乾いたターフを湿らせる   作:やわらかスマホ

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第十八話

 それは、去年のある冬の日の出来事。

 担当ウマ娘であるトウカイテイオーが、俺の部屋に入り浸るようになった後の話だ。

 

 隣を歩いているテイオーが、溜め息を吐きながら嘆いた。 

 

『最近冷えるねっ! あーあ、どうせなら雪でも積もってくれればいっぱい遊べるのになぁ』

『そんなに寒いなら中にいればよかっただろう、わざわざ無意味に外に出る必要はない』

『そりゃ部屋でもゲームとか漫画とか、遊べるものはたくさんあるけどさ。やっぱり外に出て身体を動かすのが一番楽しいじゃん』

 

 その日は特に冷え込む日だった。天気予報によれば、今年一番の寒さらしい。

 道理でやたらと寒く感じるわけだ。吐息は白に染まり、身体も自然と縮こまってしまうような、肌を突き刺すような空気。

 

 本当に雪が降ってもおかしくはない――そんな日に、こうして何時間も外を連れ回されているのだから堪ったもんじゃない。

 何か用事があるのであれば、付き合ってやるのもやぶさかではないのだが。ただの散歩だというのだからやる気も失せるというものだ。

 

『大体、雪なんて積もってもただ邪魔なだけだ。お前も大人になればそれがよくわかる』

『トレーナーってば相変わらず捻くれたこと言うなぁ。雪だるまを作ったり、雪合戦したり出来るし楽しいじゃん。何事も楽しんでやるっていうのは大事だよ?』

『……ま、お前の意見にも一理あるのは認めるがな。雪が降っても歓迎しない奴がいるってことは覚えておけ』

 

 降り積もった雪を遊び道具に使う、そういう発想が子供だというんだ。

 こいつも相変わらず遊ぶことしか考えていないな。呆れたような、微笑ましいような何とも言えない気分に陥る。

 

 とはいえ、わざわざ言葉にしたりはしない。こいつの指摘の通り、自分の発言がつまらないことは自覚しているからだ。

 どんなことでも前向きに捉えられるのであれば、それに越したことはないからな。

 

 その点で言えば、こいつはいつも明るいし人生を存分に楽しめているようで何よりだ。

 もはやある種の才能だろう、そのポジティブな思考は嫌味抜きで羨ましく思える。

 

 そんなことを考えていると、急にテイオーが立ち止まった。

 

『あっ、プリだ! ねぇねぇトレーナー、一緒にプリ撮らない?』

『……一応聞いておくが。プリとはプリクラのことを言ってるのか?』

『そうそうそれ! せっかくだから一緒に撮ろうよ!』

 

 そう言って、テイオーが興奮した様子で街角に設置されている筐体をびしっと指差す。

 

 プリクラとは、筐体に内蔵されたカメラでその人物の姿を撮影し、シールに印刷された写真を得ることが出来る機械のことだ。

 フレームやスタンプ模様を入れたり、文字を書き込んだりと好みに応じて写真を加工できるため、若い女性を中心に人気を博している。

 

 テイオーだって年頃の少女であるし、別にプリクラを撮りたがること自体はいいのだが……。

 その行動に、今度こそ俺は呆れの感情を隠すことが出来なかった。

 

 なぜならさっきこいつが指し示したものは、プリクラなどではなかったからだ。

 

『お前……あれは証明写真を撮る機械だぞ』

『……へ? 嘘、だよね?』

『本当だ、嘘だと思うのなら確かめてみればいい。自分の行動がいかに滑稽か思い知るぞ』

 

 俺の言葉を聞いて、テイオーが慌ててその筐体の元へと駆けていく。

 間違いを認めたくないのか、何度も何度も周りを確認している。しかし、やはり事実は覆せないのでやがて呆然と立ち尽くした。

 

 そんなテイオーの仕草があまりにも可笑しかったので、俺はせせら笑いを抑えずにゆっくりと近付いていく。

 

