その割に今も納得行かない箇所があったりするので、次話の形が定まり次第修正するかもしれません。
後、今話では主人公の前世関連の話が出て来たりします。
これは、きっと
俺は、目の前に立つウマ娘を睨む。
俺の二倍はある身長。
少し日焼けした艶のある肌。
腰にまで伸びる長い鹿毛のポニーテール。
ヤツの名はシンザン。その威風堂々した風格は間違いなく、絶対の王者のソレだった。
恨み骨髄に徹する。晴らすべき怨念の矛先なんてこの世界にはないと思い込んでいた。だから俺はブレーキを掛けるのを忘れてしまった。
「シンザン……俺と
俺が
「へぇ……!」
鹿毛の髪が靡く。
風が強まり出した。
俺達は陰りの中に飲まれていく。
家族連れは雨が降る前に撤収し、人気は見る見るうちに無くなっていく。
「久しぶりだな。勝負を挑まれたのは」
「やるかやらないか、どっちだ」
「……普段なら面倒クセーなんて断ってる所だが、良いさ、アンタに付き合ってやるよ」
シンザンは口端を吊り上げた。
「おーい、センパイッ!」
「ん? ……"シンちゃん"か! 何でこんな所に?」
「コイツがレースしたいって言うんで、一走りしても良いっすかね?」
「……へ?」
「だから、コイツがアタシとレースしたいって言うんですよ!」
古朋はまるで宇宙の真理を見た様な顔をしていた。そんなに驚く事だろうか。
しかしすぐに気を取り直すと、ヤツは顔を引き締め、こう言った。
「……そうか。ならシンちゃん、元生徒会長として命じよう。
──"全力"を出せ」
──前世ではそこそこに長いと思えた100mも、今ではほんの少しに思えるようになった。
「はっ、はっ……」
シンザンとの戦いに選んだ戦法は、とにかく逃げ。
たったの2ハロン、全力で走り回っても問題はない。そしてそれは相手も同じ、ならば差しや先行なんて呑気な事はやっていられない。
第一コーナーに差し掛かかった直後、俺は少し目線を右に向け、後ろを確認する。
シンザンは不気味な程静かに、俺の3馬身程後ろを走っていた。
顔色に変化は無く、淡々と走るその姿は、いっそジョギングでもしているかの様だった。
しかし、それとは裏腹に俺は焦りを覚えていた。
シンザンの強みは鉈の切れ味、硬い鬣すら容易に引き裂くその差し味だからだ。
俺は直感で理解する。この距離では間違いなく差し切られる、と。
──引き剥がすッ!
俺は第二コーナーを抜け向正面に入った瞬間、脚に力を入れ、
走ると言う行為は前方にジャンプを繰り返す行為だと誰かが言っていた。
こうして走ってみれば、確かにその通りなのだろう。それに加え、"テイオー"が持つバネじみた天性の柔軟性があれば、歩幅もといジャンプの飛距離、つまりはストライドも増大する。
それによって、そもそものシンザンとの体格差によるストライドの差の不利を減らそうという考えだ。
そして狙い通り、直線に入りより一層加速した俺はシンザンを徐々に離していく。
が、その差は2馬身、予想よりも微々たる物となってしまった。
後ろ髪を引っ張られる様な心持ちのまま、第三コーナー、残り200mを切ったレースはいよいよ終盤に差し掛かる。
──行けるか?
たった200、あっという間に走り切れる距離。
最終的には4馬身ほど距離は開いていた。
だと言うのに、背筋を這う悪寒を払拭しきれない。
そして、その懸念は現実のものとなる。
「──そろそろ行くか」
背後から聞こえた声は、閻魔の怒りか神の慈悲か。
曇天の中でも尚、鉈の鋭利な輝きは強みを増していく。
パァンッ!
破裂音が競技場に響く。
更に、俺の頬を掠め目の前を
──アレは何だ。
そんな疑問は無意識の内に振り向いた事で解決した。
パァンッ!
