運命ってのはクソッタレだ。人様を弄んでいい気になってやがる。
英雄サマの身体にド凡人の魂が入った所で、何か出来るか? いや無理だろう、英雄ってのは心体揃っての英雄なんだ。到底成り立つはずもない。
俺の
その歴史は、常に苦難と逆境と共にあった。
無敗の二冠馬。
そして二度の骨折を乗り越え掴み取ったジャパンカップ。
更に、三度目の骨折、一年の休養。
その逆境を跳ね除け、有馬記念にてグランプリホースの座を手に入れた。
それは余りにも遠い道のりだった。
そして余りにも劇的だった。
故に、その名は歴史に残る物となった。
──そんな伝説の身体と名前を掠め取った俺は、世界最低のクズだ。
──ウマ娘。
それは、別の世界で名を遺した優駿達の魂、ウマソウルがこの世界に流れた事で生まれた存在。その存在のきっかけとなっているのは、恐らく俺の前世があったあの世界だろう。
そしてもし、この世界が名駿達にとって死後の世界であるならば、この世界では何が与えられるのだろうか。
信賞必罰、奇跡か絶望か。
この世界に何の因果かウマ娘として生まれた只人の俺からすれば、この世界はきっと天国でも地獄でもない。極楽や煉獄も、どこにも無い。
それに俺はこの世界を
"名"を背負う重圧も、"役"を演じる使命も、俺は知っている。
只人とウマ娘。遥かに近くて遥かに遠い二つの人生。
それを俺は持たされた、一人分でも重い重い歯車を。
だから分かってしまった。
──"俺"はいつか"彼女"に殺される。
──
──その先が袋小路だと分かった上で。
深く被ったフードに狭まった視界。その中に、誰かの足が見えた。
「
「うっせえ、俺をその名前で呼ぶんじゃねぇ」
「あ、サーセンっした!」
ああ、その名を聞いただけで虫唾が走る。俺は帝王なんて大したもんじゃねえのに。そんでもって本家本元の"テイオー"に泥を掛けてるみたいで余計に苛立ってくる。俺は好きでこの身体に生まれた訳じゃねえのに。なんて、苛立ちを晴らす方法も分からず荒んで喧嘩ばっかりする内に、勝手に舎弟を名乗るウマ娘やヒト娘まで出てくる始末。まあ、貰えるモノは貰っておく、俺は舎弟を名乗るウマ娘からハチミツニンジンジュースをひったくり、喉の渇きを癒した。
「んぐ……んぐんぐ……っ、はぁ……」
そして、喉に絡みつく甘味を嚥下した俺は深いため息を吐く。本来のテイオーはこんな所で燻るヤツじゃない、それは分かってる、が選んでもないのにこうなった俺がそうする義理もない。ウマ娘に生まれたからって走る以外の仕事には就けない事はない。走る事にも興味がない。何が楽しいのかもさっぱり分からない。
「……そこの君達、こんな時間に外で何してるんだい」
──ああ、そっか、この公園、ポリ公の巡回コースだったな。
「はあ、チャリに乗ったポリ公なんてまた面倒な」
「君達、親御さんが心配して待ってるんじゃないのかい?」
──何度も聞いたさ、その台詞は。
テイオーの両親は底抜けに良い人だった。更にはトウカイテイオーは偉い旧家の血筋らしく、よく出来たお爺さんの執事まで居ると来たもんだ。通りであんな風に育つ訳だよ。
……でもこのテイオーは違う。俺が足枷になって、どこまでも卑屈で悲観主義に走るクソッタレテイオーだ。
でもな、親御さんが心配してるのは"テイオー"であって俺じゃない。だからアンタの言葉は的外れなのさ。
俺はフードを下ろし、俺はポリ公に正面からメンチを切る。
フードに収まっていた赤みが強い長髪がフードから花開く様に溢れ出す。
長い……と思っている筈なのに、元男のクセしてこの髪を切るのはどうしても出来なかった。何故かは分からないが、面倒臭かった、気が起こらなかった。……だが今は後悔しかない。
「……シンボリルドルフ?」
