乾いたターフを湿らせる   作:やわらかスマホ

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第二十四話

「テイオーさん、もう脚は大丈夫なんですか!? あたし、すっごく心配で……レースも歌もあんなに完璧だったのに……」

「もっちろん、よゆーよゆーっ! むしろもう前より速く走れちゃうよ? 何せボクは、最強無敵のテイオー様だからねっ!」

「わぁ……! 流石です、テイオーさん! 菊花賞、絶対応援しに行きますね――もちろん、ダイヤちゃんと一緒に!!」

「うん、頑張って一緒に応援しようねキタちゃん」

 

 10月も半ばに差し掛かろうとしていた頃。

 

 今日も今日とて、担当ウマ娘であるトウカイテイオーと休日に街を散策していると、二人組の幼いウマ娘たちに声を掛けられた。

 

 おそらく小学生であろうこの少女たちはどうやらテイオーのファンらしい。

 正確に言えば片方がそうであり、もう片方はメジロマックイーンのファンらしいがその辺りのことは別に何でもいい。

 

 テイオーの大ファンであり、ウェーブした黒髪を肩で揃えているのがキタサンブラック。

 背中を覆い尽くすほどに長い、明るい茶髪をなびかせている少女がサトノダイヤモンド。

 

 キタサンブラックからは活発そうな印象を受けるし、逆にサトノダイヤモンドからは大人しくてお淑やかな雰囲気を感じる。

 両者の性格は一見すると対照的にも思えるが、それでも仲は非常に良好であることが随所で見て取れた。

 

(それにしても、サトノダイヤモンドか。サトノ、まさかな……)

 

 そこまで歴史は深くないが、メジロ家に迫るほどに様々な事業を展開しているサトノグループを連想させる名前だ。

 見た目もいかにもな箱入り娘といった風貌だし、あるいは本当にサトノ家のご令嬢なのかもしれんな。

 

 ――そうだとしても、まるで興味が惹かれない。

 

 彼女がサトノグループの娘ならこれを縁にして友好的に接触すれば、サトノ家と繋がりを持つことが出来るかもしれない。

 一大財閥とのコネクションは俺にとってあらゆる場面で有効に働くはずだ。いつか、さらなる苦境に陥ったときの助けとなるのは間違いないだろう。

 

 だが、コネで得られた結果に何の意味がある?

 自身の力で難局を打開してこそというものだ。人脈も一つの武器であるのは理解しているが、そのような手法は好きにはなれない。

 

 そもそも彼女たちはテイオーの知人であるし、部外者である俺が話に割り込むのもどうかと思うしな。

 こいつらは気を遣ってか時々俺にも不自然に話題を振ってくるが、だからこそ返事は全て適当に返している。

 

 三冠にあと一歩まで迫ったスターウマ娘とその小さなファンたちで、存分に交流を深めていればいい。

 大体、テイオーは休日に俺と一緒にいすぎる。特定の人物としかコミュニケーションを取らないのは、視野を狭めてしまうし推奨できない行為だ。

 

 十人十色。誰しもそれぞれ違う考え方や価値観を有しているため、様々な相手と触れ合うのは見識を深める良い機会である。

 そうやって多くの経験を積んでいくことで子供は大人になっていく、それをトレーナーである俺が邪魔するべきではない。

 

 ……ふっ。ファンを大事にしろよ、それがお前の力になる。

 

「――盛り上がってるところ悪いが少しいいか? これから用事があるんでな、俺はここで消えさせてもらおう。後は三人でゆっくり楽しんでくれ」

 

 この中での異分子は誰がどう考えても俺だ、そう判断して姦しく談笑している少女たちに別れを告げる。

 そして俺は、急なことに目を白黒させているこいつらに背を向けて歩き去っていった――。

 

「……ねぇ、どうしていきなり逃げようとするの? 用事なんてないでしょ、さっきまでそんなこと何も言わずに一緒に歩いてたじゃん」

 

 ――などということもなく、速攻で担当ウマ娘に妨害される。

 

 ちっ、今ならさりげなく帰れるかと思ったがやはり駄目だったか……。大人しくファンの相手をしていればいいものを。

 これで時間が空いたなら最近山積みになっている論文でも読破しようかと思っていたが、どうにも雲行きが怪しくなってきた。

 

