その噂は村の外まで轟いた。
ただの子供が素手で魔物を殴り殺した、と。
噂が飛躍し過ぎだと誰かが嘲笑った。恐ろしいと誰かが口にした。未来の勇者だと誰かが盛り上がった。それに対して、本人はひたすらに憂鬱だった。
魔獣を1匹殴り殺して、改めて自分に戦いというものが向いていないと理解したのだ。
遊びでない本物の殺し合い、肉を殴り付け、自らの強さを以て相手を屍に変える愉悦。
そんなものはどこにもなかった。
自分が強いことは知っているし、褒められたりすれば嬉しい。でも、相手を打ちのめすことで誇ることに何一つとして喜びは見いだせなかった。相手を殴り付けて、薄皮の剥けた拳の痛みですらリスカは涙が出てくるくらい嫌だった。もう二度とあんなことしたくないと、誰にも気が付かれないように声を押し殺して部屋の中で泣いた。
「リスカ! 怪我はもう大丈夫か!?」
拳の薄皮が剥けただけの彼女に対して、少年は腕を包帯でぐるぐる巻きにされながら、もう飛びかかってくるくらいの勢いで聞いてきた。
誰もリスカの心配はしなかった。だってリスカはもう周りの誰よりも強かったから。親ですらリスカを褒めるだけで心配はしなかった。だって、リスカに心配されるような欠点なんてなかったから。
だから、自分の方が大怪我を負ってるくせに拳の薄皮を擦りむいただけの自分を心配してくれたのは、涙が出るほど嬉しかった。
心配してくれてありがとうって。
すごく怖かったって。
なんであの状況で私より早く走れたのって。
心の底から、彼に全てを曝け出したかった。
「あんな子犬1匹に私が倒せるわけないでしょ? それより、なにやってんのよアンタ。私より弱いくせに、勝手に飛び出して怪我して。これじゃあ私は誰をサンドバッグにすればいいの?」
…………何言ってるの、私?
「いやー……面目ない。リスカがいなかったら死んでた以上何も言えん。本当にありがとうなリスカ、お前はすごいよな」
違う、違うの。
そんなに申し訳なさそうにしないで。私はもう勇者なんてならなくていいの。だから、貴方の隣にずっと居させて欲しいって。
私の隣で、私を助けてって。
「本当よ。私がいなきゃなんにも出来ないのに勝手に突っ走って」
やめろ。彼が居なきゃ何も出来ないのは、何者にもなれないのは
「本当は見捨ててやろうと思ったけど、アンタがあんまりにも情けなく助けを求めてたからつい助けちゃっただけ。これに懲りたらあんなマネもう二度としない事ね」
違うでしょ? 情けなく助けを求めていたのは私。
あんな怖い森の中を走って、あんな怖い魔獣相手に立ち向かえたのは、彼が前にいてくれたから。そんなことわかってる。わかってるに決まってる。じゃあその通りに言いなさいよ。胸に秘めているものを吐き出して、持て囃されたワタシの仮面を剥がして、本当のワタシを、彼に。
『え? リスカ本当は怖かったの? なんだかそれって勇者っぽく、リスカっぽくないね』
「──────ひゅ」
「…………リスカ?」
肺に穴が開いたかのように空気が漏れた。
彼はそんな事言わない。そんなことわかってるけど、一瞬でも想像してしまったらもう口は動かない。
いつどんな時でも誰よりも前に立ち、誰よりも強く、誰よりも勇敢な未来の勇者。それがリスカ・カットバーン。
それ以外の彼女はリスカ・カットバーンでは無い。それ以外の自分なんて、誰一人として見ていない。
だって、みんな『未来の勇者』のリスカを求めていたじゃない。今更本当の自分なんて、もう分からない。
彼だって、いつも目を輝かせて『未来の勇者』を褒めてくれていた。じゃあ『未来の勇者』じゃないリスカは?
臆病で、現実的で、悲観的で、消極的で、保守的で、彼の後ろを付いていくただの女の子は?