ポリ公は惚けた顔でこう言った。
伸びた髪をそのまま降ろしていると、他ならぬ"テイオー"の
やはり因果か、"テイオー"と"ルドルフ"は此処じゃ直接の血縁でもないのに良く似ている。だからそれを指摘される度に、どうしようもなく"テイオー"を意識してしまって腹がムカムカする。
まるで周りの奴が俺を"テイオー"にさせようとしているみたいで。
なら何故髪型を変えないのかって? 理由は幾つかある。
ポニーテールに結ぶのは
そんで、どうしようもないから、逃げ続けてる。
「──なあポリ公、追いかけっこしようぜ? アンタが鬼でな」
生意気なセリフも、この青々しい少年みたいな声で言えば随分とサマになる。
自称舎弟の背中を押して走らせ、俺もその後に続く。
「っ! 待ちなさい君たちッ!!」
俺達は公園の出口──ではなく、公園を囲う金網へと真っ直ぐに向かう。
先に自称舎弟が金網へ飛び付き、ソレを乗り越える。ポリ公は俺の方へ真っ直ぐに向かって来た。だが間に合わないだろう。俺は既に動き出したのだから。
──助走は数歩で良い、でなきゃ
急激な緊縮は怪我の元。身体を地面に投げ出し、倒れてしまう前に脚を踏み出す。
そうすると人体は無理無く動き、脚への負荷を抑えられる。確か、古武術の技だった筈だ。
身体に火が灯った様にカッと、熱くなる。走り続けるのは嫌いだが、走り出したこの瞬間だけは、まだマシだ。
距離は数歩、緑色の塗装が剥げた金網が目前に迫る。
金網を無駄なく超える為の距離と角度適切な間合いを見切り、最善のポイントを利き足で踏み切り──
──
世界を宙を翔ける足元には、街路灯の光で眼を輝かせる自称舎弟の姿。奴は何が面白いのか、笑っていた。
そして、着地。パルクールの要領でごろんと身体を丸めて回りながら立位に戻った俺は、自称舎弟を置いて走る。
「何でボーっとしてんだ! 行くぞ!!」
「あ、は、はいっス!!」
チャリを反転させたポリ公も追ってくる。
逃げる俺達の背をチャリのライトが照らし出した。
流しで走ってる内はまだポリ公にも着いていけるだろうが……まだまだ温い。
「生憎、俺たちはウマ娘なんでな」
普通に走ろうが人間の何倍もの速度を出せるウマ娘は、本気で走れば軽自動車すら超える速度を出せるのは常識だ。
俺は首を回し背後のポリ公に向いて舌を出す。
──見てみろポリ公、これが"ほんの少しの
前を行く自称舎弟目掛け、俺の足は"前に跳ねた"。
スキップの様に軽く跳ぶ様に走れば、あっと言う間に自称舎弟を置き去りにした。
そのまま俺たちはギアを上げて一気にポリ公のチャリを振り切る。
少しスパートを掛ければ、ライトの光は遠ざかる景色の中へ飲まれて消えていった。
「はぁ……はぁ……流石っステイオーさん!!」
「っだからその名前で呼ぶなっつっただろ!」
「あ、サーセンッ!!」
自称舎弟は俺について行くのがやっとで、息を切らしてるのに妙にニヤニヤしていた。全く、走る事の何が楽しいんだか。
「はぁ……っ、ふふっ、本当にすごいっスっ憧れっス!」
……ああホント、何が楽しいんだか。
──俺は今日も、ウマ娘と言う生き方に疑問符を浮かべていた。
──またワケも無く出てきちまった。
俺はなんとも後ろ向きな気分で人垣を眺めている。
あれから翌日、珍しく自称舎弟が来なかったので、俺は一人で夜の街を歩いていた。
ゲーセンも行き飽きたし、喧嘩をやり過ぎたせいで俺に喧嘩吹っかけてくる奴もいない。ああ……なんとも爽快だよ、うるさい奴が居ないと清々する。いつもアイツが居るせいで俺の平穏は乱されっぱなしだったからな。
……。
…………。
………………やる事ねえな。
そう思いながら街をブラついていた時。
「退屈そうだね〜……少年?」──突然、背後から声を掛けられた。
──誰だ?
