「お疲れさま、頑張ってるみたいだな」
トウカイテイオーの練習がひと段落するのを見届けてから、俺はクールダウンを終えてストレッチをしている彼女に声を掛ける。そうしてあらかじめ自販機で買っておいたスポーツドリンクを手渡す。
「わっ、これくれるの? ありがとーっ! 練習いっぱいしたし、ちょうど喉渇いてたんだよねーっ!」
鹿毛の長い髪をポニーテールにまとめており、その中で一房だけ白色のメッシュが混じり、三日月のように垂れている少女――トウカイテイオーは快活に笑って礼を言う。
ゴクゴクと勢いよく喉を鳴らしながら渡したスポーツドリンクを飲み干している。それと同時に長い尻尾もバサバサと前後左右に揺れており、なんというかいかにもな明るく活発としたスポーツ少女という印象だ。
「ところでさ、キミは誰? バッジを付けてるからトレーナーなんだろうけど……」
「……ああ。俺は今年からトレーナーになった新人だよ、はじめましてだな。名前は――」
別に初対面ではなく、以前の選抜レースの際にスカウトしたことがあるのだが完全に忘れられているようだ。疑問符を浮かべる顔からは何の悪意も見受けられず、本当に初めて会う者への対応。あれだけ何人にもスカウトされているくらいだから、有象無象のことなど覚えてはいられないということか。
まあ、別に大したことではない。むしろ逆にこれだけのウマ娘が一人一人の顔をきちんと忘れずに覚えている方が驚くべきことだ。才がある存在は自覚しているか無自覚かの差はあれど、傲慢で他者の意など介さない我の強い者が多い。
気にせず初対面だということにして再び自己紹介をする。自身の名前や簡単な経歴、どのような理由で今回声を掛けたか。俺の話を聞きながらトウカイテイオーはえらく表情豊かに相槌を打ちながら聞いていた。
「ほうほう。ではキミは、このボクと話がしてみたかったってわけだね。このさいきょー無敵、無敗の三冠ウマ娘になるトウカイテイオー様と! じゃあ特別に話してしんぜよう、何でも聞いてよねっ」
「お、おう。ありがとう、忙しいなか時間を取らせて悪いが少しだけ付き合ってくれ」
「うむうむ、テイオー様の優しさにたくさん感謝してよ?」
トウカイテイオーはなぜか偉そうに笑顔で胸を反らせて頷く。しかしなんというか……意外と話してみると人懐っこいというか面白い性格の奴だな。傲慢な所は確かにあるが嫌味は感じられない。初対面だと思っている俺へも態度が気さくだし壁を作っている様子も見受けられない。
だがこの元気が有り余っているような、テンションの高さに長時間ついていくのは些か疲れそうだ。いくつか聞きたいことを聞いたらさっさと退散するとしよう。トウカイテイオー自身にも寮の門限があるしあまり付き合わせるのも悪い。
「じゃあ早速聞きたいんだが。君のトレーナーは誰だ? どういう所に惹かれて担当になると決めた? トレーナーとしての実績か、それとも自分と相性が良さそうだと感じたのか……答えられる範囲でいいから教えてくれないか?」
「……え? まだボク専属のトレーナーとかいないよ、さっきまでの練習はボク一人でやってたんだ」
「――は?」
きょとんとした顔で自身にトレーナーがいないことを告げるトウカイテイオー。俺はその思わぬ返事にバカみたいな間の抜けた声を出してしまった。
いや、だって、お前。この前選抜レースで大勢に囲まれてただろ。あの中にはまだ新人の俺とは比べ物にならないくらいのベテランもいたし選り取り見取りもいい所だった。それなのに全員断ったのか? なぜ? 何のために?
