乾いたターフを湿らせる   作:やわらかスマホ

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第八話

 ついにメイクデビューの日がやってきた。

 

 中京芝2000メートル、天候晴れ、バ場状態は良好。走る条件としては申し分がない、これならば問題なく練習通りの結果を出せるだろう。

 

 レースが目前に迫り、控え室で待機しているテイオーに向かって俺は軽く声を掛ける。

 

「いよいよこれからお前のデビュー戦が始まるわけだが、調子はどうだ?」

「もう絶好調! 早く走りたくてうずうずしてるくらいだよっ」

「そいつは結構。ま、お前は緊張なんてするタマじゃないからな」

 

 宣言通り、テイオーからは闘志が漲っているのが感じられた。初めての公式レースなので少しは緊張しているかもしれないと思ったが、杞憂だったようだ。

 トウカイテイオーというウマ娘は人に注目されるのが大好きな目立ちたがり屋なので、むしろ人が集まるほどやる気が溢れるのだろう。

 

「ねえ、ところでレースの作戦とかは何かないの? レース場の説明は聞いたけどさ、他には何も言われてないし」

「作戦か……そんなものはない、今日は好きに走れ」

「ええっ!? 何その適当な答え! いつもびっくりするくらい生真面目なボクのトレーナーらしくないよ!」

「……おい、お前は普段どういう目で俺を見てるんだ」

 

 わざとらしいくらい大袈裟な反応をするテイオーに、俺は抗議を込めて視線を鋭くした。別に俺は生真面目でも何でもない、逆にこいつが適当すぎるだけだ。 

 

「そもそも作戦なんて小賢しいものはお前には必要ない、少なくとも今はな。ただ普通に走ればお前なら勝てる」

「トレーナー……うん、そうだね。ボクは、いや、ボクたちは最強だからね」

 

 テイオーはしっかりと俺の目を見つめてから力強く頷いた。 

 

 俺はトウカイテイオーというウマ娘を信頼している。この娘ならば俺の期待を裏切らない、そう信じているからこそ余計なことは言わなかった。

 そう、余計なことだ。このレースを迎えるに当たって、対戦相手の情報収集は当然欠かさず行ってきたがその上でそう言い切れる。

 

 ――テイオーならば、間違いなく勝てる。

 

 絶対はないとされているレースで絶対の勝利を見せてくれる、俺はそう確信していた。油断も慢心もしていない、ただ彼我の戦力差を冷静に分析すれば自ずとそのような結論になる。

 

 ここに至るまで、テイオーには基礎的なトレーニングを中心にやらせてきた。早くデビューしたところでジュニア級の相手などまだ問題にはならないだろうし、長期のレースに耐えうる身体作りをしていきたかったからだ。

 

 テイオーは才気に溢れるウマ娘だが、体格は平均的なものよりも小柄で華奢な部類に入る。まだ身体も出来上がっていない成長期でもあるので、まずはじっくりとフィジカル面を整えた。

 

 彼女は全身がバネであるかのような優れた柔軟性を持っているため、怪我をする可能性は低いだろう。それでも、ウマ娘はガラスの脚と形容されるほどに脚が脆い種族だ。念には念を入れるに越したことはない。 

 

 だが、もう準備は整った。これならば――

 

「あれ? トレーナー、もしかして笑ってるの……?」

「……何?」

「今までずっと一緒にいたけど、ボク、トレーナーがそんな風に笑ってるの初めて見たかも……」

 

 テイオーがまるで信じられないものを見たかのような、驚愕の色を浮かべた顔をした。

 

 失礼な奴だな、俺は常に笑っていないわけじゃないし笑うことが出来ないわけでもない。感情のない機械でもあるまいし、俺だって何か楽しいことや嬉しいことがあれば素直に笑うさ。

 

(だが、そうか……。笑っていたのか、俺は)

 

 自分の表情が笑みを浮かべていたことに、指摘されるまで気付かなかった。だがよく考えればそれも納得しかない。楽しくて――嬉しいと思ってるんだ、俺は。

 

 何か月も手塩にかけて育てたウマ娘の晴れ舞台なんだ、そりゃ楽しいに決まっているだろう。楽しみで楽しみで仕方がない、早く皆に披露してやりたい。俺の愛バはこんなに強くて速いのだと、見せびらかしてやりたいんだ。