俺はさっさと振り返る。
「やあやあ、前途ある若人よ」
すると、そこには俺より二回り程背の高く、スイス国旗の様な赤いレザージャケットを着たウマ娘が立っていた。マスクにサングラスまでしていて顔は見えなかった。
「いや誰だよ?!」
俺の記憶に茶髪であんなギラついた目をしたウマ娘は居ない。相手は落ち着いた物言いをしていたが、ヤツの尻尾はそれに反してビタンビタンと腰に叩きつけられていて、若干の興奮が垣間見えていた。
俺は今にも襲われるんじゃないかと気が気ではなかった。ウマ娘と人間ならばマウントを取られようが簡単に返せるが、ウマ娘相手の場合そう簡単に行くものではない。ウマ娘相手のケンカを何度もやって来た俺には分かる。
それに、相手の雰囲気は明らかにカタギのそれとは違っていた。一言で言うならば、それはよく磨かれた剣とでも言えようか。
今まで相手して来たウマ娘の大体は同年代だったが、このウマ娘……いや娘と呼ぶにはあまりにも老獪な風格を醸すこの
しかし見た目は俺達と遜色なく若々しい。
……理由は分かる、最近テレビで聞いた事があった。お偉いウマ娘研究家がワイドショーで語っていた。
──『ウマ娘は、挑戦する事を諦めない限り老いる事がない』
恐らく目の前にいるヤツは、挑戦する事を諦めなかったのだろう。
ウマ娘にとっての挑戦、それは言わずもがな『走り』だ。
ならば一体、目の前のヤツは何故そこまで走りに執着する?
……いや、なぜ俺は初対面の相手にここまで思考を割いているんだ?
「どした〜? 聞こえてるか〜少年?」
──と、考えを打ち切る様にヤツは声を掛けて来た。
少し考え過ぎたな。不審者の話には乗っからないのが基本だ。
「ん〜? ん?! あっちょっと待って!?」
だから、俺は逃げさせてもらう事にした。
俺はケンカに巻き込まれる体質なだけでケンカ自体は好きじゃない。逃げられる時はいつも逃げている。
が、不良のウマ娘相手だと走る事もケンカの一種になるらしく、相手から尻尾巻いて逃げ出しても逃げ切れば勝者扱いされ、いつの間にか自称舎弟が増えていた事もザラにあった。
出来れば……ヤツもその類いでない事を祈っておこう。
「待って! 怪しい者じゃないって!!」
流石にウマ女、俺の後を追って来たヤツはこう言っているが、先程の興奮ぶりを見せられた俺からしてみれば胡散臭すぎる。
だが、街中故に上手く距離を離せない。どうしても赤の信号機を避ける為にカーブをしなくてはならないからだ。それでも、ヤツのスタミナが分からない以上、俺のスタミナが尽きる前に早くヤツを振り切りたい。
だから俺は、ここから程近い河川敷に向かう事にした。直線であれば、少なくともそんじょそこらのウマ娘に俺の走りは破られない筈だ。
「──てって! ほ──たし──フジ──んぱい! ── しらな─── そっ──な─かな!?」
そしてヤツとの距離を少し離して俺は河川敷までたどり着いた。並のウマ娘なら縮まらない距離にとっとと諦めそうなものだが、さっきから後ろで五月蝿いヤツはどうやらそうじゃないらしい。
だが、煩わしい鬼ごっこもこれでお終いだ。
俺は力強く踏み込み、足首のバネで前に跳ねた。
一気に加速した事で、俺の被っていたフードは外れ、長い髪か中から飛び出し後ろへ流れる。
が、そんな事は気にならない、走っている最中だから。
そして、ヤツとの距離も一気に離れて行くだろう、俺はそう確信した、していた。
しかし──
「──あ〜あ〜、可愛い顔して随分ヤンチャじゃない……のっ!!」
──俺の
「ッ?!」
俺は振り返らず、反射的に速度を上げる。それはもはや、肉食動物から逃れようとする草食動物の本能に近いものだった。
「まだまだ身体の使い方が甘いって!」
しかし、ヤツを振り切る事は出来なかった。それどころか背後に取りつかれた。
ヤツは此方を向いてこちらに話しかける程の余裕もある、しかし俺にはそんな余裕は無く、ただただ前を向いて走る事しか出来ない。
──なんだ、なんだコイツは!?
俺の脳裏には次第に走る事よりもこの脚に喰らいつける謎のウマ女への恐怖が刻み込まれていた。
そしてつい、俺は後ろを振り向いてしまった。振り向いた時、奴は息苦しさからかサングラスとマスクを取っ払い、素顔を晒す瞬間だった。
──俺は、眼を見開いた。
「テイ、オー……?」
トウカイテイオーとそっくりな顔をしたウマ娘が、俺の背後を捉えていたのだ。
──……怖い。
"テイオー"が俺を追ってくる。
追いつかれたらどうなる? 俺はどうなる!?
