝く一等星のように。

 

 ――荘厳なファンファーレが鳴り響く、とうとうゲートインの時間がやってきた。

 

 時は4月中旬。中山芝2000メートル、天候は曇りでバ場は稍重。この皐月賞を制して、「最も速いウマ娘」だと証明するのは果たして誰なのか。

 

 

 

(……スタートは順調だね。うん、まずは第一関門はクリアってとこかな)

 

 トウカイテイオーは前日の雨でやや重くなった芝を駆けながら、冷静に分析する。ウマ娘が収まるゲート前に設置されている、ウッド式の発バ機。

 スタートの合図であるそれが開放される瞬間、研ぎ澄まされた極限の集中力(コンセントレーション)で即座に飛び出すことが出来た。

 

 脚質先行のウマ娘にとって、スタートで出遅れることは大きなロスとなる。常に前目につけて勝ちを狙っていくのが先行であるため、スタートから良いポジションを狙うことは定石だ。

 今回のトウカイテイオーは大外枠のため、コースの一番外を走らされている。よって最初は外周を回らなければならないため、余計に出だしで躓いてなどいられない。

 

(だけど大外枠でも考えようだよね。最内だったらバ群に包まれて走りにくかっただろうし)

 

 特に、一番人気である自分なんて尚更だろう。このレースで誰がマークされるかと言えば間違いなく自分である、そのことをトウカイテイオーはよく理解していた。

 

『お前は今回も一番人気のウマ娘だ。一番人気ということは、つまりお前が一番強いと皆が思っているということ。だから常に警戒されるのは当然だと考えておけ』

 

 レース前、トレーナーは自分にそう言っていた。一番人気であることは、最も敵を増やすことと同義であると。

 だからこそ、バ群に飲み込まれやすい内枠も手放しで有利だと言い切れない。外枠であっても別にデメリットばかりではないのだ。

 

 そして、何より――。

 

(……トレーナーはいつも良いこと言うよね、すごく勉強になってるよ。でも、今回はボクが教えてあげる)

 

 内枠だとか、外枠だとか……そんな()()()()()は関係ない。

 

(トウカイテイオーは――キミの愛バは、そんなことでどうこうなるほど弱いウマ娘じゃないってことをさ……!)

 

 トウカイテイオーの瞳に闘志が宿る。しかし、今は全力を出すには早すぎる。血気に逸る気持ちを抑えて、来たるべきタイミングに備えて着々と脚をためて待つ。

 

 現在は第2コーナーを抜けて8番手付近、やはり大外枠であることもあっていつもより展開は厳しい。

 レース自体もハイペースになっている。中山の最終直線は距離が短いことで有名だ、最後に直線一気で後方から豪快に抜かしていくことは難しくなる。

 

 つまり道中でなるべく前方に位置することが重要だし、末脚を発揮しきるには距離が足りないために逃げ・先行有利、差し・追い込みに不利である。

 

 だからこそペースが上がってしまうことは仕方のないことだった。先行有利のこの中山で、トウカイテイオーをあまり前に行かせるわけにはいかない。

 少なくとも、有利なポジションだけは奪わせない――。奇しくも誰もがそのような意思で一致していた、このウマ娘を打倒するには形振り構っていられないと。

 

 内に良いポジションが空いていない、外へ外へと押し出される。おまけに芝が乾ききっておらず、スピードがいつもより乗り切らない。

 これだけの悪条件が重なっているが――それでもなお、トウカイテイオーの表情に焦りは見られなかった。

 

『レースは第3コーナーを終えて直線に入りました! おおっと、ここでトウカイテイオーが中団から上がってくる! 6番手、5番手とかわして一気に先頭集団へ!』

 

 トウカイテイオーが第3コーナー後の直線でペースを上げる。本気で仕掛けるのはまだ先だが、ここでギアを一段上げなければ万が一がある。

 周りのウマ娘もそれに気付いて抜かせまいと必死に速度を上げるが、物ともせずに自慢の巧みなステップであっさりと切り抜ける。

 

 そうして彼女は思惑通りに外側の先頭集団に位置したまま、レースは第4コーナーを過ぎて最終直線を迎える。

 

『残るは400メートル! 最終コーナーを回って直線へと入ります! 真っ先に飛び出してきたのは18番トウカイテイオー! 中山の直線は短いぞ、後ろの娘たちは間に合うか!?』

 

 先頭集団からスピードスターの如く抜け出して、最終直線へと一番に飛び出したトウカイテイオー。ここで彼女は追いうちを掛けるようにさらにその速度を上げる。

 

(――いくよ。しっかり見ててね、トレーナー! これが今までキミが育ててくれた、ボクの本気の走りだ!)

