乾いたターフを湿らせる   作:やわらかスマホ

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第四話

「今日から、俺とお前が契約を結んで初めての練習になる。本格的にトレーニングを始める前に、まず言っておきたいことが――」

「えへへー、なになに~っ?」

「……おい、あまり引っ付くな。話しにくいだろ」

「もうっ、そんなに照れなくてもいいのに。ホントはボクに抱きつかれて嬉しいんでしょ、ボクにはわかってるんだから」 

 

 いや、そんな事実は何処にもないが。先に言った通り、ただ話をするのに不都合である、それ以外の感情は何も存在しない。

 

 テイオーと専属契約を結び、担当ウマ娘にしてから翌日。学園の授業が終わった彼女を連れてグラウンドまで来たのだが。にやにやと頬を緩めてまるで話にならない。昨日契約を結んでからずっとこんな感じだ。

 

 トレーナーとウマ娘の間には強い信頼関係がなくてはならない。この相手なら大丈夫だと、心の底から互いに信頼することがなければ、強豪のひしめくトゥインクル・シリーズで勝ち抜いていくことなど到底不可能だからだ。

 

 青臭いことを言うようだが、信頼とは力になる。響きだけを取れば単なる奇麗ごとのように聞こえるだろう。

 

 だが大事な相手のため、という原動力はときに理屈を超えた力を発揮する。実際に偉業を為したウマ娘たちの中で、トレーナーと確かな絆を育んでいない者などいないだろう。少なくとも、俺が確認した限りではそう感じる。

 

 だから担当ウマ娘とこのように友好関係を築けている、それ自体は歓迎すべき事態ではある。あるのだが……少し、距離が近すぎるようにも思える。

 

「……まあいい。もうそのままでいいから聞いてくれ。基本的な練習方針についてだが、日々の練習時間はそう長くは取らないようにしたいと考えている」

「えぇーっ! なんでーっ!? いっぱい練習した方がいいじゃん、ボクたち無敗の三冠を目指してるんだよ? いくらボクだって、たくさん練習しないと勝てるかわかんないよ」

 

 だらしなく緩んでいたテイオーの表情が一転して不満げなものに変わる。目指すべき大願があるにも関わらず、大して練習しないと言っているように聞こえるのだから、その反応も当然だろう。

 

「とりあえず聞いてくれ。練習時間を多く取ることが必ずしも良いことじゃないんだ」

「そーなの? いっぱい走って、いっぱい練習した方が絶対強くなれると思うけど」

「いや、残念だがそんなに単純な話じゃない。練習自体はもちろん必要だが、すればするほど効果が出るわけじゃないからな」

 

 練習時間を多く取ったからといって、その分だけ成長出来るとは限らない。身体に疲労が蓄積していけば自然と集中力が落ち、練習効率も下がる。効率が落ちるだけならまだいい。最悪なのは、それに伴う怪我や故障の発生だ。

 

 ウマ娘がトゥインクル・シリーズを引退する理由は様々だが、その大きな理由の一つがこの怪我や故障だ。自動車並みの速度で走行している彼女たちは、心身のほんのわずかな乱れだけでも思わぬ大事故を引き起こしてしまうことがある。

 

 捻挫や骨折ならばまだマシな方。治療して適切なリハビリを行えば復帰することも可能だからだ。だが、酷いケースでは下半身不随となり、日常生活で歩くことさえ出来なくなることもあり。最悪の場合、死に至る危険性もある。

 

 ……それだけは、それだけは避けなければならない。自身の判断ミスで大事な担当ウマ娘を死に追いやってしまうことなど、絶対にあってはならない。そんなことがあれば、俺は俺を一生許すことが出来なくなる。

 

 とにかく、大事なことは適切な練習時間を見極め、効率的に練習していくことだ。

 

「……と、まあ、こういったことが練習時間を長く取らない理由だ。翌日に疲れを残さない範囲の練習をして、その時間を極限まで集中して大切にしよう。お前には才能がある、わざわざリスクを冒す必要はない」

「ふっふーん、そっかそっか」

 

 俺の説明を聞き終わったテイオーは、なぜか得意げな顔になっていた。なんだその表情は。この話を聞いてどうしてそういう反応になる。

 

「テイオー、お前ちゃんとわかってるのか? これは大事な話なんだ、お前の身体や夢に関係することなんだからもっと真剣に聞け」

「うん、聞いてるよ。要するにぃー、トレーナーはボクのことがすっごく大事だってことだよねっ! いやあ、愛されてるなあボクって」

「お前な……」

   

 嬉しそうに相好を崩したテイオーは俺の腕にしがみついた。密着することで砂糖菓子のような甘い少女の香りが鼻孔をくすぐり、その甘ったるさに思わず眉を顰める。

 

 そんな話はしていない。ほんと真面目に聞けよお前、どういう思考回路でそうなった。

 

