乾いたターフを湿らせる   作:やわらかスマホ

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第十九話

「お前がいない間に、今後の予定について簡単にまとめておいた。今から一緒にそれを確認していきたいんだが……」

「……」

「……おい、ちゃんと聞いてるのか? 大事な話だと言っているだろう」

「……ふんだっ!」

 

 俺の言葉にまともな返事をしようともせず、テイオーがそっぽを向いた。

 完全に拗ねている。不愉快な態度をもはや隠すこともせず、視線も決して合わせない。

 

 無事に退院したこいつがトレーナー室に意気揚々とやってきた直後、俺が言い放ってしまった迂闊な一言のせいだ。

 こいつのよくわからない嫉妬心を利用して、対抗意識を刺激すれば良い変化をもたらすかもしれない。

 

 そんな程度の軽い思いつきだったのだが、結果はご覧の有様だ。最初にここに来たときは鬱陶しいくらいのテンションの高さだったのに、今では見る影もない。

 すぐに失敗だと悟り、前言を撤回したのだがそれでこいつの機嫌が直るはずもなく……今のこの状況に至ってしまっている。

 

 あまりにも浅はかな、程度の低い行いだったと言わざるを得ない。テイオーが相手だとつい口が軽くなってしまうことも多いが、今回は限度を超えていた。

 そもそも、他者を自分の思い通りに動かそうという目論見自体が誤りだったのだろう。おかげでせっかくテイオーが退院したのに、いきなり険悪な雰囲気だ。

 

「……トレーナーってさ、結構浮気性だよね」

 

 ずっと押し黙っていたテイオーが不機嫌そうに口を開いた。

 その唇は尖っており、態度もぶすっとしているが……。どんな形であれ、ようやくコミュニケーションを取れそうなことに内心で安堵する。

 

「ボクがちょっと目を離すとすぐに他の子の練習とか見てあげちゃうし、意外に悩んでるウマ娘の相談とかも乗ってあげてるしさ。それにこの前だって、ボクに内緒で犬の写真集なんて買ってるし……」

 

 いや、そこに何か悪いところあるか? 担当しているテイオーが不在のときに暇つぶしで他のウマ娘の面倒を見てやることはあるが、むしろ褒められて然るべき行為だと思うが。

 あと犬は関係ないだろ、犬は。写真集に関してはただの一個人の趣味趣向なんだから、それくらいは好きにさせろ。

 

 そう言ってやりたい気持ちで溢れかえっていたが、そんなことをすればますます事態の収拾がつかなくなるので心の中に押し込める。

 

「ボクはね、トレーナーなんて選び放題だったんだよ? キミも知ってると思うけど、この最強無敵のテイオー様には、スカウトがいっぱい来たんだから。そんなボクとこうやって契約できてるんだから、トレーナーはもっとその幸運に感謝してボクを大事にするべきだよ」

 

 テイオーの愚痴は尚も続いている。先の俺の言動がよほど腹に据えかねているのだろう、言いたい放題とはまさにこのことだ。

 普段から溜まっていた、些細な不満もこの機会に放出している勢い。確かにこいつの言うことにももっともな部分はある。

 

 トウカイテイオーは自他ともに認める天才で、才気に満ちたウマ娘だ。トレーナーを自身の好きに選べたというのは誇張でも何でもなく、純然たる事実。

 才能に恵まれた者は、当然だが大抵の場合自分に自信がある。能力があれば自然と良い結果はついてくるし、周囲の目線も好意的になるからだ。

 

 こいつはその実力に相応しく、気位もかなり高い。常の天真爛漫な仕草に目を奪われがちだが、テイオーは自己に対する確かなプライドを持っている。

 そんな自分が蔑ろにされていると感じたのだから、文句の一つや二つは言ってやらねば気が済まないのだろう。

 

 俺としては、こいつを自分なりに丁重に扱っているつもりだった。トレーナーになる以前までの俺であれば、ここまで他者に対して気を配ることなどなかったしな。

 だが、それも相手に対して伝わらなければ何の意味もない。改善していく必要性があるのかもしれない。

 

 つもりだと言って望んだ結果が出ていないのなら、それは何かが足りていなかったということに他ならないからだ。

 ただの自己満足で終わらせず、絶え間なく試行錯誤して研鑽を積み重ねなければ、頂点になどいつまで経っても登れない。

 

