乾いたターフを湿らせる   作:やわらかスマホ

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第七話

「海だ―っ!」

 

 季節は夏真っ盛り。目の前には広大に広がる青い海と、激しい日差しに照らされて焼けつくような熱を持った砂浜がある。俺たちは夏季休暇のこの時期で、夏合宿を行うために海に来ていた。

 

 トレセン学園にも通常の学園と同じように夏季休暇がある。期間としては大体7月上旬から8月いっぱいまでと言ったところだ。一般的なそれよりも少し長いその休暇、そこで学生たちは何をするのか。

 

 友人たちと遊びに出かける、久々に家族に会うために帰省する……夏季休暇の過ごし方は原則として自由であるため、それぞれで異なっている。

 

 だが、やはり一番多いのは夏合宿でのトレーニングだろう。

 夏合宿とは、夏季休暇でトレセン学園が主体となって行う大規模な訓練行事のこと。海辺にある宿泊施設を借りて、教員やウマ娘たちが泊まり込みでこの真夏の中、何週間も猛特訓に励んでいく。

 

 特にやることがない学生たちは、ほぼ全員がこの夏合宿に参加することとなる。

 厳しい暑さに、足を取られる砂浜。常とは違うこの環境で丸一日をトレーニングに費やす。そのため、夏合宿をやりきった生徒は以前よりも一回り成長していく。

 

 トゥインクル・シリーズで本気で勝ち抜いていきたいのなら、この行事に参加しない手はない。だからこそ、その御多分に洩れず俺たちも合宿に参加して、このように海に来ているわけだ。

 

(……しかし、あいつは何度海で騒げば気が済むんだ)

 

 視界の先、海水を蹴りながら嬉しそうにはしゃぐテイオーを見ながら嘆息する。

 練習を行うためにこの海辺に訪れると、いつもあいつはこうやって騒いでいる。海に初めて来た場合や、久しぶりに訪れたというのなら話は分かる。

 

 だが、もうここへ来てから一週間以上が過ぎている。それなのにこうして毎日飽きもせず、海というだけで大盛り上がり出来るのだから見上げたものだ。

 俺など海に対してもはや何の感慨も浮かばない、ただ訓練に使う道具だという認識程度しかない。

 

「テイオー、楽しそうな所悪いがそろそろいいか」

「あっ、トレーナー! トレーナーもボクと一緒に海で遊ぼうよっ! 水中バレーとかどう? ボク一度やってみたかったんだよねーっ!」

「……何しに来たんだお前は。俺たちは友人同士で海に遊びに来たわけじゃないんだぞ」

「ええーっ? でもさ、ちょっと遊んでからの方が練習も捗ると思わない?」

 

 こいつの遊びに付き合っていたら日が暮れてしまう。一度誘いに乗ったが最後、トレーニングの時間を大幅に削られるのは目に見えている。大事な夏合宿の時間を無駄にするわけにはいかない。

 

 俺は適当なことを抜かしているテイオーを軽くいなしながら練習を開始させる。

 今日の練習はごく単純で、砂浜を駆けさせることだけだ。だが、このようなシンプルなものであっても学園で芝の上を走らせることとはまた違った効果がある。

 

 砂浜は足が取られやすく、その力を充分に伝えにくい。速く走ろうとするには慣れと経験が必要となってくる。加えて厳しい暑さにも襲われながら行うため、足腰と体力を鍛えられる良い訓練になる。

 

 俺は基本的に、このような単純かつありきたりな訓練を好んでいる。他にここでやってきたものは、向こうの岸まで泳ぐ遠泳や大きなタイヤを引きながら走るものなど。

 全て誰もが知っているし誰でもやっているような練習内容だ。だがそれでいい、特別な練習など必要ない。大事なことは、基本を疎かにしないことなのだから。

 

 何も知らない者ほど、特別なことをやりたがるものだ。彼らは人とは違ったことをすれば、自分が何か特別な存在になれるのだと信じている。

 だが、それは違う。人より抜きん出るための近道などない。基礎を大事にしてしっかりと身に付けていく、その繰り返しを忘れないことでいつしか差が開いていく。

 

