乾いたターフを湿らせる   作:やわらかスマホ

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第五話

 ――夢を見ている。

 

 自分が夢の中にいることは、最初からわかっていた。

 

 何度も何度も、同じような光景を見せられれば誰だって気付く。

 

 白く染まった空間で、自身から伸びた影が人の姿を取り、延々と俺を責めてくる。

 

 いつも通りの、くだらない夢だ。

 

 影が、矢継ぎ早に俺への非難を口にする。

 

『お前では、トレーナーなど務まらない』

『願いも誇りも信念もない、ただ薄っぺらいだけの男』

『もっと相応しい者はいくらでもいた、お前と彼らは違うのだ』

 

 こいつは、常に決まって同じようなことを喚き立てる。俺はトレーナーとして相応しくない、もっと夢や誇りのあるまともな人間が代わりになるべきだったと。

 

 バカらしい。誰がどんな夢を抱いていようが、俺には何の関係もない。俺がトレーナーになれたのは、純然たる実力があったからだ。夢や誇りの有無などどうだっていい。

 

 結果だ、結果だけが全てなんだ。俺はトレーナーとなり、彼らは願いを叶えられなかった。ただそれだけの話だろう。

 

 どれだけ御大層な夢を掲げようが、叶わないときは叶わないものだ。現実は贔屓しない。人の内面など見やしない、ただ結果だけを公平に与えるのみ。

 

 だからこそ、俺はいつだって結果を求めている。目障りな他人を黙らせるには、結果を叩きつけるのが一番手っ取り早いからだ。

 

 ……影の糾弾は、尚も続く。

 

『トウカイテイオーのトレーナーなど、お前に務まるわけがない』

『あのウマ娘は天才だ、お前のような者が潰すことは許されない』

『今からでも遅くない。担当を降りて、トレーナーを辞職しろ』

 

 戯言だ、まったく聞くには値しない。

 

 テイオーは俺を選んだんだ。あいつはもう俺のものだ、他の誰かにくれてやるつもりなど欠片もない。

 

 トレーナーになるために、決して少なくない努力を重ねてきた。今更辞めることなどありえない。そうだ、ここで投げ出してしまったら、今まで俺は一体何のために――

 

 ……気付けば、影は消えており、俺はただ一人残されていた。

 

 誰もいない、誰もわからない、俺だけの空間。

 

 だからこそ、ふと頭を過ぎるものがあった。

 

 どうして俺は。

 

 あのとき、よりにもよって。トレーナーになろうなどと――軽々しく思ってしまったのだろうか。

 

 

 

「ねえねえトレーナー! まずは何処に行こっか、ボクが決めちゃってもいいよね?」

 

 とある休日のこと。 

 

 俺とテイオーは、二人並んでトレセン学園近辺の商店街を歩いていた。この前にした一緒に出掛けるという約束をここで果たしているわけだ。

 

 あらかじめ待ち合わせた場所で既に待っていたテイオーは上がパーカー、下がショートパンツに黒のレギンスというボーイッシュな装いをしていた。こいつの私服は初めて見るが、活発な本人によく似合っている組み合わせだと感じる。

 

 しかし、相変わらず朝から無駄に元気なものだ。こちらは仕事が終わった後もやるべきことが多いため、大して睡眠時間を取れていない。少しは遠慮してもらえると助かるんだがな。

 

 車を出すことを提案したのだが、すげなく断られてしまったことも中々に痛手だった。曰く、「こういうのは歩いた方がそれっぽいからね!」ということらしいが、何がそれっぽいのか理解に苦しむ。

 

 どうせ移動するなら車の方が便利で楽だろうに。何事も可能な限り効率的に行うべきだ、休日なのに余計な体力を使っては元も子もないだろう。

 

「そうだな、お前に任せよう。好きなように決めるといい、俺には特に行きたい場所なんてないからな」

「なら最初はゲーセン行こうよっ! ボクと対戦しよ、どんなゲームでもキミに勝っちゃうからさ!」

「じゃあゲーセンはナシだな、別の場所にしよう」

「さっき好きに決めろって言ったばっかだよね!? わけわかんないよーっ!」

 