「おい、裾からすぐに手を放せ。お前と違って繊細なんだ、そのバカみたいな力で引っ張られたら服が持たないだろうが」

「その脚を止めてくれたら放してあげる。どうせボクにこの子たちの相手をさせれば楽が出来るとか思ったんでしょ、悪いけどそうはさせないから」

「……下衆の勘繰りだな、見当違いも甚だしい。俺はただ気を遣ってやっただけだ、お前が小さなファンに心置きなくサービスできるようにな――邪魔者は退散するに限るだろ?」

 

 透き通るような秋晴れ――心地良い気候の下で、トレーナーと担当ウマ娘による激しい攻防が繰り広げられる。

 本音を言えば、一人でも面倒なのに三人の子供たちの相手なんてしてられん。

 

 テイオーがここで秋のファン大感謝祭を開けば俺は自由になれて、こいつらはさらに絆が深まり良い思い出の一ページになる。

 誰も損しない、まさに考えられる中で最高の展開だというのに何が不満だというのか。

 

「え、もう行っちゃうんですか? テイオーさんのトレーナーさんなんですよね……? あの、全然邪魔なんかじゃないです! あたしたちには気を遣わないで大丈夫ですから!!」

 

 互いの主張を一歩も譲らぬその争いに突如割り込んできたのは、キタサンブラックと名乗った黒髪の少女の方だった。

 俺の前に道を塞ぐように回り込み、小さな身体で懸命に主張してくる。それを見てすぐにもう一人の少女――サトノダイヤモンドもやってきたため、完全に前後を囲まれている。

 

 引く手あまたも良いところだった、我ながら大した色男ぶりじゃないか。

 まさか見知らぬ少女たちにまで逃走を妨害されるとは思わず、意味不明な状況で皮肉げに軽く笑う。

 

 優しさ故なのだろうが俺のためを思うなら放っておくか、テイオーを引きつけておいてほしかった。しかし、この現象がスカウトのときに起こっていればどれだけ楽だったか……。

 少なくともあれほどまでに無為な時間を過ごすことはなかっただろうから、人生とは相変わらず儘ならないものだ。

 

 とりあえず、こいつらを振りほどくだけなら容易いことだ。ウマ娘に単純な力で上回る必要などない、ただ冷たく拒絶すればそれだけで事足りる。

 けれどそれはどうしても出来ない。そのような自分本位な立ち振る舞いは、決して正しくないからだ――中央のトレーナーとしても、人間としても。

 

 俺は所詮紛い物だ、本物のトレーナーの振りをし続けているだけの偽物に過ぎない。だからこそ、明らかに間違った行動をすることは俺の心が拒絶していた。

 

「あたしたち、中央のトレセン学園を目指してるんです、憧れのテイオーさんやマックイーンさんみたいになるために。だから、トレーナーさんのお話にはすごい興味があって……」

「駄目だよキタちゃん。トレーナーさんは忙しいんだから、無理に引き止めちゃったら悪いよ」

「ダイヤちゃん……。そうだね、こんなことしたらきっと迷惑だよね。すみません、忘れてください……」

 

 俺の前に立ち塞がっていた小さなウマ娘たちの耳が気落ちしたようにへたれ、その顔が俯いていく。

 なんだこれは、何も悪いことはしていないはずなのに凄まじい罪悪感に襲われる。子犬を虐待したらおそらくこんな気分になるのかもしれない。

 

 演技でやってるとしたら中々の大物だし、狙っていなくてもそれはそれで厄介だな。 

 無垢な子供のささやかな願いを無碍にするほど俺は腐っちゃいない、こんな頼み方をされた時点で退路など何処にもなくなってしまう。

 

 偽善的な思考に肩を竦めたくなりながらも、いつものように演技の準備をする。

 “中央のトレーナー”として相応しいと思われるための芝居の始まりだ。

 

 俺はしゃがみ込み、笑顔の仮面を張り付けて二人の少女の顔を見つめた。

 成人男性と子供のウマ娘では、背の高さがまるで違う。だからこそちゃんと相手をするときには姿勢を低くして目線をしっかり合わせ、なるべく柔らかく接する必要がある。

 

 子供は感受性が豊かだ、だからこそ壊れ物を扱うように慎重に相手をするべき――俺がかつて教わった、当たり前だが大事なこと。

 今ならはっきり理解できる、高みから見下ろしていたのでは伝わるものも伝わらない。

 

