乾いたターフを湿らせる   作:やわらかスマホ

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第十七話

 テイオーが骨折して入院するという、悪夢としか言いようがない出来事があった翌日。

 

 俺は、学園のトレーナー室でパソコンの画面を睨んでいた。どうしても今日中にやっておかなければならないことがあるからだ。

 

 学園における諸々の事務も、テイオーが骨折して事情を知りたがっていた取材陣への対応も既に終わらせている。

 正直に言えば、マスコミの相手をする時間的余裕も精神的余裕もなかったのだが。邪険な扱いをして連中を敵に回すのも面倒だからな。

 

 そのような雑事を速やかに片付けて、俺が何をしようとしているか。それは――どうしてあのときテイオーが骨折してしまったか、という原因の究明だ。

 

 あいつの骨折から一日が経った今でも不可解だ。怪我に関しては細心の注意を払っていた、少なくともデビューから一年もしていないうちに脚を折るなどあり得ないはずだった。

 しかし、現実としてテイオーは骨折している……つまり結果から考えれば俺が何かを見落としていたことになる。

 

 医師の診断によると、日常的に脚部に大きな負荷が掛かっていたことによるダメージの蓄積が原因だそうだ。

 これ自体はいい。大抵のウマ娘は、自身の速度に脚の強度が追い付いていない。走り続けることで脚に疲労が溜まり折れてしまうというのはよくあることだ。

 

 俺とて新人とはいえトレーナーの端くれだ、そんなことは重々承知。それを踏まえて脚のケアをしていたにも関わらず、あいつが骨折してしまったことが腑に落ちなかった。

 だからこうして、テイオーのレース映像を見て原因を探っている。失敗したという現実を素直に認め、即座に解決策を探らなければ同じことの繰り返しだ。

 

 練習内容やレースの出走計画は一般的には特に問題はなかった。しかしトウカイテイオーというウマ娘にとっては違ったのだろう。

 では何がどう違うのか。皐月賞やつい先日の東京優駿、数々の記録を隈なく観察してテイオーの走りを確認していく。

 

 一通りの映像を見終えた後、俺の出した結論はこうだった。

 

 ――トウカイテイオーの走り方は、普通のストライド走法と比べても尚多大な負荷が掛かっている。

 

 歩幅を大きくして走るのがストライド走法であるが、一歩の幅が大きくなることで地面に着地する際に衝撃がかかる。

 これが脚を始めとした身体への負担となってしまい、怪我や故障に繋がることも多い。

 

 テイオーは膝や足首が極端に柔らかい。それをバネのように活かして大きなストライドに変え、爆発的な推進力を得ることがあいつの速さの秘訣だ。

 だがそこから生み出される圧倒的なスピードと引き換えに、その脚への負担は俺の想像を超えるものになっていたのかもしれない。

 

 あいつは膝や足首が柔らかいから、怪我や故障はしにくいのだと思っていた。

 

 だが、違う――()()

 

 柔軟性が極めて高いからこそ、ストライドがより大きくなって脚への負担が増してしまう。普通に走っているだけで、テイオーの脚にはダメージが蓄積する。

 今回の一件でよくわかった。トウカイテイオーのあの走り方は、その見た目以上に脚に負担を掛ける。

 

 このまま何の対策も打たずにいたら、順調に怪我が治ったとしても再発は免れない。幾度もの骨折とリハビリを繰り返し、最後には引退する……そんな結末を迎えるだろうな。

 それを防ぐためには、フォームを変えるのが一番手っ取り早い。歩幅を小さくして回転数を上げる「ピッチ走法」に変えれば問題は解決するだろう。

 

 しかし、それではテイオーの強みを完全に潰すことになる。あいつはストライドの伸びで速度を稼いでいる、ピッチ走法では真価を発揮できない。

 そうなれば見る影もないような凡走になるに違いない。怪我の不安から遠ざかり、安定した身体を得る代わりに勝利を失う。

 

 もしテイオーがただ走るだけで満足なら、俺はそうなったって構わない。あいつにはもう充分稼がせてもらった、本人が納得するならそれでいい。

 

 しかし――。

 

『ボクね、カイチョ―みたいになりたいんだ!』

『トレーナー、ボクたち二人で絶対に最強になろうねっ!』

 

 あいつの言動を思い返す。

 

 シンボリルドルフに憧れ、「無敗の三冠」を目指し。いずれは、憧れすら超えた最強になろうとしている……その姿を。

 

 ……やはり、フォームを変えることは出来ない。

 

