乾いたターフを湿らせる   作:やわらかスマホ

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第六話

 俺がこのトレセン学園にトレーナーとして就任してから、早いものでもう二か月以上もの時が過ぎ去っていた。

 

 暦は6月の半ばを示しており、本格的に梅雨入りを始めた時期となっている。その関係もあってか、前日の天気は雨。それが降り止んだ今日になっても芝の水分が乾ききっていないため、すっかり学園のコースは重バ場と化していた。

 

 重バ場になると、ぬかるんで重くなった芝に足を取られて走りにくくなる。そのような状態のターフを好んで走りたがるウマ娘はそう多くない。しかし、だからこそ重バ場を走ることは良い練習になり得る。

 

 レースで大番狂わせが起きやすいのは、得てして重バ場のときだ。常に圧倒的な強さを誇っていた1番人気のウマ娘が、予期せぬ雨で変化したバ場に対応できず、あっけなく敗れ去ってしまうことも珍しい話ではない。

 

 なぜこのようなことが起こるのか。それは芝が乾いて走りやすい状態、いわゆる良バ場のときと重バ場のときでは求められる能力が違うからだ。

 

 良バ場のときに一般的に強く求められる能力は、高速化しやすいレースを制することが出来るスピード。反対に、重バ場で必要となってくるのは荒れた芝でも構わず踏み越えていけるだけのパワー。このように、バ場が変化すればウマ娘に求められる能力も自ずと変化する。

 

 そういうわけで良バ場でのスピード自慢が、重バ場においてパワー不足で負けてしまうというケースが起こってしまうわけだ。だからこそ、重バ場に慣れておくことは重要になってくる。いつでも芝が快適な状態とは限らない、大事なレースにたまたま雨が降っただけで負けるなど、到底許容できない。

 

(この梅雨の季節を利用して、今のうちにある程度重バ場への対応も学ばせておくべきか……)

 

 放課後のグラウンド。練習場を走るウマ娘たちを見ながら、俺はそんな感じで今後の育成プランを練っていた。担当ウマ娘であるトウカイテイオーは用事があるため少し遅れるとのことであり、手持ち無沙汰な状況なのでこのように考えを巡らせている。

 

(……しかし重バ場を警戒しすぎるのもそれはそれで問題だな。結局のところ、主戦場は良バ場。これを疎かにするようでは本末転倒だ、比重についてもよく考えなければ――)

 

「……あ、あの、すみません。テイオーちゃんのトレーナーさん、ですよね?」

「ん? ああ、そうだが……」

 

 思考に耽っていると、何処からか歩み寄ってきたウマ娘に声を掛けられた。見覚えがないが新入生だろうか、大人しそうな雰囲気の少女だ。

 

 話を聞いてみるとやはりテイオーと同じく新入生らしい。要件は走行時のフォームをトレーナーである俺に見てほしいとのことだった。まだ担当のトレーナーが見つかっていないため、どうしても自分では改善しにくいようだ。

 

 俺がテイオーの担当であることは知っているが、それでもテイオーが不在の今だけでいいからお願いしたい。初めて会ったのにこんなことを頼むのは失礼だとわかっている、けれど……と強く願われる。

 

 そこまで必死に頼まれてしまっては断るのも後味が悪いため、俺は彼女の頼みを承諾することにした。ただし、出来る限り手短に終わらせるとの条件を添えて。いつまでも他のウマ娘を見ていたら確実に騒ぐ奴が一人はいるからな。

 

 だが、担当がついていないウマ娘に指導することは別に禁止事項でも何でもない。彼女らは教官と呼ばれる指導員にグループ単位での指導を受けるわけだが、その人数の多さから個別の指導ではなく全体での基礎的な訓練がほとんど。

 

 よって、ただでさえトレーナーが見つからず出遅れてしまっているのに、余計に前進するのが遅くなってしまうという悪循環が待っているわけだ。だからこのくらいの贔屓なら構わないだろう、暇なこのときくらいなら付き合ってやるのが学園への義理立てにもなる。

 

「――だいぶ良くなってきたな。あえて言うのであれば、もっと腕の振りを意識することと、身体全体から余計な力を抜くことだ」

「はい、ありがとうございました! でも、やっぱりトレーナーの人ってすごいんですね。ちょっと見ただけですぐにわかるなんて……」

 