「いや、迷惑なんてことはないさ。聞きたいことがあるなら遠慮しないでいい、それくらいなら喜んで付き合うから」

「でも、用事があるんじゃ……」

「私たちのことなら本当に気にしないでください! テイオーさんとの大事な時間も邪魔してしまいましたし、これ以上は……」

「用事なんて後回しにするから大丈夫、君たちの方がよっぽど大事だ。子供が余計な気を回さなくていい、将来は俺の担当ウマ娘になるかもしれないなら尚更な」

 

 型に嵌めて作ったような奇麗事を言って、優しく見えるようにそっと微笑む。

 背後で、未だに俺の服をきつく握りしめていたテイオーが「誰……?」と呆気に取られたように呟いた。

 

 ……お前は本当にいつも良い所で水を差してくるな、わざとやってるのか?

 

「あ、ありがとうございます! うわぁ、とっても嬉しいです! トレーナーさんって、最初はちょっと怖そうとか思ってたんですけど、すごく優しくて良いヒトなんですね!!」

「トレーナーさんトレーナーさん! 早速なんですが質問してもいいでしょうか? テイオーさんのトレーニングとか、私いろいろ聞きたいことがあるんです!!」 

 

 途端に目を輝かせたウマ娘たちが我先にと傍までやってくる。

 優しく正しく、知識に溢れたウマ娘想いの好青年。いつか俺が思い描いた理想像にこれで一歩近付けただろうか。

 

 ――この少女たちがわずかでもそう思ってくれるなら、それこそが俺にとっての救いとなる。

 

 

 

「……トレーナーってさ、なんか最近調子に乗ってるよね」

 

 隣にいるテイオーが、溢れる不満を隠そうともせずにそうぼやいた。

 

 キタサンブラックとサトノダイヤモンド。二人の幼いウマ娘と別れた俺たちは、最初と同じように並んで歩いている。

 あの後はそれなりに彼女らと打ち解けることに成功――むしろ成功しすぎたため、一旦場所を喫茶店に移して会話をした。

 

 そもそも本来はあの少女たちと縁を結ぶつもりなどさらさらなかったのだが、まぁ少なくとも悪いようにはなるまい。

 喫茶店でデザートを奢りながら様々なことを語り合った結果、基本的な情報は入手することが出来た。

 

 キタサンブラック――父親は有名な歌手であり、人助けが好きな人情派の少女。

 サトノダイヤモンド――やはりサトノ財閥の令嬢で、箱入り娘に見えるが芯は強い。

 

(……もしあの少女たちがトレセン学園に入学すれば、このデータもスカウトの一助になるかもな)

 

 本当に入学できるのか、仮に入学できるほどの実力を身に付けたとして、俺が相手にされるのかなど多くの問題点がある。

 そもそもがまだ先の話である、だがいずれにせよ将来への布石としては充分だろう。

 

 とりあえず今の俺が優先してやるべきことは、担当ウマ娘の相手をしてやることか。

 まさかいつも調子に乗ってるような奴に言われるとは思わなかったが、トレーナーが自分のファンとよろしくやってるのを見たらあまり穏やかではいられないだろうしな。

 

「ネイチャとデートしたり、マックイーンを口説いたりさ。しかも今度はキタちゃんたちにまで手を出すなんて……ウマ娘なら誰でもいいの? この変態!」

「……弁明するのも面倒だ、もう何とでも言え。しかしお前も似たようなことばかり口にしていて飽きないのか? そこらにいる犬の方がお前よりは多芸だろうよ」

「あ、そういうこと言うんだ……。ていうかトレーナーこそ、何かあったらすぐに犬の話するのやめてよね」

 

 俺の言葉を聞いたテイオーがますます膨れっ面になる。

 確かに、思い返せばほんの少しだけ話題に出る機会は多いかもしれない。だが好きなんだから仕方ないだろ、それ以上の理由が他に必要か?