 とは言え、ウマ娘一人ひとりにもそれぞれの個性がある。練習内容に対する向き不向き、好き嫌いといった適性も鑑みて判断しなければならないが、その辺りは臨機応変だ。

 

 テイオーはどのような練習であってもすぐに適応するし、高い結果を出しているためにそこを考慮する必要があまりないのは助かるところだ。何に対しても卒なくこなすため、日々その天賦の才を再確認させてくれる。

 

(それにしても、なんて暑さだ。ただ立っているだけでこれとは……)

 

 練習開始からしばらくが過ぎて。 

 

 額から滝のように溢れ出る汗を拭う。凄まじい猛暑だ。監督者としてテイオーの練習を眺めているだけなのに、まるで汗が止まる気配がない。

 何もしてない俺でさえこうなのだから、激しい運動をしているテイオーの負担はどれほどか、と思うが見ている限りそこまで堪えている様子はない。これがウマ娘と貧弱なヒトの差なのか。

 

「……テイオー、俺は少しそこで休んでいる。お前も一旦休憩しろ、練習を始めてからそろそろ良い時間になるしな」

「トレーナーってばもう疲れちゃったの? あはは、だらしないなあ。ボクはまだまだ大丈夫なのに、ちょっと運動不足じゃない?」

「何とでも言え。とにかく、今から休息の時間だ。終わるまで休むなり遊ぶなり好きにしているといい」

 

 にっしっし、と悪戯な笑みを浮かべるテイオー。

 生意気にも俺をバカにしているようだが、真夏に無理をすることは非常に危険だ。体調判断を誤り、熱中症などで倒れてしまえばそれこそ目も当てられない。

 

 ここでやせ我慢をすることに何の得もない、俺がいなくなっても代わりのトレーナーがその間はテイオーの練習を見るだろう。だが、それは出来得る限り避けたい未来だ。トレーナーとして、俺にはこいつを見る責任がある。これは誰にも譲れない。

 

 無様に倒れてしまう前に、体力を回復しなければならない。俺は日差しよけのビーチパラソルが差してあるレジャーシートに横たわりながら、暫しの休憩を取ることにした。

 

 …………。

 

 ……。

 

 意識が浮上する。

 

 どうやら、眠ってしまっていたらしい。軽く休むだけのつもりだったが自分が思っていたよりも随分と疲れていたようだ。テイオーの言っていたように、運動不足なのかもしれないな。我ながら不甲斐ないことだ。

 

(しかし、なんだこれは……歌か?)

 

 何か声がするなと思ったが誰かが近くで歌を歌っているらしい。ご機嫌な調子の鼻歌が耳に流れてくる。どこかで聞いた覚えのある曲だ。あれは確か、以前にテイオーがカラオケで歌っていた……。

 

 頭の方にも違和感があった。寝る前に敷いてあったレジャーシートの硬い感触ではない、何か温かく柔らかいものを枕にしているような。

 

 ……まさかとは思うが、これは。

 

「起きたんだ、トレーナー。目が覚めて最初にボクの顔が見られるなんて、トレーナーはすっごくラッキーだねっ」

「……何をしてるんだ、お前は」

「何って、膝枕だよ膝枕。なんかトレーナーがぐっすり寝ちゃってたから、優しいボクが親切にも枕になってあげてたんだ」

 

 まだ眠気の残る瞳を開くと、テイオーが俺の顔を覗き込みながら満足げに笑っていた。燦々と照り付ける太陽にも劣らない、眩しい笑顔。

 何がそんなに嬉しいんだ、疑問を抱きながら俺は無言で身体を起こした。

 

 まさかこいつに膝枕などをされることになるとは……。

 なんという気恥ずかしさだ。そもそもなぜこいつは膝枕なんて唐突にやり始めたんだ、意味が分からん。普通にそのまま寝かせておくか、でなければ素直に起こせ。

 

「トレーナーって結構可愛い寝顔なんだね。ふふっ、いつも仏頂面だったから新鮮だったよ」

「……お前、何か俺にいたずらしなかっただろうな」

「へ!? ぼ、ボクがそんなことするわけないじゃん! 自意識過剰だよ!」

「これで鏡を見たとき、顔に落書きでも描いてあったらお前の安全は保障できないぞ」

「……あ。なーんだ、そっちか」

 