 安定感を得ても勝てなくなってしまえば本末転倒だ。それは、もはやあいつにとって引退するのと何も変わらない。

 俺が取るべき道はただ一つ、あのストライド走法を維持したまま骨折をさせないことだ。

 

 あいつの走り方は確かに脚への負担が大きい。だが、一度や二度のレースですぐさま骨折するわけではない。

 曲がりなりにもデビューして半年以上は何も起こらず無事だったんだ、今まで以上にケアを念入りに行えば防ぐことだって不可能ではないはず。

 

 ――もう種は割れている、二度目はない。

 

 考えも纏まったところで、気分転換のためにグラウンドにでも行こうかと思い立つ。

 デスクワークばかりしていると身体に悪い、適度な息抜きも挟まなければ逆に作業効率が落ちてしまう。

 

「おい、俺は少し出てくる。お前は――」

 

 どうする、と振り向きざまに問いかけようとしてすぐに自分の間抜けさに気付く。

 

(……ちっ、バカが。誰に話しかけている)

 

 いちいち同行の是非を問わなければならない相手など、もうここにはいない。

 テイオーは骨折して入院しているという事実を、今更ながら俺は実感した。

 

 ……そして、思っていた以上にあいつがいる日常に慣れてしまっていたということも。

 

 

 

「貴方、トウカイテイオーのトレーナーよね。少しいいかしら」

「……別にいいですが。俺に声を掛けてくるなんて珍しいですね、東条さん」

 

 グラウンドのコース場で練習に励むウマ娘たちを何とはなしに眺めていると、非常に珍しい人物がやってきた。

 

 東条ハナ。

 

 この学園において最強と名高い、チームリギルのチーフトレーナーを務める女性だ。

 タイトなビジネススーツに身を包み、眼鏡を掛けた怜悧な瞳からは他者を寄せ付けない雰囲気を感じる。

 

 俺はこの学園に一年以上トレーナーとして在籍しているが、彼女とは殆ど会話をしたことがなかった。

 せいぜい事務的な連絡程度だ。そもそもが雲の上の存在であるし……言ってしまえば纏う雰囲気が中々に接しにくい。

 

「リギルの練習は見ないでいいんですか?」

「あの子たちなら今は休憩中よ、貴方と世間話をする余裕くらいはあるわ」

「そうですか……」

「えぇ、そうよ」

「……」

「……」  

 

 ……会話が続かない。

 

 あまりにも耐えがたい沈黙の空気が流れていく。

 東条さんの方を見ると、いつものように澄ました顔をして俺ではなくグラウンドの方を見ていた。

 

(何しに来たんだこのヒト、俺に用があったんじゃないのか)

 

 この先輩とは偶然姿を見掛けたから話しかけた、そんな風に気安い関係ではない。

 とはいえ今の状況での用件など一つしかないだろうが、こちらとしては自分から口に出したくはない話題だ。

 

 ……しばらくの沈黙の後、ようやく東条さんが口を開いた。

 

「トウカイテイオーのことだけれど。彼女、骨折したみたいね」

「……はい、全治3か月です。ですが次の菊花賞には間に合わせますよ、何も問題はありません」

「怪我が治ったとしても、その後の調整を考えればギリギリになるわよ」

「――全て承知の上です。怪我を完全に治し、菊花賞で勝たせる。厳しいスケジュールになるのは理解していますが、必ずやり遂げてあいつの夢を叶えます」

 

 彼女の用件はテイオーの骨折についてなのだろう、やはり予想の通りか。

 試すように言葉を投げ掛けてくる東条さんに対し、俺は自分の意志を示すようにしっかりとした返事をする。

 

 事前の想定とはかけ離れた現状ではあるが、それでも夢への道は断たれていない。

 確かな可能性が残されている以上、悲観するなど愚かなことだ。むしろテイオーの抱える問題を今発見できて、幸いだったと考えることもできる。

 

 東条さんはそんな俺の発言を聞いて、なぜか物憂げに目を伏せた。

 鉄面皮とも思えた顔がわずかに変化している……なんだ、その表情は。

 

 憐憫や同情と似ているが少し違う、おそらくそれを表すに最も近い感情は――憂慮だ。

 東条さんは、揺るがず強固な決意を秘めている俺を心配していた。

 

「……走り始めた時に持っていた夢や目標を叶えられるウマ娘は、ほんの一握りよ。殆どの子たちの夢は、厳しい現実の前に崩れ去っていく」

「……」

「だけど、そうやって夢が破れたとしても全てが終わるわけじゃない。夢は形を変えていく、たとえ叶わなかったとしても……また、新しい夢を見ることは出来る」

 