 

 こいつと犬の魅力について語り合っても理解が得られるとは思えないし、むしろさらに機嫌を損ねるだけだろう。

 自分も犬と大して変わらん仕草をしてるくせにその魅力がわからんとは……まぁいい、とにかく鎮火作業に入るか。

 

「――安心しろ、俺はお前一筋だ。最近他のウマ娘と交流を深めているのは、様々な経験を積んでお前とのトレーニングに活かすため……つまり、全てお前のためにやっている」

「うぅー……そういうとこ! そういうとこだよ、トレーナーの悪いとこは!!」

「何を騒いでる……とにかくお前は特別だ、そのせいで対応がやや雑になってるかもしれんがな。だが特別なお前だからこそ、扱いが違うのは当然だろ?」

「と、特別!? えへへ、やっぱりそうなんだ……」

 

 テイオーの表情がにやけ、瞬く間にふにゃふにゃと柔らかくなる。

 

 こいつは特別扱いされるのが好きだ。自身を特別だと確信しているし、他者にもそう扱ってほしいという欲求がある。

 勝ち気で自信家、目立ちたがり屋な性格はそこから来ているのだろう。それだけの実力はあるし、そのこと自体には何も言うことはない。

 

 仮に責められるものがあるとしたら、テイオーのそんな性質を利用している俺だろう。しかし、それでも彼女が特別であるのは嘘じゃない。

 大事な教え子だし、その才に惚れ込んでスカウトした初めての担当ウマ娘だ――特別であって当然。

 

 なのにどうして、俺の言葉はこんなにも胡散くさく安っぽく聞こえてしまうのか。これではまるで詐欺師か占い師だ、我ながら笑ってしまう。

 同じ内容でも他の奴らが言えばさぞかし絵になるのだろうが、それを俺が口にすると途端に空虚に響く。

 

 いたいけな少女を騙しているような気分にすらなるのだから、もはや自身に対する呆れの感情さえ浮かばん。

 だが他の何を手放したとしても、今トウカイテイオーに逃げられるわけにはいかない。

 

 ……俺は、こいつの脚がその速度と引き換えに脆くなっていることに気付かなかった。

 これは誰がどう慰めようとも変わらない、あまりにも大きすぎるミスだ。

 

 百戦錬磨のベテラン、あるいは才気煥発のトレーナーであるなら、すぐさまこの問題を発見して未然に防いだことだろう。

 それがいかに一般人にとっては未来予知に等しいことであっても、日本最高峰の連中ならばきっと可能であったはずだ。

 

 ――だというのにあの事態をみすみす招いたのは、俺が未熟だからに他ならない。

 

 俺がまだまだ至らないから、ちゃんとしたトレーナーではないから、あんなことになった。

 二度と同じことは繰り返さない。この失敗を胸に刻んで、さらなる成長を遂げてやる。

 

 まだだ、まだ足りない。もっと先へ、もっと前へ――!

 誰よりも優秀で、誰が見ても立派なトレーナーになろう。

 

 まず手始めにテイオーの夢を無事に叶える。そうしていけば、いつか必ず俺は“本物”になれるはずだ。

 だからこそ、お前を掴んで離さないために、嫌気が差す台詞であろうと言い続けよう。

 

「ふふっ、特別かぁ……良い響きじゃんっ! まぁ当然だよね、ボクたちは一蓮托生だしずっと一緒にいるんだもんね!」

「……わかってくれたのなら何よりだ。菊花賞も近いというのに、こんなことで仲違いをするのもバカらしい」

「うんうん、菊花賞で勝って、無敗の三冠ウマ娘になる! それがボクたち二人の大事な夢だし、そのためにももっといっぱい仲良くしよっ!!」

 

 満開に咲き誇る花のような笑顔でテイオーが笑いかけてくる。

 トレーナーと担当ウマ娘の間に絆が芽生えると、ウマ娘はトレーナーの信頼に応えようと限界を超えた力を引き出すこともあるという。

 

 一説によるとウマソウルが心身に影響を及ぼしているだとか、想いの力が肉体に作用しているだとか様々な見解がある。

 いずれにせよ、俺のためにも頑張りたいという気持ちはプラスに働くだろう。勝つためならば、彼女の尊い想いすら計算に入れよう。

 

 ロクな末路を迎えないかもしれないが、それでも俺は結果を出さなければならない。

 だがそれはそれとして、先程の彼女の言葉に一つだけ引っ掛かる点があった。

 

「……いつから俺の夢になった。それはお前の――お前だけの夢だろう」

「ええーっ? でもボクの夢ってことは、トレーナーの夢でもあるじゃん。ボクたちはすごく仲良しで、一蓮托生なんだからね!」

 

 

 

「――――」

 

 

 

 何気ない、いつもと同じようなテイオーの論調。

 その言葉に、何故かはっとさせられる。ウマ娘の夢が、俺の夢……?