 新入生の少女を軽く走らせ、何が問題になっているのかフォームをざっと確認した後。一通り改善点を指摘すると、彼女から礼と共にきらきらとした尊敬の目線を送られる。素直で初々しい反応が新鮮に感じる、うちのアレにもぜひ見習ってほしいものだ。

 

 それに、別に言うほど大したことじゃない。トレーナーとして雇われている以上、この程度のことが出来なければトレーナーバッジをつける資格などない。特にここ中央では、このくらいは軽くこなす逸材なんてごまんといる。

 

「本当に、すごく丁寧でわかりやすかったです! あのとき、勇気を出して声を掛けてれば良かったなあ……」

「あのとき? まさか、俺がスカウトをしてたとき見ていたのか?」

「……はい。貴方のこと、実はずっと良いなって思ってたんですけど、中々自分からは話しかけられなくて。そうやって躊躇ってるうちにテイオーちゃんと契約されちゃって……ほんとダメですね私って」

 

 あはは、と少女が自嘲気味に笑う。一方で、俺は自分が意外にも注目されていたことを今更知って何とも言えない気分になった。たづなさんが前にそんな感じのことを言っていたが、ただの社交辞令でもなかったわけか。

 

「……あの。もしあのとき、私が先に声を掛けていれば。貴方は、私のトレーナーになってくれていましたか?」

「それは……」

「――すみません、困らせちゃって。じゃあ私はそろそろ失礼しますね、これ以上はテイオーちゃんに悪いですから。今日は本当にありがとうございました!」

 

 未練を断ち切るような調子で俺に礼を告げ、少女は去っていった。その後ろ姿を見ながら考える。もしもテイオーと契約するよりも前に声を掛けられていたら、彼女と契約を結んでいたのかどうかを。

 

 ……まあ、結んでいないだろうな。

 

 理由は簡単だ。上を目指せるに足る才能を感じられない、ただそれだけの理由。向上心もあるし実力も悪くはない、性格の面だって扱いやすい純朴な性格。だが、純粋に才能だけが圧倒的に足りていなかった。

 

 トレセン学園に入学する前、地方では通用してきたのかもしれない。しかしここは中央、地方で名を上げた者が日本各地から集まってくる魔境。その程度の人材など腐るほどそこらに転がっている。

 

 中々に好ましい性格の少女ではあった。御多分に洩れず彼女にも夢があるのだろうが、どのようなものであれ叶ってほしいとも思う。しかし、彼女がトゥインクル・シリーズで成功することはないだろう。

 

 現在の状況で担当トレーナーがついていないというのは、そういうことでもある。どれだけ好感を抱いたとしても、それで勝たせてやれる程トレーナーも万能ではない。俺たちに出来ることは、ウマ娘たちに元々ある才能を磨いて腐らせないことだけなのだ。

 

 ……仕方がないことではある。だが、そうやって全てを簡単に割り切れるわけではなく、苦いものがわずかに残る。

 

「――トレーナー!!」

 

 それから他のウマ娘と併走を始めた彼女を眺めていると、大声で俺を呼びながら走ってくる小柄な人影が見えた。待っていた人物がようやく来たらしいが、いつも通り元気が有り余っているようで何よりだ。感傷に浸っている暇もない。

 

「さっき他の子の練習を見てたよね! なんでそういうことするの!?」

「いや、なんでと言われても暇だったし頼まれたからな」

「キミはボクのトレーナーでしょ! 他の子のことなんてどうだっていいじゃん!」

 

 来て早々テイオーは随分と荒ぶっていた。その尻尾も彼女の感情を表すかのように荒々しく揺れている。どうやら担当ウマ娘である自分を差し置いて、違う娘を指導していたのが気に入らないらしい。

 

 まるで彼氏の浮気現場でも目撃した恋人のようにも見えるし、大切にしている玩具を取られそうになった子供のようにも見える。いずれにせよ、この程度のことで爆発するのでは堪ったものではない。

 