 

 トウカイテイオーは脳裏に大好きなヒト(トレーナー)の顔を思い浮かべる。そうするだけで、無限の力が湧いてくるように感じた。

 そして姿勢を一瞬低くした後。深く踏み込んだ脚を思い切り蹴り出し爆発的に加速――そのままの勢いで宙を舞うように駆け抜けて、芝に吹き荒れる一陣の風になる。

 

 中山の最終直線には急坂があるが、そんなものは何も関係がないとでも言わんばかりの圧倒的な走りだった。

 

 俗に言う――テイオーステップ。

 

 メイクデビューのときですら高い完成度を誇っていたトウカイテイオーの十八番。クラシック三冠制覇に向けてさらに磨き上げられた彼女の脚は、シニア級の古バですら目を見張るもの。

 

 トウカイテイオーが今まで出走してきた全ての公式戦で、このテイオーステップの前に他のウマ娘は敗れ去ってきた。

 クラシック級において最強クラスのウマ娘が集まるこのGⅠレース、皐月賞であってもそれは何も変わらない。

 

『トウカイテイオー強い! この皐月賞を制したのはトウカイテイオーです! 堂々駆け抜けました! クラシック三冠のうち、まずは一つその頭上に冠が載せられます!』

 

 最速でゴール板を通過してクールダウンもそこそこに、トウカイテイオーが興奮に上気した顔で人差し指を立てて空に掲げる。

 三冠のうち最初の一つを制覇したというサイン、それを見て場内が大歓声の渦になる。トウカイテイオーへの声援はしばらく鳴り止むことはなかった。

 

 国内最高峰のレースであるGⅠレースでも圧勝。当日のバ場は稍重であり、どちらかと言えば小柄で少し力不足なトウカイテイオーにはとても有利だと言えなかった。

 大外枠であったために距離の不利を被ってもいる――それにも関わらず、何の危なげもない完勝劇。

 

 ……もはや疑いようもなく、このクラシック級において彼女は最強のウマ娘だった。

 

 

 

 

 

 

「ねぇねぇトレーナー、さっきの走りどうだった? ボク、すごく強かったでしょ!」

「……あぁ。素晴らしい走りだったよ、大したものだ」

「だよねだよね! 皐月賞でもこんなに圧勝するなんて、やっぱりボクって天才じゃん!」

 

 レースを終えた後、俺はテイオーと控え室にいた。ウイニングライブに備えて、専用衣装に着替えていた彼女は本当に上機嫌な様子である。 

 

 皐月賞を華々しい勝利で飾り、三冠のうち最初の一つを獲って夢の実現まで順調に進んでいるのだから当然だろう。そうでなくとも、最高峰のウマ娘が集まるGⅠを制覇することはそれだけで偉業だ。

 

(……本当に強かった、まさかあれ程とはな)

 

 先のレースで見せたテイオーの走りのキレは、練習のときと比べると一段も二段も鋭いものだった。傍目からでもわかるほどに気迫が漲っており、三冠制覇への並々ならぬ意気込みが感じられた。

 

 皐月賞に向けて準備は万端だった、本人の実力も言わずもがな。だから当然勝つとは思っていた、しかしここまで余裕で勝てるとまでは想定していない。

 俺にとってもテイオーにとってもGⅠという大舞台は未知の世界、何かしらの落とし穴があって苦戦してしまう可能性を危惧していた。

 

 ……けれど、レース結果は今までと何も変わらず危なげのない勝利。

 

 わかっていたつもりだった、トウカイテイオーが才能の塊であることは。しかし改めて思い知らされる、こいつは化け物だ。この勢い、本当に無敗のまま三冠を奪い取れる強さを感じる。

 トウカイテイオーは何処までも天に駆け昇れる逸材。しかし、それに比べてトレーナーであるこの俺はどうだ? 本当にこいつと釣り合っているのか?

 

 いつも偉そうに講釈を垂れているだけで、何の役にも立っちゃいない。こいつだって内心鬱陶しく思っているだろう、トウカイテイオーは俺の助力などなくたって夢を叶えられる。

 いや、むしろ逆に足を引っ張ってしまっている可能性すらある。俺がトレーナーでなければ、今よりもさらに凄まじい高みへ至っていたかもしれない。

 

 俺はこのまま、本当にこいつの担当を続けていていいのか? いつか自分のミスでこの才能を潰してしまうかもしれない、そうなる前に担当契約を解除した方がお互いのためではないか。

 未熟で至らない俺のせいでテイオーの夢が断たれる恐れすらある、それだけは断じて認められない。涙を流し、嘆きと失意で塗り潰されるこいつの顔なんて見たくない。

 

 やはり担当を降りるべきだろう、俺では力不足だ。トウカイテイオーは“皇帝”だって超えていける逸材、最初は悲しむだろうがこれはこいつのためなんだ――。

 

「……トレーナー、急に黙っちゃってどうしたの? もしかして疲れてる? ごめんね、ボクのためにいつも頑張らせちゃってるよね」

 

 気付けば、テイオーが心配そうにこちらを覗き込んでいた。純粋に、ただただ俺の身を案じているその表情。曇りのない信頼と好意が垣間見えるそれを見て、俺ははっと我に返る。

 

 俺は今、何を考えていた――?