 わたわたと慌てていたテイオーの表情が元に戻る。

 何かの勘違いに気付いたかのようだが、そっちも何もないだろ。お前がしそうな悪戯なんて、顔に落書きをするとか髪の毛を変に弄るとかその程度しかない。

 

「ところでさ、トレーナーも結構疲れてるみたいだし今日の練習はこれで終わりにしない?」

「この程度なら別に問題はない。そもそもこのために休息を取ったんだ、これで終わりにしたら何の意味もないだろう」

「でもね、トレーナーに無理して倒れられちゃったらボクだって困るし……」

 

 妙に抵抗して練習を切り上げようとするテイオー。

 俺の体調を心配する気持ちも確かにあるのだろうが、この感じはそれだけではない。付き合いも長くなってきたからわかるが、これは練習を終わらせることで何かを行うのが目的だろう。

 

「……で、お前は練習を終わらせて何がしたいんだ? 何処か遊びにでも行きたいのか?」

「あはは、バレちゃった? 流石ボクのトレーナーだねっ! 近くで夕方から夏祭りがあるらしくってさ、ボクもちょっと行ってみたいなー、なんて」

「そういうことなら別に構わないがあまり遅くなるなよ、俺は部屋で休んでるから」

「なに他人事みたいな対応してるのさっ! トレーナーも一緒に行くに決まってるじゃん!」

 

 むしろなんで俺が一緒に行くのが当たり前なんだ。何度か付き合ってしまったから本当に今更だが、トレーナーと担当ウマ娘が私生活でまで一緒にいるのはおかしいだろ。

 

 練習自体は意外と真面目に行っているので、気分転換に遊びに出かけることは構わない。

 だが気の合う友人とでも行けばいいと毎回断っているのに、こいつはいつもしつこく食い下がってくる。俺と行ったって楽しいことなど一つもないというのに、物好きな奴だ。

 

 ……子犬のように唸りながら抗議をするテイオーの姿に、今回もまたこちらが折れることになりそうだなと覚悟した。

 

 

 

 結局来ることになってしまった、夏祭りが行われている場所をテイオーと歩く。

 急な話だし特に意気込みなどもないため、両者ともに浴衣ではなく普段着だ。

 

 辺りには様々な屋台が立ち並び、祭りの雰囲気に酔った人々の喧噪が騒々しく耳に届く。日も沈んできているが、この興奮はこれからもしばらく続くだろう、祭りはまだ始まったばかりだ。

 

「ねえねえ、まずは何する? 射的とかいいよね、ボクあんまりやったことないんだ」

「意外だな、お前は祭りに毎年来てるだろうし手慣れてそうなもんだが」

 

 俺の言葉にテイオーは曖昧に笑った。

  

 そういやこいつ旧家の令嬢だったな、思っていたよりも遊び慣れてはいないらしい。旧家の令嬢、つまり簡単に言えば良い所のお嬢様だ。

 どう見てもその辺の悪戯好きな子供にしか見えないため、俺も初めて知った時は驚いた。しかし、トウカイテイオーが実はお嬢様であるのは確かな事実である。

 

 言われてみれば気品が……いや、ないな。だが、何不自由なく暮らして親の愛情をたっぷりと注がれて育ってきたのは随所で感じていた。そうでなければこのような性格には育たないだろう、良くも悪くもテイオーは純粋で天真爛漫だ。

 

「じゃあ今日は俺がエスコートしてやろうか。これでもお前よりは長く生きてるんだ、祭りくらいなら何度も来てる。ではお手をどうぞ、お嬢様」

「むっ、何それ。格好つけてるみたいだけど全然似合ってないよ。普通でいいから普通で」

「おいおい、ずいぶん手厳しいな」

 

 ふざけて手を差し出したのだが、あまりにも素っ気ない返事に苦笑する。

 とはいえ、その手をきちんと取っている辺り言葉ほど辛辣なわけではなさそうだ。

 

 まあ、この人混みの中ではぐれたらなかなかの一大事になってしまうからな。

 