 テイオーの困惑した叫びが朝の商店街に響き渡る。まったく、近所の人に迷惑だからあまり大きな声を出すんじゃない。

 

 いきなり前言撤回した俺も悪いが、一緒にゲームセンターに行く気をすぐに失くさせたこいつも悪い。おそらくあの口ぶりだとゲーセン常連で相当な腕前だと思われる。ボコボコにされることがわかっていて、そんな上級者とゲーセンを楽しめる気はしなかった。

 

 人生においてゲーセンなど数えるほどしか行っておらず、行けば行ったで楽しめるかもしれない。だが、どうせやるなら勝ちたいからな、勝利というのはわかりやすい結果の一つだ。

 

 そうして早速要望が却下され、少し拗ねてしまったテイオーを宥めすかしてから、俺は他の目的地を聞き出すことにした。

 

「もーっ、トレーナーはワガママなんだから。女の子の扱いが全然わかってないよ。ボクじゃなかったらもう怒って帰ってるよ?」

「悪かった、反省してるからそろそろ機嫌を直せ。お前のような優しいウマ娘を担当に出来て俺は幸せ者だ。他の場所にはちゃんと付き合うから許してくれ」

「……じゃあ、カラオケ行こ。ボクの歌をずっと傍で聞いててね、歌うのはずっとボクだから。特別にそれで許してあげる」

 

 その程度なら大したことない、お安い御用だ。元よりカラオケで歌うなど柄ではない。むしろテイオーが常に歌い続けてくれるなら、その間は体力を温存出来て逆に好都合というもの。

 

 そうして最寄りのカラオケボックスへと向かい、俺は無敵のテイオー様の臨時ライブにおけるただ一人の観客と化したわけだが。目の前に広がる光景に驚きを隠せなかった。

 

「トレーナートレーナー! どうだったボクの歌! この歌かなり自信あるんだよねーっ!」

「そうだな、大したもんだ。文句の付け所がない。今すぐウイニングライブしたって何も問題はないだろうな」

「へへーん! ボクは歌でもダンスでも無敵のテイオー様だからね! レースでもライブでも、一番になって皆にすごーいって言ってもらいたいんだ!」

 

 テイオーが、どうだ見たかと言わんばかりに胸を張る。強いて言えば、こうやって何かにつけて勝ち誇る所がなければもっと良かったんだがな。まあ、これも愛嬌のうちか。こいつのこういう部分は、ある意味で長所でもある。

 

 しかし、世辞でも何でもなくかなりの出来栄え。高い歌唱力、巧みなステップから繰り出されるダンスのキレ、歌詞に合わせてころころ変わる表情の豊かさ、いずれの点においても極めて高い完成度を誇っていた。

 

 まだメイクデビューは果たしていないが、もう何も練習せずともすぐにだってウイニングライブでファンを魅了することが出来るレベルだ。いや、それどころか他者に教導することさえ可能だろう。レースで発揮されている、軽やかな足捌きがこの歌というジャンルでも存分に活かされている。

 

 歌自体についても素晴らしい仕上がりだ。特徴的な甘い歌声が高い歌唱技術と組み合わさり、全体的にとても魅力的なものに仕上がっている。

 

 トレーナーとは総合職であり、歌やダンスについてもある程度修めているため、基本的なことなら指導することが出来る。だが、テイオーに関してはその必要性はまったくないだろう。むしろ、明らかに俺よりも遥かに上手い。楽が出来るに越したことはないので結構なことだ。

 

 ……だが、歌っていた曲の歌詞については些か気になった。

 

 その内容は恋愛をダービーに見立て、まだ恋に恋しているような、純情な少女が勇気を出して気になる相手にアプローチをしようとするもの。そんな幼げな少女らしくない、途中で挟まれる他の女性に対する強い嫉妬心が印象に残った。

 

 未だに恋愛感情など知らないようなテイオーにはあまり似つかわしくはない曲だ。持ち歌のようだが歌詞の中に込められた想いなど、あまり理解できてはいないのではないだろうか。とはいえ、藪をつついて蛇を出すことはない、わざわざ指摘するのはやめておこう。

 

 そしてテイオーの気が済むまで彼女のプチライブに付き合い、カラオケボックスを後にする。

 