 これはいずれ問題になるかもしれないな、何かあるたびにこうも頓珍漢な反応をされても困る。なぜこんな風になってしまったのだろうか。以前はもう少し落ち着きがあった筈だが。いずれにせよ、これが続くようなら折を見て修正していかなければならないだろう。

 

「じゃあボク、練習行ってくるね! 無敵のテイオー伝説、ここからスタートだぁーっ!」

 

 そうしてひとしきり勝手に俺の腕を奪ってじゃれついた後。テイオーは無駄に威勢よく芝のコースへと駆けていった。まったく、暴走特急のような忙しない奴だ。こんな調子では付き合わされるこっちの身が持たない。

 

 だが、まあ……退屈だけはしないか。

 

 

 

「あのさあ、次の休みなんだけどね。ボクと一緒に何処か遊びに行かない?」

 

 一日の練習を終え、すっかり日も暮れてきた時間帯。学園から与えられた専用のトレーナー室で帰りの準備を整えていると、制服に着替え終わったテイオーからそんな提案をされた。

 

 トレセン学園とは、URAが運営する日本最高峰のウマ娘養成機関。その存在目的は、国内外を問わずトップクラスの実力を持ったウマ娘たちを集め、その脚を磨いてトゥインクル・シリーズへと送り出すことだ。

 

 様々な夢を抱いてやってきたウマ娘たちは、その願いを叶えるためにここで日夜練習に明け暮れている。とはいえ、そんなトレセン学園でも毎日欠かさずに授業のカリキュラムが組まれているわけではない。世間一般的な学園と同様に、休日はきちんと存在する。

 

 当然の話だ。いくらウマ娘たちが人間とは比較にならない身体能力を誇り、トゥインクル・シリーズで活躍した娘が国民的スターとして扱われることになるとはいえ。彼女たちはスターやアイドルである前に一人の学生なのだ。

 

 それも、多感な時期とされている思春期の少女。ウマ娘の全盛期は思いのほか短く、活躍する者の殆どが中等部から高等部の学生で占められている。だからこそ、まだ精神が成熟しきっていない彼女たちは健全に過ごさなければならない。ときにはレースから離れ、休養して英気を養うことも大事なことだ。

 

 そんな至極当然な理屈で、学園にも休日が存在する。与えられた休みでは、ウマ娘たちは寮でゲームや漫画などの娯楽を楽しんだり、友人と街に出掛けたり。あるいは、勝ちに貪欲な学生はトレーナーを連れ出してそれでも練習に明け暮れたりと様々だ。

 

 だから、テイオーが休日に街へ遊びに行くこと。それ自体は俺も何も文句はない。むしろ、根を詰めて休日にまで練習を続けようとする方が困ってしまう。どれだけ才能があっても、誰であってもずっと走り続けることは出来ない。ときには羽を伸ばしてゆっくり休んできた方が、よほど夢への近道に繋がる。

 

 ――けれど、その休養に俺がいる必要は感じない。

 

「悪いがパスだ、貴重な休日にまでお前に付き合ってはいられないからな」

「ええーっ、一緒に行こうよトレーナー! ボク一人だとつまんないよーっ!」

「友人と行けばいい。お前に友人が多いことは知ってるからな、俺なんかと一緒に行くよりもよっぽど楽しめるはずだ」

 

 トウカイテイオーという少女は、人気者だ。

 

 容姿は活力に満ち溢れた端麗な美少女。性格は天真爛漫で人懐っこく、物怖じしないで相手とコミュニケーションを取ることが出来る社交性の高さがある。加えて、ウマ娘としてのレースにおける実力は折り紙付き、天賦の才に恵まれている。

 

 これだけの要素が揃って、人気者にならないはずがない。大体誰とでも仲良くなれると本人は豪語していたが、実際に多くの友人に囲まれているのを見たことがあるし、その言葉も嘘ではないだろう。

 

 だからこそ、それらの友人たちと一緒に行動することで友情を育んだ方がいいだろう。トレセン学園に所属するウマ娘たちは、究極的にはレースで倒さなければならないライバルだ。しかし、だからといって私生活でまで壁を作ることはない。親しい相手だからこそ、全力でぶつかって打倒したいという気持ちが生まれることもあるだろうしな。

 

 そう思って断りの返事を出したのだが、それでテイオーが納得することはなかった。断られたことがショックだったのか、拗ねたような、傷ついたような表情でなおも食い下がる。

 

「ぶーぶー! ボクはトレーナーと一緒に行きたいんだよーっ! トレーナーのケチ! 昨日あんなにボクのことが欲しいって言ってくれたのに! あの言葉は嘘だったんだね、ボクの気持ちを弄んだんだ!!」