「何をそんなに怒ってるのか知らんが少し落ち着け。あの娘はお前が来るまでの間軽くフォームを見てやっただけだ」

「……ふーん、そういうこと言っちゃうんだ。ボクがどんな気持ちかも知らないで」

 

 意味不明な怒りに燃えていたテイオーの表情が変わる。挑むような顔つきだ。俺の言動がお気に召さなかったのだろうが、これほど理不尽なこともそうはないのではないだろうか。ただちょっと他のウマ娘を指導しただけだろ。

 

「――いいよ、誰がキミの愛バなのかわからせてあげる。見るべきは他の子か、それともボクか。その目でちゃんと確かめてよね」

 

 そして、常とは違う鬼気迫る様子でテイオーは練習場へと向かっていく。その日の練習は過去最高に充実したものとなった。そのことで彼女を褒めると、嘘のように機嫌が元通りになったのだからもはや閉口するしかない。一体何だったんだこの騒ぎは。

 

 

 

 そのようなことがあった一日も終わり。俺はトレーナー室に備えられているパソコンでデータ処理を行っていた。日々の練習内容、今後のレースにおける出走計画、ライバルとなり得るウマ娘たちの情報収集など。考えること、やるべきことは枚挙に暇がなかった。

 

 これに加えて学園からも仕事を依頼されることもあるのだから、中々にトレーナーとは多忙な職業だ。あらかじめその辺については多少聞き及んでいたために寮生活を選んだが、それで正解だった。時間は有限だ、可能な限り節約しなければやってられない。

 

「なんかトレーナーって大変そうだね……。ボクのためにいつもお仕事お疲れ様っ!」

「別にお前のためだけにやってるわけじゃないが、まぁ労いたいってんならその気持ちは受け取っておこう」

 

 机で作業を行う俺の横にはテイオーが立っていた。パソコンの画面を覗き込みながら朗らかに笑っている。トレーニングが終わった後、この部屋で多少雑談することがすっかり日課となってしまっていた。

 

 とはいえ、毎度毎度門限ギリギリまで過ごしていてはテイオーの寮の責任者であるフジキセキに悪いし、何より俺自身の身体も持たない。よって愚図るこいつを説得していかに早く帰らせるか、それが俺のトレーナーとしての腕の見せ所になる。

 

「それにしても、お前も怒ったり笑ったりと忙しい奴だな。毎日を刺激的に過ごせているようで何よりだ」

「むうっ、あれはトレーナーが悪いんじゃん! 他の子の面倒なんて見て、ボクというものがありながら信じらんないよ! 浮気だよ浮気!」

「……まったく、たかがこの程度のことで大騒ぎが出来るのはお前くらいのもんだろうな」

 

 不満げに口を尖らせるテイオー、その意味不明な発言を軽く受け流す。いちいち真面目に返していてはキリがない。それなりに長くなってきたこいつとの付き合いで学んだ処世術だ。

 

「ところでさあ、トレーナー。メイクデビューの時期って本当に10月頃なの? ボク、やっぱりそんなに待てないよ」

「そうだ。前にも言ったことがあるが、お前のデビュー戦は10月を予定している。これだけはいくら騒がれても変えるつもりはない」

「ええーっ! 今すぐ出ようよトレーナー! ボク、これからすぐにレースに出たってきっと勝ってみせるよ。キミだって、ボクがたくさんレースに勝ったら嬉しいでしょ?」

「そりゃお前ならジュニア級で勝ちを重ねることは造作もないだろうな。だが、そこに大した意味はないんだ」

 

 メイクデビュー。それは担当トレーナーがついたウマ娘のデビュー戦のことであり、通常は6月頃、つまり今からでも参加することが出来る。そのため、トゥインクル・シリーズに参戦するのが10月になってからというのは、テイオーが文句を言うように確かに悠長だと思えなくもない。

 

 けれど、俺には早期にデビューすることにおけるメリットは感じられなかった。

 

 今すぐにデビューすれば、その分だけ何度もレースに出走することが出来て経験を積める。メイクデビューで敗北した場合、未勝利戦と呼ばれるレースで勝利しなければ次のステップには進めないわけだが、チャンスが多ければ上に登れる機会も当然増える。

 