「……ていうかさ。『ネイチャは良い女だったな、お前も見習え』とか、そもそも退院してすぐの愛バに言うことじゃないよね。ホントありえないから」

「……ああ、その通りだな」

「どうせボクはネイチャみたいに家庭的じゃないよ、料理だってまだあんまり覚えてないし。それでも、トレーナーのために一生懸命頑張ってるのに……。こうやって怪我して走れなくなっちゃったら、もうどうでもいいってことなのかな」

 

 そこまで言うと、テイオーの顔に憂いの影が差した。その視線が悲しげにギプスに覆われた、骨折して動かせない脚へと向けられていく。

 走ること、勝つことを本能で求めるウマ娘にとってそれがどれ程の苦痛であるか……。ヒトの俺には、その心情を推し量ることすら出来ない。

 

 未熟な俺の無力さが引き起こした罪の象徴、思わず目を背けたくなるような光景がそこにはあった。

 しかし、そこから逃げるような真似だけはしない。これを糧にして、必ず這い上がってやる。

 

「――違う、そんなことはない」

「……ふぇ?」

 

 力強い俺の否定に、テイオーが素っ頓狂な声を上げる。

 今までの不満もこのときばかりは忘れてしまったような、そんな彼女の様子にも構わずに俺は先を続けていく。

 

「俺はどうでもいい奴をわざわざスカウトするほど暇じゃない。一度面倒を見ると決めたのなら、それを覆すことだってない。お前だから俺は選んだんだ――その事実は、今も昔も変わらない」

「そ、そっか……。もう、ネイチャとデートしてた浮気者のくせに口だけは達者なんだから」

 

 テイオーの頬が朱に染まっていき、ぷいっと顔を逸らす。

 恥ずかしいことを口にしている自覚はある。けれど、自分の気持ちは相手に伝わらなければ意味がないのだと悟ったばかりだ。

 

 今は担当ウマ娘と仲違いなんてしている場合じゃないんだ。こいつに笑顔が戻るのなら、この程度いくらでも言ってやる。

 トレーナーと担当ウマ娘、一心同体とまではいかずとも気持ちは同じでなければ出来ることも出来なくなってしまう。

 

「先程の発言に深い意味はない、だが著しく配慮に欠けていたものだったのは認めよう。とにかく、俺は悪くないなどと見苦しい言い訳をするつもりはない。すまなかった、テイオー」

「……はぁ。そんな真剣に謝られたら許すしかないじゃん。ボクが悪者みたいになっちゃうし」

 

 先の行いについては完全に俺に非があったため、真摯に謝罪する。

 トレーナーとして、大人として。自身の過ちは素直に認めなければ、ウマ娘を導く資格などなくなってしまう。

 

 間違いを犯すことよりも、それを認めずに正当化しようとする方がよっぽどみっともない。

 いつでも、誰に対しても胸を張れるような自分でいたかった。

 

「悪い、だが俺が言うのもなんだが気にすることはないぞ。お前にも良いところはたくさんあるからな」

「……ふーん。じゃあ良いところってさ、例えばどこ?」

「――は?」

 

 今度は、俺が間の抜けた声を出す番だった。

 そのような返しが来るとは予想だにしていなかったためだ。いつもだったら、この辺で良い感じに話がまとまるのだが。

 

 テイオーが値踏みするような目で俺を見てくる。言葉では許すと言っておきながら、こいつはまだ納得しきってなかったのだろう。

 

「たくさんあるんならさ、ボクの良いところを言ってみてよ。ボクの何処が好きなの? もちろん、ネイチャよりもいっぱいあるんだよね?」

 

 尋問するかのような勢いで要求を投げ掛けてきた。こいつの望み通り、その問いに答えなければこの場は収まりそうにない。

 

 なんだこいつ面倒くさいな。

 引き金を引いてしまった俺が全て悪いのは重々承知のうえだ。それでも、素直な感想としてそんな風に思ってしまう。

 

 何も言わず、ただ散歩をして餌を与えていれば喜んでくれる犬はやはり至高だな。こいつが卒業したら、すぐにでも家を手に入れて飼いたいものだ。

 こいつの担当が終われば、もはや誰に憚ることもなく自由に犬を可愛がっていくことが出来るわけだし。

 

 卒業して環境が変わってまで、テイオーが同じように俺に付き纏うことはまずないだろう。わずかに寂しさを感じなくもないが、こいつも結構な飽き性だ。

 いつもよりも手こずりそうなため、そうやって解決の前に思考に休息を入れていく。

 