「選抜レースのときあんなスカウトがいたのに全部断ったのか? あれだけいれば誰か気に入る奴の一人や二人はいるだろ」
「うーん、そうなんだけどね……。なーんかあんまりピンと来なくってさ。どうせ走るのはボクなんだから、トレーナーなんて誰でもいいやって、面倒になってジャンケンで決めようとしたらカイチョ―に怒られちゃったし」
「じゃ、ジャンケンだと……お前まさか、本当に……」
マズいことをしたと少しは感じているのか、あはは、と頬を掻いて渇いた笑みを浮かべているが。俺としては開いた口が塞がらない。生徒会長が怒る理由も納得できる、いやむしろ納得しかないレベルの呆れた発言だ。
トレーナーとはウマ娘にとっての大事な杖とも言える存在。夢を駆けるウマ娘を導き、支え、道を共に歩んでいくのがトレーナーだ。ウマ娘だけでは危うい場面でも優秀な杖があれば転ぶことを避けられるし、転んだとしても起き上がることが出来る。そんな一蓮托生とも言えるトレーナーをろくに考えずジャンケンで決めようとするなど……。
率直に言ってバカなのか?
確かに才能はある、どのようなトレーナーが面倒を見たとしても、普通に育てるだけで一線級になれることは疑いようがない。けれど、こいつの夢であるクラシック三冠はそんな甘いものではない。いくら才能で勝っていても、自身に合ったトレーナーと二人三脚できなければ足元を掬われる危険は大いにある。
「……一応、お前たちを指導する立場の者として言っておくが。トレーナーは真剣に選んだ方がいいぞ。トレーナー次第でどれだけ持って生まれた才能を伸ばすことが出来るかが変わる。言われるまでもないような当たり前のことだが、将来に関わることなんだから全力を尽くせ。あのときもっと真面目にトレーナーを選んでおけば良かったなんて、そんなくだらない後悔はしたくないだろ」
「うぅ……カイチョ―にもそういうことたくさん言われて怒られちゃったんだよね。ちょっと考えなしだったなーって今は反省してるよ。だからスカウトは保留にしてるんだ……」
先程とは打って変わって、トウカイテイオーは消沈した様子になっている。ウマ耳も萎れたように伏せられ、尻尾も力を失くしたように垂れ下がっていた。喜怒哀楽の主張が激しいし、感情の動きが一目瞭然過ぎるだろ。
(クソ、柄にもないことをしちまった。会って間もない、大して知りもしないウマ娘に偉そうに説教するなど……)
最初からこんなことを言いたかったわけではないのだが、あんまりにもあんまりな発言だったので言わざるを得なかった。いや、今考えてもおかしいわ。自分の力に相当の自負があるのはわかるのだがそれでも適当過ぎるだろ。ジャンケンて。せめて少しは相手を見ろよ。
肩書が欲しくてトレーナーになった俺が言うのは我ながらどうかと思うが、そんな俺でも最低限の仕事に対する責任感はある。いくらなんでもそのような軽い気持ちで担当を決めたりはしない。自分自身の生活に加えて、相手のウマ娘の夢も掛かっているのだから当然だ。
トレーナー契約も絶対というわけではなく、相性が悪かったり何か問題が起きれば、どちらか一方の通告だけでも担当契約を打ち切ることは出来る。出来るが……それは非常事態に行う最終手段のようなものだし推奨される行為ではない。
無理に解消すれば当然学園からの評価は厳しいものになる。トウカイテイオーならばそれでも構わないと抱え込もうとする者は多いだろうが、わざわざ無用なリスクを背負い込む必要はないだろう。
だがその辺のことはもう生徒会長のシンボリルドルフが十分注意した後みたいだし、これ以上外野がとやかく言うことでもないか。本人も見るからに反省している。才に恵まれれば増長してしまうのも無理はない。それを責めて必要以上に踏み込むなど余計なおせっかいも良い所だ。少し気まずい空気になってしまったし次の質問で終わりにすることにしよう。