音の先には、やはりシンザン。
背後には、点々と続く小さなへこみ。
そう、シンザンのつま先からの抉るような踏み込み。それに耐え切れなくなった地面が、無残に四散していたのだ。
見れば分かる。力が違い過ぎる。
文字通り、ヤツからすれば俺は赤子の様な物なのだろう。
「捉えたぜ?」
そして、顔を顰める俺に対し、シンザンは凶悪に笑う。
まるでカメラがズームする様に、ぬるりとその姿を大きくしたシンザンが、内を走る俺の外を突き抜けていく。
動きに一切の澱みが無かった。
迷いを切り捨て、歪みを削り、勝利を掴む。
華奢な少女の見た目に反し、余りにも重厚な走り。
その姿はまさに"王者"の走りだった。
そして、逃げの俺は、差し切られてしまえばどうしようもない。
どうしようもない──そう、諦められる筈だった。
1馬身。
このまま、距離が離れていく。
2馬身。
離れていく。
3馬身。
離れて──
「──
──気づけば、俺は暗闇の中に居た。
果てのない暗闇は、まるで宇宙の様だった。
しかし、脚には確かに何かを踏みしめる感触があった。
ふと、こう言われた気がした──────「走れ」と。
次の瞬間、暗闇の中に、一点の光が差し込んだ。
眩しくて仕方がない。なのに、俺はその光から目を離せなかった。
やがて、銀光を帯びた流星群がその光に向かって昇っていく。
幻想的で、どこまでも眩しくて、耐えられそうにない。
あの光にどうしようもなく惹かれる自分が居る一方で、この暗闇が居心地良く思えてしまう自分も居た。
「──キミは、どうしたいの」
ぼうっとしていると、隣から声がした。
かつて聞いた事のある、声だった。
「なんで……」
「だ〜か〜ら〜ッ! どうしたいのって聞いてんじゃん! 質問に質問を返さないでよぉ〜!」
「トウカイテイオーがなんでここに居るッ!!」
ウマ娘としてのトウカイテイオーがそこに居た。
「ふっふっふ。ボクはムテキのテイオー様ゾヨ! 困ってるヒトを助けるのは当たり前ゾヨ〜!」
「……訳わかんねえよ。何で俺はトウカイテイオーになってんだよ。何で大人しく寝させてくれなかったんだよ」
「ふーん……──それで良かったの?」
──良かっ、た?
良いわけないだろう。
「じゃあ、諦めたらダメだよね」
「この世界に何があるって言うんだよッ!」
「あるよ。三女神様が言ってたもん」
「何を──」
「キミのお父さんも、この世界に生まれ変わってるって」
「…………は?」
なん、だよ、それ……そんなのアリかよ……。
「誰だ! 誰に生まれ変わった! ウマ娘か!? 人間か!?」
「ウマ娘の近くに居る人間らしいけど、名前までは分かんないかな」
ウマ娘の近くに居る人間……まさか、トレーナーか?
それに……
会える? 親父に?
「うんうん、キミがこのまま頑張って
いや待て。もしそうなら、俺は"テイオー"として生きるべきじゃないのか。
俺が"俺"として生きていたら、いつか俺の事を知った親父はまた罪を抱える事になる。だったら……
「って何でさ! 何でそうマイナスマイナスマ・イ・ナ・スにッ! 考えちゃうのさぁ〜っ!!」
「……俺はやっぱり必要ねえよ」
「会いたいとかさ! 無いの! ホントのホントに! 1ミリも無いの!!」
それは……無くもない。でも、怖いんだよ。俺が親父を苦しめるかもしれないって思うと。
「そんなの会ってみなくちゃ分からないよね?」
「だから"もしも"の話を……」
「そうならない"もしも"もあるじゃん!」
……そう、なのか。
いや、分かんねえよ。そんな"奇跡"ある訳……
「……あるよ」