 しかし今回もそうだが、トレーナーになってからは上手くいかないことばかりだ。

 就任直後のスカウトはいきなり難航、ようやく契約した担当ウマ娘との距離感も上手く掴めない。挙句の果てには、あれだけ念入りに注意していたのに骨折させてしまう始末。

 

(――だが、それでこそだ)

 

 こんなに物事に苦戦したことは今までなかった。全力を尽くしたとしても尚届かないかもしれない、それのなんとやりがいのあることか。

 目標達成が困難であればあるほど、成し遂げたときの喜びもまた大きくなる。

 

 少し不謹慎かもしれないが、このような状況において俺は不甲斐なさと同時に楽しさも見出していた。

 結局は今までと同じように結果を求めていくだけだが、これならいつも以上に充実した日々を送れそうだ。

 

 ……とりあえずまずやるべきことは、やけに濁った瞳で見つめてくる担当ウマ娘の機嫌を元通りにすることからだな。

 

 

 

「えへへーっ、トレーナーがそんな風に思ってくれてるなんて知らなかったなぁ。そういえば、これからのことについて話すんでしょ? 早速始めよっか!」

 

 上機嫌になったテイオーがにやにやしている、今にも歌い出しそうな様子だ。

 

 ……あれから。こいつをこの状態にするのにどれだけの時間を掛け、どのような言葉を投げ掛けたのかについては、もはや語りたくもない。

 第三者からすれば、レースしか知らない純粋無垢なウマ娘を言葉巧みに操っているように見えるかもな。

 

 だが、実際には俺の方がこいつに振り回されている。今回は俺の失言が原因であるものの、それを抜きにしてもこいつは相当な逸材なのではないだろうか。

 ウマ娘という種族自体がトレーナーを独占したがる性質を持っているのか、それともテイオーが特別嫉妬深いのかは知らんが。

 

 後者であればそれはそれで問題だが。むしろ前者であった方が厄介だ、もしそうなら今後の身の振り方をよく考えた方がいいかもしれん。

 新しくウマ娘を担当するたびにこんな調子では、いくらなんでも俺の精神が持たない。いずれはチームを設立して複数人を指導する立場だからな。

 

「その話をしていく前に、大前提として共有しておくべき情報がある。お前の――その脚についてだ」

「……うん」

「……はっきりと結論から言えば。お前の脚は、おそらく折れやすい」

 

 そうして、テイオーに対して俺が立てた仮説を説明していく。

 

 テイオーは身体が柔らかく、関節の可動域が広い。通常ならそれでカバーして怪我をしにくくなるが、同時に骨に掛かる負担も大きくなる。

 脚へのその負荷が徐々に蓄積されていき、最終的に折れてしまったのではないかということ。 

 

 こちらとしてもケアを怠っていない筈だったが、見積もりが甘かったことも隠さずに全て話していった。

 笑顔が消えたテイオーは、俺の話をただひたすら無言で聞いていた。

 

 やっとの思いで機嫌を直させたのに、それが無に帰ったような光景。とはいえ、いずれは向き合わなければならないことなら早い方が良い。

 今は時期が悪いと問題を先延ばしにしていくことは、殆どの場合で良い結果に繋がらない。

 

「……ボクも、おかしいとは思ってたんだよね。あれだけトレーナーが慎重に計画を立ててくれてたのに、あんなにあっさり折れちゃうんだもん」

「……」

「もう、そんな顔しないでよ。ボクは大丈夫、そうかもしれないって覚悟はしてたから」

 

 あはは、とテイオーが朗らかで溌溂とした笑みを浮かべる。

 それが空元気であることは一目瞭然だった。そうかもしれないと考えてはいても、実際にそれを他者に叩きつけられるのは心に突き刺さる。

 

 だが、こいつが大丈夫だと言うのなら慰めることも同情することもしない。

 そのような余計な気遣いはかえって失礼に当たる、俺はただこいつが倒れないように支えていればいい。

 

「あんなに、トレーナーが気を付けてくれたのにね。脚だっていっぱい触られちゃったのに……。ほんと、いつも触ってくるから、ただボクの脚を触りたいだけかと思ったこともあるよ?」