 

 まるで自分の宝物を友人に自慢する子供のような心境。我ながらその幼稚さに呆れてしまうが、気分がいつになく高揚しているのは否定できない。

 

「はは、そうだな。初めてのレースにどうやら俺も興奮してるらしい」

「いつもと違ってなんだか子供みたいだね。ふふっ、なんかすっごい面白いものを見ちゃったよ」

 

 俺の笑みにつられてテイオーも呆れが混じったような微笑みを浮かべる。これからレースが始まるというのに、緊張感の欠片もない緩み切った雰囲気。

 だがこれでいい、緊迫で張りつめた空気など所詮俺たちには似合わないのだから。

 

 だから俺はいつものように軽く言葉を投げかける。

 

「――ここからだ、ここから俺たちのレースが始まる。テイオー、お前の強さを俺たちに見せてくれ」

「うん、ちゃんと見ててね――トレーナー。すぐにボクと契約出来て良かったって思わせてあげるから!」

 

 そして、後に【帝王】と称されることになるウマ娘の進撃が始まった。

 

 

 

 このメイクデビュー戦はフルゲート9人で行われる。

 

 体操服に身を包み、5番のゼッケンを付けたテイオーがスタートの合図を今か今かと待ち構えていた。5枠5番、中枠で特に有利でも不利でもないちょうど真ん中に位置している。

 

 テイオーの脚質は先行。スタートから常に先頭を走る逃げウマ娘の直後に位置取り、第4コーナー付近から一気に抜け出して勝利を狙っていく戦法だ。

 

 先行のウマ娘には多くの素質が求められる。レースの要所で反応よく前方へ進出する勝負勘、差しや追い込みといった後ろの脚質からの追撃を凌げる脚力。

 

 当然スタートダッシュも上手くなくては前目につけることは出来ないし、バ群を怖がらない闘争心の高さも必要となってくる。だが、それらを充分にこなせる先行ウマ娘は強い。

 

 集団の前方に位置するため、他のどの脚質と比べても競争中の不利を受けにくいからだ。逃げウマ娘を常に捉えきれる位置にいることで、後ろの脚質と違ってスパートが間に合わないといった危険性も少ない。

 

 思わぬ事故が少なく、実力が反映されやすい脚質だ。だから強い先行ウマ娘から勝利をもぎ取ることは至難の業となる。順当に走れば順当に勝つ、それが一流の先行なのだから。

 

 それでは、それを踏まえた上でトウカイテイオーがどのような先行ウマ娘なのかというと――わざわざ語るまでもないだろう。

 

 ……ゲートが開いた。ウマ娘たちが一斉にスタートする。

 

 テイオーのスタートダッシュは上々だ、早々にバ群を抜け出して先頭集団に位置している。むしろそうでなければ困る。先行とはスタートも大事なのだ、もちろんその練習も欠かさず行ってきた。

 

 それからは先頭に陣取る逃げウマ娘のすぐ後ろ、ひたすら3番手をキープしながらテイオーは走り続けている。理想的な位置取りだ、レース自体もややスローペースで進んでいるために脚も残せている。

 

 一般的に、レースの展開がスローペースであればあるほど前目の脚質が有利であるとされている。展開が遅ければ必然的にウマ娘たちが脚を溜めやすく、前目のウマ娘が後続に捲られにくくなるためだ。

 

 差しや追い込みがラストスパートをかけようにも、逃げや先行も充分な末脚を発揮してしまうために今一歩届かなくなる。逆にハイペースであれば後ろの脚質が有利と言われる。とはいえ、これもケースバイケースなのでいつでも当てはまるわけではないのだが。

 

 いずれにせよ、先行としては理想的なレース展開だ。遠目なことに加えて高速で走っているため、細かい表情までは読み取れない。けれど、テイオーが今どのような顔つきでいるのかは想像がついた。

 

 ――あいつはきっと、勝気な笑みを浮かべている。

 

 脚は充分に残っている。第4コーナーからなどとは言わず、もっと早くてもお前らなんてすぐに置き去りにできる。お前たちでは自分の相手になっていないのだと、その纏う雰囲気が雄弁にそう告げていた。

 