きっと、彼の興味は私以外に移ってしまう。
きっと、彼はそんな『
傲慢で、強欲で、知恵と勇気に溢れ、積極的で、革新的で、いつでも皆の前に立ち道標となる『勇者』じゃないと。
リスカ・カットバーンはこの世に存在できないのだから。
「ほら、早く来なよベルなんとかくん。あ、
無礼千万。
魔族の力の体現者である魔王軍幹部への、そして自分達へのあまりに舐め腐った態度にベルティオの配下の魔族達は武器を、魔術を、或いは『異能』を構える。
「止めろ」
だが、憤怒に駆られそうになった集団もベルティオのたった一声で全員が姿勢を直立させ、何事もなかったかのように次の彼の言葉を待ち侘びる。
「怒りがあろう、悔しさがあろう。だが、全て事実だ。あの勇者の前にはお前達は嵐を前にした羽虫と変わらぬ。行け」
主直々に、自ら達の目の前に立ち塞がるモノが『バケモノ』であると伝えられた魔族達は、ほんの少しだけ動揺のようなものが生まれる。しかしそれもすぐに収まり、命令に忠実に従い、なるべく目を合わせないようにリスカの横を通り過ぎていき、リスカもそれをただ見て送る。
「ほとんど言ってることは変わらないのに、何この差?」
「相手の神経を逆撫でするような言葉ばかりでは誰も付いてこぬぞ?」
「心配しなくても私に付いてこれるようなやつはいないし、何より私は
「なるほど。我らの事をよくわかっている。さすがはエウレアを討ち果たした勇者だ」
双角の魔族と『切断』の勇者。
しばらく両者の睨み合いが続き、しばらくして雲に隠れていた月がその顔を見せた時、勇者の影に動きがあった。
より正確に言えば、リスカの影のさらに後ろ。影のみが奇妙にも動き、立体として浮かび上がりその首目掛けて刃を振るう。
さらに物陰から二体の魔族が追い打ちをかける。片方は腕を槍へと変えて岩山を抉るような刺突を、片方は氷柱の雨を降らせリスカを串刺しにせんと。
「……主様の話は聞いてた? アンタ達は羽虫と変わらないの」
その奇襲は、あまりに無意味だった。
影より現れた『異能』を持つ魔族の攻撃も、槍手の魔族の武芸も、氷柱の魔族の魔術も、リスカ・カットバーンの鎧や衣服を削るだけで、その肉体には傷一つも付けられなかった。
そして、こちらの番とばかりにリスカは軽く剣を振るう。指揮棒で振るうかのようなその気楽な動きにも、魔族達は対策を行った。
影に潜り、全力で飛び退き、氷塊を出した。結果として三体とも胴体をあらゆる対策ごと両断され、屍となった。
「アンタも酷い主様だね。勝てないとわかっていて、こんなことさせたの?」
「否定はせん。だが、彼等の犠牲を無駄と嘲るならば、お前はここで死ぬのみよ」
ベルティオが『異能』を起動させる。
魔王軍幹部、単一個体で国や都市を攻め落とす厄災が生命の形を持った者。その肉体に宿りし、現世を否定する魔の法が一つ。
──────『
刹那、リスカは突如として地面に
その反応速度を以てしても回避のできないほんの一瞬で、リスカの足元は流砂のようにその体を飲み込まんと顎を開いたのだ。
「我が異能は『分解』の理。我が触れた物質を全て塵へと分解する」
声のした方向へと反射的に剣を振るう。
さすがは勇者。その剣は確かにベルティオの肉体を寸分違わず捉えていた。ただ、捉えてしまったばかりにリスカの剣はベルティオの『異能』の餌食となり、刀身はその肉体を切り裂く前に塵へと還る。
「雑兵を倒した程度で浮かれたか? その油断が、貴様を死に追いやった」
万解大公の名に相応しき万物を解く文字通りの魔の手が、リスカ・カットバーンの肌に触れた。
それは二つ目にして致命的な『ズレ』の記憶。
その日は、いつも早起きなリスカにしては珍しく、昼過ぎまで自室の寝台に引きこもっていた。あの日、魔獣を殴り殺した夜からどんどんリスカの中で何かがズレて、何をしても苦しくなっていた。