「お前の夢は無敗の三冠ウマ娘になることだって言ってたよな。生徒会長に憧れてのことらしいってのもどっかで聞いたことがある」
「――うん、そうだよっ! ボクね、カイチョ―みたいになりたいんだ! カイチョ―はね、強くて速くてカッコよくて、さいっこうのウマ娘なんだ。無敗の三冠、伝説の七冠を獲って。それで皇帝って呼ばれてるカイチョ―みたいになりたい……それがボクの夢だし、目標」
トウカイテイオーはまたも表情を一転させ、今度は輝くような、文字通り夢見るような顔つきで遠くを見つめる。夢を語る少女の顔は普段の幼げなものとは違い、どこか大人びて見えた。
それは俺がここに至るまでに別のとき、別の場所で幾度となく見たことがある、ひたむきに夢を追いかける者がよくする姿。それを見て、俺は――
「――なあ、夢を見るってのはそんなに良いもんなのか? 夢を見ているお前は今幸せなのか?」
これはいつか誰かに訊いてみたかった。トレーナー養成校ではこの少女のように高らかに夢を語る者が多かった。日本一のトレーナーになりたい。皆に幸せを与えることが出来るウマ娘を育てていきたい。傍目で聞いていてもわかるほどに熱意が籠った素晴らしい夢であり、目標。
わからなかった。俺には夢と呼べるものが今まで存在しなかったから。なぜこんなにも己の身を焦がすような想いを抱くことが出来るのか。願った彼らの大半は中央のトレーナーになることは出来ず、夢を叶えることは出来なかった。幼い頃から抱いていた夢が無情にも現実に破れ、堪らないと泣き崩れた者もいた。
夢を追いかけていた彼らは幸せだったのだろうか。こんな想いをするのなら最初から夢なんて見なければ良かったと、今はそんな風に思ってしまってはいないだろうか。……だとしたら、ほんの少しだけ、気分が悪い。
せめて、夢を見ていた間だけでも幸せであってくれていたのなら……。
別に特に親しい間柄でもないウマ娘に対する質問か? と思ってしまうがそこは勘弁してほしいところだ。養成校では勉学に勤しむばかりで交友関係はあまり育めなかったし、そもそもライバルである彼らにそんな質問をするのも気が引けた。何より、それ自体が自分には夢がないと暴露しているに等しい。
「ん~……」
俺の雰囲気が変わったことを察したのか、トウカイテイオーは思いのほか真面目に思案している。いきなりこんな突拍子もない質問をされても真剣に考えてくれている。勝ち気でやや生意気な部分はあるが、根は優しいのだろう。
「幸せかって言われると、よくわかんないや……。でも、今は毎日がとっても楽しいよっ! 憧れのカイチョ―と同じ学園に入って、カイチョ―の背中を追いかけて、三冠ウマ娘になるために一生懸命練習する。うん、すっごく楽しいっ!」
「……そうか、充実してるみたいだな。ありがとう、とても参考になった」
向けられる表情を見て、声の調子や仕草を感じて。俺は答えを知ることが出来た。あいつらが同じかどうかはわからない。けれど、胸に突き刺さっていた棘が抜けるような解放感を覚える。当初の予定とは少々異なってしまったが、訊きたかったことは訊けた。もう帰るとしよう。
「じゃあ俺はこの辺で失礼させてもらうよ、今日は付き合ってくれて感謝してる」
「ええ~っ、もう帰っちゃうの? もうちょっと話そうよーっ。カイチョ―の話とかいっぱいしたい」
割と奇麗に話をまとめられたので退散しようとするが、名残惜しそうにトウカイテイオーに引き留められる。俺の方はもう話したいことはないから帰らせてくれねえかな。
「いや、もう遅くなってきたしお前も帰れよ……。門限までそんなに時間はないぞ」