 それからは、若い女性に人気のある服屋やウマ娘のシューズが置いてある靴の専門店など、目的もなくあちこちを巡った。

 

 ウィンドウショッピング、詰まる所ただの冷やかしだ。何か気に入るもの、良さそうなものがあれば代わりに買ってやってもよかったのだが、テイオーはただ見学するだけで満足していた様子だった。

 

 テイオーの感情は傍目に見ていてとても極端でわかりやすい。興味があるもの、好きなものにはとことんまで興味を示すくせに、逆に自身が惹かれないものにはまったく興味を覚えない。

 

 具体例を挙げるのであれば、最初に俺がスカウトに失敗したケースか。あのときの俺は、再び会ったとき、まったくテイオーに覚えられていなかった。時間こそ多少経っていたが、それでも自分をスカウトした人物を完全に忘れるというのは中々ない。

 

 ――つまり、覚える価値がない、興味が惹かれないと無意識に判断されたわけだ。

 

 別に非難しているわけではない。相手がそういう人物だと把握すること自体が大事だからだ。どのような人物にもそれぞれの個性があり、それによってある程度は接し方を変えていく必要がある。トウカイテイオーという少女には、そういう性質があるというだけの話だ。

 

 それにしても……結局、そのようなことがありながらこの少女のトレーナーになるとは因果なものだ。今の俺は、こいつにとって少しは興味が惹かれる存在になれているということなのだろうか。

 

 とにかく、何か欲しいものがあるわけでもなく、ただ街を散策することだけがテイオーの目的であることは明白だった。

 

「はちみーはちみーはっちっみー、はちみーを舐めると~♪」

 

 それなりに時間が経ち。いつしか無理やり俺の手を取ったテイオーが、上機嫌によくわからない歌を歌いながら弾むように歩いている。

 

 というか本当に何の歌なんだそれは。はちみーとは、ミツバチから採れるあのはちみつのことだろうか。このような珍妙な曲は一度も聞いた覚えがないのだが、まさか自分で作ったのか?

 

「あっ、はちみーだ! 行こうよトレーナー、はちみー買おっ!」

「はちみー? ああ、あの移動販売車のことか。わかったからあまり引っ張るな」

 

 何かを見つけたテイオーが俺の手を引っ張りながら一目散に駆けていく。身体能力に優れたウマ娘は、腕力一つとっても成人男性ですら優に凌ぐ。だからこそ、こうやってされるがままにするしかないのだからもう少し加減が欲しい所だ。

 

 連れられてやって来たのは、はちみつドリンクなどを販売している移動販売車だった。値段は追加になるが、ドリンクに入っているはちみつの量をある程度調整することが可能らしい。

 

「お姉さん、はちみつ硬め・濃いめ・多めで! トレーナーはどうするの?」

「そうだな……じゃあ俺は、この軟め・薄め・少なめとかいうのを頼むとしよう」

「トレーナーってば何もわかってないなーっ、通はボクみたいなブレンドで頼むんだよ?」

「何の通だそれは。甘いものは大して好きじゃないんだ、そんないかにも甘ったるそうなもんが飲めるか」

 

 よく利用しているからかは知らんがテイオーは一丁前に通を気取っていた。だが、こいつの頼んでいるものはもはやドリンクではなくただのはちみつなのではないだろうか。

 

 そして、テイオーの注文を聞いた販売員の女性が、どろどろとしたはちみつの原液をほぼそのまま紙コップに流し込んでいく。嫌な予感がしたので真逆の注文にしたが、どうやら俺の判断は正しかったようだ。

 

 こんなものは到底飲めない。他人の好みになど口を挟むつもりはない。だが、流石に少しは薄めてあるのだろうが、殆どただのはちみつに近いものを飲み続けられるほど俺の味覚は甘党ではなかった。

 

 こうしてテイオーの望み通りはちみつドリンクを買った後。段々と歩くのも面倒になってきたため、適当に何処かで一旦休憩しようと考え、俺たちは道沿いにあった公園のベンチで身体を休めていた。

 