自分がどうすればいいのか、どうなりたいのか、そもそも『ジブン』ってなんなのか。考えれば考えるほどわからなくなる。分からないことの気持ち悪さは、聡明な頭脳には呼吸を阻害するほどに酷いものだった。
このまま消えてしまいたい。
リスカ・カットバーンはとても良い子で、『未来の勇者』だから、その真摯な願いをクソッタレの神様は受け入れてくれました。
「──────カ……おい、リスカ! しっかりしろ!」
「へ、なんで……アンタが?」
最初それは夢だと思った。先程まで自室の寝台で毛布にくるまっていたはずなのに、目を開けてみればそばに居て欲しい人が近くにいたのだから、年頃の乙女ならば誰だってそれを夢だと思うだろう。
「良かった、意識は戻ったか。とにかく、ここを離れよう」
「待って、頭が、すごく痛いの……」
よく分からないまま、変に痛む頭を利き手で抑えようとした時、彼女はこれが夢ではないと気付かざるをえない事態に遭遇した。
「あれ…………? 私の、腕……」
いつも剣を振るう、彼女の右手。真っ直ぐで、柔らかなのにその柔らかさの下には筋肉が詰め込まれている強靭な腕。それが
「ギ────────────ッ!?」
夢ならば一撃で確実に目が覚める、人生で感じたことの無いような激痛にリスカは喉が裂けんばかりの絶叫をあげそうになったが、その直前で少年が彼女の口に布を詰め込み声を抑え込む。結果的にそれは彼女が痛みに耐えきれずに舌を噛んでしまうことも防いでいた。
「ごめん、ごめんな。痛いよな。でも、
よく見れば少年の方も頭から血を流し、ようやく怪我が治ってきた腕に酷い火傷を負っているのに、その痛みを一切顔に出さず痛みに悶えるリスカを宥めていた。
だから、痛みでどうにかなってしまっていたリスカが何が起きたかを知ったのは全て近くの街の病院で目を覚ました時のこと。
リスカの村の近くを魔王軍の『四天王』の一体が通り過ぎて、余波で村は火山が噴火したかのような熱波に襲われたこと。家ごと吹き飛ばされた自分や少年は幸運で、多くの村の人はそのまま瓦礫に押し潰されたか、焼け死んでしまったということ。生存者の中では自分も少年も比較的軽傷で、たまたま家を留守にしていたリスカの両親以外はほとんど皆死にかけていたと言うこと。
少年の両親が死んだ、と言うこと。
「なんで、私を助けたの?」
「なんでって……リスカは頭を強く打ってたし、たまたま近くにいたから」
「なんで、なんで私なの? 自分の両親でいいじゃない。私なんか、見捨てちゃえばよかったんだから」
「……父さんは即死だったし、母さんは下半身が瓦礫に埋もれててとても俺の力じゃ助けられなかった。でも、リスカは助けられる。そう思ったんだ」
朧気な記憶の中の自分は、腕がちょっと折れたくらいで泣き喚き、酷い火傷を負っていた少年に抱きかかえてもらってなんとか避難していた。足は怪我してないのだから、その気になれば歩けたのに、なんなら片手は無事だったのだから、頑張れば一緒に少年の母親を助けられたかもしれないのに。
「……ごめん」
「悪いのは魔王軍だろ。なんでリスカが謝るんだよ」
「私、みんなに勇者だなんて言われてたのに、ただ泣いてた。痛いのが辛くて、泣いてるだけだった」
ボロボロと、存在価値が剥がれ落ちていく。リスカ・カットバーンの意味が粉々に砕けて、支柱を失った肉体が形を保てなくなっていく。
嫌われた。
彼の親を殺した、彼に情けないところを見られた、『勇者』じゃなくなった。もう、彼が笑顔を向けてくれたリスカ・カットバーンではなくなってしまった。
「腕が折れたら泣くだろ? 何言ってるんだ? 俺も、前に腕を怪我した時大泣きしてただろ?」