『くく……プリクラは流石に勘弁だがな、証明写真なら撮ってやってもいいぞ。こちらの方はまだ使い道があるからな』

『も、もうっ! しょうがないじゃん! だってボク、一度もプリなんて撮ったことないし!』

『そんなもの今時は小学生だって知ってるぞ。仮に知らなかったとしても、証明写真の機械と間違えるなんてことはないだろうよ』

『トレーナーのいじわる! ボクが失敗するとすぐそうやってからかってくるんだから!』

 

 羞恥のためか、テイオーの顔が見る見るうちに赤くなっていく。

 そんな自分をこれ以上見られたくないのだろう、足早に何処かへと歩き去ろうとしていた。

 

 俺としてはこのまま帰宅してもいいのだが、膨れたままのあいつを放っておくと翌日の練習に差し障りが生じてしまう。

 拗ねてしまったお嬢様の機嫌が直るまでは、大人しく後をついていった方が賢明か。

 

(それにしても、まさかプリクラの機械もわからないとはな……)

 

 先程のテイオーの言動を思い返すと、わずかに頬が緩んでしまう。

 世間知らずにも程がある、あいつくらいの年齢の少女なら誰でも知っているような――。

 

 ……いや、待て。

 

 誰でも知っているようなことなのに、なぜあいつは知らなかったんだ? 遊ぶことが好きで、友人だって多いはずのトウカイテイオーが。

 普通に同じ年頃の友達と一緒に遊んでいれば、必ず何処かで知っていくであろうことを知らなかった理由、それは……。

 

 そうやって思考を重ねていくと、ある一つの結論が導き出されてしまう。

 俺は後悔した。あいつをからかったことにではない、その事実に気付いてしまったことをだ。

 

 ――つまりトウカイテイオーは、俺が思っていたよりも()()()()()()()()()()()()のではないか?

 

 かつての記憶を掘り起こしてみれば、初めて声を掛けた時は遅くまで自主練をしていた。

 主な趣味であるカラオケやダンスゲームだって、ウイニングライブに直結しているし夢と無関係ではない。

 

 祭りだって手慣れている様子ではなかった、それに加えて決定的なのが先程の行為。

 ……年頃の少女らしい遊びを控えてまで、夢に集中していたという証拠じゃないか。

 

 あいつは、最初から本当に夢に真剣だったんだ。俺がただ、今までずっと気付いていなかっただけで。

 

(クソ、こんなことに気付かなければよかった。もしくはこれが、ただの考えすぎであればどれだけいいか。知ってしまえば――)

 

 知りたくなかった事実に気付いてしまい、俺は思わず顔を歪めた。

 こんなことを知ってしまえば、否が応でも入れ込んでしまうのは避けられない。

 

 あいつは天才肌でレースでも勉強でも余裕でこなす優等生。

 休日は遊びにも全力で取り組んで、公私ともに非常に充実した毎日を送っているのだと思っていた。

 

 だが、そうではなかったのかもしれない。天才であるのは間違いないが、それと同時に私生活を犠牲にした努力家だったのだろう。

 そして、そんな少女が時間を削ってまで一緒にいたがる俺という存在は――。

 

(……やはり、あのときの判断は間違いだったな)

 

 テイオーと契約して最初のトレーニングが終わった日。

 あいつはしきりに俺と一緒に出掛けたがっていたが、何と言われようとも断るべきだった。

 

 あそこから徐々に関係性が深まっていってしまったのは疑いようがない。

 トウカイテイオーは、俺にとって少しばかり特別なウマ娘だ。それは認めよう、だがプライベートでまで親しくしたいと思ったことは一度もない。

 

 恐れていたのは契約を解除されることだけで、円滑に練習が行える程度の関係性があれば別によかった。

 トレーナーにとって初めての担当ウマ娘ってのは特別に感じるらしい、俺もその例に漏れずそれで判断を誤ったか。

 

 今更、テイオーを突き放すような態度を取ることなど出来ない。実利の面でもそうだし、感情の面でもそうだ。

 俺がここで露骨に距離を置けば、あいつはメンタルに支障をきたし練習どころではなくなってしまうかもしれない。俺自身もあの少女のそんな姿を見るのは心が痛む。

 