「ボクがちょっと本気出せば寮なんてすぐ着くし、よゆーよゆーっ! せっかく知り合えたんだし、もう少しだけいいでしょ? キミの質問にも答えてあげたんだからさあ」
「……少しだぞ、本当に少しだけなら付き合ってやる」
まあ長い間気になっていた疑問も解決したし、望むのならばその御礼代わりとして付き合うのが道理か。貰うばかりで与えることをしないなど愚の骨頂だ。この世の原則はギブアンドテイク、さっきの借りはこれで返せる。
そうやって承諾すると、トウカイテイオーは飛びつかんばかりの勢いで、嬉しそうに帰りかけた俺の傍に寄ってくる。その様子に若干の後悔を感じたのも束の間。
「やったーっ! ねぇねぇ、何から話す? やっぱりカイチョ―の話が鉄板だよね。カイチョ―はさ、出たレースの中で三度しか負けてないんだよ。あれだけいくつものGⅠに出てるのにだよ? それがどれだけ凄いかわかる? 『レースに絶対はないが、シンボリルドルフには絶対がある』って、そう言われる程なんだから。カイチョ―の走りはどれもカッコよくて最高なんだけど、ボクが初めて見たのは日本ダービーのとき。もう、すぐにファンになっちゃったよ。二着のウマ娘も十分速かったのに、それでも大きく差を付けて一着で悠々とゴールイン! 勝った時のポーズがすっごく決まってて、カッコ良かったなあ……。勝った後の会見してたウィナーズサークルまで思わず飛び込んで行っちゃったよ。記者の人たちとかみんな苦笑いしてたけど、カイチョ―は穏やかに迎えてくれてさ。『ボクはシンボリルドルフさんみたいになります!』って言ったら優しく頭を撫でてくれて、『覚えておこう、待ってる』って言ってくれたんだよ! ボクとっても嬉しかったなあ、それからはもうカイチョ―みたいになりたくって必死でさ――」
「…………」
トウカイテイオーが延々と早口でシンボリルドルフについて語り続ける。とんでもないマシンガントークだ。よく一つの話題だけでこんなにも話すことが尽きないなと逆に感心してしまう。
俺は心を無にしてひたすら耐え続けた。黙ったままだとたまに意見を求められるので適当にシンボリルドルフを褒め、話の合間に適当に相槌を打つ。
こいつは少女特有の甲高さと粘りつくような甘ったるさがある、なかなか特徴的な声をしている。一度聴いたら忘れられないような独特の声音だ。その声でずっと話を続けられるのは割とキツい。甘い食べ物をこれでもかと食わされるような。関係ないのになぜか胃がもたれるような気さえする。
どんなに長くても門限近くまでには終わる、そう思うことで心の平穏を保つ。これは対価だ、質問に答えてもらったことへの礼。いわゆる等価交換。言うほど等価か? とも思うが義理は果たさなければならない。
……結局俺がトウカイテイオーから解放されたのは門限ギリギリ、走らなければ間に合わないレベルの時間だった。あれだけ喋っていたのにまだ物足りなそうなあいつの手を引っ張り、遅くなってしまったので仕方なく寮までともに走って送り届けた。
寮長であるフジキセキという、宝塚にでも出てきそうなウマ娘には苦笑と一緒に小言をもらってしまった。監督者としてこんな時間まで止められなかったのだから当然の話だし、弁解する元気も残っていなかったために潔く受け入れる。
憧れのカイチョ―の話が出来たためか、満足気に手を振って寮に消えていくトウカイテイオー。それとは対照的に、俺の疲労は限界近くまで溜まっていた。
まだまだ慣れないし覚えることも多いトレーナーとしての生活に、上手くいかないウマ娘のスカウト。それに加えて今日の出来事……疲労困憊、満身創痍とはこのことだろう。だが、まあ。そんなに悪い気分ではない。
夢を持つことは出来そうにないが、夢を持つ者がどんな気持ちでいるのかはある程度知ることが出来た。
――もう少しだけ、諦めずにスカウトを続けていくとするか。