「っ──」
「それに勘違いしてる。奇跡は待つモノじゃない。起こすモノだよ」
そうか……だから"トウカイテイオー"な訳か。
冬の中山に奇跡を起こした、最強不屈の帝王様。
奇跡を起こすに相応しい、ってか。
「三女神様が何で申し訳なさそうにしてたのかは分からないけど、色々な事情があるんだと思う」
「……ああ、そうだな」
「でもボクには関係無い。キミがそうしたいのなら、そうするべきだと思ってる。だからこうしてキミは生まれ変わった訳だし」
そう口にするトウカイテイオーの姿は、万民を導き苦悩を晴らす帝王そのものだった。
ずけずけと人の心に踏み込んで、やりたい放題やって、いつの間に無駄に考えるのも馬鹿馬鹿しく思わせてくれる。
それくらい傍若無人な方が、帝王らしいと言えるのだろう。
「──だから見せてよ。キミが駆ける、キミだけのテイオー伝説を」
最後にそう言うと、トウカイテイオーは、背中を向け、銀光の集う先へ走り出した。
「まだ、分かんねえ。
この先がどうなってるか、何が待ってるか。
恐怖は消えない、でも、俺は進みたい」
──
俺は、光に惹かれる様に走り出した──
光の中へ消えて行く"星"が、新たな"星"を紡いで行く。
──そうか、星だ。
古朋あぶみ……彼女の魂は、"星"の血筋を受け継いだかの名牝だ。
その魂は、牝馬でありながら"日本ダービー"を初めて制覇した伝説の存在。
彼女の本当の名は──
力を無くした筈の脚が、動き出す。
崩れかけた身体が、立ち直る。
暗く沈んだ視界は、明瞭に。
胸が破れそうな程、痛いくらいに鼓動が高鳴っていた。
脚に伝わる衝撃が、
荒れた風が肌を撫でる感覚が、
降り出した雨が身体を濡らす感覚すらも、新鮮で心地良い。
何もかも生まれ変わった様に、清々しい。
本当は何も変わっていないのかもしれない。でも良い、この一瞬だけは"勘違い"したままで居させてくれ。
俺は、どこまでもクソッタレだ。
なのに──
でも、それで良い。
これから進む中で見つけて行けば良いんだ。
だから"今"は──
『
──
──
──
その技の本質は
"
三段跳びの選手ともなると渋谷のスクランブル交差点を3歩で横断してしまうらしい。それならば、ウマ娘の脚力を以って三段跳びをすれば、より速くより遠くまで跳べる筈だろう。
そう考えた俺は、ホッピングにでもなったつもりで強いキックを絶え間なく地面に叩きつけ、その反動で前に跳ぶ。
リズムを間違えれば、後が総崩れになってクラッシュだ。
だが恐怖は無かった。迷い無く脚は前に出てくれる。後は何度も何度もタイミングのシビアな三段跳びを繰り返すだけ。
するとどうだ。最高速度は限界を超えて遥か遥かに上を行く。
──風が、気持ち良い。
何故だろうか。今までそんな事を思った記憶は無かったのに。
それが望んで走っているからなのか、それ以外の理由があるのか、俺には分からなかった。
ただ言えるのは、俺はこの時"全力"だった。
それからは、余計な思考は打ち切った──途切れそうな集中を、鼓舞で奮い立たせるだけで良いと思ったからだ。
──走れ!
10馬身
──走れ、走れ!
8馬身
──走れ、走れ、走れ!
6馬身
……だが、まだ足りなかった。
「くそッ──」
まるで、届かなかった。
「こなくそぉぉぉぉっ!!」
伸ばした手の中に消えた、あの背中に。
──結局、俺が決勝線を踏み越えたのは、シンザンがゴールしてから1秒以上も後の事だった。
「──ん?」
ここは……屋敷、じゃない。居間か……どうして、俺は優駿荘の部屋で寝っ転がってるんだ?