 万全を期するのであれば、メイクデビューを落としたときのために余裕を持ったスケジュールで臨むことも悪い選択ではないだろう。あの【皇帝】シンボリルドルフですら敗北と無縁ではいられなかった。レースに絶対はない。

 

 ――しかし、それでも言える。トウカイテイオーがデビュー戦で敗北するなどありえない。

 

 スカウトのために何人もの新入生を見てきたからわかる。単純な才能だけで述べるのであれば、同世代にこれ程の才覚の持ち主は存在しない。届きうる者ならば確かにいるが、それは鍛えて研磨された状態での話。現時点でこの天才の暴力に抗えるウマ娘はいないだろう。

 

 そもそも俺たちが目指しているのは無敗の三冠。元より敗北など想定しない――してはいけない。少なくとも、クラシック三冠の栄誉を掴み取るまでは無敗を貫く必要があった。

 

 だからこそ、メイクデビューを遅らせる決断を取った。まだまだ未熟なウマ娘を相手にしても得るものは少ない。ただ自分たちのデータを取られて損をするだけで終わる可能性すらある。目下の所、他の陣営からすれば今後のクラシック戦線において最大の脅威になり得るのはトウカイテイオーなのだから。

 

 その分だけ基礎的な訓練を積んで地力を高めていた方が余程有意義だろう。仮に俺がトウカイテイオーを相手取る場合、このように基本を固められるのが一番厄介だと考える。シンプルに強いというのが最も手に負えない、対策の仕様がないからな。

 

 そのようなことをざっとテイオーに説明する。前にも話したことはあるが、今回蒸し返されてしまったので仕方がない。こいつは結構な気分屋だ、子供っぽいとも言うが感情の起伏が激しくその場の思い付きで喋ることも多々ある。

 

「キミがそんなに言うなら納得してあげてもいいけどさーっ。だけどね、トレーナーってボクがちょーっと目を離すとすぐにふらふらするからなあ。だから――」

 

 俺の話を聞き終わったテイオーはしばらく悩まし気にした後、にやりと悪戯っぽく微笑んで俺に抱きついてきた。急な衝撃に驚いて握りしめていたマウスを手放す。

 

「これからはもっともっとボクのことを見ててよねっ! 他の子のことも、デビューが遅れることも特別に許してあげるからさ!」

「……おい、無駄だと思うが一応言っておく。邪魔だから今すぐ離れろ。大体はしたないと思わないのか? 年頃の少女がそんなことでどうする」

「えへへーっ、ボク子供だからそういうことわかんないなーっ! 子供だからいっぱいトレーナーに甘えちゃうもんねーっ!」

「都合の良いときだけ子供の振りをするんじゃない、本当に呆れた奴だなお前は」

 

 いつも通りの他愛のないやりとり。放課後に妙に不機嫌な状態で現れたときはどうなることかと思ったが、元通りになってほっとする気持ちが少なからずあった。あれは嫉妬心だろうか、子供が親に構ってもらえず駄々を捏ねるようなものだろう。

 

 だが、嫉妬心とは執着の裏返し。トウカイテイオーはどうでもいい存在に執着するようなウマ娘ではない。つまり、俺もいよいよこの天才からある程度の好感を抱かれるようになったというわけか。出会った当初のことを思うと感慨深い。

 

 可愛いウマ娘に嫉妬されて嬉しい、などと感じるほど俺の頭はお花畑ではない。むしろ逆に行動を制限される場合もあるだろうし面倒なことしか予想できない。しかし、嫌われるよりは遥かにマシだ。本当の最悪は担当契約を解消されること、それに比べればこの程度などどうということはない。

 

 このような逸材、俺のこれからのトレーナー人生で果たしてどれだけ現れてくれるのだろうか。そう思う程度には、俺自身もテイオーに対して愛着を持ち始めている。

 

 先程までの出来事からわかるように、情緒が不安定なことも多いがテイオーは俺によく懐いてくれているし、練習の成果も上々。新人トレーナーとしては悪くない出来だと言えるだろう。

 

 全ての選択を最適解で乗り越えられたわけではない、だがその場におけるベストは尽くしてきたつもりだ。

 

 だから――俺はトレーナーとしてちゃんとやれているはずだと、そう信じた。

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