 それから俺たちは、先に挙がったように射的を行ってみたり食べ物屋の屋台をいくつも巡っていった。

 

 ふとテイオーが不意に立ち止まる。その視線の先には金魚すくいの屋台があった。

 

「おい、寮では基本生き物を飼うのは禁止されてるんだ。それはやめておけ」

「ええっと、ボクが飼いたいとかじゃなくてさ……」

 

 テイオーは何かを思案するようにしてから、俺の方をちらりと見る。

 そして、意を決するように言った。

 

「……あのね。もし、キミがペットを飼ってたとして、その子が病気になっちゃったらどうするの?」

「そりゃ当然治すだろ。むしろそれ以外に何があるんだ」

「でも、治らないかもしれないよ? それに、すごいお金が掛かって他の子を代わりに買った方が早いかもしれないし」

「くどいな。そんなことは関係ない。一度面倒を見ると決めた以上、どうなろうと最期まで見捨てはしない。それが責任ってもんだろ」

 

 テイオーがいやに真剣な顔で質問してくるため、俺もいつものように茶化すのはやめて真面目に答えた。

 しかし何が知りたいのかはわからんが、仮定の話にしてはやけに食い付いてくるな。

 

 病気になったから捨てる、飽きたから捨てる、他の奴の方が魅力的に見えてきたから捨てる。

 そんなことでどうする。自分の勝手な都合で命を預かっているんだ、せめて最期まできちんと責任を取らなければならない。

 

 他人が何をどうしようと別に構わないが、俺だけはそうしなければ許されない。

 それこそが、今の俺を支えている唯一の――

 

 いや、違う。そんなことはどうでもいい。いつまでもくだらないことに気を配っている暇などない。

 

「……トレーナーのペットになる子はきっと幸せだね! ボクも鼻が高いよ」

「どうだろうな、そんなことはそいつに聞いてみないとわからん。というかなんでお前が嬉しそうなんだよ」

「えへへーっ、やっぱりボクの見る目は間違ってなかったなーって思ってさ!」

 

 テイオーがだらしなく頬を緩ませながら、俺に強く身を寄せてくる。

 どうやら、俺の回答はこいつにとって非常に満足のいくものだったらしい。

 

 確かに今のは自分でも模範回答のように思えてしまう、行儀の良い答えだ。

 だが、別に俺はペットへの優しさからそう答えたわけじゃない。単なるこだわりの問題だ。俺は善人などではないのだから。

 

 せいぜい勝手に勘違いしておけばいい。俺の本質は善人とはかけ離れているが、良い人だと思われることに不都合はない。

 

 その後も二人で祭りを楽しんでいると、轟音とともに――空に花火が舞い散った。

 次々と打ち上げられる、色とりどりの花火が爆発音とともに夜の空を鮮やかに彩る。

 

 百花繚乱とはまさにこの事だ。夏祭りの最後を締めくくるに相応しい、豪華絢爛な催し物。

 

「……綺麗だね、トレーナー」

「そうだな、これを見るためだけでもここに来た甲斐はあった」

 

 感動しているのか、テイオーはいつもと違い物静かになっていた。

 薄暗闇の中、花火に照らされた横顔がいつもよりも大人びて見える。今ならば、こいつがお嬢様であると言われても違和感はないだろう。

 

「……ボク、また来年もこうやって花火が見たいな。――キミと、一緒に」

 

 テイオーがぽつりと言った。万感の想いが込められたような呟きだった。

 こいつは今何を感じているのだろう。どう思って先程の言葉を言ったのだろう、少しだけ気に掛かる。

 

「わかった、俺が忘れてなきゃまた付き合ってやってもいい。ま、お前が良い子にしていたらの話だが」

「うん――約束だよっ!」

 

 満面の笑みでテイオーが微笑む。

 同時に、一際大きな花火が勢いよく夜空に爆ぜる。まるで、何かを祝福するかのようだった。

 

 夏が終わればいよいよメイクデビューの時も近い。

 このように呑気に遊んでいる時間など、以前の俺であれば良い顔はしなかっただろう。

 

(だが、悪くない――悪くないじゃないか)

 

 このときばかりは、素直にそう思った。

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