「ああ、起きたか、少年」
そして俺は、古朋の顔を見て全てを思い出した。
届かない背中。
踏めもしない影。
足音すら、彼女には届いていないだろう。
「負けたんだな、俺は」
「そうだ。そしてあの後、糸が切れた人形みたいに君は倒れてね。でも仕方ないさ。相手は元プロだ」
シンザンに負けた。完膚なきまでに。
仕方ない、なんて言葉がここまで空虚に思えたのは初めてだった。
どこかで言い訳に甘んじて、安易な自己肯定で安堵したがる自分が居たって良い筈だ。
「仕方ない、よな」
なのに、何で握った拳が解けないんだ。
震える足で、立ち上がろうとしているんだ。
「悔しいか?」
「思えねえよ。当たり前の結果だからな」
「……やっぱり、君は隠し事が下手な様だ」
やっぱり俺は古朋あぶみが気に食わねえ。分かった様な顔して、暴き立てて。俺のプライバシーは皆無だ。
悔しい? ……そんなの当たり前だろう。真剣勝負に負けてそうならないヤツなんて居ない。男なら、尚更だ。
「パーマーは何処に居る?」
「私が指示を出して町内走り込みの真っ最中だ」
……俺の事、情けないと思ってるんだろうな、パーマーは。
「シンザンは?」
「シンちゃんはゴールしたらそのまま何も言わずに何処かへ行ったよ」
アウトオブ眼中、か。そりゃそうだよな。ヤツは神様みたいなモンだ。俺みたいなのは逆立ちしたって敵う訳がない。
「……で、君はどうするんだい?」
古朋はしたり顔で俺に問いかける。
もう答えは出ている。
何かは分からないが、俺はあのレースで
そして、その大切な事の為に走らなきゃいけないんだ。
丁度いい。それで雪辱も果たせば一石二鳥だ。
だから、答えは勿論──
「疲れたから寝る」
「へ?」
「ハッ、ハッ、ハッ……」
晴天、濃霧の府中を一人のウマ娘が走る。
「……はぁっ、あ〜疲れた」
やがて、彼女は立ち止まる。
瞬間、不意に吹き込んだ風により、薄霧に包まれた姿が暴かれる。
短く揃えられた鹿毛に、ナイフの様な白い流星。
彼女の名は──"ウオッカ"。
「んぐっ……んぐっ……ぷはぁ〜! 疲れた身体に染み渡るぜ〜!」
腰に下げた麦茶入りのスキットルをひと呷りすると、ウオッカは満足気に口元を袖で拭った。
その姿は、彼女が小学生でなければ十二分に様になったのだろう。
そんな
「後四年で"日本ダービー"かぁ。あぁ〜待ち切れねえぇ〜っ!!」
ウマ娘として、ターフに生きる者なら誰しもが見る生涯たった一度の夢──"日本ダービー"。
ウオッカは、
「見ていて下さい、ヒサトモ先輩! クリフジ先輩! 俺、絶対日本ダービーを獲りますから!!」
確かに、ウオッカにとってそのウマ娘は先輩なのだろう。しかし彼我の繋がりは全くと言って良い程皆無である。
しかしそれでも、ウオッカには関係ない。
何故なら、彼女の中の魂が、二人の魂にどうしようもなく惹かれているからだ。
──答えなど
そんな考え。彼女の生き方は、小学生にして既に完成しつつあった。
「──よし! 気合い充填ッ! エンジン全開だぁぁぁっ……あ?」
気炎を漲らせ、いざ発進……となった所で、薄霧の中、浮かび上がる影がまた一人。
その背丈は、ウオッカよりも少し低いくらいか。しかしその髪は、ウオッカとは比べ物にならない程長く、ストンと癖なく落ち着いた髪質は、嫋やかな女性らしさを演出している。
やがて影は、色を帯び、より鮮明に姿を明かす。
ウオッカと同じ鹿毛、ペタリと頭にへばり付くウマ耳に力無く揺れるウマ尻尾、滂沱の様に流れている汗にも気を配る余裕は無いのか、虚ろな目でふらふらと怪しい足取りで歩くウマ娘が、ウオッカの前方に現れた。
「オイ、アンタ大丈夫かよ!?」
「川の向こうで親父が手ェ振ってやがる……今行くぞ、親父……」
「どう見てもマトモじゃねえ?!」
ウオッカは練習を切り上げ、急いでそのウマ娘の元へ駆け寄る。
「うぅ……喉が、乾いた……」
「! 分かった、水分だな! ならコレ飲めっ!」
スキットルの蓋を開き、そのウマ娘の口に少しずつ麦茶を垂らしていく。
そうする事しばらく。
──そのウマ娘は、穏やかな表情で寝息を立てていた。
ウオッカもそれに釣られ、ふう、と胸を撫で下ろす。
「ってこの子、ヒサトモ先輩に似てるような気が……」
そして、落ち着いた頭でもう一度状況を整理していたウオッカは、そのウマ娘がヒサトモに似ている事に気付く。
「『他人のそら似』ってヤツか? いやでも、それにしちゃあ……」
そうして、運命の歯車は拍車を掛けて回り出す。
"逃げる事を選んだテイオー"と"爆逃げのパーマー"。
"未知の今を生きるテイオー"と"歴史に名を刻む
そして今ここに、新たな歯車が一枚組み込まれた。
"
──運命の十字路は、もうすぐそこに。