──……嫌だ。
俺は無我夢中だった。涙すら流していたかもしれない。
がむしゃらに足を前に前に出そうとし、出そうとし──
「──っ危ないッ!!」
聞こえたのは俺の声かヤツの声か──気付いた時には、足がもつれていた。
「──あっ」
──サラブレッドの全力疾走は時速60km、軽自動車にも匹敵すると聞いた事がある。もし、その速度で走る人間が転んだのなら、更にそれが芝や砂ではない、硬質の地面だったのなら……無事には済まないだろう。
……次の瞬間、俺の視界には真っ黒な道路が一杯に広がり、頭の中に『死』と言う文字がよぎる。
反射的に目を瞑って衝撃に備えようとした時。
一陣の風が、俺の横合いを突き抜ける。
そして倒れていく俺は、柔らかい何かに包み込まれていた。
『まさか』そう思ったが、恐怖に硬直していた身体は言う事を聞かず、地面に吸い込まれていく──
しかし、恐れていた痛みは無く、ドスンという重い音と衝撃に横回転している感覚が身動き出来ない身体に伝わって来た。
時間にして2秒にも満たない間の出来事だったが、死を目前にし、ゆっくりと感じられる時の中で、俺ははっきりと知覚していた。
やがて、回転が止んだ。
──ドクン。
それから最初に感知したのは鼓動の音だった。次に、柔らかな感触と暖かさ。妙に落ち着くそれらのお陰で、俺の頭は冷静さを取り戻す。
──俺は、ヤツに庇われた。
かなりの速度が出ていた筈だ。それにも関わらずヤツは俺の事を身を挺して守った。俺はその考えに至り、慌てて身体を縛るヤツの腕から這い出した。
「大丈夫だったか? 少年」
ヤツの胸元から這い出した先には、ニマニマとしたヤツの顔があった。けろっとしている事に安堵してしまった俺に、また腹が立つ。
「……礼は言わねえ。元はと言えばアンタの所為で逃げる羽目になったからな」
「ははっ、そりゃそうだ」
──コイツ、無敵か?
柳の様に言葉を受け流す姿が様になっているのは積み重ねた年季の賜物か。そんなヤツに反抗するのもバカバカしくなって来た俺は、諦めて話を聞く事に決めた。
ただ、言いたい事があった。
「分かった、話は聞く。だから……」
「だから?」
「……早く腕を解いてくれ、胸が当たってスレるんだよ」
「え? まさか下着、着てないって?」
「……悪いかよ」
「はぁ、私も大概ズボラだが、キミも随分とアレだな」
「うっせえ」
……本当は胸が当たってて恥ずかしいなんて、ガキみたいな事言えるかよ。こっちの理由も一応はあるが。
まったく、競い負けた上にこんな生き恥まで晒して……ああ、今日は死にたい気分だ。
「ま、それは置いとくとして」
ヤツはスッと立ち上がり、脚や腕の可動を確認するとまたスカした顔で話を始めた。こうもあっさり立ち上がられると、俺の走りはそこまで速度が出ていなかったんじゃないのかと思えて来る。
「……いや、少年の走りは対したモノだった、感服したよ」
「お前、心が読めるのか?」
「別に? 勘だが?」
もう俺はツッコまない事に決めた。何を言ってもこちらが怪我する未来しか見えなかった。
「あ、そうそう。少年よ、きみはトゥインクル・シリーズで走ろうと思っていたりするのかい?」
「……冗談キツイな、俺がそんなタマに見えるか?」
そんでヤツは、物のついでとばかりに訳の分からない事を言う。いや、お前は何様なんだと。ツッコまないと決めて早々に誓いを破りそうになってしまった。
「それでアンタは……中央のウマ娘だったのか?」
「そっ、今は船橋の方のローカル・シリーズで走ってるけど」
が、この言葉で決壊してしまう。
「──あの走りで、か?」
その意味は、決して悪いものではない。
ウマ娘達が走るレースには大きく二つのシリーズがあり、それぞれトゥインクル・シリーズとローカル・シリーズと名付けられている。