 まるで諭すように、東条さんが優しく言葉を重ねていく。

 いや、実際に俺を諭しているのだろう。彼女の様子は、普段の冷たささえ感じる言動からは想像も出来ないくらいに温かだった。

 

「……何が言いたいんですか。お前では無理だからもう諦めろと?」

「いえ、そうではないわ。貴方は優秀よ、それはこの私が認める。でもね……少し、気負い過ぎてはいないかしら」

「気負い過ぎ、など。そんなことは……」

 

 自分の何を諭そうとしているのか困惑して、つい喧嘩腰になってしまう。

 失礼な態度を取ってしまったにも関わらず、東条さんが気を悪くした様子はない。

 

 思っていたよりもずっと懐が深い女性だ、俺は彼女を誤解していた。

 しかし、気負い過ぎか……。確かにそうだな、俺は気を張りすぎているんだろう。

 

 いつだったか、沖野さんにも以前似たようなことを言われた覚えがある。

 ベテランのお歴々からすれば、俺という男はどうにも余裕がなく見えて仕方ないらしい。

 

 ――そうだとしても、譲れないものがある。

 

「……いえ、貴方の言う通りです。俺はあいつの夢を叶えることに躍起になっている……けれど、それの何が問題なんですか?」

「それ自体には何も問題はないわ。そうは言っても、度が過ぎれば話は別よ。あまりにものめり込んでしまうのは悲劇にも繋がりかねない。夢を叶えたけれど彼女が再起不能になった、では意味もないでしょう」

「あいつが怪我をした原因は既に突き止めました。骨折などもうあり得ません」

「……はぁ、頑固者ね。もういいわ、じゃあ最後に一つだけ聞かせて頂戴。……貴方は、なぜそこまで彼女の夢を叶えようとするの?」

 

 まるで教師が出来の悪い生徒に対して嘆くような、そんな仕草で東条さんが頭を軽く振る。

 そして普段通りの冷徹な眼差しに戻り、質問をしてくる。

 

 なぜあいつの夢を叶えたいかなど、そんなことは決まっている。

 

「ただ俺が、そうしたいからですよ」

「……ふぅん」

「別にあいつのためだなんて奇麗事を言うつもりはありません。あれだけ夢にひたむきなら、叶えてやればさぞ喜ぶと思いませんか? 俺は、そのときの光景が見たいだけなんです」

 

 東条さんの言うように、夢が破れたところで全てが終わるわけじゃない。

 どんなに才能がある奴だって、完全に理想通りの夢が叶うなんてことは殆どないから。

 

 きっと、もし夢が叶わなかったとしても新しい夢や目標を掲げてあいつは前に進んでいくんだろうな。

 思いっきり泣いた後で……悔しさや悲しさを乗り越え、それを糧にして成長するだろう。

 

 そうやって一つの夢が終わったら、また次の夢を描いて歩いていくんだ。人生が終わる――その時まで。

 

(――だが。やはり幼い頃に抱いた、最初の夢を叶えられるに越したことはないだろ?)

 

 義務感でも責任感でもなく、ただ俺がそうしたい。

 いつもバカみたいに笑っているあいつが理想通りの夢を叶えたなら、きっとこちらが呆れるくらいの笑顔を見せてくれるに違いないからな。

 

 つまりは結局俺自身のためだ、誰かのために身を粉にして働くなんて柄じゃない。  

 

 俺のそんな答えに東条さんがほんの一瞬だけ驚いたように目を見開き、それから穏やかに薄く微笑んだ。

 

「そう……見た目と違って意外に情熱的なのね。でも、そういうことはあまり担当の子には言わない方がいいと思うわよ。長くこの世界でトレーナーを続けたいのならね」

「こんなこと本人には言えませんよ、調子に乗らせるだけですし」

「……どうかしら、貴方の場合気付かずに言っていそうだけど。まぁこれ以上はこちらには関係のないことか。じゃあ私はこれで失礼するわ、時間を取らせて悪かったわね」

「いえ、有意義な時間を過ごせて感謝しています。リギルのトレーナーと討論する機会なんて滅多にない」

 

 そうして去っていった東条さんの背中を見ながら思う。

 夢は形を変えていく、か……。強い実感の籠った言葉だった、きっと彼女は多くの夢が破れた場面を見てきたんだろうな。

 

 そのたびに挫けずに歩みを止めなかった者でないと、あのような台詞は出てこない。

 あれが最強チーム、リギルの東条ハナ。いずれは彼女にも追いついてみせよう。

 