 実際にはそこまで傲慢なことは思っていないだろうし、口にすることもないだろう。だがトウカイテイオーというウマ娘は、普段の無邪気な様子からは想像もつかないような威圧感を放つときがある。 

 

 結局のところ、彼女の本質は強者のそれなのだ。生まれついての強者であるがゆえに、その振る舞いがときに不遜であるかのように他者に映ってしまう。

 

 強すぎるがゆえに、まだ弱いということがどういうことなのかを理解できてはいない。何をやらせても上手く出来てしまう挫折を知らないエリート、それがトウカイテイオーだ。

 

 おそらく、これから先でどうしようもない苦難を味わったとき。そのときになってようやく彼女は弱者の気持ちを知るだろう。元々が優しい性格なんだ、それでわからないほど愚鈍ではない。

 

 だが、出来ればそんな機会は先延ばしにしたかった。まだ、あの笑顔を曇らせたくはないんだ。

 

 せめて――俺たちが夢を叶えるそのときまでは。甘いだろうが、そう思う。

 

 ……そしてレースは緩慢なペースを保ったまま、序盤からずっと変わらない集団の流れを維持して終盤の第4コーナーに入った。

 

 ここで待ってましたと言わんばかりに一気にテイオーが動く。

 

 おそらく『見ててねカイチョ―! いっくよー!』とでも思っているのだろう。本当にシンボリルドルフが今見ているのかは知らないが、公式戦は記録に残るのでまあどのみちいずれは見るだろう。

 

 テイオーは勢いよく、それでいてキレのある走りで上手くコーナーを曲がり、そのまま二番手につけていたウマ娘を至極あっさりとかわした。そして迎える最終直線。

 

 そこから――トウカイテイオーの真骨頂が発揮される。

 

 最後のコーナーを終え、体勢を整えたのも束の間。テイオーは逃げる先頭のウマ娘を見据えてから、一度姿勢を低くした。

 

 その身体が深く沈み込み、脚を大きく溜めてから――空気を突き破るような、爆発的な加速を炸裂させる。

 

 そう、まさに爆発だ。空気が激しく振動する音が聞こえてきそうなほど、暴力的なラストスパート。桁外れの瞬発力で一気にトップスピードまで加速、すぐさま慌てふためく先頭を抜き去っていく。

 

 まるで獲物を捉えて勢いよく飛びかかった肉食獣のような、あるいはギアを上げたスーパーカーのようなスイッチの切り替え。

 

 その走行のストライドは大きく、力強くターフを蹴りつける。トップをひた走る独走状態になっても尚、テイオーの脚色は衰えない。

 

 この暴威を可能にしているのが選抜レースの後、見学者たちによっていつの間にか名付けられたもの――テイオーステップ。差しや追い込みにも負けていない、彼女の持つ最終直線での最大の武器だ。

 

 テイオーステップ。その華麗な脚さばきはウマ込みの中であっても容易に切り抜け、ラストスパートでの爆発的な末脚を可能にさせる。異様とも言えるほどの関節の柔らかさを誇るテイオーだからこそ可能な離れ業。

 

 俺の確認した限りでは――テイオーの得意な中距離のジュニア級で、このテイオーステップを破れるウマ娘はまだ存在しない。

 

 周りを多くのウマ娘で囲い込もうとしてもするりと抜けられ無駄に終わり。先行であるがゆえにラストスパートでは有利な距離で始まるにも関わらず、その末脚は強烈。

 

 これでは、経験の足りないジュニア級ではどうしようもないのは仕方のないことだ。だが、この理不尽さこそが俺があのとき欲しかったもの――トウカイテイオーというウマ娘だ。

 

 ……そして、レースはただ一人の圧倒的な勝利者を残して終わりを告げる。

 

『勝ったのは5番、トウカイテイオー! 強い、強すぎる! これは完璧な勝利です、他の追随をまるで許さなかったぞ!』

 

 実況の興奮を隠せない言葉がレース場に響き渡り、観客たちも1着をもぎ取ったウマ娘のその強さに大きな歓声を上げる。

 このメイクデビュー戦はこれから行われる重賞レースの言わば前座なのだが、次世代のスターを予感させるウマ娘の登場にそれを感じさせないほど盛り上がっていた。

 

 レース結果は2着とは8バ身差の圧勝。しかも走り終えて観客席に手を振るテイオーの様子からは疲れがまるで見えない。つまり、それはまだまだ余力を残しているということを意味する。

