未来を望む心。
たどる道の険しさは知っていても、進むことをあきらめなければ、いつか、きっと。

雁の大学にて、楽俊独白。

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第1話

 指先から飛びたった鳥は、美しい尾羽をはためかせて幾度か円を描くと、まっすぐ西を目指して飛び去った。

 

 それを気をつけてなと見送って、窓を閉める。

 開いたままだった書籍を棚に戻して椅子に背を預け、鼻先で天井を仰ぐ。

 斜陽の加減で、ゆらめく細い髭が茜に染まった。

 鮮やかなその色は、遥か西方の少女を思わせる。

 

---雁にやるくらいなら慶に欲しいと言ったのだけれど、楽俊は巧に戻るのかな。

 

 いつか聞いた、少女の柔らかい声が甦る。

 王として立っても、自分の意思を伝えるときはあいかわらず控えめなのが好ましかった。

「慶に、か……」

 彼女が言外に載せた意味に気付かないほど、鈍くはない。

 だが、その言葉に対する返事を、自分は未だに伝えられていなかった。

 

 陽子には恩義がある。

 それにもまして、一人の友として彼女の力になりたかった。

 大学に入ることは自分の目標であり、僅かな旅とはいえ苦楽を共にした友の支えになるための手段。

 けれど、といつも逡巡する。

 慶の民ならば、ただの人であれば、それはたやすいことだったろう。

 二つは駄目でも、そのどちらかであるならば、あるいはまだ容易なはずだった。

 でも、自分は巧国の、半獣で。

 雁であれまた他の国であればともかく、よりによって王を害しようとした巧の、しかも半獣とは。

 雁が半獣に暮らし易い国であるというのは周知の事実。

 裏を返せばそれは、他の国ではまだまだ差別があるということだ。

 慶は波乱の国。

 そしてそれゆえか、民には頑ななまでに因習にこだわる気質がある。

 王が異を嫌った巧ほど露骨ではないが、やはり半獣が公にあるを好まない。

 陽子が勅令をもって差別を撤廃するまで、半獣は官吏になることは出来なかった。

 勅令でなければ動かないほど、それは深く人心に根付いた偏見。

 

 慶の朝は新王を迎えたばかりだ。そのうえ陽子は若く、まだこちらのことをよく知らぬ。

 懐達と言い、王をすら蔑ろにするような官の中で、彼女がどれだけ苦心しているかなど、想像に難くない。

 

---そんなところに他国の半獣が出しゃばったりしたら、陽子はどうなる。

 

 灰茶の毛並みを撫でつけて、息を吐いた。

「この姿に生まれついたのは、べつにおいらのせいじゃねえ」

 かつて陽子にそう言ったのは、ほかならぬ自分自身。

 あのときは、海客というだけで生存すら否定されていた彼女に、前を向いて欲しい一心だった。

 生まれてきたからには、誰にだって生きていく価値があると、たとえ海客だって命にかわりはないんだと胸を張って欲しかった。

 それをいまになって、自分に言い聞かせる羽目になるとは。

 自分が半獣なのも、巧に生まれたのも、すべては天意のなせること。

 天帝が何を思ってこの身を定めたのか、知るよしもない。

 だが一つだけわかっている。

 自分が巧の半獣に生まれなければ、陽子の手を取ることも、出会うことすらなかった。

 それは、(くつがえ)しようのない事実。

 もって生まれた天命が何処(いずく)にあるかなど、楽俊にもわからない。

 だが、真実望み信じて行なえば、それは天意をも動かしうる力になる。

 すくなくとも、自分はそう思っているから。

 

 いつか。

 

 急速に暮れゆく黄昏の最後の一条が、小さな部屋の中を照らす。

 

---まだ、答えられねえけど、いつかきっと。

 

 目を射るような朱の光に、楽俊は瞼を閉じた。

 せめて身につけうる限りの知識と、表立っては非難されぬだけの立場をもって。

 ほかの誰でもない、彼女を護るために。

「だから、陽子。もうちょっとおいらに時間をくれな」

 それくらいなら、待っててもらってもいいだろ?

 我ながら情けねえなあと苦笑ったところに、扉が叩かれた。

「文張、飯食いに行こうぜ」

 隙間から首だけ出した同輩が、のんびりと頷いた部屋の主にぴしりと指を突きつけた。

「それと、飯のあとそのまま弓射場にいくからな。さっさと着替えろよ」

「ええ? 飯食ってすぐか?」

「行ったり来たりじゃ面倒だろうが。早くしないと飯食いっぱぐれちまうぞ!」

 物言いは悪いが気のいい友人に、思わず笑みが零れる。

「へいへい。せいぜい急ぐとするよ」

「せいぜいじゃない、全力で急げ!」

 どこかの麒麟にも似た威勢の良さに破顔する。

 な? いい奴だろ、陽子。

 衝立の陰で着物を身に着けながら、彼方の友に向かって自慢した。

 機会があったら会わせてみたいもんだと思いながら、部屋を出る。

 その背を、小さな銀砂のような明星が照らしていた。

 

初稿・2004.12.20




『書簡』にからめて一作。
この時点で楽俊がどう考えているか、実はよくわかんないんですけどね。
作中では「自分のことなんか気にかけなくてもいいぞ」的なニュアンスがあり
ましたけど、まああれは登極前の時間軸だしねぇ。
『風の万里~』では六太に「過保護」とまで言われているくらいだから、なんだかんだいって心配なんだろうよ・笑

そんなわけで、原作にちょっと背いている感もあるんですが、楽陽レンズ着用ということで勘弁してやって下さいませ。
そんでもって、鳴賢またでてるしな。
だって大学っつったら鳴賢じゃん!(開き直り)


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