 そうだ、こうなってしまってはもう手遅れだ。ならば逆にこの友好関係を利用すればいい、これを絆として力に変えてもらえば、あいつはさらに強くなる。

 言い訳のように自分に言い聞かせ、急ぐように先を歩くテイオーの手を取って引き留める。

 

『ぴぇ、トレーナー!? 急にどうしたの?』

『……先を行かれて迷子になられても面倒だからな。あまり離れるな』

『そっか……。えへへ、こうすると冬でもあったかいね』

 

 テイオーが嬉しそうに、その感触を噛み締めるように俺の手をそっと握り返す。

 軽く呼び止めるだけのつもりだったが、意図せず手を繋ぐような形になってしまった。

 

『……手袋越しなんだ、温かさなんて感じないだろう。とにかく、もう手を放すぞ。……ぐっ! バカな、外れないだと……!?』

『にっしっし! いくらトレーナーが凄くても、ウマ娘のボクに力では敵わないよ!』

 

 なんとなく気恥ずかしくなって手を振りほどこうとすると、万力のようなとんでもない力で握りしめられる。

 隣を睨むと、犯人であるテイオーが悪戯っぽい笑顔を浮かべていた。

 

『トレーナーの方から握ってくるなんてびっくりしちゃったよ。だったら、ボクも遠慮なくキミと手を繋いで歩けるね!』

『お前という奴は本当に……!』

 

 先程からかわれた意趣返しも兼ねているのだろう。俺がどれだけ手を放そうとしても絶対に阻止してくる。

 少し仏心を見せるとすぐにこれだ。まったく、こいつには油断も隙も見せられないな。

 

 そうして、俺はこいつの気が済むまで手を繋いだまま街を歩くという刑罰を科された。

 こんなことばかりしているから、必要以上に担当ウマ娘と距離が近くなってしまっているんだろうな。

 

 だが、俺はまだまだトレーナーとしては未熟なんだ……試行錯誤を繰り返すのは事前に織り込み済み。

 どうするのが適切であるかはわかってきた――次はもっと、上手くやるさ。

 

 

 

 欧米では、仕事とプライベートのオンオフがきっちりしている人物が多いらしい。

 オンオフの切り替えとはつまるところ、思考に緩急をつけることだ。誰であっても長時間集中し続けることは出来ない、時間を効率的に使うには休むことも必要となる。

 

 だから休日に一旦仕事を忘れ、リフレッシュするのは理に適った行為である。

 疲れたならそれで心身を休め、次の日に備えた方が結果的には仕事も捗るからだ。

 

 そんな考えで商店街を当てもなく歩いているが、まったく気分が紛れている気がしない。

 理屈はわかっていても……中々思い通りにいかないことはあるというわけだ。

 

 せっかくの休日だというのに、街を歩きながらも仕事のことばかり考えてしまう。練習内容やいかにテイオーの脚の消耗を抑えるか、菊花賞の後の出走計画についてなど。

 トレーナーとしての思考が無数に流れ込んでくる、我ながら大した仕事中毒だ。

 

 これなら寮でいつも通り論文でも読んでいた方がいくらかマシだったかもしれない。もしくは、テイオーのお見舞いに行ってみるとかか。

 けれど、前者はともかく後者に関しては気が進まなかった。あいつの見舞いになんてそれこそ毎日のように訪れている。

 

 テイオーには他に見舞いの客も多いが、トレーナーである俺も行った方が当然喜ぶだろう。むしろ、行かないと逆に機嫌を損ねてしまう。

 しかし今日だけは気分が乗らなかった。去年の冬の一件を思い出してしまったからか、あいつと顔を合わせる気にならない。

 

 やはり寮に戻った方が有意義だと踵を返そうとしたそのとき、あるウマ娘の姿を見掛けた。

 

 ふわふわとした鹿毛のツインテールに、まるでクリスマスツリーのような特徴的な耳カバーをしているあの少女は――ナイスネイチャか。

 