 

 だが、その結果を俺以上に深く噛み締めているのは、テイオーと直接対決したウマ娘たちの方だろう。

 

 トウカイテイオーという優駿。そのあまりにも隔絶した才能と能力を目の当たりにして。彼女たちは嫉妬と諦観、羨望が入り混じったような表情を浮かべていた。

 

 レースでの勝者は常に一人。2着だろうが最下位だろうが等しく敗者だ。ならば勝者となるには、こんな化け物を倒さなければならないのかという絶望。

  

 才能の差に打ちひしがれてしまっているのがよくわかる。もう一度走れば今度こそ勝てる、そのような甘い考えを完全に切り捨てるほどの圧倒的な暴力。

 

 メイクデビューしたこのウマ娘たちは決して弱者などではない。名門である中央のトレセン学園に入学し、自身のトレーナーを見つけることも出来たのだから、ウマ娘全体で言えば紛れもない強者だろう。

 

 だが、上には上がいる。そんな強者であっても赤子扱いするほどの天才がここにいた――ただ、それだけの話だ。

 

 これが現実なんだ。どれだけ夢を掲げようとも、結局は開きすぎた才能の差は覆せない。努力でなんとかできる範囲など容易に超えている。そもそも、天才であっても努力は変わらず行っているのだから。

 

 わかってはいるがあまり長く見ていたい光景ではなく、俺は彼女たちから目を逸らした。変えた視線の先では、栄光を掴んだ勝利者が対照的に光り輝いていた。

 

「みんなありがとーっ! 無敗の三冠ウマ娘になるボクのこと、これからも応援よろしくねーっ!」

 

 テイオーは輝きに満ちた笑みを浮かべながら、未だに興奮冷めやらぬ様子の観客席に向かってアピールしていた。

 

 大きく掲げられたその右手は、数字の3を表している。この宣言通り、きっと夢を叶えて三冠ウマ娘になってみせるという意気込みの表れだろう。

 

 現実を思い知っている周囲のウマ娘に気付いている様子はなく、ただ前だけを見つめているその姿。ほんの少しだけ、思う所はあったがすぐに飲み込んだ。

 

 ……俺はトウカイテイオーのトレーナーなんだ。愛バが素晴らしい勝利を収めた、ならそれ以外の事実はどうでもいいことだろう。

 

「トレーナートレーナー! あのね、見ててくれた? ボク、ちゃんと勝ったよ――大勝利!」

 

 アピールを終えたテイオーが、観客席の最前列にいる俺に向かい嬉しそうに駆け寄ってきた。主人が帰ってきたのを察して飛びついてくる犬のようだな、と失礼ながら感じてしまう。

 

 褒めて褒めて、と言わんばかりに尻尾を振っているので尚更そう思ってしまう。ウマ娘が受け継ぐという、ウマソウルとは異世界における犬の魂のことなのだろうか。

 

「トレーナー、何ぼさっとしてるのさ! キミの愛バが勝ったんだから、言うべき言葉があるでしょ! ほらほら、早く早くーっ!」

「わかったわかった、あんまり急かすな。……初勝利おめでとう、流石俺の選んだウマ娘だな」

「えへへーっ、これからもボクはいっぱい勝っちゃうから、たくさん褒め言葉を用意しておいてね!」

 

 待ちきれないとばかりにこちらの賞賛を要求してきたので、苦笑いしながらテイオーを褒めてついでにその頭を撫でる。

 子供とはいえ家族でもない女性を撫でるのはあまりよろしくないのだが、背も低いし犬みたいだしなんとなく撫でる癖がついてしまっていた。

 

 まあ嫌がられたらやめればいいか、その辺の機微については割と自信がある。トレーナーという職業上、観察眼は人並み以上にきちんと養っているつもりだ。

 

「この後ライブだね、楽しみだなーっ。さっきのレースみたいに、ボクがセンターになって一番目立てるんだからきっと最高だよねっ!」

 

 レースの勝者から順にセンターに近い位置で迎える、勝者のためのパフォーマンス――ウイニングライブ。

 

 初めてにして堂々のセンターが決まり、期待に胸を膨らませているテイオーの姿。出来れば、この笑顔を失いたくはないと改めて感じた。

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