「……お前、そういう言葉は外では絶対に言うんじゃないぞ。変な誤解を招くだろ。大体、俺はトレーナーでお前はその教え子なんだ。プライベートでまで一緒にいるのはあまりよろしくない」

 

 随分と人聞きの悪いことを言う奴だ。一体いつ俺がこいつの気持ちを弄んだというのか、ただ誘いを断っただけなのに大袈裟な反応をしてくれる。

 

 それに、実際問題として。トレーナーと担当ウマ娘が私生活でも行動をともにするのはあまり褒められたことではない。普通の学園で言えば、部活の顧問と女生徒が休みでも仲睦まじく行動するようなもの。外聞としてはとてもじゃないが、決して良いとは言えないものになるだろう。

 

 学園で仕事をしている間は、確たる責任をもってしかとこいつを育て上げよう。だが公私の区別はきちんと付けるべきだ。その線引きを怠り、ずるずると友人のような関係を続けてしまえば。

 

 ――いずれ、取り返しのつかないことになってしまうのではないか。そんな予感がする。底なしの沼に一度沈み込んでしまえば、どれ程もがいたところでもう抜け出すことは出来ない。そんな、漠然とした不安。

 

 だからこそ、一線を引くことが大切だと考える。俺とテイオーはトレーナーと担当ウマ娘、そういう関係であることを常に忘れてはならない。

 

「トレーナーってホント固いよね、そんなの皆全然気にしてないよ。マヤノだって、よくトレーナーとデートしたってボクに自慢してくるんだから。ボク達だって一緒に出掛けてもいいじゃん!」

「仮に誰も気にしなくても俺が気にするんだ。もういいだろ、さっさと帰るぞ。明日も早いからな」

 

 マヤノとは、テイオーが暮らしている寮のルームメイトであるマヤノトップガンのことだ。無邪気で子供っぽく、だからなのか大人に憧れており、常にそのような女性になりたいと口にしているウマ娘。性格のタイプとしては、目の前で文句を垂れているこいつに近い。

 

 しかし、知らなかったが思っていたよりもトレーナーとウマ娘は付き合いが深いらしい。まさか、休日に一緒に遊ぶことも珍しくないとは。俺が気にしすぎなだけかもしれないが、それで大丈夫なのか? 何か問題になったりしないのか?

 

 ……まあいい、とにかく帰るか。帰ってからもやるべきことは山とある。無駄なことにいつまでも思考を割いてはいられない。そうして、踵を返してトレーナー寮へ帰ろうとすると。

 

 不意に、後ろから袖を掴まれた。

 

「あのさ、どうしても、ダメなのかな……。ボク、トレーナーと一緒がいいんだ、どうしてもトレーナーと遊びに行きたいんだよ。お願い……」

「お前……」

 

 縋るような、泣き出しそうな瞳で見上げられる。親からはぐれて不安で堪らない、迷子の子供のような弱々しい表情。こんな顔をされては堪らない。こっちが悪い事をしている気分になってしまう。

 

 ……仕方がないな。

 

 俺はうなだれている様子のテイオーに向き直り、その頭にポンと手を置く。しょげて前へとウマ耳が倒れていたことで、ひどく撫でやすくなってしまったその頭を一撫でする。

 

「わかったわかった、俺の負けだ。一緒に行くよ。だからそんな顔はするな、調子が狂うだろ」

「ホント? ホントに一緒に行ってくれるの……?」

「おいおい、そんなに疑うなよ。ま、行かないと誰かさんが泣き叫んでしょうがないからな。ボランティアってやつだ、たまには良いことをしてみるのも悪くない」

「もーっ! トレーナーが最初から素直にボクの言うことを聞かないから悪いんだよ! いっつもボクにいじわるして!」

 

 すっかり元気を取り戻したテイオーといつも通り騒ぎ合う。調子が戻ったのは何よりだが、少し安請け合いをしてしまったか。あれほど避けた方がいい、そう考えていたことを話の流れでつい約束してしまった。

 

 だが、あのようにへこんだテイオーの姿はこれ以上見ていたくなかった。こいつにはいつも元気で笑っていて欲しい。そんなテイオーだからこそ、俺は担当ウマ娘にすると決めたのだから。

 

 まあ約束してしまったものはもうしょうがない。少し休日に付き合うだけだ、そう何度も続けなければ特に問題はないだろう。それくらいでこいつの機嫌が取れるのなら、むしろお安い御用だと言えるかもしれん。

 

 それに、休日ともに行動すればそいつの趣味趣向はある程度わかる。何を好んでいるのかを把握できれば、あまり調子が芳しくないときに役立つだろう。ウマ娘にとっては調子の高さというのも重要なファクターとなる。シンボリルドルフが大好きということは嫌という程よく知っているが、それ以外の情報も欲しかった所だしな。 

 

 纏わりつくテイオーの相手をしながら、俺はそんな風に自分を納得させることにした。

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