 しかし……何かあいつの顔が見たくなってきたな。

 残っている仕事をある程度処理したら、少し足を運ぶとするか。

 

 

 

「遅いよ、遅すぎるよ! 普通愛バが入院したら真っ先にお見舞いに来るよね!? もうすぐ夜じゃん!」

「悪い、ちょっと偉いヒトと互いの思想をぶつけ合っていたんでな」

「わけわかんないこと言って誤魔化さないでよ! 明日からはちゃんと余裕が出来たらすぐに来てもらうからね!」

 

 病室へ見舞いに訪れたが、テイオー様はご立腹だった。

 日が暮れてきた頃に面会に訪れたのが不満らしい。だが、こんな風に怒れる程の元気があるのなら心配はいらないな。

 

 周りを見渡すと、籠に入った色とりどりの花束が幾つも飾られているのが見受けられる。

 どうやら先客が何人もいるようだ。詮索するような野暮な真似はしないが、俺以外にもこいつを見舞ってくれる者が多いことを喜ばしく感じる。

 

「まぁそう怒鳴るな。見舞いの品としてこんな物を持ってきた、これをやるから許せ」

「あっ、もしかして果物!? 美味しそう……ねぇねぇ、遅れたお詫びにそれボクに食べさせてよ」

「……」

「ほら、見ての通りボクって怪我人じゃん? それなのに、わざわざ自分で取って食べるなんて大変でしょ? ならさぁ、どうすればいいかキミならわかるよね? だから――むぐっ!?」

 

 いちいちうるさい口に持ってきた果物をぶち込んでいく。

 食べやすいようにカットする必要性のない果物を選択したのは正解だった。苺や蜜柑などを即座に要望通り、こいつの口に詰め込むことが出来る。

 

 ……それから俺の対応に文句を垂れてくるこいつを宥めたりしているうちに、あっという間に時間は過ぎ去っていった。

 

 しばらくして最初の頃の不機嫌さが収まったテイオーが、不意に真剣な表情をして言う。

 

「あのね、トレーナー。ボク、昨日からずっとこれからのことを考えてたんだけど……聞いてくれる?」

「聞くだけなら構わんが」

「えへへ、ありがと。ちょっと長くなるかもだけど、ちゃんと聞いててね」

 

 テイオーが軽く息を吸う。

 

 その仕草に若干の不審さを感じた俺だが、気付いたときにはもう遅かった。

 

「まず退院してギプスが取れたら早速リハビリを開始してすぐに終わらせるんだ。しばらく走れないなんて我慢できないよ、菊花賞だってあるのに足踏みなんてしてられないからね。こんな怪我なんてパパーっと治して菊花賞で勝って、ボクは三冠ウマ娘になるんだから! 無敗の三冠ウマ娘になれたらやっとボクも憧れのカイチョ―に近付けたことになるよね! その後だってまだまだボクたちの夢は終わらないよ、ちゃんとついてきてよねトレーナー! シニア級になったらライバルのマックイーンと対戦したいな。レースでも勉強でも、マックイーンにだけは負けたくないし。春の天皇賞とか丁度いいんじゃない? ボクはどっちかって言うと中距離の方が好きだけどどうせなら相手の得意な長距離で勝ちたいしね。後はジャパンカップとか宝塚記念、有馬記念とかも制覇したいなーっ、勝ちたいレースが多すぎて今からワクワクしちゃってるよ。それでトゥインクル・シリーズで一通りタイトルを取ったら次の舞台はやっぱりドリームトロフィーだよね。憧れのカイチョ―をそこで超えるんだ。カイチョ―はすっごい強いウマ娘だけど、ボクたち二人ならきっと超えられるよね。ううん、絶対に超えてみせる! それからそれから――」

「…………」

 

 テイオーの長口上はまったく止まる気配が見えなかった。

 長すぎる、なんだこれは……。俺は一体何を聞かされているんだ。

 

 てっきりリハビリについてや何か今後の意気込みのようなものを語るのだと思っていた。

 だが、こいつの口から飛び出てきたのは全てが砂糖菓子で出来たような甘ったるい青写真。

 

 もう帰っていいか? 俺はお前の描いた幸せな未来予想図を聞くために、わざわざ忙しい合間を縫って来たわけではないんだが。

 

 昨日は去り際こいつに「余計なことは考えず、今はただ休め」とだけ言っていた。

 だというのに余計なこと考えすぎだろ、ちゃんと休め。

 

(とりあえず、こいつが明るく笑えるようになったならもう何でもいいか)

 

 そうやって前向きに考えながら、俺は長すぎるこいつの話を聞き流した。

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