「そういえばトレーナーの買ったはちみーってどんな感じなの? ボクにも少し飲ませてよ。ほら、ちょこっとだけでいいからさ!」

「別に何のことはない、ただの薄めのはちみつドリンクだが……。まあ、お前が気になるなら好きに飲めばいい」

 

 何処か物欲しそうな顔で、テイオーが俺の飲んでいるドリンクを指差した。もはや喉も乾いていないし、味にも飽きてきたので言われるままに手渡す。別に間接キスがどうとか気にするほどガキでもない。そもそも、こいつを相手にそんな青いことを考える方がどうかしている。

 

 だが、次に取ったテイオーの行動には少々驚かされた。購入したはちみつドリンクはストローが付属されている。なので、てっきりテイオー自身が持っているストローを俺のやつに突き刺して使うのだと思っていた。

 

 ――しかし、テイオーは紙コップに刺さっていた俺のストローをそのまま口に含み、美味しそうに飲んでいく。そこには何の躊躇も見られなかった。

 

 深く考えずに手渡した俺も悪いが、このような行動はどんな観点から見てもよろしくない。自身の行ったことを理解していないと思われるので、これは注意する必要があるか。

 

「おい、お前少し行儀が悪いぞ。立派なスターウマ娘になりたいんなら、もっと貞淑さを心掛けた方がいい。大人の女性は、他人の飲みかけを平気で口に入れたりはしないもんだ」

「あはは、そんなに心配しなくても大丈夫だよトレーナー! ――ボク、誰にだってこういうことするわけじゃないから」

「……そうか。いや、まあ、それならいいが」

 

 なんだ、これは……。一瞬だけ、底冷えのするような気配を感じた。自分が草食獣で狩人に狙われたのなら、あるいはこんな気持ちを味わうのかもしれない。

 

 そもそも誰に対してもあまりしない方がいいだろう、そのように指摘するつもりだったがつい返事がおざなりになってしまった。いつものように、ムキになって言い返してくると想定していたので調子が激しく狂う。

 

 薄ら寒い気配を感じたのは一瞬だけ。今では何事もなかったかのように、テイオーはいつも通り無邪気な様子だ。気のせい、だったのか、あれは……。

 

 気を取り直して座ったままテイオーと雑談を続けていく。今更別の場所に行く気にはなれなかったからだ。しばらく話していると、ふと彼女の表情に曇りが見えた。

 

「あのさ……迷惑だったよね、休みなのに無理やり連れ回しちゃって。ごめんね、トレーナー」

「いや、いいさ……。気にするな、お前はまだ子供なんだ、このくらいのワガママならなんてことはない。迷惑なんて、好きに掛けてくれていい」

「……トレーナーってほんとずるいよ。いつもいじわるなのに、たまにとっても優しいんだもん」

 

 テイオーは申し訳なさそうにして俺の顔色を窺っていた。常に傍若無人に見える彼女だが、決してただの暴君ではない。相手を思いやる心は充分に持っている。

 

 そのようなこいつの気遣いに、俺は何度か助けられていることだってある。だからこそ、この程度は気にしないでいいのだと彼女の頭を軽く撫でる。

 

 しかし、テイオーはこんな俺の行動になぜか不満そうに口を尖らせる。まったく心外だな、別に意地悪をしているつもりはない。たまにからかうこともなくはないが、基本的には優しい方だと思うが。

 

「ボク、すっごく弄ばれちゃってるよ。これが男の人にとって都合の良い女なんだ。それで、いつか飽きて捨てられちゃうんだね……」

「……だから、人聞きの悪いことは言うなと何度も言ってるだろ。俺がトレーナーでいられなくなったらお前のせいだぞ」

 

 悲しそうに目を伏せながら、おかしなことを言い出すテイオー。というか、そのろくでもない知識は誰からの受け売りなんだ。子供そのままなこいつだけではこのような考えに至らないだろう。

 

 犯人はルームメイトのマヤノトップガンか? 俺の大事な担当ウマ娘に余計なことを吹き込んでくれる。あいつとは、いつか二人で真剣に話し合う必要がありそうだ。

 

 ……俺はそれから寮の門限が近くなるまで、到底理解できない流れで落ち込んだテイオーの相手をし続けた。

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