 

 テイオーはやはり自分の手に余ると考え、身勝手に担当ウマ娘を放り出そうとしていた。普段あれだけ、トレーナーとして高みを目指すと息巻いていたくせになんだこのザマは。

 何が彼女のためだ、結局はただの自己保身ではないか。いつか来るかもしれない失敗を恐れて、無様に責任から逃げようとしている。

 

 あぁ、これではっきり理解した。認めたくはないが認めよう、俺は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を恐れている。

 

 だから、少しでもウマ娘たちの夢を叶えられない危険性を感じればすぐに身を引こうとする。責任を取りたくないし、悲しみに暮れる顔だって見たくないからだ。

 

 ――なんという惰弱。逃げと保身しか感じられない醜い思考。

 

 トレーナーであるならば、俺に限らず誰だってそんな不安や恐怖とは戦っているだろうに。そうやって俺だけが逃げるのか? 慕ってくれている担当ウマ娘を我が身可愛さに見捨て、悲しませてまで弱い心を守りたいのか?

 

 ……もう終わりにしよう、そんなことは。

 

 失敗や苦難を恐れるな、みっともなく言い訳して責務を投げ出すのはやめろ。今はただ、こいつと一緒に夢を駆けることだけ考えればいい。

 弱い心はここで捨てていこう、こいつの前で情けない姿などこれ以上見せたくはない。たとえどんな結末が待っていたとしても、挑戦もせずに諦めるよりはマシだ。

 

 ――だから。

 

「テイオー……お前は強い。トレーナーである俺自身ですら目を見張る程にな。これからもし俺に不満が溜まったり、力不足を感じたならいつでも契約を解消してくれていい。止める権利など俺にはない」

「なになに? もしかしてボクがあんまりにも強かったから誰かに取られないか心配しちゃってたの? あははっ、トレーナーも結構可愛いとこあるじゃん」

 

 テイオーがいつものように悪戯っぽく笑いかけてくるが、今はそんな軽口に付き合う気分ではなかった。

 おもむろに彼女の小さな肩を抱き寄せ、至近距離でその顔を見つめる。

 

「ぴぇっ、トレーナー!? い、いきなりすぎるよ! まさかこんなところで……?」

 

 暴挙とも言える俺の突然の行動に悲鳴を上げて驚き、何事か呟いているテイオー。最初こそびくりと身を強張らせていたが、すぐに受け入れたように大人しくなった。

 別に乱暴なことなど何もするつもりはないが、下手に暴れられるのも面倒なので助かる。

 

 そして間近に見えるテイオーのあどけない顔を凝視する――穿つように、貫くように。彼女の空色の瞳は、しばらく動揺と羞恥に揺れていたが何故かゆっくりと閉じられていった。

 

 ……おい、なんで目を瞑るんだ。

 

「目を閉じるな、俺の顔をよく見ろ」

「う、うん……」

 

 どういうわけか閉じられたテイオーの瞳を無理やりに開かせる。これは決意と覚悟の表明だ、お互いの顔が見えなくては何も話にならない。

 

「お前はいつだって俺から離れられる。だがな――それでも言おう。よく覚えておけ、トウカイテイオー。俺はお前を手放すつもりはないし、逃がすつもりもない。お前はただ、黙って俺についてくればいいんだ」

「……うん、よろしくお願いします」

 

 向ける視線の力をさらに強くしながら宣言する。こいつがどれだけの優駿で俺ごときには勿体ないウマ娘だろうが、決して逃がさないという絶対の意思を込めて。

 誰が何と言おうがもう知ったことか、こいつ自身が離れたくないと思えば何も問題はない。

 

 テイオーは呆気に取られたようにぼーっと俺の顔を見つめていた。やがて、熱に浮かされたような瞳でぽつりと言う。

 

「……ボク、言われた通りトレーナーにちゃんとついてくね」

「あぁそうだ、それでいい」

 

 先程のレースの疲労が出てきたのか顔が赤らんできた彼女の返事を聞いて、俺は表情をふっと和らげる。

 

 決意を言葉にして、覚悟を示すことで自ら退路を断つ。逃げ道などもはや必要ない、どのような困難であろうと必ず乗り越えてみせよう。

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