大きな賞が絡むレースは概ねトゥインクル・シリーズで、それ以外のレースはローカル・シリーズで行われている事が多い。明確な区分としてはウマ娘のレースを管理する団体であるURAが取り仕切るレースはほぼほぼトゥインクル・シリーズで、それ以外の地方団体が仕切るレースはローカル・シリーズとなる。時に中央と地方と言う風に呼び分けされる事もあるが、やはり一番の違いは競技レベルの違いと言う事になってくるだろう。
とにかく、小難しい事を考えなければ、基本的には強いウマ娘は中央に行くと言う事だ。敢えて中央のトゥインクル・シリーズではなく地方のローカル・シリーズで勝ちまくるウマ娘と言うのも存在するが、それは例外だろう。
だからこそ、未だ未熟とは言え、"テイオー"の脚に喰らい付き追い越してみせたヤツが、本当に地方で収まるウマ娘なのか、俺は疑っていた。
すると、俺の疑問を察してかヤツは勝手に自分語りを始めた。
まず、ヤツは昔、中央で走っていたウマ娘らしい。理由があって暫くレースに出走せず地方に移ったそうだが、理由を聞く気には何故かなれなかった。
そして今地方で走っている理由は、どうやらここ最近のトゥインクル・シリーズを騒がせる芦毛のウマ娘二人──"タマモクロス"と"オグリキャップ"にあるらしい。
「オグリキャップはまだ分かる、あのウマ娘は地方から中央に転入し成果を上げているウマ娘だからな。アンタは恐らく、地方から中央へ復帰する気なんだろう」
「ご名答、私もすっかりあの芦毛の輝きに目を焼かれてしまってね」
「ただ、タマモクロスは分からない。アンタのどこの琴線に触れたんだ?」
ヤツは、俺の質問に笑みを深めてこう言った。
「それはだね。あの子が"天皇賞春秋連覇"を成し遂げたからさ」
──そうか、タマモクロスは史上初の天皇賞春秋連覇を成し遂げたウマ娘だ。
3200mと2000m、それぞれ求められる能力が全く違う二つのレースを制覇するのは至難の技。故にクラシック三冠や春三冠や秋三冠に並ぶ存在として天皇賞春秋連覇があった。それを成し遂げたタマモクロスもまた、芦毛の怪物と言えるだろう。
更に、その称号に拘りを持つウマ娘ともなると──ヤツは春の盾か秋の盾を持っているのだろうか。
「聞きたいかい、少年よ。私の獲得した賞の名前を」
「そうドヤ顔されながら言われると腹が立つんだが」
「そう、私の獲得した賞は二つ」
「おい話を聞け……」
「"東京優駿大競走"、東京大賞典じゃあないぞ。今で言う所の"日本ダービー"だ。それと"秋の帝室御賞典"、これは今の"秋の天皇賞"だね。この二つの賞を手に入れたウマ娘なのさ、私は」
「──待て、ダービーに秋天? そんなウマ娘なら俺だって一度は見た事がある筈だが?」
「いや、多分少年が産まれるよりも前の話だろうから、知らなくても仕方ないね」
……そう言えば、ヤツは何故俺にこんな話をするんだ。
認めたくはないが、俺はヤツに
これ以上ヤツに近付けば、"テイオー"の運命に巻き込まれてしまうと直感で理解していたから。
「……なあ、アンタは何で俺にそんな話をするんだ、アンタ一体誰なんだ」
「ふむ、そうだね。──それは私がキミの"ファン"だからさ」
だが──俺は聞いてしまった。ヤツが何をしたいのか、何者であるのかを。
──ウマ娘は、走り出したら止まれない。
生まれつきのエンターテイナーとして、彼女達は"ファン"の期待を乗せて走るのだから。
既にスターティングゲートは開かれてしまっていた。
もう、後戻りは出来ない。そう言われた様な気分だった。
「……だから私は、キミに聞いてもらいたい頼みがある」
つまり、俺は分かっていたのに地獄への道を踏み出したワケだ。
「──私にキミを、鍛えさせてくれないか?」
あれだけ忌避していた、ターフの上へと続く道を。
ああ……ヤツは言った、気持ち悪い位の、輝く笑みで手を差し伸べて。
"テイオー"ってのは、きっとこう言う存在なんだろうと、俺は
──気付けば夜は今、明け方を迎えていた。