「こんなところで会うなんて奇遇だな、ナイスネイチャ」

「あっ、テイオーの……トレーナーさん?」

 

 せっかくなので彼女に声を掛けてみることにした。

 たまにはテイオーではなく、他のウマ娘と話してみるのも悪くないだろうしな。

 

「これから何か用事でもあるのか? だったらすぐに消えるが」

「いやぁ、別にそんなのはないけどさ。でもそっちこそいいの? アタシと話し込んでたことをテイオーが後で知ったら怒るかもよ?」

「怒らせておけ、どうせあいつはちょっとしたことで怒るんだ。この程度のことは誤差だろう、この前なんて――」

 

 心配そうにしているナイスネイチャに、少し前に起こった犬の写真集を発端としたいざこざを話す。

 自分で話していてあまりにもバカらしいが、それくらいあいつの言動は予想できない。

 

「えぇ……。そりゃ凄いわ、いろんな意味で……」

「言っておくが、そんなことは割と日常茶飯事だからな。いちいち気にするだけ無駄というものだ」

「うーん、もう少し気を付けた方がいいんだろうけど、今更な気もするし……」

 

 話を聞いたナイスネイチャがドン引きしていた。

 気持ちはよく理解できる。俺だって、他人から同じ話を聞かされたら似たような反応になるだろう。

 

「なぁ、ナイスネイチャ。よければ少し一緒に歩かないか? お前は俺たちにとって競争相手の一人だが、特にデータ収集などの下心はない」

「そりゃ天下のテイオー様が担当ウマ娘だもん、アタシなんかのデータはいらないよね。つまりこれはデートのお誘いってわけか、固そうに見えてトレーナーさんもやりますねぇ」

「ま、そういうことだ。ウマ娘ってのはどいつもこいつも美人だからな、お前が隣にいれば景色も華やかになる」

「そんな調子の良いこと言って、後でテイオーがどうなっても知らないよ? ……ていうか最悪の事態になったら、アタシのことだけはフォローしといて」

 

 最後の台詞を言ったときのナイスネイチャの表情は、とても真剣なものだった。

 随分と大袈裟な奴だな。あいつは確かに嫉妬深いが、どうせ子供らしい癇癪しか起こさないというのに。

 

 ――こうして、ナイスネイチャと休日の一時を過ごすこととなった。

 

 ともに過ごしていてわかったことがある。それは、ナイスネイチャがとても親しみやすいウマ娘だということだ。

 トウカイテイオーのように明るく元気に溢れているわけではないが、気が利いているし話がしやすい。

 

 斜に構えていてやや自己評価が低い点が見られるが、その落ち着いた雰囲気は好感が持てる。

 商店街の連中から至る所で声を掛けられていたのも頷ける、地元のちょっとしたアイドル的な存在なのだろう。

 

 ナイスネイチャのおすすめの料理店で食事をした、その帰り道。もう学園も近い、寮が別である以上はそろそろ別れの時間だ。

 そんなタイミングで彼女は、おずおずと言いにくそうに話を切り出した。

 

「あ、あのさ……。テイオーって菊花賞に出られるんだよね?」

「――もちろんだ、全治3か月ならば充分出られる。何としても俺があいつを出させて、そして勝たせる」

 

 出走させるだけならば容易いことだ、ただ安静にさせていればいい。

 それは最低条件、問題は菊花賞に出させたうえで勝利を掴み取れるかどうかだ。

 

 東条さんが今の俺を見たらまた眉を顰めるだろうな、入れ込み過ぎだと。

 そんなことは言われなくても理解している――だが今回だけは、あいつだけは。

 

 決意を秘めた俺を横目に、ナイスネイチャはほっとした笑みをこぼした。

 

「よかったぁ。柄にもなく頑張ってるのに、その肝心の相手が出ないんじゃ空回りもいいとこだしね」

「……お前も菊花賞に出る予定なのか?」

「うん、まだ出走条件は満たしてないんだけどね。どうしても、菊花賞でテイオーに勝ちたいって思っちゃったからさ。こんなスポ根、アタシには似合わないと思ってたんだけど……」