少年の言葉は、予想外のものだった。
疑問。相手が何を言っているか分からないとばかりの間抜けな顔で、首を傾げながら一周まわってリスカを心配すらしていた。
「だって、私、いつもアンタに偉そうにしてて、私は『勇者』で……」
「偉そうにしてるから泣いちゃダメなのか? 『勇者』は泣いちゃダメなのか? 痛いもんは痛いだろ。別に泣いて良くないか?」
「だって、だって……」
「あー! よく分からん! 別に痛いなら、苦しいなら泣いていいだろ! だって、
……そんなことは、なかった。
リスカ・カットバーンは才能に満ち溢れ、輝かしい未来を持ち、あらゆる分野に貢献できる高級な人間だ。そして、少年はそんなリスカに足元にも及ばない。
少年はリスカに無いものを全部持っていて、それでいて、目に見えないもの、測れないモノであらゆる面でリスカを追い抜いている。
同じなんかじゃない。
同じなんて、言ってもらっていい存在じゃないのに。
「おんなじ、私達、おんなじでいいんだ……」
「当たり前だろ。リスカって意外と馬鹿なんだな」
「うっさい。アンタの方が、馬鹿でしょ」
リスカ・カットバーンを覆っていた『勇者』の呪いは、多くのものを失いながらここで全て剥がれ落ちた。
ようやく、彼女は一人の人間としての人生を始められる、そのスタート地点に立つことができた。
…………でもね、それは許されないの。
彼が許してくれても、誰も■■■を許しちゃいなかった。
「知ってるかリスカ。今、『勇者』の選抜試験がやってるんだって! 勇者になれたら、村を焼いたあの魔族を倒せるかもしれない。皆の仇を討てるし、魔王を倒せたらきっとみんな喜んでくれるよな!」
ふーん、とリスカより数周遅れの知識に目を輝かせる青年を横目に見ながらリスカは編み物に集中していた。
もう剣なんて振るわない。痛いことはしたくない。『勇者』って言うのは、勇気ある者って言うのはどういう人間なのか知っているからだ。それが自分ではないことも。
だからリスカは従者でよかった。勇気ある者の背中を追い掛け、その背中を守り、共に歩ける存在で。
「俺、この選抜受けてみようと思うんだよ。強くて、かっこよくて、誰にも負けない、皆を守れる最強の勇者に!」
「アンタなんかが受かるわけないでしょ」
本当はアンタならやれるって言いたかったのに、正直じゃない口は下手くそな照れ隠ししか発してくれない。
でも、コイツが勇者かぁと考えると自分の事のように嬉しくなった。だって、コイツと私は『おんなじ』なんだって、リスカの心には大きな余裕が生まれていた。
「まぁ、その通りなんだけど。だからさ、リスカも一緒に受けないか? 俺一人じゃダメでも、リスカとならどうにかなる気がするんだよ」
ずきり、と古傷が傷んだ。あんな怪我はもう二度としたくない。もう二度と痛い思いなんてしたくない。
でも、彼が怪我をしたら自分の心も『おんなじ』、それ以上に痛くなる。
「……しょうがないな。アンタの背中は私が守ってあげる」
「……ッ! こっちこそ、お前の背中も正面も全部俺が守ってやる!」
「いや、アンタに守られるほど私弱くないんだけど?」
「まぁ……はい。仰る通りで」
結果として、リスカ・カットバーンは『勇者』に選ばれた。
幼なじみの青年は選ばれなかった。
ただそれだけのお話。
・リスカ・カットバーン
本質は勇者などではなく、傲慢で我儘で、優しいただの少女。ただ勇者の側に立つために、自らを勇者へと鍛造した人類最強の刃。
・幼なじみ
リスカ・カットバーンを尊敬していたが、特別視はしていなかった。その事実が特別な子である彼女にとって救いであり、呪いであった。
好き
-
リスカ
-
ホシ
-
スーイ
-
ギロン