「……お前の言い方には大抵語弊があるな。ただのマッサージなだけで他意はないし、加えるとお前の身体に興味もない」

「最後の言葉わざわざ加える必要あった!? トレーナーは相変わらず失礼すぎるよ!」

 

 努めて普段と同じようにバカらしいやりとりを行う、そうしていれば普段通りになれるのだと信じて。

 いや、違う。深刻なことは何もない――こんなものは笑って乗り越えよう。

 

「これからは、お前の脚部不安を念頭に置いた計画を立てる。リハビリ後は練習内容やレース間隔を抑えて様子を見ていくが、そこはあらかじめ了承しておいてくれ」

 

 テイオーに今後のスケジュールをざっと記した書類を渡す。

 それには菊花賞までとそこから先、大きく二つに分けた簡単な予定を記した。

 

 ただあくまでも予定表に過ぎないため、これから如何様にも変化する可能性がある。

 状況は常にとめどなく流動していく、そのときに応じて細かく変化させ臨機応変に動かなければならない。

 

 それでも、あらかじめ大まかな指針を用意することは決して無駄にはならない。

 内容についてはもちろん口頭で説明していくが、形として残るものもあった方が理解の助けになるだろう。

 

 テイオーは俺の作成した書類の束をちらりと一瞥だけすると、すぐに俺の方に向き直った。

 自分の今後を左右する予定なのに、まるで読もうとしない。もうとっくに座らせているから両手は好きに使える筈なんだが。

 

「わかった、そういうのは全部キミに任せるね。ボク、トレーナーのこと信じてるから」

「良い子だ、その期待は裏切らないと誓おう。だが何かあったら遠慮なく言え、こちらの意見を一方的に押し付けたくはない」

「うんっ!」

 

 褒めるように頭を撫でると、眩しい笑顔でやけに良い返事が返ってきた。

 こういうときは素直なんだが、急に態度が豹変するときがあるのが困る。いつもこうだったら俺も楽に仕事が出来るんだが。

 

 トレーナーと担当ウマ娘というのは、どうあっても互いの絆が求められる。

 どちらかが無理を強いて我慢させてしまう歪な関係では、トゥインクル・シリーズを走り抜けることなど到底不可能だからだ。

 

 その点俺たちはどうなんだろうか、きちんと絆を結べているのか?

 俺としてはしっかり結べているのだと信じたいところだが、とてもそうは思えない状態に陥ってしまうケースが多々あった。

 

「あれ? ねぇ、他にはボクに何か言うことないの?」

 

 テイオーがなぜかそわそわしている。ちらちらと上目遣いでこちらを見て、何かを期待しているような仕草だ。 

 これはまたしょうもないことが始まるな。そんな嫌な確信があったため、溜め息をつくのを抑えながら俺は訊ねることにした。

 

「……何かとはなんだ」

「ほら、『俺を信じてついてきてくれ、俺から離れるな』とかさ」

「その流れはこの前やっただろ、何度同じことを言わせるつもりだ」

「それくらいいいじゃん、そういう嬉しい言葉は何度だって聞きたいからねっ!」

 

 テイオーが途端に無駄にはしゃぎ始めた、だが流石にこれ以上は付き合っていられない。

 現状や今後の予定をただ話すだけなのに、それだけで一体何分掛かっているんだ。

 

 自分にも大きな責任があるから強くは言えないのだが、いくらなんでもあまりにも時間の浪費がひどい。

 怪我をしたから走れないとはいっても、こいつにはやるべきことなど山のようにある。

 

 レース知識の吸収や対戦相手になりうるウマ娘のデータ確認、といった座学でもいい。チェスや将棋で俺と対戦して頭の回転を磨いてもいい。

 あるいはダンベルでも用意して脚に負担が掛からない、上半身の筋力トレーニングでもいい……とにかく、時間はいくらあっても足りない。

 

 ……しかし、退院直後の今日だけは。少しくらい休息に充ててもいいか。

 詭弁に過ぎないのはわかっているが、担当ウマ娘と親交を深めるのもそれはそれで大事なことだからな。

 

 今のように無邪気な姿と、先程見せた嫉妬深い姿。

 それがまるでコインの表と裏のように激しく入れ替わる愛バをあしらいながら、俺はそんなことを思う。




最近は忙しく小説を書くどころではなかったのですが、まだ忘れずに見てくださっている方がいるのを確認して活力が湧きました。

いつも読んでくださる方、感想や誤字報告を送ってくださる方、本当にありがとうございます。
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