 

 あはは、と照れくさそうに頬を掻いているナイスネイチャだが……。

 シニカルな態度の裏側、その瞳の奥に宿っていた熱い炎は、彼女もまた勝利を求めるウマ娘であることを証明していた。

 

()()()()()トレーナーさん。トレーナーさんに聞くのもどうかと思うけどさ……。どれだけ頑張っても勝てないかもしれない、そんな努力ってやっぱり無駄なのかな」

「……」

「勝つのは才能に恵まれた主役で、いつも輝いててさ。脇役には眩しすぎて、きっと手が届かない。それくらいはわかってる。わかってた、つもりなんだけどなぁ……」

 

 ナイスネイチャが悲し気に目を細め、そして強く拳を握りしめる。

 才能の差という厳しい現実を突きつけられ、それでもなお勝利を諦めたくないと全身で叫んでいた。

 

 彼女の言うことは至極もっともだ。どんな努力をしようがどれだけ苦しもうが、この世界は結果が全て。

 生まれついた才能がある奴が勝利していくし、殆どの場合でその差を覆すことは出来ない。

 

 凡人が1を学んでいる間に、天才は10かあるいは100のことを学んでしまう。凡才しか持たない者が、勤勉な天才に抗う術はない。

 理不尽なことが多すぎるんだ、この世界は。そうでなければ、スカウトであんなに――。

 

 とにかく、ナイスネイチャの言っていることは正しい。

 ……正しいが、全てではない。

 

「陳腐な台詞で悪いが、無駄かどうかなんて他人が決めることじゃない。決めるのはお前自身だ。どうしても諦めたくないのなら、迷わず挑戦するべきだ」

「え……?」

 

 俯いていたナイスネイチャが、はっとしたように顔を上げた。

 悔し涙を堪えているような、その瞳がぱちくりと何度も瞬きをする。

 

 俺がこんな激励のようなことを言うのが、あまりにも意外だったのだろう。

 確かにテイオーのトレーナーという立場としても予想外だろうし、性格的にも似合っていないと感じるだろうな。

 

 とはいえ俺もトレセン学園のトレーナーなんだ、悩めるウマ娘の背中を押すのも仕事内容のうちだ。

 高い給料をもらっているんだ、時間外勤務だが給料分くらいは働いてやろう。

 

「やらなければ後悔するし、すぐに物事を諦めてしまっては逃げ癖にも繋がるぞ。この世界は、結果を出さないと意味がない。だからこそまぐれだろうが偶然だろうが、最後に結果さえ残せればいいんだ」

「後悔する、か……」

「そうだ。お前が諦めてさえいなければ、挑戦することは無意味なんかじゃない。どれだけ絶望的に思えることだって、やってみると案外なんとかなるものだ」

 

 俺が、トウカイテイオーをスカウトしたときのように。

 一度目はもちろんのことだが、二度目にしたって勝算なんてまるで見えなかった。

 

 最初と比べれば話が出来ていただけマシになっていたが、新人の俺があいつのお眼鏡に適う保証なんて何処にもなかったから。

 けれど、どうしても諦めたくなかったからスカウトした――それだけの話だ。

 

「……大事なのは、挑戦する心を忘れないことだと俺は思っているよ」

「アタシだって、いつかはきっとって思っちゃってるけどさ。それでも……諦めずに追いかけ続けても、ずっと勝てなかったら?」

「ずっと一つのことを追いかけられるってのも、なかなか幸福だと思うがな。ま、それでも疲れたのなら――そのときは、また新しい何かを見つければいいさ」

「――そっか」

 

 俺からしたら、夢を持ってそれに向かって進めるだけでも幸福に思える。

 夢は叶わないことが多いし、そうなったときの嘆き悲しむ姿は見ていて辛いが……。

 

 追いかけているときの輝く姿を見ると、きっと夢を持てて幸せだったんだろうなと感じるようになった。

 それに、東条さんが言っていたように――夢に破れたり疲れたのなら、その願いの形を変えていったっていいんだ。

 