 

 次の瞬間――天啓が降りてきたような感覚に襲われる。

 あぁそうか……そうだったのか。こんな、こんな簡単なことで良かったのか。

 

 そうだな、何も俺自身が夢を持つことはなかった……。担当ウマ娘の夢を叶えること、それを俺の夢にすればいいだけじゃないか。

 いや、あるいは形にせずとも既にそうなっていたのかもしれない。こいつの夢を叶えたいと心底から願ったからこそ、俺はあんなにも必死になっていたんだろう。

 

 魂が震える、心が満たされる――これが、この感覚が夢なのか。

 悪くない、悪くないな……。

 

 何をしても簡単で、退屈で、つまらなかった。

 少し真面目に取り組めば何だって出来た。

 

 そんな有様で夢中になれるものなど、何一つ見つかるわけがない。

 だから俺はずっと、自分の心の渇きを癒す何かを探していた。

 

 そのために必要なもの……それはもう、とっくに手に入れていたんだ。

 今の今まで俺が気付いていなかっただけで、とっくに――。

 

「ククク……ハハハ! ハハハハハハハッ!!」

 

 片手で顔を覆うが、溢れ出る哄笑を抑えることは出来なかった。

 すこぶる良い気分だ、これほどまでに愉快なことが果たして今まであっただろうか?

 

「ト、トレーナー!? どうしちゃったの、今日なんか変だよ!?」

 

 さっきまで甘えるような声色で語り掛けてきたテイオーが、乱心とも言える突然の俺の行為に慌てている。

 担当ウマ娘や通行人に怪訝な顔をされてもまるで意に介さず、俺はその場でただただ思いきり笑った。 

 

 誰かにわかってもらおうなどとは思わないし、実際に説明しても俺の気持ちは理解されないだろう。

 どれだけ衝撃的な出来事だったのか、それは俺だけが知っていればいい――。

 

 あまりにも爽快な気分であったため、ひとしきり笑い尽くした後。

 その様子を呆然と眺めていたテイオーが、恐る恐るといった感じで上目遣いをしながら顔を覗いてくる。

 

「あ、あのさ……大丈夫? その、なんか、ちょっとおかしかったし……」

「――あぁ、俺はもう大丈夫だ。全てお前のおかげだよ、感謝してもしきれない」

「ぴぇっ!? ど、どういたしまして……?」

「くく、お前という奴は本当に……最高のウマ娘だ。俺が選んだだけのことはある、あの時間は決して無駄じゃなかった」

「全然大丈夫そうに見えないんだけど! 嬉しいけどわけわかんないことになってるよ!?」

 

 こんな言葉でも今度は虚しく感じることはなかった――さっきまでとは、俺の中の何かが確実に変わっていたからだ。

 欠けていたものがついに埋まったような、渇きが満たされたような、そんな充足。 

 

 テイオーが困惑しているのも当然だが、笑みがこぼれるのは止められそうにない。

 胸に突き刺さっていた棘が抜けて、重しが消え去り身軽になった解放感を覚えているのだからこの瞬間だけは我慢してくれ。

 

「さて……それじゃあ、早速行くか」

「ほぇ? 行くってどこに?」

 

 顔全体に疑問符を浮かべているテイオーの手を取って告げる。

 この状況でどこに行くかなど、そんなことは決まっているだろう。

 

「もちろん、学園にだ――今から練習しに行こう。どうにも気分が良くなってきたんでな、少し付き合え」

「ほ、本当にどうしちゃったのさ、さっきからずっと変だよ? いつもは『休日は素直に休むことも大事だ』なーんて言ってるのにさ」

「今日はそういう気分なんだ。とにかくついてきてくれ、たまにはいいだろ」

「ふっふーん、無敵のテイオー様の走りを休日にも見たいのかね? トレーナーってばしょうがないなぁ」

「――いいからさっさと行くぞ、時間が惜しい」

「わわっ! ちょ、ちょっと引っ張らないでよーっ!」

 

 うだうだとしょうもない御託を垂れるテイオーの手を強く握って先導する。

 意外なことだが、俺が強く意思を示せば案外こいつは素直に従う。

 

 強制することは趣味じゃない、だから普段このような行動に出ることはない。だが今日だけは話が別だ……気分が高揚して堪らないのだから。

 そうして、いつもとは逆にテイオーの手を引っ張りながら俺たちは学園へと向かった。

 

 これが、満ち足りているという気持ちなのか……知らなかったな。

 ようやく俺は、自分のことが好きになれそうな気がするよ。

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