 沈んでいたナイスネイチャが何処か吹っ切れたような、晴れやかな表情になる。

 そしていつものシニカルな笑みを浮かべ、からかうように言ってくる。

 

「……トレーナーさんってさ、結構熱いんだね。それに優しい、こうやってテイオーのことも虜にしちゃったわけか。よっ、女誑し!」

「バカらしい……。あいつは勝手に懐いていただけだ、俺は何もしていない。そんな戯言が言えるならもう大丈夫そうだな、俺はこれで帰るぞ。今日は付き合ってくれて感謝している」

 

 ナイスネイチャと別れ、単身で帰途につく。

 あれであいつが活力を取り戻し、大きな障害となったとしても構わない。

 

 ――そのときは、高い壁になったあいつを俺たちが乗り越えるだけだ。

 

 

 

 

 

 

「いぇーい! ここで会うのは久しぶりだね、トレーナー!」

「――来たか、テイオー」

 

 元気な挨拶とともに、テイオーがトレーナー室に入ってきた。

 松葉杖を突きながら器用にピースサインをして、快活な笑顔を見せてくる。

 

「やっと退院できたよ、病院ってもう退屈で退屈でしょうがなくってさーっ!」

「退院早々騒がしい奴だな、もう二週間くらい休んでた方がいいんじゃないか?」

「またまたぁ、ボクがいなくて寂しかったくせにーっ!」

 

 俺の皮肉をまったく気にする様子もなく、テイオーが機嫌良さげに近付いてくる。

 入院生活の10日間がよっぽど堪えたのか、いつもよりもテンションが高い。

 

 これからの予定について早速話していきたいのだが、この様子では後回しだな。

 入院前と何も変わらず、ただ無邪気な言動に肩を竦める。

 

「退院してはしゃぎたくなるのはわからんでもない。だが、それでもお前はもう少し落ち着きを持ってもいいかもしれんな。この前ナイスネイチャと会ったが、あいつは歳の割にしっかりしていて感心したよ」

「……この前?」

 

 俺のその言葉を聞いて。ぴくり、とテイオーの耳が動く。

 先程までの態度がまるで嘘のように、一気にその表情から笑顔が消えていった。

 

「ナイスネイチャは良い女だったな。料理も得意らしいし、家庭的なウマ娘だ。あいつを嫁にもらう男は幸せ者だろう、お前も見習ったらどうだ?」

 

 そうやって、ナイスネイチャを例に挙げて俺はテイオーを挑発していく。

 こんなことを言えばテイオーが反発するのは火を見るより明らかだ。だが、あるいはいつもの嫉妬心が対抗意識に変わり、プラスの効果をもたらすかもしれない。

 

 加減を間違えれば、火遊びでは済まなくなる危険な賭けだ。しかし、焼死体になることを恐れていては何も始まらない。

 ……大事なことは、困難でも恐れずに挑戦していく勇気を持つことなのだから。

 

「……ねぇ、それどういうこと? お見舞いに来なかった日があったけど、もしかしてネイチャとデートしてたの? ボクが一人寂しく入院してる間に?」

 

 テイオーの目から徐々に光がなくなっていく。……やはり駄目だな、今回はもうここで切り上げておくか。

 これ以上煽ると、火傷で終わればまだマシな事態を招いてしまうだろう。

 

「さて……無駄話はこの辺にしておこう。俺たちの今後の練習計画などについて話していくぞ。お前ももう頭を切り替えろ、これは大事な話なんだ」

「今の話よりも大事なことなんてボク達にはないでしょ! ボクに隠れてネイチャと何してたのか、ちゃんと全部話してもらうからねっ!」

 

 トレーナー室でテイオーと騒ぎ合う。何度も繰り返してきた、いつも通りのことではあるが……今日は、ひどく懐かしく感じた。

 

 まったく、随分と待たせてくれたものだ。

 ここからまた走り始めよう――お前の抱く、輝かしい夢を叶える道を。

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